小春日和に(1)

「え?いま起きた?!ふざけてるの?」

 思わず大きな声が出た。周りの視線を感じて、隅に移動する。

 電話越しに「ごめんってー。きょう明け方まで飲んでてさ。また

日にち改めさせて?」と康太が弁明する。

「でも、きょう行こうって先週から決めてたじゃん」

「そうだけどさ、急に上司に誘われたんだよ。断れないだろ?」

 また、だ。仕事の飲み会で予定がキャンセルになったのは、今回が初めてじゃない。

 いつもなら、「仕事ならしょうがないね」で許していた。きっと康太もその理由なら許されると思っている。

「知らないよ、そんなの。私より会社の方が大事なの?」

 突き放すように冷たく言った。案の定、康太が焦り出したのがわかった。

「どうしたんだよ、お前らしくないじゃん。いじけてんのか?機嫌直せよ」

「いじけてない。いますぐきて。絶対にきょうじゃなきゃ嫌だ」

 もう、意地だった。なんで、康太は「いますぐ行くよ」って言ってくれないの?

 そんな想いとは裏腹に、康太ははあ、と大きなため息をついた。

「お前って、そんなめんどくさいヤツだったっけ?」

頭にきた。と同時に、泣きたい気持ちになる。

 返事をせずに、電話を切った。

 康太からの着信を無視して、スマホをカバンに入れる。

 きょうは、絶対に許さない。

 道重香奈は、一人で出口に向かった。

 すれ違う人が、幸せそうにマンションの見学に向かっているのが、憎らしかった。

 


 康太にプロポーズされたのは、一年前。香奈の二十七歳の誕生日だった。

付き合って二年が経って、そろそろかな、とは思っていた。周りが結婚していくのも、早く結婚をしたいと助長する要因の一つだった。

 窓から夜景が見える、フランス料理のお店のディナーコースだった。

誕生日ディナーにしたら、今年は豪華だなとは思っていた。でも、どの料理もおいしくて、夢中に食べてたから、あまり深くは考えていなかった。

 だから、最後のデザートの写真を撮っているとき、「香奈、こっち向いて?」と康太に言われて顔を上げたときの驚きは忘れられない。

 康太は、指輪の入った箱を開けて「結婚しよう」と言った。たった一言だけど、この世で最高に嬉しい言葉だった。

 迷わず、「はい」と返事をした。照れて恥ずかしそうにしている康太がかわいかった。

 それからは、慌ただしかった。結婚式場を決めて、籍を入れて、結婚式に誰を呼ぶか招待状を作ったり、式で流す音楽を決めたり、ドレスを選んだり。結婚式って、こんなに決めることがあるんだな、って疲れていた。こんなに大変だったなんて知らなかった。

 でも、一生に一度のことだから、妥協はしたくなかった。康太は「香奈の好きなようにしていいよ」と口出しもしなかったけど、相談しても曖昧な返事しかしてくれなかった。

「好きなようにさせてくれるなんていい旦那さんじゃん。私なんて、お金なくて、あれもダメこれもダメってうるさかったよ」なんて、友達には言われた。

 だけど、香奈は妥協してもいいから、二人で決めたかった。康太の態度に悲しくて泣いたこともあった。でも、本人には言えなかった。

 結局、最後までほとんどを香奈が決めて、先月結婚式をした。いろんな人にお祝いをしてもらって、幸せな気持ちだった。康太とこれからずっと一緒に歩いていくんだな、と改めて実感した。

 無事に結婚式が終わって、一緒に住む家を探すことになった。どんな場所に住みたいか、どんな部屋にしたいか、いろいろ二人で話し合った。結婚式のときと違って、ちゃんと話し合ってくれているのが嬉しかった。

 康太の会社が日本橋にあるから、一時間以内で通える距離で、二部屋以上あって予算内におさまる場所を絶対条件においた。

 康太は仕事で忙しいから、香奈が一人で不動産屋を回った。おそらく一生に一度になる大きな買い物だ。家だって妥協はしたくなかった。一緒に住むイメージをしながら康太と選びたかった。

 部屋の見取り図を二人で見て、でも実際に見なきゃわかんないなって康太がぼやきながら。

 そんなとき、このマンションのチラシを見つけた。条件に当てはまるし、せっかくの新しいスタートだ。新居で始められるなら、ステキだな、と思った。

 早速康太に見せると、いいじゃん、と乗り気だった。

 お互いに空いている最短の日付で、今回のモデルルームの見学をすることに決めた。

 香奈は、ワクワクする気持ちを抑えながら、きょうをずっと楽しみにしていた。

 なのにーーー。


 康太の言葉を思い出す。

 私一人ばっかり楽しみにして、バカみたい。


 溢れてくる涙を拭う気力もおきずに、香奈は帰り道をとぼとぼと歩いた。十一月の初めに吹く風は、身にも心にも冷たい。

 道ゆく人が、どうしたんだろうと見てくるのがわかった。でも、どうでもいい。どうせ、ここには二度とくることはない。

 マンションは、ステキな外観だった。写真を見て一目惚れだった。バルコニーのところが濃いブラウンなところも、壁の白がすこしアイボリーなところも、エントランスの入り口が楕円型で木造だったところも。まるで、お城の入り口みたいだと思った。

 中はまだ見てないけど、きっと気に入るだろうなって直感で感じた。

 すべて、終わったことだけど。

 駅から徒歩五分の道のりが何十倍にも長く感じられた。

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