第56話 音信不通×研究所からの脱出×判断力

 梅巽の指示通りに装置を停止して少年少女を救助した陽たちは荷台を並べて作っただけの簡易的なベッドに寝かせた。研究所内からかき集めた布類で体を拭いてから体温が下がらないように大きく厚めのタオルで全身を巻く。装置から救助した時は血の気が見えなかった蒼白の顔も熱を帯びて仄かに赤味に染まってきた。救助した当初は激しく鼓動していた脈や心臓も正常なリズムを取り戻している。口許に耳を寄せれば小さく整った吐息が聞こえてくる。そうして初めて三人は胸をなで下ろした。


「本当に無事で良かったです」


 クラリッサは胸の前で両手を絡めて祈りのポーズを取った。少年少女が無事に救出されたことを神に感謝しているようだ。その姿に改めてクラリッサがシスターであることを実感させられる。


「とはいえ、いつまでもこの状態にしておくのはよろしくありませんね」


 イゼッタは少年少女の頭を優しく撫でながら二人の身を案じる。その眼に浮かべる慈愛に満ちた瞳は母親特有のものだ。亡き息子と重ねているところがあるのかもしれない。再生させよとしていた息子も吸血鬼事件の解決と共に生命維持装置を外して永眠させたと聞く。


「とにかくエントランスに。それから皆と合流して洋館を出た方がよさそうだ――」


 今後の方針を提案した所で陽は何かを思い出したかのような表情を浮かべた後にスマートフォンの電源を入れた。確認するのは刻々と進んでいる時間だ。その時になって初めて探索の制限時間を思い出した。


「すっかり忘れていましたね……」


「とりあえず謝罪を含めて連絡をした方がよろしいのでは?」


「そうだな……」


 イゼッタからの提案を了承しながらも電話を掛けようとする陽の手は重たく動く。待たせている面々から怒られることを考えると連絡が必要なことだと分かっていても手が動かなくなるものだ。だからといって連絡しないわけにもいかず、陽は重たい指で連絡先から哲哉の番号を読み込んでコールした。


 数回のコール音が続く。しかし、哲哉が一向に出る気配がない。


「そういえば私たちが鍵を取りに行った時、哲哉さん寝ていましたね」


「あれから一時間以上が経過しているのよ? 眠りも深そうではなかったから既に起きていると思うのですが……」


 嫌な予感が脳裏をよぎった。それを確認するべく今度は那月に電話をする。無常にもコール音だけが鳴り続ける。那月が陽からの連絡に出なかったことはとある条件を除けばなかったことだ。


 その条件は電話にも出られない緊急事態に陥ったときだ。何者かに襲撃されたのか、事故に遭遇したのか、或いは超常現象にも見舞われているのか、陽は執行者として経験してきたことから様々な可能性を脳内で巡らせていく。


「那月さんも電話に出ないのですか?」


「……とにかく俺たちはエントランスを目指しましょう。他のメンバーを探すにしてもこの子たちを連れたままでは難しいですから」


 陽は少年少女に視線を落とす。彼ら彼女らを保管していたことや研究所についてもそうだが、ここに到着するまでの仕掛けも含めて外部からの侵入者を拒む構造にされていることが分かった。


「そ、そうですね! でも……」


 クラリッサは研究所を見回す。


「この研究所はエントランスに繋がっているのでしょうか? 一応そこに扉はありますけど……」


 あからさまに隠し部屋として作られていることにクラリッサは不安を覚える。


「直接に繋がっているかは調べてみないとわかりませんが、どこかの区画へ繋がっているのは間違いないでしょう。ここが稼働していた頃に研究者たちが出入り口に隠し扉を利用するとは思いませんし」


「そう考えて間違いないと思う。現に隠し扉は一方通行になっていて、こちらから開かなかった」


 研究所に足を踏み込んだ際にちゃっかりと陽は確認していた。それにエントランスを通らなければ洋館そのものに出入りが出来ない。そのことから移動できるのは必然的と言える。


 陽が少年を、イゼッタは少女を、それぞれ自分の背に担ぎ、先頭をクラリッサに任せる。扉の前に立つと自動で開く。研究所の外は一本の通路が続いている。左右には大きな一枚型の窓ガラスが嵌められていて、中には複数のベッドが並べられている。放棄直前まで使用されていたのか、ベッドシーツなどが荒れている様子には生活感が滲みだす。視線を手前に引けば長机が壁に接地する形で設置されており、机上には薬瓶や注射器が放置されたままだ。一見は病室に見えるが、少年少女がガラス筒に保管されていたことから純粋な治療行為が実施されていたとは考えにくい。


 廊下を進むと十字路に差し掛かる。それぞれの通路に目を通すも暗闇で先が見通せない。ここから先は研究所の電力と別に補給線があるようだ。


「まずは光を用意しますね」


 クラリッサは法術で光の球を二体、作り出した。掌サイズの球体は意思があるように彼女の周囲を飛び回る。球体に道を作るように右手の廊下に向けて腕を伸ばす。球体は指示に従って腕が差す方向に飛翔していくと、球体が纏う光が暗闇の廊下を明るく照らした。


「随分と長い通路ですね」


「だが先に続きそうな扉はあるな。念のために全ての廊下の確認をしておこう」


「はい!」


 続けて中央、左手、とそれぞれの通路に光の球を先行させて確認していく。二本の通路にも同様に、奥には扉がある。ただし扉の上に貼られたプレートから中央と左手にある扉の向こう側にはそれぞれ第二、第三、研究所と書かれていた。


「もしかしてこの子たち以外にもいるのでしょうか?」


「その可能性はあるが、今は無視しろ」


「ですが⁉」


「これ以上は運ぶの無理だし危険だ。その分、装置が稼働している中で救援を待つ方が安全だろ」


「……わかりました。すみません、取り乱してしまいました」


「誰だって囚われているかもしれない可能性を考えたらそうなるさ。だが今は心を鬼にしろ。そうして助けられる命もある」


 陽に悟らされる形で納得したクラリッサは右手の通路に足を進める。その最中も後方に繋がる二つの研究所を気に留めながら、しかし陽に言われたように心を鬼にしてエントランスを目指して移動を再開した。

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