第8話 偽物少年D



 何者かに監視されている様な視線をひしひしと感じながら僕は鏡の館の廊下を歩き続ける。時折行き止まりで時間をとられることがあったが決して入口に戻ることはなかった。しかしそれは舘が僕を外に出さない様にしている風にも思えて些か不気味に感じた。


 やっとたどり着いた緑の温室には何の装飾もない一枚の鏡が立てられている。何故こんな場所に鏡が置いてあるのだろうかと不思議に思った僕がそれの目の前に立てば、そこには白髪の増えた老人が一人映っていた。僕が動けば鏡の中の彼も僕同様に動くから、きっとこの老人の姿が僕本来の姿なのだろう。


 僕を映す鏡に見入っていると何者かに引き込まれるかの様に僕は鏡にぶつかり、いや、ぶつかることなく僕は鏡の中に引き込まれる。その中で僕を待ち構えていたのは僕と妻をこの夢の国に招待したクラウンだった。


 しかしそこにいたクラウンは僕の知っている優しいクラウンではなくて、クラウンの第一印象として確立していた、恐怖の対象になりえるあのクラウンだった。きっとこれがクラウンの本当の姿なのだろうけど、僕はそれを信じられないまま茫然と立ちつくしている。だってクラウンはあんなに僕らを愛してくれていたんだもの。僕程度の子供が偉ぶった程度で僕らを見下し、バカにするような言い方はしない筈だ。


 彼か彼女かは未だ分かることのない子供の姿。何よりも僕らを必要としてくれて、誰よりも僕らを愛してくれた。それなのにこのクラウンは、僕らをこんな風にしたウイルスを作ったと言い、僕をガラス張りの部屋に入れようとする素振りまでみせた。こんな奴があの優しいクラウンなワケがない。


 パチンとクラウンが指を鳴らした瞬間、カラフルに彩られた扉が反転して現れたのはガラス張りの部屋と、その中にいる虚ろな目をした子供たち。彼らの顔を見れば見るほど彼らが掲示板に連なるように張られてあった探し人の張り紙の子供たちだという事実に気が付いた。それに金髪の彼女もそこにいて、じっと僕の姿を見つめている。


 そんな彼女の唇が「はやくにげて」と動いたことに気付き、僕は背を向けているクラウンから逃げ出そうとしたけれどあっけなく逃走する姿は見つかってしまい、唯一の出入り口であろう鏡の前には人形が立ちはだかった。


 鏡の傍で立ちつくしている僕の目の前に移動し、顔を近づけたクラウンからは「どうせ君の一番近くにいた人間は君のことを忘れてしまったんだろう? 君がいなくなったとしても大きく騒ぎ立てる人間はいないんだろう?」とその容姿からは考えもつかないほどの冷たい言葉が飛び出した。


 今思うと第一印象というものは侮れないものだと思う。だってクラウンの中味はあの日の僕が感じたように、僕らとは全く違う物だったのだから。此処に来て僕は改めて、いや、初めて恐ろしいぐらいに歪んだ概念をクラウンという滑稽な三流役者で覆っていたということに気付かされたんだ。今さらながらに気付いたその事実は遅すぎて、クラウンから微かににじみ出ている妖しい雰囲気に気圧されて僕は腰を抜かしてしまう。


「お前は、僕らの知るクラウンじゃない」


 最後に訴える様にして言った言葉が、ガラス張りの部屋に僕を優しく入れたクラウンの耳に届いたか分らない。けれど僕はその言葉が届いたことを祈りながらガラス張りの部屋の中から去るクラウンの背を見つめた。


 もう二度と見ることはないだろうけど、闇夜にいやらしく笑う三日月でさえも今のクラウンが浮かべているであろう上辺だけの笑みと比べると可愛らしくさえ思えるよ。



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