第2話 三流役者
夜空に浮かぶ細かな星と白い三日月が、赤茶けたレンガの建物が立ち並ぶ街を冷たく照らし出す。街灯の光のないこの街は不気味なほど静かで、本来聞こえるべき梟の鳴き声や野良犬の吠える声は全く聞こえない。しかしそれもたった一つの声を除けばの話であるのだが。
「やあい、やあい、要らない子供はおらんかね? 自由な子供はおらんかね?」
静寂に包まれた街の中で歌うように叫んでいる私は闇夜に紛れるような真っ黒なコートを身に纏っており、言動と服装がまるで合致していない。大声で叫ぶのならやはり派手な衣装を着るべきだったか。いや、合致していない方が私らしいから気にするべきではない。それにしても今夜は何時にもまして子供の集まりが悪いな。誰も見ていないのにも関わらず肩をガックリと落とす素振りを見せ、私は周りに立ち並ぶ建物と同じ色をした石畳を踏みつける。
そうしながらしばらく歩き街の角を曲がると、汚れた顔をした一人の男の子が自分自身の爪を齧りながら壁に背をもたれさせ座っていた。
「おやおや、まだ眠っていない子供がいたなんてね」
子供がまだ外にいたことを嬉しく思った私はニヒヒと口を吊り上げて見下ろせば、彼は不機嫌そうに眉根を寄せながら嫌悪をたっぷりと含んだ眼で私を睨みつけた。嗚呼、私とした事が、子供を不機嫌にさせるだなんていけないよ。
「俺は子供じゃない。子供になった大人だ」
どうやらこの子も私が知る他の子供たちと同様に『本当の子供』ではないらしい。しかしそんな些細な事は私にとってどうでもいい。何故なら私は子供が大好きで、大人が子供になっていようと一向に構わないからだ。嘘吐きな子でも、泣き虫な子でも、反抗ばかりする子でも、理屈をこねる子でも、自慢話しばかりをする子でも、どんな子供でも結局は私の手の内で遊ぶ子供にすぎない。そんな口には決して出せないような考えを脳内で浮かべながらニコリと笑うと、彼は今まで寄せていた眉間の皺をあっけなく緩めて私を見た。どうやら私が今浮かべた笑みが大層お気に召したらしい。
「お前の名は何だ?」
「私かい? 私はただのクラウンだよ」
彼の問いに私はそう答えたものの、クラウンという名は私が持つ本当の名ではなく私の通称であり、入れモノだ。どうでもいいことを考えていると、私の名を訪ねてきた彼が、私の闇色のマントを細い腕で引っ張ってきた。
「クラウン……君は道化師か?」
「そうとも。私は道化師さ」
思い出すように発された彼の例えを、否すことなく受け入れ、私は壁に体を預けていた彼を背負う。ずっと冷たい石畳や壁に体を預けていたせいか、普通子どもの体は温かい筈なのに彼の身体は酷く冷たかった。
「お、おい! 俺を何処に連れていく気だ!」
彼を背負うと同時に、物凄い速さで駆けだしはじめた私に驚いたのだろうか。彼は大きな声で私に行き先を尋ねてくる。しかし彼の細い腕は振り落とされまいと、私の首に回されていた。
「なあに、私が作った
舌を噛まないように気を付けながら背中に乗る冷たい彼を見やれば、彼は相変わらず己の親指の爪を黄ばんだ歯でガリガリと齧り続けていた。(そのせいで物凄く首がしまるのだが……。)彼の指の爪は長時間齧りすぎたためか、丸み帯びた原型を保ってはおらず歪な形に変形している。
「君、いい加減にしたまえよ。爪がボロボロじゃないか」
「それは無理な話だな」
爪を齧り続けていた子供の口から出た返事はやはり子供らしからぬ言葉で、彼が本当は大人であることを知らしめさせてくれた。だけど私はそんな事ですら嬉しいと思う感情を持っていた。
嗚呼、子供が私の背に乗り、生意気な口をきくのが喜ばしくてたまらない。その幼げな容姿でもっと私に話しかけておくれ。その幼げな眼(まなこ)に私の姿を焼きつけておくれ。
「君みたいに、どこぞの
不意に出た私の本心。しかし彼はその言葉に含まれるモノに気付かなかった様で、普通に私の発言に言葉を返す。
「クラウン、お前は変な奴だな。嬉しいだなんて、子供になった俺ら以外の誰も言わなかったよ」
それを聞いた私はニシシ、と唇を吊り上げて笑う。そうさ、彼の言う通り。子供が増えて喜んだ奇人は私ぐらいで、不服を唱えたのは働く大人が減って収入の無くなったお偉いさん方だろう。彼らも子供になれば重役という面倒事も金も権力の大きさも関係ないのに、どうして彼らは子供になろうとしないのか? 子供は良いぞ。私の所に来さえすれば、好きな事を好きなだけして良いのだから。
「まあ、そんな面倒な話どうでもいいじゃないか!」
彼に向けていた顔を前へ直し、前方にあった少しばかり高い垣根を軽やかに飛びこえる。その瞬間赤茶色の建物が連なっていた風景が一変し、闇夜には廃れた都市が広がっていた。
「な……」
それに驚いた彼は驚きの声を上げ、私の背中の上できょろきょろとあたりを見渡す。
「鏡の国にいる赤の
ケラケラと軽く笑い、背に乗っていた彼を街の建物と同じ灰色の石畳の上に降ろす。
「さあ、これから歩こうか」
軽くなった背中に浮遊感を感じながら夜空を見上げると、相変わらず三日月がニヒヒといやらしい笑みを浮かべて私を見降ろしていた。
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