第3話 003枚目 汚れたコイン

 東海林(しょうじ)琴花(こいろ)は、立ち尽くしていた。

なぜ自分がここにいるのか、理解ができなかったからだ。

 セミロングで前髪を少し斜めに分けた髪型と黒縁の眼鏡。

 小柄な体型のせいか、女性というよりか少女と間違えられることがよくある。

 そんな彼女は、現在森の中にいた。

 落とした財布を探すために車のドアを開けて、外に飛び出したはずが、なぜか森の中にいた。

 どうして森の中にいるのか分からなかった。

 説明したくてもできないし、原稿用紙に20文字以内に理由を書くこともできない。

 森の中に財布を落とした覚えもないし、森林浴をしにきたわけでもない。<PBR>

 いきなり変化した風景に戸惑いを隠せない。隠したくても全身からその戸惑いが隠せていない。

 周囲に目を向ける琴花(こいろ)21才。右手で頬をつねろうかと思った矢先に、琴花は何かを持っていることに気付いた。アッブルパイが入っている紙袋だ。

 琴花はアップルパイを取り出して、頬張った。

 口の中に広がるサクサク感と林檎の甘さ。

「うん、美味しい。我ながらよくできて……てことは夢じゃなくて……これは現実?」

 夢ではなく、現実だと思い知らされる結果となった。しばらく呆然としてから琴花はガクっと肩を落とした。


  目の前にある湖の水で、琴花は喉を潤した。

  水はとても澄んでいて冷たかった。

  異臭も感じられなかったし、鹿のような動物達が水を飲んでいることから、少なくともこの水は大丈夫だろうと考えられた。空いている水筒ステンレスボトルに水を補充。

 飲み水は確保できた。

 すべての生命体にとって、水は不可欠であり、活動するにも何をするにも水は必要で、脱水症状に陥ると思考もモチベーションも低下してしまう。

 生水は怖いが、今は人が生活しているところまで行くのが当面の目標といえる。

  喉を潤したところで、琴花は改めて周囲に目を向けた。前方には湖、後方には森が広がっていた。

 空を見上げると太陽が二つあることに気づく。

 微妙に重なり合っているが、たしかに二つ。そこにあった。

 湖周辺は太陽光で明るく感じているが、森の方は樹の枝や葉っぱの関係か、全体的に薄暗く感じさせる。

「嫌だなぁ~どう見ても、あの薄暗いほうに行かないとダメっぽい感じ?」

 琴花はげんなりした。

バックの中から携帯(スマホ)を取り出して操作する。待ち受け画面は、最近お気に入りのアイドル。スライドして暗証番号を入力、そして電話ボタンを押そうとした時に、はたと気づく。

「圏外じゃんッ!! なんで意味わかんないッ!」

 スマホを頭上に向けたり、振ってみたりするも残念ながら圏外と表記されたまま。

 情報のツールがさっそく使えないことに苛立ちを覚える。一度電源を落として再起動するも、圏外は圏外のまま。うんともすんともいわない。

「え、ちょっと勘弁してよ。なんで? え、ここは樹海なの? あたし自殺願望ないんだけど……」

 琴花はペタンと座り込んだ。

 男性に振られたり、財布を落としたりと散々な目に合っているが、死ぬつもりは更々ない。

「えーと、考えろあたし。なんでこうなったんだっけ」

 まずは、生きてこの森から出ることが勝利条件であり最優先事項。

「ん〜」

こめかみを指で押さえる姿はどこかの探偵を彷彿させた。


「つまり、アレってこと?」

 しばらく考えた結果、琴花の脳裏に浮かんだのは異世界というキーワードだった。

「ここはあたしが住んでた所じゃなくて、えーと転生じゃなくて転移? …………これは異世界ファンタジー?」

 ライトノベル的な展開ならば、目の前に誰かがいて、目的などを話してくれる。

だが、残念ながら人の気配は全く感じられない。

「むぅ~。神秘の世界エルハ◯ードは、たしか最初は森からスタートだっけ? ……あぁでも藤沢先生がいて無双してたから……状況的にあたしのほうが絶望的じゃんッ!」

 さらに現段階、限りなくノーヒント。

 地図もなければ、方位磁石もない。

 もちろんGPS機能もなければ、グーグル先生のMAPも使えない。

「そういうジャンル読むのは好きなんだけど、リアルな体験となると、ちょっとな〜。あたしに、どうしろというんだろう」

 あの湖の水を飲んでいる鹿っぽい動物が、実は案内人やメッセンジャーボーイみたいな役割を果たしているのだろうか。

「人間がダメなら動物を頼ればいいのよと、たしかアントワネット様が言っていたっけ……」

 もうこの際、手段なんか選んではいられない。

 アントワネット様が言った言っていないとか、そんなことはどうでも良いことなのだ。

 琴花は恐る恐る近くにいる鹿っぽい動物に声をかけてみる。

 角がないので、おそらくメスであろう。

 ドスっと角で刺される危険はなさそうだ。

「あの〜……」

「……」

「ちょっと、すいません」

「……………」

 返事はない、ただの鹿のようだ。

 異世界といっても鹿が人間の言葉を話すほど都合良くできてはいないようだ。

鹿は喉を潤すと、語りかけてきた琴花を無視して、軽やかにそのまま森の奥へと消えていった。

「キーパーソンは何処に……」

 もう何度目か分からない溜息をつく。

 悩んでいても仕方ない。

 琴花は木に背を預けて座り込んだ。

「あれ? ポケットにあたし何を入れていたっけ」

  その時、ポケットの中に感じた違和感。

違和感を感じた。それは頭痛が痛いと言う感じで変な日本語になるが、不思議とそう感じないのが不思議といえば不思議か。

 座り込んだときには気づかなかった感触がポケットにあった。

  ポケットからそれを取り出し、

「…………えーとコイン? 何これッ!!」

  琴花は躊躇せずにそのコインを草むらに捨てた。

それは条件反射のこどく。


  これがお金なら罰当たりな行為である。

ちなみにこのコインは、琴花が最初から所有していたものではない。

知らないうちに、ポケットに入れらていたようだ。

 この汚れたコインは何の目的でポケットにしのばされていたのか分からない。

 しばらく考えてみるも、答えは全く出てこなかった。

  琴花は汚れた指を湖で洗い流し、ハンカチで拭う。念のため、ポケットの中が汚れていないか確認すると色褪せたメモ用紙みたいなものが出てくる。

「……えーと、大事に使うのじゃ?それがお主の身の為じゃ……?」

  メモに書かれている言葉を口に出す。

 日本語ではないが、何と無く読める。

  これが最近流行りの異世界クオリティというやつなのだろうか。

  今のところ特殊能力の発現、および検証はできてはいないが、少なくとも日本語ではない文字が読めることが分かっただけでも上等といえる。

  さてさて、話を戻して何を大事に使うのじゃというのだろうか。

「……こんなに汚しておいて大事に使えって、どういう神経してるんだよ」

  恐る恐るハンカチ越しにコインを掴んで眺めて見る。 やはり汚ないの一言に尽きる。

 どんな扱い方をすれば、こうも汚くなるのか。

「ハンカチ越しでも触りたくないし。うわぁ〜やだやだ」

  変な細菌がいないことを琴花は切に願った。

感染症は怖いのだ。 ましてや見知らぬ土地。

変な感染症にかかってしまっては無事に帰ることもできない。

「良いゴールを目指したければ、良いスタートをしなさいって言われてるぐらい初期装備がどれだけ重要か……絶対分かってないわ」

  この汚れたコインがいかほどの価値があるのだろうか。

「日本円の1円と同じ扱いだったら嫌だなぁー。せめて米ドルや豪ドルあたりだと、まだ有難いかも。さすがにペリカはないと思うけどさ。うーん……すごく詰んでる感が半端ないような……」

  ペリカとは、知らない人に説明すると日本円の10分の1に当たる通貨である。

いや、通貨ではなく紙幣になるのか、そんなことはどうでも良い。

「物価の値段が日本の10分の1ならすごく有難いけど……あたし無一文だし」

 忘れてはならないのは、琴花はここに来る前に財布を落としているということ。

だから日本のお金がここで使えるかの検証は残念ながらできそうにない。

  異世界に来たついでに、この世界で使えるようにお金を変えておいたよというサービスはないようだ。

 汚れたコインをマジマジと見て、琴花はため息をついた。

「…………水で綺麗になるだろうか」

  今はどれだけ細い糸であっても繋がっていることが大事なのである。

例え、こんな汚れたコインでも何かの役に立つかもしれない。

 レアアイテムなのかもしれない。

 高価なアイテムかもしれない。

はたまた星5つのSSRか……。

「水で駄目ならウェッティで拭けば大丈夫かな。あぁ、でもやっぱり触りたくないよ。もう嫌だなぁ」

 このコインが役に立つことを願い、琴花はコインを磨き始めた。





「……そいえば車のドア、ちゃんと閉めたっけ」

  コインを磨く手を一旦止めて、今では確認のしようがない事柄に琴花はボソっと呟いた

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