小春日和に(2)
「そろそろ、許してあげたら?」
水曜日の午後。大学時代の友人の由梨と月に一回のランチをしていた。まだ康太と連絡を取っていないことを伝えると、呆れながら言われた。
香奈は、海老とベーコンのクリームパスタをフォークに巻くのに夢中で、聞こえないフリをした。
由梨がため息をつきながらアイスコーヒーをストローですするのが見えた。
康太からの電話を無視し続けて三日が過ぎた。メッセージも未読スルーを続けている。
でも、康太が香奈に会いにくることはなかった。
康太は大手証券会社で働いている。仕事が忙しいから、付き合っているときから康太の部屋で過ごすことの方が多かった。合鍵だって、康太の部屋の鍵を香奈は持っているけど、香奈の部屋の鍵は康太に渡していない。
わかってる。ちゃんと。
でも、康太は香奈の家に来たことだってあるし、場所も知っている。
それなのに、連絡だけで実際に会いに来てくれない。子供みたいに意地はってることだって、わかってる。
だけど、やっぱり、それが悲しくて悔しくて、時間が過ぎる度にどんどん積もっていって、もうぶつけることもできなくなっていた。
「まあ、香奈の気持ちもわかるけどね。約束を破ったのは康太くんが悪いよ」
由梨がソフトフランスパンをちぎって口に運ぶ。
「そうでしょ?本当にムカつくの。信じらんないって思ったの」
「そうね」と由梨はパンを飲み込む。「でも、いまは、お互い様だって思うけどな。夫婦になったんでしょ?康太くんが話し合おうとしているのを逃げたらだめよ。ちゃんと向き合わなきゃ。付き合ってる時とは違うんだから」
香奈は、エビをフォークで突き刺す。由梨の言うことだってわかってる。だけど、今更どうやって康太と話せばいい?どんな顔して会えばいい?
エビを無造作に口に放り込む。こんな気持ちでも、プリプリで甘くて、エビはおいしい。
「はあ、でもマイホームか。いいね、金持ちは。うちの旦那なんて、本当に甲斐性がないんだから」
ため息をつきながらも、ちっとも不幸なんて思っていないのが顔ににじみ出ている。
由梨の旦那を思い出す。身長が低くてすこし丸っこい体型をしている。一七〇センチあってモデルのような体型をしている由梨と並ぶと、童話のお姫様と家来って感じだ。
大学時代ミスコンに輝いて、モテまくっていて、何人ものイケメンと付き合ってきた由梨が、まさかいまの旦那さんを選ぶとは思ってもみなかった。
由梨の結婚式前日、独身最後の日に二人で飲んだ。酔った勢いで『どこがよかったの?』と意を決して訊いてみた。
由梨は、笑いながら、『どエムなところ』と即答だった。
怪訝な顔をしていると、由梨はまたも豪快に笑いながら詳しく話してくれた。
いままで付き合ってきた男の人は、イケメンばっかりを選んだわけじゃなくて、イケメンしか寄って来なかったこと。自分の顔に自信があるから、由梨にアプローチしてきたため、つまりは、全員プライドが高かったこと。普通にデートするだけなら楽しいが、素の自分を見て耐えられた人がいなかったこと。
『私って、性癖がマジで異常みたいで、言葉攻めにしてダメージ受けてる相手を見るのが楽しくて仕方なかったの。この性格が引かれるってわかってたから、最初は我慢するの。でも、一年とか付き合ってると、気を許しちゃうじゃない?それで、ついうっかり出ちゃうのよ。そのときの相手の顔。みんな同じように悲壮な顔をするの。私のこと、天使か女神だと思っていたのね』と、由梨は寂しそうな顔をした。
『そんなとき、旦那と出会ったの。ベタなんだけど、私が落とした切符を拾ってくれたの。旦那くらいの顔面偏差値の男じゃ、私を見ると逃げるように去っていくんだけど、旦那は違ったの。私がお礼を言うと、どういたしましてって笑ってくれたの。もう一度会いたいって思った男性は初めてよ。探し当てて、中堅の商社に勤める冴えないサラリーマンって知っても、気持ちが冷めなかった。私の方から、押して押して付き合ったの。・・それでやってきたわ。魔の一年記念日。旦那には嫌われたくなかったけど、自分の素を隠し通すのも限界だった。気づいたら、これでもかってくらい罵っていた。やってしまった、って思いながら旦那の顔を見ると、まったく悲しんでなかったの。キョトンとしていたわ。そして、笑いながら言ったの。すごく激しい言葉を使うんだね。きれいな顔をしているから尚更ギャップがあっておもしろいよ、って。わたし、無意識に涙を流してた。この人とずっと一緒にいたいって思ったの』
本当に幸せそうに微笑む由梨は、繊細な筆遣いで描かれた絵画のように美しくて見とれてしまった。
結婚っていいな、って初めて思った。
康太との結婚を意識し始めたきっかけだった。
「わたしは、由梨の家族って理想だな。旦那さんは優しいし、凪くんはかわいいし。凪くん、もう一歳になったよね?」
「先週ね。これが、そのときの写真よ」
由梨がスマホの写真をスクロールする。
「あー。めっちゃかわいい。目がくりくりしてる」
赤ちゃんを見ると、自然と幸せな気持ちになる。
「わたしに似てよかったわ」
由梨はさらっとひどいことを言う。嫌味がないところがいっそ清々しくて好きだ。
「面倒見てもらえるってのが、二世帯住宅のいいところね。旦那の両親もいい人だし、本当によかった」
「そうよね。わたしも家に近いってのは、譲れないポイントだったよ」
「それなら、ますます、いま考えてるところいいじゃない。香奈の実家まで電車一本で行けるでしょ?」
うーん、と曖昧な返事をする。また、この話題に帰ってきてしまった。
「あ、そうだったわ。今週末学部のプチ同窓会があるみたいなんだけど、香奈も行く?明里とか葉月も来るみたいよ」
「わー、みんなと会うの久しぶりだな。もちろん、行くよ」
大学の友達と会うのは、卒業式以来っていう子も少なくない。同じ東京勤務の友達でも、仕事をしているとなかなか時間が取れず、会えていなかった。
明里と葉月は、その中でも頻繁に連絡を取り合う仲で、香奈の結婚式で会ったが、それまでは一年は会っていなかった。
「わかったわ。そう伝えておくね。幹事は、弘高だけど、もう大丈夫よね?」
由梨が、わざと最後に確認する。名前を聞いただけで、ドキッと反応してしまう。
「だ、大丈夫。楽しみにしてるね」
強気な笑顔を作ったつもり。
できていたかは、わからないけど。
「それじゃあ、また、土曜日にね」
由梨と別れて、香奈は、ため息をついた。
一人になると、またモヤモヤ考えてしまう。
きょうは、康太から着信はない。メッセージも、新着通知は届いていない。
結婚、早まったかな、とまた、ため息をひとつ。
付き合っているときから、感じていた。でも、そこに触れると、康太は不機嫌になるし、そこ以外は気にならなかったから、目を瞑っていた。
でも、今回のことで、きちんと話さなきゃならないと思った。由梨の言う通り、夫婦になったから、逃げちゃダメだ。
でも、どうやって切り出そう?
三度目のため息。
康太が、仕事を優先するのは、文句は言えない。生活するために生活費は必要だ。香奈も、結婚をするまでは食品会社の事務として働いていた。結婚を機に辞めてしまったけれど、落ち着いたら、また求人を探すつもりだ。
でも、仕事を理由に香奈の存在をぞんざいに扱うことが増えた。連絡もしないし、会えない日々が続いたことも何度もある。
会えたときは優しいし、やっぱり好きだな、って確認できたからこのモヤモヤの気持ちから目を背けていた。
付き合っているときだったら、このまま目を背け続けただろう。
はあ、と四度目のため息は、深く強く出た。
いつから、こんな気持ちを抱くことが多くなったんだっけ。
出会ってから付き合って最初の頃までは、康太はきちんと連絡をくれていたし、時間を作って少しでも会ってくれていた。
何で私と結婚したんだろう。
康太は、香奈よりも四つ年上だ。もしかしたら、適齢期にたまたま隣にいたから結婚したのかもしれない。
一人で勝手に想像して、一人で勝手に不安になる。
誰もいない静まり返った部屋に帰ると、余計に感じてしまう。
独身のときは一人暮らしでも平気だった。
結婚してからは、一人の家に帰るのが寂しくなった。
早く一緒に暮らしたいって思っていた。
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