③
ソファーに座っていたマリアはしばらくその場にいたが、どこか遠い目をしていたセヴンに何かを感じたのだろう。すぐに何時ものようにセヴンに寄り添うようにして白のカーペットの上に移動した。隣にいるセヴンは、先程寝ころぶ際にガラスの破片で怪我をしたのだが、今見ればそこはすでに瘡蓋になっていた。
隣に寄ってくれたマリアに気をよくしたのだろう。セヴンは艶のある彼女の亜麻色の髪に自分の白い手を絡ませ、嬉しそうに彼女の話に耳を傾けていた。するといきなり耳を覆いたくなるような警報機の音がじりじりと鼓膜を刺激し始める。
「警告、警告、研究所内に多数の侵入者有り。職員は直ちに持ち場についてください」
いきなり鳴り出した警報と、侵入者を告げる放送に驚くマリア。傍らにいたセヴンはきょとんとした表情で彼女の横顔を見つめていたのだが、マリア自身はそれに気付いておらず自身の頭の中で思考をぐるぐると廻らせているのに精一杯だった。
ホムンクルスを作るという事はどの国でもやっている豪放な実験だし、ここの研究所は新しく建てられた物ではなく昔の物だ。こんな何のメリットも生み出さない古い研究所に侵入者が来るだなんて、侵入者も何を考えているのかしら? 例え此処を襲えて、占拠する事ができたとしても国には見向きもされない。それに研究の機械なんて建物同然に古い物ばかりだから売ってもそんなお金にもならない。多少の利益になるというものはホムンクルス達とその個人データ―ぐらいだろうか。
――それでは何故こんな辺鄙な研究所に侵入者が?
マリアの頭の中では疑問と不安が一気に混ざり合い、何度も同じ質疑応答を繰り返していたが、このままではいけないという自制が掛かると彼女は腰を落ち着けていたカーペットから慌てて立ち上がる。すると傍らに居たセヴンが彼女の白の白衣を掴み、ぐぃと力強く引っ張った。
「此処に居ないと駄目だよ、マリー」
マリアの白衣の裾を掴みながら、セヴンは彼女を見上げてからそう言った。セヴンの座る白のカーペットの上には相変わらずキラキラと光るガラスの破片が散らばっていて、所々にセヴンの血が少しだけ付いていた。
「何を言っているの?」
再び理解しえないことを言いはじめたセヴンに、マリアは眼を香驚いたように見開かせた。やっぱりこれは偶然なんかじゃあない。セヴンは物事を理解し始めている。誰かが言っていたけれど、子供――それはいわば大きな未来を秘めた唯一の人間。ならば、その子供の感性をプログラムされたセヴンも人間なの?
「すぐに此処も壊されるから、行っても無駄だと言ってるんだよ」
「此処、も、壊わされる……?」
この他にもある研究所が壊されたという情報は一切入ってきていない。それなのにこの子は何を言っているの? 恐れと共に焦りが出始めたマリア。しかし彼女の白衣を掴むセヴンの表情は笑みではなく、真剣そのもので彼女はその言葉が偽りでないことを知った。
「そう、壊されるんだ。でも僕と一緒に居れば生かしてあげるよ。マリーは僕の物なんだから」
新しい玩具を手に入れた子供の様に、嬉しそうに笑うセヴン。この子は一体何を知り、何を考え、何を言っているの? それに私はセヴンの物なんかじゃないし、私は私の物よ。私以外の誰の物でもない。そうマリアは自分に言い聞かせるが、声に出していないせいかセヴンにその意思が伝わることはない。
「そうそう。僕の物になるんだから、ちゃんと大人しくしていてね。マリー」
セヴンがマリアの名を読んだ瞬間、計ったように出入りの為に設けられていた金属の扉が勢い良く吹っ飛ばされ、そこから白の大群が……否、見知らぬホムンクルス集団が現れた。きっと彼らはここ以外の研究所で造られたホムンクルス達だろうけれど、どうしてこんな所に、こんな沢山のホムンクルス達がいるの? 私は他の研究所からこんなにも沢山のホムンクルスが逃げ出したなんて報告は一つも聞いてない。
頭がパンクしそうなマリアをよそに、部屋にズカズカと入り込んできたホムンクルス達の先頭に立つ背の高い白の男。彼はセヴンに「ヒトから離れても良いのだぞ、我が同胞」と言うが、言われた方のセヴンは彼を馬鹿にするようケタケタ笑って、その言葉を無視する。そのためかどうか分からないが、彼らは床に落ちていた欠片をバリバリと踏みながら更にセヴンとマリアに近付いてきた。
「ヒトはどうすれば?」
後ろで控えていた集団の一人がそう言うと、セヴンとマリアの傍に来ていた白い男が「好きにしろ」と声を発した。その言葉を聞いた彼らは堰を切ったかのようにマリアに襲いかかろうと、息を呑むほど強い気と勢いで彼女の方へ走ってきた。
「ひっ、」
一気に白い群衆が自分に向って駆け寄ることにマリアは驚き、ひきつった声を一瞬上げて顔面を真っ青にさせた。だがすぐに彼女は我に返り、素早く数歩後に下がりにかかる。けれどセヴンに白衣の裾を掴まれているため、マリアはそれほど動く事は出来なかった。彼らはそんな彼女の状態を幸いと思い、弱者を甚振ろうとする底意地の悪い人間のように彼女に襲いかかろうとしていた。
すると彼らとマリアの間にいたセヴンが自身の身体をスッと起き上がらせ、彼女に襲いかかろうとしたホムンクルス達の前に立ちはだかった。
「僕のモノに触らないでよ」
先ほどまで彼らの目の前で子供っぽい、馬鹿げた笑みを浮かべていたセヴンがキッと彼らを睨みつける。その鋭い眼光に恐怖したのか、それとも同じホムンクルスであるセヴンの行動に驚いたのかは分からないが、マリアに襲いかかろうとしていた彼らはピタリと止まった。
「裏切り者になる気か?」
思っていたよりずっと背の高い彼は、どうやらセヴンと同じホムンクルスだったらしく、セヴンの事を「恥晒しの同胞が」と軽く罵しる。
その後彼は、がしりとセヴンの肩を掴み、自身の顔を見ろと促した。セヴンは促されるまま彼の顔を見たが「僕は君たちの仲間になったつもりはないけれど?」と言い、すぐに彼の手を振りほどいた。
「ふん、」
セヴンの肩を掴んでいた彼は小さく嘆息し、セヴンを軽く似が見ながら通る。そしてホムンクルス特有の赤い瞳で、マリアのことを上からじっと睨みつけた。睨みつけられたマリアは、近くで見れば見るほどそのホムンクルスがセヴンの様に子供らしい容姿ではないことに、心底驚いていた。元来この世界のホムンクルスには性別はないものとされている。それは彼らを造った研究者である私も知っている事なのに、目の前にいる彼は何故こんなにも男らしく、そしてより人間らしくなっているの?
驚きと疑問が入り混じった表情をマリアに向って彼は腕を伸ばし、彼女の白い首を掴もうとしにかかる。それに気付いたセヴンが素早くマリアと彼の間に割って入り、その手を跳ねのけた。
「だから……これは僕のモノなんだから、勝手に触らないでよ!」
怒った様な口調で彼を睨み上げるセヴン。その表情は直前まで浮かべていた笑みとは全く違う。マリアも、手を跳ねのけられた彼も驚いたように固まっていた。
どうやらセヴンが今彼に向けている眼は先ほどマリアに襲いかかろうとしたホムンクルス達に向けていたものと同じだったらしく、セヴンの眼を見たホムンクルス達は小さな叫びを上げている。一方睨み上げられた彼は眉間に皺を寄せ、自分よりずっと背の低いセヴンを見下すように睨み返していた。
「助けだされておいて俺に刃向う気か?」
「僕は助けてなんて、なさけないこと伝えてないよ」
目の前に立ちはだかる彼に睨まれながらも生意気な口を叩いたセヴンはいつのまにか睨みを解いていた。すると何を思ったかセヴンを睨んでいた彼が口を開き、「俺はズィーベン。お前の名前は?」とセヴンに問いかけてきた。
「僕はセヴン」
「セヴン……俺と同じ七番目という意味か」
「たぶんね」
そっけなくそう答えたセヴンは目の前の彼を睨むのを止め、にぃ、と細く笑んだ。ズィーベンと名乗った彼はセヴンの表情の変化に気づいたのか更に鋭い眼差しでセヴンを睨みつける。
「「同じ者は二つも要らない――」」
どちらともなくそう言い、セヴンは手に持っていたガラスのナイフを素早く投げつける。しかしズィーベンはそれを上手く避け、幼いセヴンの胸倉を掴み、わずかに持ち上げた。
「ガキ風情が」
子供を見下すような大人の眼差しをセヴンに向けるズィーベン。しかしセヴンは余裕そうに「やっぱり駄目だよ、君は」と言い、ニヤアと気味の悪い笑みを浮かべた。
「君は、自分が一番だとでも思っているの?」
そう言いながら自分を持ち上げるズィーベンを挑発しはじめたセヴン。そんなセヴンの表情を睨む彼は目を細め、口を開く。
「それの何処がいけないんだ、ガキが大きな口を叩くんじゃねぇ!」
セヴンの挑発に上手く乗せられたズィーベンは更に腕を上げ、幼いセヴンの身体を高く持ち上げる。しかし、と言うべきなのだろう。セヴンはそんな事に恐れなど抱いていない様で、相変わらずケタケタと笑った。そんなセヴンの不気味さに一瞬恐れをなしたのだろう、紅い瞳の彼はセヴンを掴む手の力を弱める。その瞬間を見計らい、セヴンは手元に残っていたナイフで彼の顔を刺し、素早くその腕から逃れた。
「っ!」
突然顔面を襲った激痛に彼は膝を着き、ガラスのナイフが刺さった顔を押えて憎々しげな目でセヴンを睨む。だがセヴンは、痛みと怒りで何をしでかすかわからない凶暴なソレを目の前にしながらも、悪戯っ子のように笑う。そして、もう一本ガラスのナイフを取り出すと、何の躊躇いもなく、彼の頭部に向って振り下ろした。
「無断で僕のモノに触れようとするからだよ」
セヴンが小さくそう言った瞬間、白かったセヴンの髪、服、肌、壁、カーペット、赤い瞳の彼、そして彼らから少し離れた場所でペタンと座るマリアの白衣が――赤く染まった。
子供は皆、無邪気さや純粋さの中に狂気を孕んでいることに、何故大人は気付かないのだろうか。
†
『僕らは、』
『僕らは、ヒトを』
『僕らは、ヒトを愛す事が』
『僕らは、ヒトを愛す事が許される』
『僕らは、ヒトを愛す事が許されるのでしょうか―――』
『―――……』
誰も居ない共有意識の中、その問いは連呼され続けた。
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