幸せの回り道(6)

翌日、朝から佐知子は母親に電話をかけた。

 佐知子からかけるのは久しぶりだった。

「あんた、こんな朝からどうしたとね?会社は?大丈夫と?」

「大丈夫って、もう、私、勤務して十年以上ばい?・・それでね、お母さんに報告。私ね、家を買ったけん」

「はあ?」予想通り、母は佐知子の鼓膜などお構いなしの大声を上げる。「あんた、なんでそんな大事なこと、買う前に言わんとね?不動産なんか買ってから。結婚は?もうせんとね?」

 この質問ぜめも予想通り。だから、時間がない朝に電話をした。

「結婚は、ようわからん。でも、私は、私のまま生きたいと。そのために、この選択は必要なことやったっさ」

「なんば、わけのわからんことば言いよっとね。お父さんにもいうけんね」

 相当、怒っているらしい。母の剣幕は収まるところを知らない。

 母は、女性は早くに結婚して子供を産むのが当然で、それが幸せだと思っている。佐知子の思いが伝わらないのも仕方がない。

「いいよ。なら、お父さんに一言伝えとって。うち、畳の部屋もあるけんいつでも泊まりに来てって」

 いまなら、父と畳の良さについてわかり合える気がしている。

 母は、はあと深いため息をつくだけだった。

「じゃあ、仕事の時間やけん、もう切るけん」と言った佐知子の言葉にも曖昧な返事しかしなかった。

怒りを通り越して呆れさせちゃったのかもしれない。母にこれだけ心配させたのは、きっと人生初。あんまり、後味は良くない。

やっぱり、親に心配なんてかけさせない方がいい。ちゃんと相談もするべきだったかなって、反省。

だけど、佐知子の選択も間違っていないってことは、わかってほしい。長い戦いになりそうだけど。

玄関を開けると、白い息が出る。すっかり、朝は冬の空だ。

駅に向かう途中にショーウィンドウが並ぶ。まだほとんどの店が開店前で、店内は暗い。

途中に一軒おしゃれなカフェがある。毎朝そのカフェでコーヒーを買う。店内は、モーニングを楽しむ人や、佐知子と同じようにコーヒーを買うビジネスマンで賑わっている。

引っ越したら、このコーヒーともお別れなのね。

寂しい気持ちになる。冬の冷たい空気が余計に寂しくさせる。

帰宅したら、きっと母親から電話があるだろう。結婚のことで長話があるかもしれない。

結婚も幸せかもしれないけど、独身だって悪くない。

人の幸せをうらやむより、自分の幸せを考えて生きていきたい。

これから、新しい生活が待っているということが、佐知子を前向きな気持ちにさせた。

佐知子は、コーヒーを片手に駅へと向かった。

ショーウィンドウに映る、コツコツとヒールを鳴らして歩く姿は、いつか夢見た大人の自分、だった。

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