第19話 セーレ河×小休憩×心労

 ここは人工島。つまりセーレ河も人工的に造られた物である。経緯としては人工島の開発者が理念として人間と自然の共存を掲げているから。その本音は本島への憧れを削ぐこと。どれだけ立派な肩書きや役職を持っていたとしてもこの島にいる住民は皆等しく本島から島流しされた人間たち。いつの日か本島に戻ることを夢見てやまない連中だ。しかし、本島が一度でも島流しをした人物を帰還させる考えなどあるはずもない。かといって憧れが嫉妬となって暴徒と化す危険性もあった。そこで開発者は本島と遜色のない自然や街づくりに着手した結果が現在の人工島である。


 セーレ河に身を投じた陽たちはずぶ濡れになりながらも河川敷へと昇って難を逃れていた。服を乾かす為に焚き火を起こして囲む。夏場だけに衣服が瞬く間に乾いていく。


「冬だったら間違いなく死んでいたわね」


 揺れる焚き火を眺める那月がぼそりと呟いた。


「こ、怖いことをさらりと言わないでくださいよー! そうでなくても水を飲んで死ぬかと思ったのですから!」


「本当に死にそうになったのは俺の方だ。いくら怖いからって水の中で首を絞めるか⁉」


 陽は肩で息をするほどに疲労を露わにしていた。その原因となったのがクラリッサである。彼女を抱えて河に落ちたまではよかったが、その後にあろうことか水中で陽の首に両腕を回して締め付けたのだ。泳げない人が海に落ちて混乱するあの状況と同じである。結果、碌に息つきも出来ない状態で陽はクラリッサを運んだ形になる。多種多様な訓練を受けてきた陽もさすがに首を絞められた状態での水中移動には慣れていない。


 叱られたクラリッサは体を小さくした。風でかき消されそうな小さな声で謝罪の言葉を連発する。その姿は叱った当人が申し訳ない気持ちになってしまうほどだ。


「ほらほら、泣かないの。陽も本気で怒っているわけじゃないでしょ?」


「いや、本気で――‼」


 陽の隣に立つ那月の肘が彼の横腹を突き刺した。思わず陽の口から苦悶の声が漏れてしまう。


「怒ってないわよね?」


 那月は改めて陽に訊いた。その口調は脅迫に似た強さに満ちている。ここで認めなければ肘打ち以上の仕返しを受けると本能が訴えてきた陽は言葉を詰まらせながらも首肯と共に返事した。


「ほ、本当に怒っていませんか?」


 クラリッサは両目を涙で潤わせながら上目遣いで訊いた。か弱さを全面に感じられる姿を見て陽は思わずたじろぐ。嘘をついてでも彼女を守るべき存在だと無条件で思い込んでしまったためだ。これが計算の上で見せる姿ならば計算高くてあざとい女の子だと割り切れるのだが、クラリッサはこれを自然にやってしまうのだからたちが悪い。


「……はぁー。怒ってないからその表情はやめろ。罪悪感を覚える」


「は、はい……?」


 無意識に浮かべているが為にクラリッサは自分がどんな表情を浮かべているのか自覚がないようだ。那月はその様子を見て込み上げる笑いの衝動に堪えている。その必死さに陽は苛立ちを覚えて思わず拳骨を落とした。


「な! なあ! は、母親の頭を殴るとは何事だ!」


「息子の苦しむ姿を見て笑う母親が何を言ってる!」


 代わって義親子喧嘩が勃発しようとしていた。


「け、喧嘩はダメです! 義親子の喧嘩など神様が許すはずがありません!」


 クラリッサが割って入る。お互いの間に入って両腕を伸ばして引き離そうとするも単純な腕力不足で何の抑止力にもなっていない。それどころか圧力に屈して体ごと弾きだされる始末だ。そこでクラリッサが取った手段はもっとも効果的かつ危険な方法。


「喧嘩をやめてください!」


 法術による砲撃だった。宙に展開された無数の陣から光線が絶え間なく降り注ぐ。まさかの攻撃に陽と那月も狼狽えるも冷静に回避していく。回避された光線は地上を穿ち、時には河を穿って水面を噴き上げさせる。土埃が辺りに舞って視界を曇らせていった。


 二人がいくら呼び掛けてもクラリッサは攻撃の手を止める様子はない。


「完全に我を失っているな」


「他人の喧嘩であそこまで本気になれるのはむしろ美点ではあるのだけど、ここ事に至っては面倒な方向にベクトルが働いているわね」


 回避しながらクラリッサを分析していく。


「それにしても法術ってのは無尽蔵に発動できるものなのか?」


 光線の数は減る様子が窺えないことを疑問に思った陽は那月に訊いた。


「どうかしら? 法術は神の力を降ろして発動するということだけど、正直なところ不明な部分が多いのよ」


「そうなると意識を刈り取る方が速そうだ」


 法術の打ち止めはないと判断した陽は無駄のない動きで光線を回避しながら前進していく。その合間に腰に差す刀を前に出す。


「痛いとは思うが勘弁してくれよ」


 一定の距離を詰めたところで地面を強く蹴り上げて一気にクラリッサの腹の下へ潜り込んだ。そして刀の柄底を鳩尾に打ち込んだ。我を失っていた捨て身状態だったクラリッサは苦悶の表情を浮かべた後、意識の糸が切れて全身を陽に預ける形で前倒れした。


「ご苦労様、陽」


「ああ。それにしても気絶させられておきながら安らかな表情を浮かべる……」


 クラリッサは憑き物が取れたかのように不安が一切ない綺麗な表情を浮かべていた。


「気丈に振る舞ってはいたが色々と苦しんでいたのだろうさ」


 吸血鬼事件の真実に近づくに連れて容疑者が身内であることが濃厚になってきた。クラリッサにとっては耐え難い苦痛だろう。それが心労となって今回のような冗談としか取れない喧嘩でも我を忘れてしまうような失態に陥ってしまったと考えられる。


「ゆっくりと休ませてあげなさい。本当に心身共に厳しくなるのはこれからだから」


 陽は那月の言葉に従ってクラリッサをゆっくりと地面に下ろす。それから乾かしていた上着を敷いてその上に寝かせた。

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