第4話 *
出来上がったカンタレラを瓶に詰めた頃には家の中から見える外は真っ暗になっていた。昼頃に起きてきた彼女は、カンタレラが毒薬だと知っていた彼女は、一体何処まで行ってしまったのだろうか。そう思いながら扉を開けてみれば、怯えたように震えるその子が居た。どうやら家の周りを囲う森に足を踏み入れてしまったらしい。彼女の着ている服は所々破けていて身体中に傷を作っていた。
常人には決して受け入れられることのないこの森のことだから、彼女を酷く怖がらせてしまったに違いない。僕は一旦彼女を家の中に入れて、晩ご飯となる物を温め直すと同時に彼女の目の前に僕が普段使うことのない救急セットを置く。明かりの灯る室内に入った彼女は安心したのか、ホッと胸をなでおろしているようだ。
「僕は少しばかり出掛けてくるよ。昼前には必ず帰ってくるから好きにしていて良いよ」
程良く温まった料理を彼女の前に並べた僕は、ちらりと瓶に入った毒薬を彼女に見せて家の扉を開ける。後ろでは彼女が驚いたような顔をしているのが分かっていたけれど、僕はそれを振り切るようにバタンと扉を閉めた。
彼女を酷く怖がらせたらしい暗い森の中に足を進める僕。常人ではない僕には、森はとても優しく、僕の歩く妨げになるような道は一切ない。
家に置いてきた彼女は昨晩僕が対価としてもらった村人の一人だ。彼女は朝、僕に村の皆はどうなったのかと尋ねてきたけれど、僕は知らない。いいや、覚える必要がなかったから忘れたのだ。『魔女』の進むべき道に多少の犠牲はつきものだから、僕は今までと同じように忘れた。それに犠牲者のことをいちいち覚えていられるほど記憶力が良いわけでもないしね。
僕が黙々と歩き続ける森の上では月が輝いている筈なのに、僕の元にそれが届いてくることはない。しかし僕はそんなことについて森に文句を言うつもりはない。むしろこの森にお礼を言わなくてはいけないと思っている。何故ならこの森のおかげで僕は安穏とした、何の不自由もない生活を送ることができるからだ。
普通の人が入ろうとすれば森は、この森にやってきたばかりの彼女を怖がらせたのと同じようにその人達も怖がらせ、迷わせてしまうから。『魔女』として異端視をされることの多い僕にとって、不必要な人間を排除するこの森は唯一の救いなのだ。
そんな森の中、僕はどんどん先へ行こうとするけれど身体の方はちっともついてこれやしない。このまま行けば絶対に時間に間に合わないと分かった僕は、自身の身体を森に置き去りにして客の付近にいる子供の身体を使うことにした。因みにこれは憑依等と言う魔術めいたモノではない。唯、子供の身体に僕の自我を移しただけである。用が済めばすぐに離れるから『魔女』の呪いが感染することもない。
こっそりと子供がいる部屋から抜け出して、客の男が居るであろう部屋の扉を叩く。勿論僕が使っている子供の手の中にはカンタレラの入った瓶がしっかりと握られている。
僕が叩いた扉から男が顔を出してきた男は「君は誰だい?」と問いかけてくる。その質問に僕が「僕は『魔女』だよ」と答えれば彼はすんなりと僕を部屋に入れてくれた。部屋の中には机とテーブル、小さなランプとベッド以外何もなく殺風景である。
男は僕からカンタレラを受けると、とても嬉しそうな笑顔を浮かべて僕に「これであの子がオレの物になるよ。ありがとう」と礼を言ってきた。そして対価である「彼女への愛を綴った手紙」を僕に渡す。渡された手紙は『魔女』が欲している「人間の心理」の中でも価値が高いものである。何せ、この男は酷く己の欲望に忠実だからね。
「また、機会があったら会いましょう」という言葉を彼に告げ、部屋から出た僕は子供の身体を元在った場所に返す。そして森に置き去りにしてきた身体の中に自我を戻し、再び森の中を歩き始める。
僕に毒薬を所望した男は秘伝の毒薬と謳われている『カンタレラ』の名を強調していたから、間違いなくその『カンタレラ』を使って人を殺めるのだろう。けれど、僕はその思惑を壊す。彼には悪いけれどあの瓶の中身はカンタレラなどではなく、仮死状態になれる薬が入っているだけなのだ。後日、彼女が死んでないと分かった彼は、思惑を壊された彼は。どんな行動を起こしてくれるのだろう。ヒトと言う生き物に興味が尽きない『魔女』にとって、戸惑いや混乱は絶好の機会だ。
それに彼は愛しいヒトが欲しいと言っていたから、かのシェイクスピアが作り出したロミオとジュリエットと同じく、奇しくも死ぬのは両方かもしれない。でもそれだけだったら少しばかり余興じみていてつまらないなと、残念に思いながら歩を進めてゆく。僕も『魔女』も作り上げられた物語通りに物事が進むのはあまり好きじゃあないんだ。やっぱり物語はオリジナルでなくちゃあ面白くないだろう?
そう思いながら夜明けを過ぎたころにやっと家へ帰れば、連れてきた女の子が黙々と畑仕事に勤しんでいた。畑の世話をやっておいてくれと一言も言っていなかったから、やらなくても良かったのに。まぁ、「好きにしていて良いよ」とは言ったけれど……彼女は畑仕事が好きなのだろうか? それに、彼女自身が知らない物、例えば薬草の類には一切触れていないのはとても良いことだと思う。これは思っていた以上に早く同じになれるかもしれないな。
「畑の世話をしてくれてありがとう。後は僕がやるから君は休んでくれて構わないよ」
屈みこみながら畑をいじる彼女に僕がそう言えば、彼女は「いいえ。始めたばかりだから、まだ大丈夫よ」と笑った。森をひどく怖いと思ってしまった彼女にとって、こうやって気を紛らわしている方が良いのだろう。
「そう。君がしたいと言うのなら、そうしてくれて構わないよ」
彼女にそれだけを言うと僕は家の中に入り、朝食をとってから動きやすい格好になる。僕自身は眠っていないけれど、身体の方は森に残してきた時点で休息しているから眠りは必要ない。というより、もともと僕には睡眠が必要ないのだ。
なんと便利な身体だろうと多くの人は思うかもしれないが、眠りを必要としない身体だからこそ、長い間僕は眠るという行為をしていない。勿論眠ることもできないから夢を見ることもできない。ただひたすら僕はつまらない夜を過ごしてきたのだ。
扉を押して再び太陽の輝く外に出ると、畑仕事に精を出していた彼女が立って、家から出てきた僕を見た。
「ファースも畑仕事するの?」
「そうしないと食べ物がなくて困るだろう?」
それもそうね。と彼女は小さく笑ってまた屈みこむ。僕は薬草の世話とする為にじょうろと軍手を持って作業に取り掛かった。
そして僕らは間に休息を挟みながら、畑の世話から家の部屋の掃除までした。掃除の方も殆ど彼女がやってくれていたから助かったけれど、僕自身はあまり掃除などが得意ではないので掃除をした後の部屋は、見違えるほどに綺麗になっていた。
そうこうしているうちに日もどっぷり暮れて、彼女と僕は二人で食卓を囲む。相変わらず彼女は質問ばかりしてくるけれど、僕にとってそれは苦にもならない。
「どうして私の名前を聞かないの?」
「知る必要がないからだよ。むしろ邪魔になるから尋ねもしない。君が僕の名前を知っているだけで十分なんだ」
深い理由は僕の中に不必要な彼女の自我を発生させてしまう恐れがあるからだ。それに僕に成り代わる可能性を秘めている彼女にも迷惑は多く掛けられない。彼女には彼女のままじゃなくて僕に成り代わり、『魔女』になってもらわなくてはいけないからね。
そしてその夜、僕はあの男が死んだということを知った。昨晩僕がカンタレラを……いや、仮死状態になれる薬を渡したあの客だ。どうやら彼が欲していた女には恋人がいて、その恋人にナイフで胸を一突きされたらしい。女を求めていた男は世間的にも疎ましい人間だったらしいから、彼女の恋人が罪に問われることはないようだ。全く、人殺しをした人間が無罪というのは変な話じゃないだろうか。
因みに僕がそれを知るに至ったのは、昨日の今日で彼がどのような行動に出たのか気になり昨日と同じ子に移ったから。僕が移ったその子の傍に運良くあった新聞が小さくそれを記していたのだ。
ずいぶん早い展開だなと嬉しく思いながら、少しばかりつまらなくなってしまい落胆する。あの男は自分の心を制御しきれていない所が気に入っていたから、死んだと知ったら少しだけ、そう、ほんの少しだけ悲しくなっていたんだ。
自身の身体をごろりとベッドの上で動かして、木の天井を眺める。
僕に「人間の心理」を知るよう促す『魔女』には形が無い。例えるならば自我を持った噂だろうか。しかもこの『魔女』は噂の割には特異な力を持っているのだが、質の悪い事に『魔女』に成り代わった人物の身体を腐食させ、死滅させるという厄介な代物まで抱えこんでいるのだ。
だから紅い頭巾を被った『彼女』が僕に成り代わって自身の腐食と『魔女』の死を止めたように、僕も『彼女』と同じようにして『魔女』に適した子供を探し、成り代わっているのだ。
しかし、成り代わることが出来たとしてもその身体の持ち主の自我が残る事は滅多にない。たまたま僕は先代の『魔女』である『彼女』よりも自我が強く、『魔女』に適していたから『彼女』の代わりにいるのだけど、普通は消えてなくなるだけである。そんな僕の自我は幾年月を重ね、何度他人に成り代わっても消えることは無かった。長い間『魔女』であった僕は、『魔女』であり続けることにほんの少しだけ疲れていた。
そしてその長い間の内で、僕は繰り返し試行錯誤をし、これまでの経験と失敗から得た正しい『成り代わり』方を導き出した。それがこれだ。
協調し、侵略する。同じことをして、同じ考えを持って、同じ感情を抱く。時には相手から干渉を受けて自分を同調させる。妥協をすれば同調し同じになることは叶わない。
一旦僕と同じになってしまえば、僕が掲げる理論の上において同じ人間が二人いることになる。そしてその内の二人から僕の自我を更に超える、強い自我が発生するかもしれない。それが僕自身の自我なのか、彼女の自我なのかは『魔女』が決めることだ。
しかも僕が連れてきた彼女は僕以上の探究心と大きな好奇心を持っているから、探究心が皆無に近い僕なんかより、ずっと『魔女』になれる確率は高いと思う。だって「人間の心理」を知りたがる『魔女』には探究心と言う代物が必要になってくるはずだからね。
それに前提となる『協調』という行為自体が自我の崩壊だと言うのなら、それもまた一興だと思う。人間はいろいろなことを失敗してから真実を知る権利を得られるから、また次頑張ればよいだけの話だ。何せ僕には成功するまで永遠にチャンスが与えられているのだから。
そうして夜が耽る中、僕は彼女と自分を同じ人間にする為ならどんな努力も惜しまないと決めたのだ。
結局のところ僕も彼女も『魔女』が主人公を務め、『魔女』自身が造り出した舞台の上で戯れているにすぎないのだけれどね。
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