第41話 夏休み×義親子×本音

 講堂で終業式が開かれた。校歌と国歌を斉唱した後、校長のありがたい話が延々と続く。講堂内に籠る夏の蒸した暑さに全身から汗が噴き出してシャツが肌にへばりつく。全開した窓から時折吹き通る風も夏特有の熱風の為に体熱を冷やすどころか余計な暑さが纏わりつく。


 校長の話が暑さに拍車をかける。額から流れる汗をハンカチで拭いながら延々と話が続く。当初は一学期を総括した内容や夏休みに起きる事件や事故の注意喚起といった実りのある内容が、次第に校長の鬱憤を晴らす愚痴の披露会に変貌していた。


 子供にとって大人の愚痴ほどつまらない話はない。至る所で生徒が大きく口を開いて欠伸をする姿が目立つ。なかには両瞼を落として眠る生徒や船を漕ぐ生徒が出る始末だ。それは教師にも伝染していく。立場もあって生徒のように眠る姿は見受けられないが、何度も頭をがくりと落としては意識を取り戻して姿勢を直している。


「遂に先生まで限界かよ……」


 退屈な表情と態度を全面に出しながら頭に両手を回していた哲哉の視界が先生たちを捉えた。気丈に堪えている様子がかえって不憫に思えてくる。


「堪えるくらいなら止めてくれたらいいのに」


 不満の声を漏らしたのは睦美だ。餌を口に含んだリスのように両頬を膨らませながら可愛らしく怒りを表現している。膨らんだ頬を押し潰したい衝動に駆られた陽は思わず指で睦美の頬を突いた。外からの衝撃に睦美の口から空気が抜けていく。その間抜けな光景に陽と哲哉は込み上げる笑いの渦に堪えた。


「ちょ、ちょっとー!」


 恥ずかしい思いをさせられた睦美は照れ笑いを浮かべながら反論の声を出す。口調から本気で怒っている様子はうかがえないが、その余波は周囲に伝染していった。退屈で長い校長の挨拶に辟易していた生徒たちの一部が同様に騒ぎ始めたのだ。規模としては極小さなもの。それがいくつも重なって騒ぎは肥大化していった。次第には校長の挨拶の声を呑み込む騒ぎとなり、舞台上の校長からお叱りの声が上がる。込み上げる眠気に抗っていた教師陣も動き出した。その動きがやる気に満ちていたのは退屈な挨拶から脱出できた喜びの体現かもしれない。


 学生が一度でも騒ぎ始めたら簡単には治まらない。挨拶を打ち切り、終業式を閉会しない限り生徒たちは納得がいかないと判断した教頭は校長にそのように助言した。校長は不満そうな表情を浮かべるも、一向に治まりそうにない生徒たちの様子を改めて見て渋々と助言を受け止めて閉会の旨を伝えた。


 生徒たちの騒動は歓声に変わると、我こそは先に、と続々と出口を目指す。その事態を招いた陽たちといえば、人波に巻き込まれないように集団から離れた位置に陣取って人が捌けるのを待つ。


「凄い効果だな。一気にたがが外れたぞ」


 瞬く間に広がった笑いの連鎖に哲哉は感嘆の声をあげた。一連のじゃれ合いは暇つぶしを目的としたもので、終業式を強制的に終了させることを狙ったわけではない。それ故に事態の大きさに驚きを凌駕して感動してしまった。


「それだけ皆も早く終わって欲しいと願っていたのだろうさ」


「本当に長かったもんね……」


 睦美が両肩を落として疲労感を表現する。どこか顔色からも疲れが見える辺り演技というわけでもなさそうだ。


 出口に群がる生徒たちが捌けるのを待っている陽たちに足音が近づいてきた。職業病から近寄る足音や気配を敏感に察知してしまう陽はいち早く視線を向けてしまう。それも周囲の人物に気付かれないようにさりげなくだ。


「陽君、やっほー!」


 足音の正体は調だった。駆け足で距離を縮めてきた彼女は靴底を床で削ることで急停止すると、シュパッと挙手しながら挨拶をした。陽たちと同じ環境下にいた者とは思えない元気の良さだ。


「おはようございます、部長」


 陽が頭を下げて挨拶をした。陽のように調と深く関わりを持たない哲哉と睦美は小さく頭を下げる。


「そうだ。合宿の件ですけど、この二人も追加になりました」


「えーと……そうなると……」


 調は指を折っていく。事前に陽から伝えられえていた参加メンバーに哲哉と睦美を追加する。片手では収まらず両手の指を折っていく。


「七人か。随分と大所帯になったね」


「……そういえば一人や二人と言ってましたね」


 陽は夏休みの約束を交わした際の記憶を思い出す。手当たり次第に誘ったつもりはないが、事件解決を労う方法として提案しやすかったのだ。そういう意味では哲哉と睦美を誘う理由はないのだが、数少ない学友を無碍にするのは気分が悪い。


 雲行きが怪しくなったことで哲哉と睦美の表情が不安で満ちていく。そんな不安を払拭させたのは調が浮かべた満面の笑みと立てた親指である。


「問題ないよ! 宿は人数じゃなくて滞在日数の金額計算だから大丈夫。ただ交通費と食事代は自分持ちになっちゃうけどいいかな?」


「はい! もちろんです!」


「俺も大丈夫です!」


 暗雲が晴れたことで睦美と哲哉に笑顔と元気が復活した。


「うんうん! それじゃあ合宿の詳細は陽に連絡するから、それを皆に伝えといてくれる?」


「ええ、お安い御用です」


「じゃあよろしくね!」


 調は陽の背中を強く叩いた後、出口を目指して駆け足で去って行った。三人はその背中を見送るのと同時に出口に群がっていた生徒が減ったの確認すると、調の背を追う形で講堂を後にした。


              ◇


 学生にとって至福の時間、夏休みが始まる。吸血鬼事件の功績と苦労を労う形で行政区からは長期休暇を貰った陽は早々に宿題を済ませて夏休みを堪能していた。趣味の読書に時間を費やし、近くの海岸で息抜きに釣りに呆ける。学生らしくない時間の使い方だが、殺伐とした仕事を熟してきた陽にとっては何気ない日常が何より安息になるのだ。そうやって特別なイベント事もなく七月を終えて八月に突入した。


 八月一日は合宿の当日だ。那月と一緒に家を出て集合場所の駅に向かう。その道中では合宿がどのようなものになるのか、想像を膨らませながら会話に華を咲かせる。


 陽は那月の屈託のない笑顔に驚きを隠せない。


「どうしたのよ? 私の顔に何かついてる?」


「那月さんが随分と楽しそうだな、と思ってさ」


「あら? 私は楽しんではいけないのかしら?」


「そういう意味ではない。ただ普段では見られない笑顔だったからさ……」


「冗談よ。でもそうね……、昔からこういった行事には無縁な生活をしていたからかしら、自分でも驚くほどに心を躍らせているのよ」


 タッタッタ、と軽快にステップを踏みながら前に出た那月は身を翻して陽に屈託のない笑顔を向けた。ふわり、と黒のスカートが踊り、裾が持ち上がったことで両足を締め付ける黒色のソックスと病的に白い肌が姿を見せた。肌とソックスの境目にレースが施されていて隠れファッションとなっている。


「悪いことをしたなと思うよ……」


 那月が学生らしい青春を送れなかったのは自分に責任があると陽は思っている。彼女が高校生の時に自分が保護されたからだ。那月が当時から執行者として活動していたとはいえ、陽を保護しなければ学生生活を充実させるだけの時間を割くことが出来ただろう。


「勘違いするな。陽を保護して世話を買って出たのは私の意思だ。そのことで陽が罪悪感を覚える必要も責任もない」


 器用に後ろ歩きをしていた那月は足を止めてから陽に顔を突き出して睨む。それから指先で陽の額を押した。


「それに勘違いしているようだが、私にとって陽と過ごしてきた時間はかけがえのない想い出になっている。それこそ青春と比べ物にならないほどのな」


 那月は身を翻して停止していた歩みを再開させた。それも数歩進んだところで再び足を止める。


「……陽は私との生活は楽しくなかったか?」


「そんなわけないだろ! 楽しかったに決まっている!」


 陽は即座に反応を見せた。それは那月がより強い不安を募らせないようにと考えたからではない。考える必要もない質問が故の反応の速さだ。陽が声にした感情の吐露は本心からくるものである。


 陽の返答に那月は安堵から胸を下ろす一方、感情が激しく渦巻く。それを言葉で表すなら感動の二文字だろう。これまで訊きたくても訊けなかった陽の本音が那月の心を強く揺らした。自分のしてきたことは自己満足だけではなかったのだと確信できたことで、これまでに溜め込んできた不安が涙腺を決壊するのは容易かった。


 両目から大粒の涙が溢れては頬をつたっていく。いつもならば泣顔を見せないようにと隠す。だがこの涙は嬉し涙。隠す必要のない涙だ。だから那月は涙を流しながらも満面の笑顔を浮かべながら再び陽に振り返った。


「その言葉が聞けて本当に嬉しいよ」


 涙で掠れた声ながらも那月は本音を言葉にした。

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