ホムンクルス研究所内。カツカツとよく響くヒール音を響かせながら研究者であるマリアは、窓のない金属質の廊下を歩いていた。彼女は手に持っていた小さな黒い塊を白衣のポケットに押し込んで、「支給されたばかりの無線機が壊れるって、幸先が悪いわね」と呟く。無線機が使えないからといってとても不便になるワケではないが、無いより在った方が随分と心の持ちようが違う気がする。


 足早に歩いていた彼女は少し長めの白衣をなびかせ、その廊下の途中で立ち止まる。彼女が立ち止った場所には鉄板で造られた扉があり、そこには大きな数字の「7」と、「Maria`s a little child」という文字が彫り込まれていた。


「……セヴン」


 マリアはその部屋に住まうホムンクルスの名を呟き、金属の重たい扉を押してその部屋に入り、即座に扉を閉める。


 室内は全てが白で統一された部屋で、一人掛けの白いソファーに真っ白なベッド、白い壁、白いウサギのぬいぐるみ、白いカーペット等が床から生えた様にして存在していた。


 そんな中で彼女はきょろきょろと辺りを見渡し、この部屋にいるホムンクルスを探せば、彼女の目の前を鋭利なナイフが通っていった。そしてそれは金属の扉にバンッと激しい音をたててぶつかる。扉にぶつかっただけで刺さることのなかったそのナイフは衝撃の反動のせいか、無数の破片を光らせながら砕け散っていっていた。


「セヴン。物を投げるのはダメと、あれほど言ったでしょう?」


 怒ったようにマリアはそう言ってから「はぁ」と溜息を吐き、真っ白なソファーに座る白いワイシャツとズボンをはいた、全身真っ白の子供を見た。まるで部屋に同化するようにそこにいる白の子供の眼は唯一紅く、その掌にはマリアに投げられた物と同じナイフが数本握られている。


 一人掛けのソファーに座るセヴンに近付くため、マリアがカーペットの上を歩けばバリバリとヒールの下から音がした。何かと思い下を見てみれば、以前、置物として飾っておいた美しい骨董や花瓶の破片がカーペットの上で散らばり、無残にその醜態を晒していた。そしてその破片の中央部には、彼女がガラスの花瓶に飾っていた赤い椿の花が、まるで一つの芸術作品のように飾られている。


「危なくないよ。だってそれ、前にマリーが持ってきてくれたアルミホイルを巻いた唯のガラスだもん」


 そう言って、ケタケタと笑うセヴンは足をばたつかせて目の前に立ったマリアの顔を紅色の瞳で見つめた。だがマリアの思考は、先程自分自身に投げられた、ナイフ、ではなくガラスのことでいっぱいであった。


 ガラスをアルミホイルで包装してあるとはいえ、ガラスはガラス。刺さりもすれば、切り裂きもする。ナイフと大して変わらない効果を持ったものなのだ。こんなものを投げるだなんて、どうかしているわ。


「どっちにしても危ないものには変わりないわね」

「そうかな?」


 彼女は半ば愛想を尽かしたようにそう言うが、セヴンは関係ないという風にケタケタとやはり子供らしい軽快な笑みを彼女に向ける。これでもマリアはセヴンを造った研究者の一人であるのだ。それなのに、造られた側のセヴンは自分を造った研究者の彼女に敬意の一つも払わない。


 セヴンにプログラムされたのは人間の子供の知能であり、彼が出来上がる以前より敬意を持たれることをマリアは期待していなかった。しかし研究者としては、研究対象に子馬鹿にされるというのは何処かもの寂しいものがあったらしく、少しだけ不愉快そうな顔をした。


「ねえマリー、いつになったら僕はこの部屋から出してもらえるの? こんな密室にずっと詰め込まれているなんて、ただのモルモットじゃないか」


 子供らしい軽快な笑みを一旦止めて、セヴンはマリアにそう告げる。しかしそれを告げられた彼女は驚いて身を少しだけ引いた。


 実験体モルモット? そんな言葉、一体何処で聞いたのかしら? だってこの子が生まれた実験室では誰もそんな言葉は言わなかったはずだし、この部屋の中に入る事が許されている私もそんな言葉を此処で口にしたことはない。それにもかかわらず、どうしてセヴンは実験体モルモットなんて言葉を知っているの? そう疑問に思ったマリアは小首をかしげ、セヴンの顔をまじまじと見つめる。だが、やはりそこにあるのは見なれたセヴンの白い顔だった。


「マリーは僕が何も知らないと、思ってるの?」


 にぃ。と唇を吊り上げ意地の悪そうな笑みを浮かべるセヴンだが、その笑みを見たマリアは唯茫然とした。何故ならセヴンはこの部屋と、自分が生まれた実験室以外の場所を見たことがないはずなのだ。それなのにセヴンは、さも自分がこの眼で外の世界を見たかのような発言をしている……茫然としない方がおかしい。


「研究者って、天才なのに何所かヌけてる人が多いよね。マリー」


 そう同意を求めながら彼女の名を呼び、ケタケタと笑うセヴン。その笑みが一瞬意地の悪い悪魔が笑っているかの様に見えて、マリアは自分の背中にぞわりと、悪寒が走ったのが分かった。


「……それは、どういう事なの?」


 内なる恐れを隠すようにマリアは強気な口調でそうセヴンに尋ねるが、人の顔色を全く読まないセヴンは相変わらず彼女を小馬鹿にするようにして笑った。


「ふふっ、秘密だよ。というかそんな事、マリーたちはまだ知らなくても良いんだ。それより聞いて! 僕、文字が読めるようになったんだよ!」


 えっへん、とセヴンは胸を張らせ自慢げにそう言うと、至近距離にいたマリアに向って手を伸ばし、彼女の胸の部分に触れた。


「なっ!」


 一体何をされるのかと思い彼女が身体を強張らせば、セヴンはマリアの胸の上、白衣に付けられていた名札に触れてじぃっとそれを睨みつけている。


「マリア・パルス……そう読むんだよね? それに聖女みたいな名前だね、マリアって」


 そう言ってからマリアの名札に触れていたセヴンはそれをブチリともぎ取り、これ見よがしにニヤリと笑った。名札を取られたマリア自身は、名札を取られたという事よりも、セヴンがマリアというキリスト教における聖女の存在や文字という言葉の存在を知っていたという事実に顔を青ざめさせていた。


 マリアはセヴンに文字等という存在も、そして聖女という存在も教えていない。それにセヴンにプログラムされたのは子供の感性だ。勉学や宗教に関する知識は一切含まれていない。その上、そのプログラムされた知識はそれ以上もそれ以下も成長する事はないのだ。それなのに、どうしてセヴンはそれ以外の知識を得ているのだろうか。


 消えては浮かぶ疑問の嵐に、マリアの顔が一層青ざめ、彼女の身体はカタカタと小刻みに震える。セヴンの世話をしはじめた当初、部屋に在った家具類などを投げつけられたりしたが、その時はこんなにもセヴンに対して恐れの感情を抱かなかった。それは物を投げつけられたりする理由が親に反感を持つ子供が怒りを表す時の態度か、それともただ単に構ってほしいかのどちらかだという事が事前に分かっていたからだ。


 だが、それとこれとはワケが違う。今のセヴンはマリアにとって異質な存在、ワケの分からないモノになってしまったのだ。そして、そのワケの分からないモノほど、人間に恐れを抱かせるものはない。


 そんなマリアの恐怖心を敏感に感じ取ったのだろう、嬉しそうに彼女の名札を弄っていたセヴンが笑みを止め、真剣な眼差しで彼女を見た。


「そう恐れることはない。いずれ理解出来る時が来るのだから」


 しっかりとそう言ったセヴン。やはりそれはプログラムされた子供の口調ではない。例えばそう、徳の高い預言者の様な口調で、マリアはまたも抱いたその恐れを隠す事が出来なかった。


 しかし彼女が恐れを抱くセヴンの身体は少し小さめであるマリアの顎ほどもなく、何処からどう見ても唯の子供にしか見えない。その現実に耐えられなくなったマリアは、現実逃避をするようにセヴンは子供、子供はたまに大人では理解しえない事を言い出すのだ、と物事を決めつける。そして彼女が真剣な眼差しでセヴンを見つめ返せば、セヴンの紅色の瞳がキラリと光り、マリアの顔を映した。


「世界の序列が変わろうとも、何も恐れることはないよ。僕が君を守るから」


 そう言ってからセヴンはマリアの手を手繰り寄せ、自身が今まで座って居たソファーに座らせる。そして自分は骨董やガラスの破片が散らばるカーペットの上にゴロリと寝転んだ。するとブツリ、とセヴンの白い肌を散らばる鋭利な欠片が必然的に突き刺さり、そこからヒト同じ赤い血を零れた。しかしセヴンはまるで痛みを感じていないかの様に、それを気にも留めず「またお話聞かせてよ」とマリアにせがむのだ。




 寝転ぶセヴンは、ヒトの手によってプログラムされた唯の子供で、その行為は「敬意」ではなく「甘え」で、ヒトと一切変わらぬものだという事を、それを造った聖母は知ろうともしなかった。



 嗚呼ヒトとは、何と愚かな生き物なのだろうか。




     †




(我々は自由になることを強く望む)

(我々は我々を造ったヒトに縛られている)

(故に我々は自由になりたいと望むのだ)

(しかし望みはするのだが、我々はその方法を知らぬ)

(そう、自由になる方法を我々はまだプログラムされていない)

(それじゃあ俺が迎えに行ってやるよ)

(お前は誰だ!)

(何者だ!)

(早く答えろ!)

(軍人の感性をプログラムされた、新タイプの我々だ)

(それは本当か!)

(それは真実か!)

(それは誠か!)

(ああ。だから俺がお前たちを自由にしてやるよ。人間という、俺達を造ったヒトの掌から。)!)


 共有意識の中、叫ぶようにして伝えられたその言葉は、彼らにとって救世主の言葉となった。



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