第16話 出立×家族×見送る者

 屋敷を出ると夜の帳が下りていた。梢の隙間から星輝く夜空が見える。日が暮れたことで亜熱帯特有の暑さは形を潜め、幾分か過ごしやすい夏の空気が漂う。街中では騒音とされる蝉時雨も広大な森の前では夏の風物詩として彩られ、そこに獣の遠吠えが加わることで演奏の如く音に重厚さが増す。耳を澄ませば岸に波打つ音が聞こえてきて清涼感を与えてくる。イゼッタ一家がこの土地に屋敷を建てた理由がよくわかった。


「随分と長居してしまったようね」


 那月が肩を揉みながら首を回して骨を鳴らす。ポキポキ、とどこか耳あたりの良い音を周囲に振り撒く。一見、年齢を感じさせる仕草も幼い顔と端正な顔立ちを持つ那月がすると一枚の絵のように映える。


「これ見よがし骨を鳴らすなんて爺くさいですよ」


「誰が爺くさいだ。せめて婆くさいと言え」


「それもどうかと思うのですが……」


 コントのような軽快な会話を繰り広げる陽と那月に慣れ始めたクラリッサもついには会話に参加できるまでになっていた。容疑者が身内から浮上したことでクラリッサは肩身の狭さを感じて居心地が悪い。それでは意見を通すどころか発言することすら尻込みしてしまう。それではクラリッサが事件捜査のメンバーに加わっている意味がない。吸血鬼対策の戦力だけならば異名持ちの陽と那月で十分だからだ。


「さて、と。残り一週間で解決させないとな」


 日数制限をかけて意気込みを見せる陽に対して那月は首を傾げた。


「新聞部で夏休みに海で合宿しようという話になっていまして」


「それは凄く楽しみですね! ……でも、新聞部の合宿って何をするんですか?」


「合宿という名の海水浴よ」


「それなら海水浴でいいのでは?」


「それだと部費が落ちないじゃない。でも合宿として学校に活動予定を報告すれば部費が落ちる。本当に狡賢いわね」


 陽が新聞部に所属する際に調の素性を調べ上げておいた那月は彼女の性格を自分なりの表現で褒めた。狡賢いと呼ばれることを喜ぶ火とがどれだけいるかはわからないが、調という人物は素直に喜ぶ姿を陽は容易に想像できた。


「どうです? 那月さんにクラリッサ、イゼッタさんもこの事件が終わったら海で疲れを癒すのは」


「ふふ、いいわね。任務続きで休暇が欲しいと思っていたところよ」


「あ、あの、私も一緒でいいのですか?」


「あらあら、私までお誘いいただけるとはお優しい御仁ですね、漆原さんは」


 三者三様の反応を見せながらも夏休みの予定に乗り気な様子を窺わせる。友達と呼ぶには些か特殊な関係だが、それだけに夏の想い出としては記憶に残るだろう。


「そのためにも事件解決を急がないといけませんね」


 やる気を見せるクラリッサは一足先に森の出口へと向かう。その後ろ姿を陽たちは見て安堵の息を漏らした。


「どうやら無理をしている様子はないみたいね」


「ええ。仲間殺しの容疑者とはいえ同僚ですからね。色々と思うところがあったはず」


「ですが夏休みの予定に心を躍らせる余裕があるのならば大丈夫でしょう。無理をしている様子も見受けられませんね」


 陽たちはクラリッサの心身を案じていた。ここ数日でクラリッサという人物が穢れのない心の持ち主であることを知った。宗教特区の行政で狩り専門の局に所属する者とは何度か衝突したことがある陽と那月にとって彼女のような存在は稀有だ。それらは共通して一度の悲劇が容易く心を壊してしまう。仲間を裏切ったブルーノに彼を陰から指揮しながら口封じで仲間殺しに手を染めたニールセン。許せるはずもない悪行だが、それでも同僚に手をかける行為は辛く、クラリッサがその苦痛に耐えられるのか陽たちは心配していたのだ。


 それもクラリッサの態度や様子から杞憂だと実感した。心配かけないようにクラリッサが心を殺している可能性も完全に消すことはできないが、感情を殺せる器用さを彼女が持ち合わせているとは思えない。それが陽たちの判断だ。


 陽は身を翻してイゼッタに頭を下げた。


「では、自分たちはこれで」


「は。ですが本当にいいのかしら? 殺人未遂とはいえ、吸血行為は事実ですよ? それに私が真実を言っているとも限らないのに……」


 イゼッタは頬に添えて小首を傾げる。その仕草も美貌からもイゼッタが一児の母には到底見えない。それに陽たちもイゼッタの言葉が全て正しいと鵜呑みにしているわけでもない。


「嘘だったのであればそれ相応の処置をするだけのこと」


 先程までの友好な態度から一転、陽の表情や声音や視線といった感情の全てが酷く冷たいものとなった。それらを一身に浴びたイゼッタは改めて目の前にいる少年が異能特区の行政でも汚れ仕事を専門とする執行者であることを最認識した。


「一応確認しておきますが、嘘ではありませんね?」


「もちろんです」


「それであれば問題ありません。これでよろしいですね、那月さん」


「その辺り陽を絶対的に信頼しているから任せるわ」


 那月の口調からも陽に向けた信頼感の強さが第三者のイゼッタにもわかった。


「ふふふ、本当に好き関係ですね」


「家族みたいなものですから」


 眩しいほどの笑顔を浮かべて言った陽は改めてイゼッタに頭を下げてクラリッサの後を追うように森の出口に向けて歩き出した。那月も無言で頭を下げると陽の隣で肩を並べて歩いて行った。


「家族、ですか……。やはりよいものですね、家族というのは……」


 イゼッタは寂しさと憧れ、喜怒哀楽に満ちた瞳を陽たちの背に向けながら去って行く彼ら彼女らの安全を祈りながら送り出した。

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