第44話 色恋?×友人?×異性?

 陽と哲哉が眠りについた――哲哉は気絶している――ことで席の位置は男女に別れることになった。陽の眠りを妨げないように声を抑え目にしながらも会話に華を咲かせる。


 夏旅で女子が一堂に集まれば話題は自然と色恋の話になる。そこに年齢の差は関係ないようだ。それどころか会話の内容に深味が出ることを楽しんでいる様子が窺える。


 会話の中心に座るのは睦美だ。青春の真っ只中にいる彼女は大人の女性の恋愛事情に興味が尽きない。なかでも成人を迎えている那月や結婚して子供を授かったイゼッタの恋愛経験に興味があるようだ。


「残念だけど、私に恋愛話を求めても話せることはないわ。陽と同じで私も学生の頃から行政で働いていたし、何より学生時代は陽の子育てで充実していたから恋愛に興味もなかったから」


「そっかぁ。那月さんが高校生の時でしたね、陽君を引き取ったの」


 那月とは近所付き合いがあった睦美と哲哉は陽が引き取られた日のことを知っている。陽の過去に何があって、高校生の那月が引き取る形になったのか、その詳細までは教えられていない。ただ引き取られた当初の陽が見せる影や雰囲気、何より光を感じられない虚無の瞳が過去の壮絶さを物語っていた。それは気安く足を踏み込んではいけない話題なのだと子供心ながら理解した。


「あの頃から比べると陽君も随分と感情豊かになったな……」


 思わぬ形で過去を振り返ることになった睦美は懐かしむも、当初の話題を思い出して路線をすぐさま元に戻した。


「でもでも! 高校を卒業して、陽君の世話もかからなくなった今なら恋愛の一つでもしていないのですか?」


「してないわね」


 那月は即答した。それに対して睦美は両肩を落としてあからさまに落ち込む。彼女のなかでは職場は一種の出逢いの場だと考えていたからだ。


「職場恋愛に高望みしない方がいいわよ。下手に恋仲になると色々と関係性を拗らせてしまうのも珍しくないし」


 実体験をした職場仲間を多く見てきた那月だからこそ発言に説得力がある。お付き合いしている間はまだいい。困るのは喧嘩別れした後である。職場で顔合わせするたびに空気を重たくしてしまう。そして悪くなった空気を敏感になるのは当人たちではなく周囲の人物である。


「うーん、そうか。確かに別れた後のことを考えると気まずくなるか……」


 職場に限らず気まずい空気が漂う場所を想像しただけで睦美は気分が重くなった。こんな状態で毎日のように仕事を熟せるだけのテンションを維持できるとは思えない。


 色恋の話がここまで空気を重たくするものとは思っていなかった睦美は急ぎ空気を入れ替えようと話題を振る。


「イゼッタさんはどのように旦那さんと?」


 旦那と子供とは死別していることは予め聞かされている。そのうえで亡き旦那との馴れ初めを訊くのは勇気があるというべきか、鈍感というべきか。


「私は友人からの紹介で知り合いましたよ。当時は引っ込み思案で自分から男性に話しかけたり出来るタイプでありませんでしたから」


 頬に手を添えながらゆっくりとした口調で話す。口調のスピードは人の個性ではあるが、睦美の目にはそれが大人の女性ならではの余裕に映ったようだ。


「友人の紹介ですか……」


 睦美は友達と呼べる知人の顔を思い浮かべる。先輩、後輩、と幅広い人脈を持っているが浅い付き合いが多い。お願いすれば紹介してくれるとは思うが、自分からお願いするような飢えた姿を見せたくないプライドの高い自分もいる。繫がりが強く深い付き合いをしている人物を考えると思い浮かぶのは隣の座席で居眠りしている男子二人である。


(……これまで一緒にいることが当たり前だったから意識することがなかったな)


 居眠りする二人に視線を向けながら深々と思う。付き合いが長いからこそ恋愛対象に見えない現象である。それとは裏腹に二人は女性からの人気が高い。


 陽は同世代の男子と比べて達観した性格が女子高生には大人の魅力に映る。また時折に見せる影のある表情がミステリアスな雰囲気を纏っていて、それもまた魅力に映るようだ。


 哲哉はあの性格で女子から冷やかな視線を浴びることが多いが、イベント事となれば率先して皆を導く姿は一種の魅力である。陽と同様に容姿も優れている。ただ彼氏とするには性格が邪魔をして友達で終わってしまう残念な人種でもある。


 陽たちに視線を向けたまま沈黙した睦美の姿を見た那月は彼女の心を察したうえで発言した。


「陽を男として見ているのなら相当の覚悟が必要よ」


「べ、別に私はそんなつもりは……!」


 咄嗟に誤魔化そうと口を開くも、那月の真剣な眼に途中で発言を詰まらせた。陽に寄せる思いが友人か異性か、どちらにしても軽々に発言していいものだと思わなかったのだ。


 改めて陽に視線を向けた。何一つ曇りのない安らぎの表情を浮かべながら小さな寝息を吐いている。その隣では気絶から居眠りに変化した哲哉がイビキをかく。変わらぬ二人の姿にホッとする反面、この関係が壊れた時のことを考えるだけで恐怖心が芽生える。


 色恋の話に華を咲かせるはずだった車内はいつしか静まりかえっていた。だがそれは息苦しさを覚えるような重たい空気ではなく、皆が皆、今の幸福な時間がいつまでも続けばいい、そんな願いを強く込めた優しい空気だった。

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