第45話 到着×移動方法×約束
観光島に到着したことを報せるアナウンスが車内に響いた。車掌の声によって復唱される駅名は居眠りする陽と哲哉にも届いて自主的に目覚めさせた。重たい眼を薄く開きながら自分の荷物を荷台から下ろす。それを手に持って出入り口の扉の前に立つ。
扉から差し込む夏の日差しが寝起きから覚醒を促す。眩しさで目蓋をより細くするも夏の日差しは容赦なく眼球を焼くように差しては視界をチカチカと線香花火のように散らした。半ば強制的に意識を覚醒された二人は不愉快な気持ちになり、それが表情となって出た。
「到着して早々に何をブスッとした顔をしているのだね、ワトソン君⁉」
某小説で活躍する主人公の相棒役の名前で陽を呼んだ調は手に持つバックで彼の背中を叩いた。背後からの衝撃に全身を前に押し出される。覚束ない足取りで地面を蹴りながらつま先に力を込めて転倒を拒む。そうして転倒を免れた陽は上半身を屈めて両手を膝の上に置き、顔だけを背後に向けて調を睨んだ。
「そんなに睨まないでよ! ちょっと気分を転換させようとしただけなんだから!」
予想していた反応と大きく違ったことに戸惑いながら調は言い繕う。
「……はぁ、俺を気遣ってのことですから怒るのもお門違いですね」
「そ、そうよ! おかげでしっかりと目が覚めたでしょ?」
「ええ、おかげさまです。……ですが、どうしてワトソンなんですか? 部長が探偵というわけでもないのに」
「そこは深く聞かないでちょうだいな」
特別な理由はないようだ。おおよそ優秀な相棒という立場を重ねたことによる発言なのだろう。
全員が列車を降りて改札口を出ると巨大なロータリーが姿を現した。宿泊施設からの迎えと思われる人物たちが案内の看板を手に持って呼びかけをしている。観光シーズンの真っ只中であることから夥しい数だ。連動して観光客の数も多く、タクシーやバスを待つ長蛇の列が目立つ。
「うへぇー……。あれに並ぶのかよ……」
長蛇の列を見た哲哉は舌を出しながらあからさまな態度を見せる。それは他のメンバーも同様だ。長時間の列車移動から長時間のタクシー待ちは肉体的にも精神的にも厳しい。それこそ一日を移動だけで無駄にしてしまう疲労感が襲うだろう。
「それなら車を借りるとしようか」
那月はレンタカーのお店を指差して代案を出した。タクシー乗り場やバス乗り場と違ってレンタカー屋の前には人の列はない。レンタカーは格安な上に時間に縛られず自由に移動できることから便利なサービスだ。しかしながら車の運転疲れを嫌って敬遠にする旅行者が多いようで、それが顕著に出ている。
那月の代案に皆が見せた反応は様々だ。なかでも露骨に表情を歪めたのは陽とクラリッサだ。メンバーの中で二人だけが運転する那月の豹変ぶりと荒さを知っているが為に代案を素直に頷けない。しかしここで反対するのも躊躇ってしまう。せっかくの楽しい旅行にいきなり水を差す行為になりかねないからだ。
「陽とクラリッサも車を借りるということでいいわね?」
那月から確認の声と笑顔が二人に届けられた。既に運転することを思い描いているのか、太陽のように輝いていて眩しい笑顔に隠れて相手に有無を言わせない威圧感がある。陽が持つ経験では那月がこうなったら退くことはない。
陽はクラリッサの肩に手を置いた。振り返ったクラリッサの顔色が悪い。吸血鬼事件の最中で味わった那月の運転を思い出してしまったようだ。子犬のような円らな瞳をうるうるとさせながら陽に向ける。保護欲をかき立てるのは年齢と比べて童顔だからだろう。それは陽も例外ではない。年下であることを忘れてクラリッサを助けようと心が揺らぐも、これまでの那月と共にしてきた経験が上回った。
陽はゆっくりと頭を左右に振った。
「クラリッサ……諦めろ」
「…………はい」
那月の運転を阻止できる唯一の存在も匙を投げたことでクラリッサも諦めた。
「よーし! 意見が一致したようだから早速、レンタカーを借りに行きましょうか!」
率先して意気揚々とレンタカー屋へと歩き始めた。何事も冷静沈着な人物として認識していた者たちからすれば珍しく映ったことだろう。
那月が選んだ車は七人乗りのワゴン車だ。彼女の趣味とはかけ離れたタイプの車種だが、大人数の移動と荷物の収容から選べる車はおのずと決まった。大きな荷物はトランクに仕舞い、後は車内に持ち込む。運転席と助手席にはそれぞれ那月と陽が座る。二列になる後部座席には前列に学生組、後列をイゼッタとクラリッサが座った。
運転を開始しても那月の性格は豹変していない。車種が趣味でないことからテンションが上がらないのだ。
「……気分が乗らないわね」
不満の表情を浮かべながら安全運転に徹している。陽たちからすれば棚から牡丹餅。性格が豹変せずに安全運転に徹してくれるならば運転スキルが高い那月は最も信頼できる運転手だ。
「こればかりは仕方ないさ。この人数で移動できる車は限られてるよ」
「わかってるわよ。せめてキャンピングカーでもあれば運転したことのない車として少しは楽しめたのに」
「普通のレンタカー屋にキャンピングカーを置いている所は珍しいと思うぞ」
キャンピングカーが置いていなかったことを内心で喜ぶ。豹変した破天荒な運転をキャンピングカーのような大きな車でされたら命がいくつあっても足りない。とはいえ、このまま不満を募らせては旅行を純粋に楽しめなくなる。自分と同じく久方ぶりの休暇を満喫できないのは陽としても不本意だ。そこで陽は一つの提案をした。
「宿泊先の近くにレンタカー屋があれば改めて車を借りましょう。そこでドライブを楽しめばいい」
「……その辺りが落としどころか。そのときはちゃんとドライブに付き合いなさいよ」
「喜んで助手席に座らせてもらうよ」
文句のひとつでも返ってくるかと思っていた那月は素直に了承したことに驚くも、すぐに照れたような笑顔を浮かべた。
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