第12話 覚悟×地下シェルター×襲撃
宗教特区の人里から離れた場所に屋敷は建てられた。海を一望できるロケーションに走り回れるだけの広い庭。移動には少し不便な所はあるが、それよりも心を豊かにする風景と環境をイゼッタは好きだった。三歳年上の夫と二歳の息子に両親に囲まれた生活は彼女が思い描いた理想の家族で、このまま幸福の時を過ごせると信じて疑わなかった。
幸福な生活は一瞬にして壊れた。前触れもなく屋敷を深い森が覆い隠したのだ。海を一望できるロケーションも木々に邪魔され、走り回れた広大な庭も蔦が這い、見覚えのない不気味な花が咲く。動物にも変化が生じて凶暴性を増し、その姿を大きく変化させた。事態を把握しようとイゼッタの夫は家族を屋敷に置いて森の中へと足を踏み込み、そして命を失った。息子と両親は植物が放出する胞子や鱗粉に触れたことでアレルギーを発症させて命を失った。そしてイゼッタ一人だけが屋敷に取り残されて現在に至る。
初めて自分の昔話を聞かせたイゼッタは口休めに紅茶を飲み、それから緊張を解くように息を吐いた。話を聞いていた三人も息を忘れていたかのように荒く呼吸を始めた。そんな様子を見たイゼッタはくすりと笑った。それは陽たちの反応がおかしかったからではなく、自分の話を最後まで真面目に聞いてくれたことに対する喜びの笑いだ。だからこそ彼女は真実を伝える時がきたのだと覚悟を決めた。
イゼッタはティーカップをソーサーに置いて立ち上がった。
「私に着いてきてもらえますか? 皆様にお見せしたいものがあります」
イゼッタは返事を待つことなく席を立った。陽たちは顔を見合わせながら頷くことで意見を一致させ、イゼッタの背を追う。
イゼッタが向かったのは二階の一室。古びた鍵で解錠された扉が開く。室内に広がるのは暗闇の空間。そして螺旋を描いた階段が地下に伸びていた。イゼッタは扉前の小机に置いていたランプを手に取って火を灯し、それを掲げて階段を下りて行く。辛うじて眼前と足元が照らされただけの淡い炎をだけが頼りだ。
「イゼッタさん、この階段は?」
「地下へと繋がるものです。屋敷を建てる際に造った避難シェルターがあります」
陽の質問にイゼッタは淡々と答える。彼女の言葉通り螺旋階段を下りた先には施設があった。傍目からでも分かる頑丈な壁が目立ち、イゼッタの手によって開かれた扉も幾層に重なった重厚な造りである。
室内はドーム状に広がっていた。全面を白色で統一することで室内に明るさを生み、僅かな光でも十分な効力を発揮する。シェルターと分かる重厚な外殻とは裏腹に、室内は生活感に満ちたものとなっていて、冷蔵庫や台所、そしてリビングを彷彿とさせる部屋作りは一般家庭そのものである。所々に幼い子供の玩具が転がっていた。
クラリッサは転がる玩具の一つを手に取った。
「散らかっていて申し訳ありません。息子のトーマスは片付けが苦手でして……」
「え? でも息子さんは既に――」
死んでいる、と伝えようとしたクラリッサを陽が手で制した。それはイゼッタを気遣ったためではない。彼女が息子の死を受け入れていることは昔話を語ってくれた時点でわかっているからだ。それにも関わらず息子の話題を振ってきたのはこの地下シェルターに自分たちを連れてきたことに関連するのだと陽は考えた。
その予想は的中した。イゼッタによって連れて行かれた地下シェルターの一室で陽たちはそれと出逢った。双眸から右頬を隠す仮面を装着した人型が液体の入った巨大な筒の中に浸けられていた。巨大筒の隣には屋敷とは不相応な精密機械がずらりと並び、その一部から伸びるチューブが巨大筒と繋げられている。それは液体漬けにされている何者かの口を覆い隠すマスクから酸素を送るための機材だ。
「……彼が息子なのですね」
「え? それって……」
陽から告げられた言葉にクラリッサは信じられない目で筒の中で眠る者を見た。
「息子さんは死んだ。あの昔話は嘘だったのですか⁉」
修道女としてだけではなく一人の女性としてクラリッサは感情を爆発させた。どんな事情があったとしても最愛の息子の生死を弄ぶ行為が許されるものではないからだ。
「嘘ではありません。息子だけではなく、私を除いた家族は皆、死にました」
「で、では、陽さんの勘違い?」
「いえ。彼の言葉もまた真実です」
理解の追いつかずクラリッサは混乱する。息子は死んでいて、でも目の前にいる人は息子。矛盾しているのだから理解が追いつかないのが正常である。
「この子は命を失った息子が成長した姿。他人の血を栄養として身に取り込んだ姿です」
「つまりイゼッタさんの息子さんが吸血鬼の正体⁉」
自分でもわからない程にクラリッサは何度も驚愕した。
「吸血鬼ですか……」
イゼッタは悲しそうな瞳を浮かべながら息子が浸かる透明の筒に手を触れさせた。
「骨格は全て機械仕掛けなので吸血鬼と呼ぶには近代化していますね」
儚い表情で笑った。少し衝撃を与えるだけで壊れてしまいそうな硝子の心なのだと手に取るようにわかる。辛うじて堰止めているのは母親としての愛情か責任感か、或いは息子を死なせてしまったことに対する罪滅ぼしなのかもしれない。
イゼッタとは正反対にクラリッサの感情は再燃していた。目の前にブルーノを殺した張本人がいるのだから彼女が怒りを露わにするのも当然だ。それでも爆発させないのはイゼッタに同情してしまう部分があるから。そして彼女のような心に傷を負った人たちに教えを説いて導くのが修道女としての役目だ。
感情と使命感がせめぎ合うクラリッサの様子を窺っていた陽と那月は彼女の前に出て会話の進行役を切り替えた。
「ではイゼッタさんは巷で噂になっている吸血鬼事件の犯行を認めるのですね」
「そうですね。吸血行為をした、という部分だけは認めます」
「それはどういう意味で――」
陽がイゼッタの含みのある発言を問い詰めようとした矢先、地上から轟音と衝撃音が下りてきた。
「……どう考えてもトラブルが起きた音ね」
那月は面倒事が起きたのだと嘆息した。
「あらあら、どうやら森の住民たちが貴方たちを嗅ぎつけたみたいですわ」
「森の住民ということは――」
「はい。この森を住処とする動植物の変異種ですわ」
イゼッタは両瞼を閉じて少し思考に入ると、閃いたように両瞼を開けた。
「試してみることにしますわ。貴方たちが吸血鬼事件を解決するだけの力があるのかどうかを」
「何を言って――」
陽の言葉を遮るように地上から再び激しい衝撃が地下を揺らした。この事態を危険だと判断した那月は優先事項を陽とクラリッサに伝える。それは皮肉にもイゼッタの試練を受ける形になるのだった。
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