第7話 三流役者


 安楽椅子に背を預け、夢の国の今後についてぼんやり考えていると、壁に設置されているランプがチカチカと光りはじめた。


 どうやら今日もまた私が住まうこの鏡の館に、小さなお客さんがやってきたらしい。最近やってきたのは眩いばかりの金の髪をなびかせた少女と、可愛らしいピンクのワンピースを着た少女だったかな? 前者の彼女は私の箱にいてくれているけれど、後者の彼女は鏡の力に恐れをなして帰ってしまったっけ。


 そんな他愛もない出来事を思い出しながら、今日の訪問者の行動を廊下にある鏡と私の持つ手鏡を通して観察を開始する。というのも彼らが通る廊下は通り道によって彼らの個性を調べることができるモノになっているから、それを知るのが楽しくて仕方がないのだ。


 今回此処へやってきた彼の道筋と様子を見る限り、彼は警戒心の強い性分のようで、薄々ではあるが誰かに見られている事に気が付いているらしい。それがひどく嬉しいと感じた私はにんまりと笑みを浮かべ、座っていた安楽椅子から立ち上がって床に描かれた図に沿って足を滑らせた。勿論少年の姿を映し出している手鏡は握ったままで、カラフルな部屋の壁では小さなボールがカランカランと音を立てながら行き交っている。


 きっと彼はここに来て、私にいくつかの質問をするのだろうね。クルリと身を回転させながら手鏡の中を確認すると、先程まで映って彼の姿が映っていなかった。


「おや、もう来てしまったのか」


 小さくそう呟きながら部屋の隅に立つ人形の隣に置かれている大きな鏡を見やれば、今まで手鏡の中に映っていた少年が愕然とした顔で映っていた。どうやら鏡に映る自分本来の姿を見て驚いているらしい。


 そんな彼の姿を見た私がクツクツと笑い「早く、おいで」と手を拱けば、彼は鏡に引きずり込まれ、私の目の前に姿を現した。相変わらず驚いた表情をしている彼はきょろきょろと辺りを見渡し、私の姿をその眼に捕らえる。


「君と会うのも久し振りだね。坊や」


 自分でも嫌な位に分かる歪んだ笑みを浮かべながら、私の部屋まで来る事の出来た彼を歓迎しようとクルクルと彼の前で踊る。周りでは相変わらずカランカランとうるさい音を立てながら、蛍光色の玉が壁にあるレールの上をせわしなく動き回っていた。


「……年上の僕を坊や呼ばわりするのと、聞く態度がなってないのには流石の僕でも腹が立つよ、クラウン。君は僕よりずっと若いんだから、年長者をもっと敬った方がいいと思うけど」


 歳相応の姿をしていないのは彼も私も同じなのに、どうして彼は私が彼より年下なのだと言い切ることができるのだろうか? もしかして彼を含めた子供達は私が何なのかを知らないのだろうか? いや、きっと知らないに違いない。私は彼らに、私について何も明かしてはいないのだから。


 それに話を聞く態度がなっていないのは君の為なのだから、仕方のないことではないか。これが私というクラウンが考え出した私なりの相手を思いやった聞き方なのだから、他人からどうこう言われようと変えることなどしないよ。


「君は、私を君より年下だと言ったが……果たしてそうかな?」

「なに?」


 私の言葉を聞いて訝しげな顔をした彼は、クラウンと呼ばれる私が一体何なのかをやはり知らないのだろう。


「君は知っているのかい? 私が何時からクラウンだったのか。私が何時から私であったのか。私が何時から存在していたのか」


 目の前にいる彼の眼が凛とした眼からおびえた眼に変わる。ああ、何という恍惚。私は子供の喜ぶ顔も好きだが脅えた顔もまた好きなのだ。だってその時ばかりは目移りしやすい子供の目が私だけを見ていてくれるだろう? だから私は彼の脅える顔をもっと見る為に、わざと彼を惑わすようなことを言ってやる。


「……知らないのだろう? それならば私が君より若いなんてことを言わない方が賢い選択だよ。私の全てを知っているのは私だけなのだからね」


 ある夜に見た三日月と似たニヒヒと歪んだ笑みを浮かべればその子供の眼が更に見開かれる。嗚呼、怖いか。こんな私が怖いか。しかし私はただのクラウンだ。君たちだけの道化師だ。怖がることや、怯えることは微塵もないのだよ。私は、子供が何よりも好きなクラウンなのだからね。直接危害を加える気など毛頭ないよ。


「まあいいさ。此処まで来ることのできた知恵と勇気のある君に、私からささやかなご褒美だ。――君の知りたがっていることを、一つだけ教えてあげよう」


 それを聞いた少年は少しばかり考える素振りをしてから、睨むようにして真剣な顔をする私を見つめた。どうやら此処に来るまでに粗方私に質問する内容が決まっていたらしい。此処に来る子は私が此処にいることを知っているのだろうか?


「小児化・伝染病、そのウイルスは意図的に作られたモノなんだろう。それを作ったのは誰なんだ」


 恐怖の色を映していた目を一蹴させて、彼は確固たる意志を持って私にそれを訊ねた。確かそういう話題は最近のニュースで取り沙汰されて話題にもなっていたけれど、長い年月の立った今でもワクチンが作れないと言うのは笑える話だと思う。


「誰がこの小児化・伝染病を作ったのか? 愚問だね。――それは、この私だよ」


 彼は「は?」と素っ頓狂な声をあげ、間抜けな顔をした。どうやら私はもう一度同じことを言わなければならないらしい。


「だから、君たち大人が子供になるウイルスを作ったのは私だよ、と言ったんだ。君の脳味噌には届かなかったのかな?」


 笑顔のままカクンと首を横にして彼の様子を窺えば、彼は口を戦慄かせて「何故」と呟いた。


「何故? 知恵のある君は薄々分かっているものだと思っていたが、私の思い違いだったかな」


 優しげな笑顔な顔から一変して、ニンマリといやらしい笑みを浮かべる私。


「何てったって私は子供が大好きだからね。子供が増えて、子供が私の傍に集まって、子供が私の掌で自由にしていればそれだけで私は満たされるのだよ」

「そんな事の為に僕らをっ、」


 私の言葉を遮る様にして発されたその言葉は何かを考え直すように途切れ、すぐに言い直される。


「お前のせいで――お前のせいで僕の大切な妻が、自分が大人であったことを忘れてしまったんだぞ! どうしてくれるんだ!」


 激昂しながら叫ばれたその言葉を聞いて、ああ、そんな作用もあったかな、と今更ながらに思いだす。というのも小児化・伝染病のウイルスを作ったのはかなり前でその当時の記憶はほとんど残っていないからだ。私はどうでも良い事はすぐに忘れてしまう質だから仕方のない事なのだけれどね。


 しかしそれのどこに顰蹙を買わねばならないのだろう? ……むしろそれは非常に喜ばしいことじゃあないか。だってそうだろう? 苦悩や悩みに満ちた大人のしがらみを捨て、純粋無垢で自由な心を持った子供に戻れるのだから。これこそ私が求めた彼らの姿だ。


「なあに、そんな些細な問題を子供である君が気にする事はない。どうせ君も大人だったことを忘れてしまうのだから、気にしたところで意味などないよ」


 ポンッと子供の肩に手をやると「お前は狂っている!」と彼は大きな声で叫んで、その手を叩き落とした。


 いつの間にかうるさい音を立てながら転がる玉の音が無くなり、静かになった部屋中に彼の声が響きわたる。そのおかげで彼の言葉はじんわりと私の心に沈みこんだ。


「君の言う通り私は狂っているのかもしれない。しかしそれなら君たち子供になった大人も私と同じように狂っていることになるのだよ」


 ニヤリと作った笑顔を見せてから、再び私は彼の肩に手を乗せる。先ほど跳ねのけられたその手を何故再び乗せるかというと、そうしなければ彼は私の眼をキチンと見てくれはしないからだ。それ以外の理由は無い。彼を此処から逃がさないため? いいや違う。彼は私の眼をちゃんと見て、自らも私同様に狂っていたのだと自覚せねばならないのだから、逃がさないという考えは前提にすぎないではないか。


「だってそうだろう? 君たちは狂った私が作った子供になる夢の病気……小児化・伝染病に自分の全てを売りにいったじゃないか。それに君だって自ら感染しに行ったわけではないかもしれないけれど、子供になれて幸せだったのだろう? だから自分の意思で此処に留まっていたのだろう?」


 彼の肩に乗せた手を艶めかしく動かし、茫然とする彼の頬に滑らせる。そしてその手を再び払いのけられないうちに手を離し、床に描いてあるカラフルな円の内側でクルクルとリズミカルに回る。彼は開いた口がふさがらないようで、そんな私の姿を茫然と眺めていた。


 この夢の国は出入り自由で、逃げだしたいのならいくらでも逃げだせる。夢から覚めたいのならいつでも覚めることは可能なのだ。しかし何故覚めようとしない? それは此処が何処よりも心地よい場所だから。そういう場所になるようにと私が造ったからだ。


「君も、君の伴侶と同じように大人という過去を捨てて、本当の子供になっておしまいよ。さすれば君も幸福な人生を歩めるだろうに!」


 勢いよくそう叫びパチンと指を鳴らすとカラフルな壁が反転し、ガラス張りの部屋が現れる。中には虚ろな眼をした子供たちが居て、じっとこちらを睨んでいた。彼らは私の事を知ってしまったが故にここに閉じ込められてしまっているのだ。そして背後にいるであろう彼の様子を窺うと、彼は一刻も早く私から離れようと出入り口になっている鏡の方へ走っている最中だった。


「おやおや、いけない子だ」


 ニンマリと顔を歪めながらクイっと指を動かせば、鏡の隣に立っていた人形が鏡の前に立ちはだかり彼の行く先を阻んだ。鏡を通してこの部屋から出ることのできなくなった彼は脅えた顔をして離れた場所にいる私を見つめる。眼もとに僅かに涙が溜まっているが見えたから、きっと私に恐怖の念を抱いたのだろう。


「僕を……どうするつもりだ」


 脅えた声を出して私を睨みつける彼の眼は、もはや覇気も無く弱々しい草食動物の目と同じ。まあ、自分のいく末が分かってしまったのだから致し方ない。少しばかり精神的に苛めすぎたかなと思い、私は夢の国で何時も浮かべている優しさを含んだ笑みを浮かべてあげる。しかし私の事を僅かでも知ってしまった彼にとってはそれさえも滑稽に見えるかもしれないね。


「此処から出してあげても良いのだけれど、ウイルスの事を言いふらされると良い気持ちがしないから、君もそれを忘れるまで此処にいると良い。……どうせ君の一番近くにいた人間は君のことを忘れてしまったんだろう? 君がいなくなったとしても大きく騒ぎ立てる人間はいないんだろう?」


 鏡の傍に立っていた彼に顔を近づけ至近距離から意地悪くそう言えば、彼は腰を抜かして私を見上げた。おびえた、かわいい、かわいい、おびえたおかお。わたしだけにそのかおをみせておくれ。


 彼を食べるワケでもないのに、何故か舌舐めずりをする私。天井では相変わらず描かれた天使達がそんなくだらない事をする私を見降ろしていた。



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