焼き串・三本目

 商店街の中ほどに「焼き鳥まいど」の看板を出しているお店、それが初代である文太ぶんたが始めた焼き鳥屋である。

 店舗は自宅とつながっており、家の玄関は店の入り口とは反対側、つまりアーケードの裏手にある。


 文太は若い頃に東京の老舗焼き鳥店で修業し、一人前になったと認められて故郷のナゴヤへもどり、「焼き鳥まいど」を開いた。

 東京が長かったため、すっかりナゴヤ弁を忘れてべらんめえ口調である。

 

 本来であれば一人息子である茂根彦もねひこに跡を継がせる腹づもりであったが、茂根彦は商売人ではなく画家を選んでしまった。


 そのため紆余曲折を経て、孫である彦一ひこいちが二代目として看板を受け継いだわけである。


 その二代目彦一は、ショッキングピンクのフリル付きメイドエプロンのまま、庭の物干しに洗濯ものを干していた。


「クマちゃん柄や蝶々模様のパンツを嬉しそうに履いていたチビちゃんたちが、すっかり大きくなっちゃってなあ。

 どうよ、このリボンのついた小さなパンティ。

 お尻が冷えないか、にいちゃんは心配だぞ」


 外から他人がのぞいたら、間違いなく変質者か性犯罪者と疑われそうな笑みを浮かべている。


 だが本人はいたって真面目に、大事な妹たちの下着を慈愛の眼差しで、広げて見入っているのである。

 

 午前中に洗濯と掃除を済ませると、いったん居間で仮眠をとるのがルーティンワークであった。


 店は夕方の五時から十一時まで。

 片付けや明朝の朝ご飯の準備をしてから寝床にもぐりこむのが、だいたい深夜二時。


 朝は五時半に起床するから、足りない睡眠は昼間仮眠をすることで補っているのだ。


 文太はまだ帰宅せず、朝食用のおかずは冷蔵庫へしまう。

 彦一は昼食を摂らない。

 夕方に串ネタを仕込む際、味見をするからだ。

 これだけは文太にかなり厳しく仕込まれた。


 たかが焼き鳥とはいえ、お客さんはわざわざお金を払って食べに来てくれる。

 もう一度あの店で食べたいな、と思わせなければ商売は長続きしない。


 そのためには毎日必ず、だす串ネタに間違いがないかどうかを自分の舌で確認することが最低限の職人のマナーである、と。


 こういう努力があって、「焼き鳥まいど」の味は長年ファンをつかんで離さないのである。


 〜〜♡♡〜〜


 お昼すぎの商店街は買い物をする主婦や、外国から来た観光客たちでにぎわっている。

 店先からは威勢のいい声が聞こえてくる。


 文太は黒い作務衣さむえに下駄をつっかけてのんびり歩いていた。

 今年八十三歳を迎える。

 背丈は低いが白髪の角刈りにがっしりとした体格、ピンと伸ばされた背は年齢を感じさせない。


 額にしわを寄せ白い眉を片方上げて、昨夜も商店街のスナックで歌った演歌を思い出しながら口ずさんでいる。


「おうっ、まいどの!」


 鮮魚店の大将が包丁で魚をさばきながら文太に声をかける。


「よう、魚屋。

 ケイキはどうでい」


「おかげさんで、猫の手も借りたいくらいよ」


「魚屋に猫なんて置いた日にゃあ、商品を全部食われちまわあな」


 文太はカラカラと笑う。

 自宅にたどり着くまでに、何人もの知り合いと軽口を交わす。

 裏通りから自宅の門をくぐり、引き戸の玄関をガラガラと開けた。


「おう、いまけえったぜ」


 下駄を脱いで、居間へ顔を出した。


「彦よ、師匠のお帰りだ」


 文太は、胡坐あぐらを組んでこちらに背を向けたままの彦一に声をかける。

 ところが彦一は振り返りもしない。


「なんでえなんでえ、朝帰りくれえ、大目に見ろや。

 なんつってもわしゃ定年退職した自由人ってやつだからよう。

 おい、彦、まさかてめえ怒ってるんじゃあるまいな」


 文太は「よっこらせ」と畳に腰を降ろそうとして、違和感を覚える。

 彦一の座る前に見慣れぬとうカゴが置いてあるのだ。


「なんでえ、そのカゴはよ」


「じ、じいちゃん」


 彦一がなんとも情けない声で、ようやく振り返った。

 文太は眉をしかめてその籐カゴをのぞき込む。


「はっ?

 どうしたい、その赤ん坊はよう」


 彦一の前に置かれた籐カゴの中には、ピンク色のタオルにくるまれた生後三ヶ月ほどの赤ん坊がスヤスヤと寝息をたてているではないか。

 文太は彦一の反対側にまわり、しゃがみこんだ。


「ほほう、こりゃあ女の子かい。

 可愛い寝顔じゃねえか。

 ご近所さんから預かったんかい」


 彦一は首をふり口元を結んだまま、座卓に置いてあった白い便箋を差し出した。


「えーっと、なになに。

 おっ、近ごろめっきり老眼がすすんじまってよう」


 文太はふところから眼鏡ケースを取り出し、白いプラスティックフレームの老眼鏡をかけた。


「拝啓、ご家族さま。

 この子をよろしくお願いします。

 茂根彦。

 敬具。

 はあーん?

 茂根彦だってよ!

 あいつ、家に帰ってきたんかい」


 文太の問いに、彦一は再度首をふった。


 彦一は午前中に家事を終え、タオルケットを二階の自室から持ってくると、座布団をふたつ折りにして枕にし、仮眠を取り始めた。


 すぐにいびきをかき、夢の世界へいざなわれていった。

 夢はいままで見たこともない、強烈な悪夢であった。


「た、助けてえ」と叫んだ自分の声で目が覚めて、畳の上で思いっきり両腕を伸ばした。

 その手の先になにかが触れた。


「うん?」と寝返りをうつ。

 彦一の寝惚けまなこに映ったのは、両手で抱えるほどの籐カゴであった。


「えーっと、なんだよ、これは」


 彦一は起き上がって籐カゴをのぞいて、そのまま固まった。

 見たこともない、可愛い赤ん坊が寝ていたのだから。


「ちょ、ちょっと待て、俺。

 よーく思い出せ。

 俺って子持ちだったっけ。

 実はとうに結婚していて子どもまでこさえていたのに、それを忘却の彼方へおいやって」


 腕を組んで首をひねる。

 だがいくら思い出そうとしても、そんな経験はない。


「じゃあ、なにかい。

 誰かのお子さんを預かったっけか。

 いやいや、そんなことはまったく記憶にないぞ」


 そして座卓に置いてある便箋に気づく。

 先日北海道から絵葉書を寄越した父親の書いた置手紙であった。


「するってえと、茂根彦の野郎はよう。

 この赤ん坊を置いて、またどこかへトンズラこいたってえことかい」


 文太は険しい表情を浮かべた。


「う、うん」


 彦一は口元を尖らせ、うなずいた。


「あのスケこましめ。

 我が子ながら情けねえぜ、まったくよう。

 彦のかあちゃんが病気で亡くなってよ、そのときに担当してくれたお医者の先生と付き合って結婚したのが、たしか」


「俺が十一歳のときだ。

 それで一年後につぐみが産まれたんだよ」


「そうだそうだ。

 ところがだ。

 またどうしたことか、つぐみを産んだ途端に、あの女医さんは還らぬひとになっちまった」


 文太の顔が曇る。


「ああ、でもおかあさまはさ、俺にもすごく優しくてな。

 かあちゃんも好きだったけど、おかあさまも大好きだったぜ、じいちゃん」


「ああ、たしかにお医者だけに頭はいいし、器量はいいし。

 なによりよ、ひととしての懐が深かったよなあ。

 惜しいひとをなくしたもんだ」


「それから幾年かしてさ。

 今度はオヤジ、ママと結婚したんだよなあ。

 ママは俺から見てもすごく可愛くて素敵な女性だった。

 新進気鋭のプロヴァイオリニストなのに、あっさりと辞めちゃって、俺とつぐみを我が子のように育ててくれていたのにな」


 彦一はママの優しい笑顔を思い出す。


「神さんってえのはよ、彦。

 どうしたって生きてるものに試練を与えたがるんだなあ。

 ママがひばりを産んだとき、おめえは本郷ほんごう高校の特選科に合格して、これで将来は宇宙物理学者だなんて言ってたのによ」


 ママはひばりを産んだあと、どうしたことか産後の肥立ちが悪く、おかあさまと同じように他界してしまったのであった。


 彦一と文太は宙をにらみながら、あらためて三人の母親を思い返す。

 文太の妻は彦一が小学四年生のときに病気で鬼籍に入っていた。

 

 当時は店を文太が切り盛りしており、父親の茂根彦は気が付けばふらりと旅に出ており、彦一は妹ふたりの面倒をみるために、大学進学をあきらめざるをえなかった。


 でもそれを、彦一はまったく後悔はしていない。

 可愛い妹たちの面倒をみることは、天から与えられた、兄である俺の使命だ、と信じていたからだ。


「で、どうすんだ、この赤ん坊」


 文太は腕を組んで問うた。

 彦一は真剣な眼差しで祖父を見る。


「俺が育てるよ。

 こうみえてもさ、つぐみやひばりを面倒みてきたんだからな。

 もうひとり妹ができたと思えばいいんだ、じいちゃん」


 彦一の言葉に、文太は思わず涙が出そうになった。


「てめえのお子だって言ってもいいくらいの年になっちまったのになあ、彦よ。

 結婚もしてねえのに、また子育てってかい。

 よしっ、こうなったらわしも定年退職だなんて言ってられねえ。

 今夜からまた店に顔をだすからよ。

 おめえひとりに苦労はかけねえ」

 

 彦一はニッコリと微笑み、うなずいた。

                                  つづく

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