第13話 獣の王×選択×協力

 死の森の獣たちは記憶にない臭いを嗅ぎ取った。否、それと似た臭いはこれまでに嗅いだ覚えがある。それは同じ住処で暮らす人間の女とは別の記憶だ。だからこそ広大な森の中で少数の臭いに気付くことが出来た。しかし、獣たちは直ぐに行動を移すことはしなかった。


 まずは偵察。相手を知ることから始めたのだ。それは獣とはかけ離れた知性であり、死の森で進化した獣の真の姿である。


 偵察するために先行した獣たちは眼と鼻に特化していた。数キロ先まで見通す視覚を持ち、雨風で流された臭いすらも嗅ぎ分けるほどに発展した能力は死の森に足を踏み込んだ陽たちを難なく発見した。侵入者の数に対して偵察隊の数は勝っていて、相手は獣たちの存在に気付いていない。奇襲をかけるには絶好のチャンスである。それでも偵察隊が仕掛けることをしなかったのは獣ならではの闘争本能が勝負する前に敗北を訴えたからだ。


 偵察隊の獣たちは陽たちから気付かれない絶妙な距離を保ちつつ尾行を続けた。息を殺し、藍音を消し、完璧なまでの尾行は陽たちが屋敷に到着するまで無事にやり遂げた。陽たちが屋敷内に入ったのを確認して遠吠えをひとつあげる。それが待機している同族たちへの合図だ。遠吠えに応えて次々と獣たちが屋敷に集合していく。その中には肝試しにきた若者を襲った猪もいれば、その巨体を上回る獣までいる。まさしく怪物オールスターズだ。


 屋敷の外に出た陽たちは夥しい数の獣たちをその目で見た。大中小と体躯の大きさは様々だが、共通することがあるとすればデータベースには記録されていない獣たちであること。


「ここまで揃うと壮観ね」


 ずらりと並ぶ獣たちを眺める那月は感動の声をあげた。その態度はとても命の危機を前にしている人物とは思えない。恐怖するどころか楽しんでいる節が見えるほどだ。


 それは相棒である陽も同様だった。


「映画でも鑑賞しているみたいだ」


 傍からすれば現実逃避をしている発言にも取れるが、陽が見せる余裕な態度を目にすればその言葉が現実逃避でも強がりでもないことがわかる。それがわかるだけに二人と共にするクラリッサは陽と那月が正気の沙汰とは思えなかった。それこそ自殺願望を抱いているのではないかと疑いたくなるほどだ。


「失礼するわね。この方、自殺願望を抱いたことなんて一度もない」


「右に同じく」


 声に出してもいないのに心の声を読まれたクラリッサは動揺した。


「声に出さずとも顔を見れば何を考えているかわかるわよ」


 呆れた表情を浮かべながら那月は言った。どこか抜けている性格も含めて、クラリッサという人物は傍目から見てこれ程わかりやすい人間はいない。


「まあ、貴方は下がっていなさい。神に仕える者として無駄な殺生は禁じられているでしょうから」


 クラリッサの立場を気遣った那月は戦闘の意志を示すように前に出た。それに合わせたのは陽だ。利き手に一本の刀が鞘に納められた形で握られている。


「あれ、倒せる?」


「難しいでしょうね……」


 陽はあっさりと否定した。彼も十体程度であれば倒せるだけの腕があることを自負しているが、見る限りその十倍はある獣たちを前では強気も尻込みしてしまう。それでも戦わなければならない理由がある限り陽と那月が引き下がることはない。


 那月は仕込み日傘を、陽は抜刀しようと手にかけようとした矢先、その声は獣集団の奥から届いた。低くて重たい、深みのある声だ。


「武器を収めよ、人の子」


 波のように引く獣たちの群れの中から姿を現したのは巨大な体躯を持った狼だ。月光の如く輝いた銀色の毛並みは思わず目を奪われてしまう程の魅力に満ちている。何より特筆すべきは圧倒的な存在感。そこにいるだけで平伏してしまいそうになる威圧感と無条件で無意識に従いたくなるのは紛うとなき王の素質だ。


 陽と那月も例外なく獣の王の声に従って武器を収めた。


「何用でこの森に参った?」


「とある事件の調査だ。この森に不審な人物が入って行く情報を得たものでな、それを確認するべく入らせてもらった」


「その不審人物の目撃情報があったのは若者たちが同胞の手によって捕食された夜のことであるか?」


「そうだが――」


「であれば、その不審人物とはその屋敷の主人で間違いなかろう」


「どうして断言できるのかしら?」


「その若者たちを襲った同胞が喰らった後、その人物を屋敷まで送り届けたと聞いている」


「それを信じろと?」


「信じるか信じないか貴様たちの自由だ。信じずにこの森に居残るのもだ。だがそのときは我らから常に命を狙われる立場であることを覚悟していてもらおう」


 選択肢があるようでないことに陽は内心で舌を打つ。ここで調査の続行を明言することは自分たちを囲む獣たちが一斉に襲い掛かってくるということだ。そうなれば調査どころか帰還することも難しくなる。


「……わかった。ただ一つだけ教えてほしいことがある」


「……言ってみるがよい」


「獣の中には人の血を糧で生きる種。或いは好む種族はいるか?」


「なるほど。事件の調査とは巷で騒がれている吸血鬼のものか……」


 獣の王はちらりと陽たちの背後に控えるイゼッタに視線を送った後、すぐに陽たちに戻した。


「外の獣たちについては何とも言えぬが、この死の森に棲む者にはいないと断言しよう。獣の本質は捕食ゆえな」


「もうひとつ。できれば今後も彼女と出逢う場だけは森の入場を許可してほしい」


 獣の王は再度、イゼッタに視線を送ると、彼女はそれに合わせて頷いた。


「よかろう。ただしその際は我らの誰かが入り口から案内する形とする」


「それで構わない。寛大な心遣いに感謝する、獣の王よ」


「なに、我らは静かに暮らしたいだけだ」


 そう言い残して獣の王は去って行く。それを解散の合図として他の獣たちも屋敷から去って行った。


「……どうやら認められたみたいね」


「ええ、その通りです」


 安堵の声を漏らした那月の言葉をイゼッタは肯定した。


「あれは見込みのない人間には選択する権利すら与えないですから」


 つまり陽たちは獣の王に認められた数少ない人間である。そして最初の一人が彼女だったのだろう。


「貴方がたならば吸血鬼事件を解決できるかもしれない。私が息子ならざる者と知りながら吸血行為をさせてきた理由。死の森が生まれた理由。そしてこの事件の背後で暗躍する人物たちの目的を解決できることが」


 イゼッタはこれまでにない真剣な眼と口調で陽たちに事件解決の手助けをすることを了承するのだった。

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