第5話 偽物少女C



 新たにこの夢の国にやってきた人の住居案内を任されているあたしは、新しく夢の国にやって来た少年に仮の住居を与えた。その帰り、街を歩いていると頻繁に顔を合わせる知り合いの少女に声をかけられた。


「ねぇ、貴女は鏡の館という建物を知っているかしら?」


 彼女は羨ましいぐらいに長くて綺麗な金髪を指でいじりながらあたしに建物の名を問いかけてきた。鏡の館と呼ばれる建物を知らなかったあたしは「いいえ知らないわ。なあにそれ?」と尋ね返す。正直言うと彼女の話は面倒事ばかり引き寄せるから、あまり付き合いたくはないのだけれど。


「あら、知らないの? 噂じゃあその館の温室にある鏡が、私たちの本来の姿を映すっていうのよ」


 そんな嘘みたいな事が、一端の鏡に出来るワケがないのにねぇ。そう言いながらも彼女は何か期待するような素振りをあたしに見せていた。長い間彼女の事を見てきているから分るのだけど、彼女はその鏡の館という所へ行くのだろう。彼女自身も気づいているかもしれないが、彼女は何か自分のしたい事があるとあたしに逐一それに関する事を尋ねにくる癖があるのだ。……あたしはそこまで彼女に信じられるほどの人物でもないのに。


「ああ、ごめんなさい。貴女も忙しかったわよね」


 珍しく自分から話を終わらせて、彼女は身をクルリと翻しあたしにくすりと微笑みかけた。


 ――それから一週間。あたしは彼女の姿を見ていない。


 彼女の家族からは捜索願いが出されており、掲示板などに張り紙をしたりしているのだが全くもって音沙汰がないらしい。しかし行き先に思い当たる節のあったあたしは夢の国の地図作りに関わっている夫から鏡の館の場所を教えてもらい、その場へとすぐに足を運んだ。


 鏡の館は夫から教えてもらった通り夢の国の都市部からずっと離れた所にある山の麓に、小ぢんまりと建っていた。今まであまり人の立ち入ることのなかったらしいそこは草が茫々とおおい茂っており、まるで廃墟の様である。これらの群がる草を避けてでは屋敷にたどり着くことはできない。そう判断したあたしがガサガサとそれらをかき分けて館の玄関に移動すれば、お気に入りであるピンク色のワンピースに草の種や葉がくっついてきた。そのことが許せなかったあたしは種や葉を手で払い、綺麗にそれらが落ちたのを確認してから重たい玄関の扉を引く。


 外観は寂れた洋館なのに中に入るなり大小様々な鏡が壁中に、しかも均等に飾られており少しばかり不気味な気分になった。廃屋の割には思っていたほどの埃っぽさはなく、誰かが定期的にこの中の清掃をしている事が感じ取れる。


 ちらちらと自分の姿が映る鏡達を意識しながらあたしは薄暗い廊下をひたすら歩き続ける。何故此処には部屋に繋がる扉や、外から光や風を入れる扉もないのだろうか。外から見た時はちゃんと窓があったのに。それになんだろう……ずっと誰かに見られている気がする。


 部屋の作りと何者かの視線を不気味に感じながら、あたしは恐る恐る足を先に進める。決して一本道の廊下ではなかったけれど、あたしは行き止まりにも行かず己が示すままに歩んでいっていた。


 すると不意に眩しい光があたしの視界を襲った。


 襲われたという感覚に陥るのも仕方がない。なにせあたしは薄暗い場所からいきなり眩しすぎる光を見たのだから。一瞬瞼を閉じ、視界を慣らすようにゆっくりと瞼を開ければそこには緑の草木があたしの目の前に広がっていた。どうやら此処は中庭らしい。天井はガラス張りになっており、太陽が放つ眩いばかりの光を取り入れている。


 もしかしたら此処が彼女の言っていた温室なのかもしれない。そう思ったあたしがクシャリと歩を進めれば、緑の芝生の上に全身を映ぐらいの鏡が一枚立てられているのを見つけた。


 その鏡には何の装飾もなく、どこかもの寂しい気もしたがそんな考えはすぐに消え去る。この鏡に装飾はおろか、周りとの空間を絶つ縁など必要ないから。


 今あたしの姿が映る鏡には本来あるべきあたしの姿が映っている。……可愛らしいフリルのついたピンクのワンピースを着た、腰の曲がったお婆ちゃんが、じっとあたしの方を見つめているのだ。


 ピンク色のワンピースは鏡の中のあたしに酷く不似合いで、目を背けてしまいたくなる。でもこれは事実で、受け入れなくてはいけない事だから決して背けるわけにはいかない。


 嗚呼、でもあたしってこんなに歳をとっていたのね。改めて気付かされた事実に怖気を感じた。やっぱり子供の姿になっても寿命が延びるワケじゃないから、結局は寿命で死ぬのかしら?


 それにこの幼いころの姿になったのは何時だった? いくら記憶を辿って思い出そうとしても思い出せない。あたしの左手の薬指でキラキラ光るのは小粒のアメジストが入った指輪。あたしはこれを誰から貰ったの? どうしてあたしは此処にいるの? 分かっていた筈の事を思い出そうとすると酷い耳鳴りがしはじめ、頭が何とも言えない痛みを伴いはじめてくる。


 ――あたしはとても大切な事を忘れたのではないかしら?


 痛む頭を抱え身体を支える為に鏡に手を触れた瞬間、何者かに手を引かれるかの様に手を引っ張られ腕が鏡の中へと入る。そのことに驚いたあたしは一歩後ろに下がり鏡の中から腕を取り戻す。そして何故自分の腕が鏡をすり抜けることができるのかという事を探究する勇気も度胸もないあたしは、逃げるようにその場を離れた。


 結局はあたしの本当の姿が見られただけで何の収穫にもならなかったけれど、二つだけ分かることがあった。それはもう、あたしが二度とこの場所来ることはないだろうということと、大切な事を忘れてしまったという事だ。


 天井に張られたガラスを通して見える太陽は何も言わず、ギラギラとひたすらあたしの居た場所を照らしていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る