「――……誰か…誰か、生きていないのか……――」


 空耳かしら? と思えるほど微かな人の声が、眠っていたマリアの鼓膜を刺激する。


「だ、れ……?」


 閉じていた瞼をゆっくり開き、彼女は回りを見渡す。だが周りには相変わらず白い家具しか置いておらず、スピーカーなどというものは警報機以外設置されていなかった。


 やっぱり空耳なの? ぼんやりとした頭を覚醒させながら身体を起こし、マリアはベッドから降りて立ち上がる。


「誰か! 誰か、生きていないのか!」


 今度はちゃんと男の人の声が自分のすぐそばで聞こえた。


「ここ……から……?」


 その声が聞こえてきた自分の胸ポケットをゴソゴソと探ると、ピタ、と指が金属質の硬いものに触れた。そして指に触れたそれを慌てて出してみると、それは紛れもなく黒色をしたあの小型の無線機だった。


「あ…これ……」


 そういえばこれはセヴンの部屋に来る前にポケットに入れておいてそのままにしておいた無線機だ。しかしこの無線機は不調でなかなか使えなかった筈だが、何時の間に治ったのだろう。


 しかも掌に乗ったそれからは「誰か! 誰か居ないのか!」と叫ぶ声がまだ流れ出ていた。


「私は生きているわ! 七番目に造られたホムンクルス、セヴンの担当のマリア・パルスよ!」


 無線機に付けられていたマイクに向かって叫ぶように声を返し、私は暫し待つ。すると、「マリアっ! お前も無事だったのか! オレは十二番目のヨエル担当のカイリだ!」と先程と同じ声が喜びの色を纏って返ってきた。


 あいにく私はカイリと名乗る彼の事をあまり覚えてはいなかったが、この研究所内で生きている人が居るという事に酷く感激した。だってもう此処には自分以外生きている人間なんていないと思っていたから。それに例え生きていたとしてもそれは彼らのモノになった人たちだから、交流することはできないだろうと諦めていたのだ。


 しかし今この瞬間、自分と同じ人間という存在と触れあえた。その事を嬉しく思い、マリアはボロボロと目から涙を零してしまう。


「ああ、本当に良かった、オレと同じような境遇の人がいてくれて。オレは十二番目の部屋に入れられているんだが、マリアはどうなんだ?」

「私は七番の部屋に閉じ込められているわ」


 しばらく彼女たちは会話に花を咲かせる。だが、花と言っても情報交換をするぐらいしかないのだが。それでもマリアは嬉しそうに、カイリとの会話を楽しんでいた。


 ――だから、彼女は部屋にセヴンが戻ってきたことに気が付けなかった。


「何してるの? マリー」


 ぞくり、そう表す以外にどう表せば良いのか分らない悪寒を背筋に感じ、マリアは動く事が出来なくなった。それと同時に流れていた涙も止まる。


 振り向くのが、怖い。恐れを感じカタカタと身体を震わせていると、ギュっと背後から抱きすくめられマリアは息を呑む。そんな彼女の顔にはセヴンの白い髪が少し触れていた。そしてセヴンは彼女の元にある機械を紅の瞳に移す。


「ああ、これは、ちょっと……」


 無線機の事を隠すために慌ててその電源を落としたが、マリアの掌に乗る黒い塊からは「マリア、お前は無事なのか? オレは……―――」という声が絶えまなく聞こえてきた。


 どうして? 止めたはずなのに。どうしてなの! どうやっても声を止めないその無線機を白いベッドの上に取り落とす。そうよ、これは、壊れていたじゃない。だから、仕方がないの。壊れているから、止まらなくても、仕方がないのよ!


「おい、どうしたんだ! 返事をしてくれマリア! マリアっ!」

「喋るのを止めて!」

「一体何が起こったんだ! マリア! マリアっ!」

「お願いだから、もう私に話しかけるのを止めて!」


 止まることのないその声に向って私は叫ぶ。頬に感じたのは、つぅ、と涙の代わりに伝った冷たい汗の感触。こういう時は一体どうすれば良いの? そう思いながら半ば茫然とし、カーペットの上に落とした無線機を見つめ続けるマリア。


「マリーは僕のモノなんだから、勝手に話しかけないでよ」


 マリアが取り落とした無線機を拾ったセヴンはそれにむかってそう言い放つと、バリッ、と激しい音を立てそれを握り潰した。壊された無線機からは色取り取りのコードが見え隠れしていて、これ以上もう壊れようのないことをあからさまに示していた。


 そしてセヴンは掌にあるそれを白いカーペットの上に散らばらせ、マリアをぎゅと抱きしめた。抱きしめる力を先程より強くされたマリアの方は顔を顰めさえするが、抵抗は一切しなかった。


 抵抗したらきっとセヴンは、泣いてしまうし、怒ってもしまう。内心ビクビクと怯えながらゆっくりとセヴンの方を見つめるマリア。しかしセヴンの顔に表われているのは笑みでも、怒りでも、悲しみでもなく、ただの無。


「ごめんなさい……」


 謝らなければいけない。セヴンの無表情を見た瞬間、本能的にそう察知したマリアは無表情で自分を見るセヴンに謝る。だが彼女を抱きしめるセヴンは彼女から離れ、無表情のまま口を開いた。


「謝らないで、マリー。君は悪くないんだから。悪いのはその無線機から君の名前を呼んでいた男の方なんでしょう? ちゃんと誰のモノか調べて殺しておくよ。だからマリーは安心して僕の側にいて良いんだよ」


 言い終わると同時に優しい笑みを浮かべたセヴン。怒っているわけではない、私の事は許している。それでも、私がした事は許していない。むしろ無線機から声を発していたカイリを悪とみなしていた。


「お願いよ、もう私の為にヒトを傷つけるのは止めて」


 ポロリ。再び涙がこぼれ落ち、落ちた涙の雫は白いカーペットの上に落ちてシミを作った。


「じゃあマリーも約束して。僕がこの部屋に戻って来たら、今までと同じようにお話を聞かせるって。そうしてくれるなら、僕はもうマリーの為にヒトを傷つけたりしないって約束する」


 にこり、無垢な笑顔の筈なのに、愛すべき表情の筈なのに、マリアはどうしてもその笑顔を好きになることは出来なかった。


 けれども彼女は、「約束、するわ」と頷き、微笑み返した。


 マリアに微笑み返されたことがとても嬉しかったのだろう、セヴンはパアァっと表情を明るくさせて彼女の肩に飛びついた。


「マリーは僕だけを見て、僕だけに優しくしていれば良いんだよ」


 明るい声でそう言い、彼女を思いきり抱きしめるセヴン。その表情は今まで以上にキラキラと輝く、嬉しそうな笑みだった。


 しかしその表情を打ち砕くかの如く、次の言葉が彼女の心に突き刺さる。


「だから、勝手に何処かへ行くなんて許さないよ」


 どうやらこの子は何も分かってくれないらしい。


 マリアは自分を抱きしめるセヴンの体温を感じながら、再び涙を零す。しかしその零された涙はカーペットに染みることはなく、顔を隠すように覆った掌に溜まった。




 何処で彼女とソレはすれ違ったのだろうか。





     †





『束縛に縛られて』

『執着にとらわれて』

『愛なんて叫べるのだろうか』

『そんな事は誰も知らない』

『分かる筈がない』

『だがしかし、』

『僕らは、ヒトを愛す事が許されるのでしょうか―――』


 共有意識の中、その言葉はいつの間にか狂気の色に染まっていた。

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