第7話 風花×雷閃×女教王
思想はもちろん、崇める神様も違う。宗派によって組織の規模も異なり、全ての教会が仲睦まじく手を取り合っているわけではない。むしろ思想の違いで険悪な関係を築いている教会の方が多い。情報規制を敷くことで公表はされていないが、教会同士の小競り合いなど幾度と勃発しては宗教特区内で被害を出している。大規模な宗教戦争が起きていないことが不思議なくらいだが、それを辛うじて食い止めているのが行政だ。
その方法は力任せに等しい。小競り合いしている中に強制介入して武力行使で鎮静させるというものだ。言葉にするのは簡単だが、実働に移すとなるとハードルは高い。規模にもよるが教会によってはひとつの軍隊と遜色のない戦力を保持しているのだ。それを武力で打ち負かすのだから凄い。それは同時に行政の実力を証明するものでもあり、そのおかげで小競り合い程度の争いで済んでいるのが現在の宗教特区の姿である。
ブルーノの死体を布で巻いて陽が背負い、那月を先頭に三人は総術特区の教会から脱出した。巡回していた魔術師たちは統括者が死んだことで指揮系統が混乱させており、そちらの対処に追われていた。そのおかげで難なく総術特区の脱出を済ませて一行は宗教特区に帰還していた。
宗教特区の北に位置する所に行政の施設がある。海を背中に教会の形をモチーフにした十階建てだ。最上階の正面側には巨大な十字架を胸元に持つ女神像があしらわれている。
行政の事務に案内される形で一室に通された。怪我人のクラリッサは医務室へと運ばれ、陽と那月は待合室で待機を命じられた。
「結局は宗教特区にも訪れることになりましたね」
陽と那月が立てた当初の計画では宗教特区に訪れてから総術特区に向かう流れだった。当時の目的は吸血鬼事件の調査。しかしその途中で異能特区の行政からクラリッサたちの救援の任務が届けられた。その結果、吸血鬼事件にも進展に繋がる。
「招待されるのと不法侵入では随分と違うさ。それよりも今後の展開を考えておくべきだな」
那月が言う今後の展開とは宗教特区から受けた任務についてだ。任務内容であるブルーノとクラリッサの救出は半分成功の半分失敗という形で終えた。それは追及される可能性を孕んだものである。
「ブルーノを救えなかったことで完全な貸しを作ることができなかった。私たちはその部分をどうにか補う必要があるだろ」
「そうなると何を要求してくるか……」
陽と那月は要求されるのが何か予想を立てては声に出して意見を交わす。しかし、そのどれもが予想の範疇から出ない。
「わからないことと言えば、吸血鬼はどうしてブルーノを標的にしたのでしょうか?」
「……どういう意味だ?」
陽の言葉に那月は小首を傾げた。
「これまでの被害者は一般市民と呼ばれる者たちです。一人や二人ならともかく、それが十人も連続すれば対象は一般市民に絞っているのだと思っていました」
「……なるほど。ブルーノとやらはその枠に当てはまらない」
「はい。ですがここにきて裏側に精通する彼を狙った。これは偶然でしょうか?」
「……におうわね」
陽の疑問に那月も共感した。だがいくら思考を働かせても明確な答えが弾きだされることはないとも那月は思う。吸血事件に進展はあっても動機は不明瞭だからだ。それでも考えることに無駄はない、と那月と陽はこれまで通り思考を働かせようしたところに案内役が訪れた。那月と陽は思考を一端中止して、案内される形でとある一室に入室した。
部屋には法衣を着用した女が席に座って二人を待ち受けていた。
「お待たせして申し訳ありませんでした。ご存知かと思われますが、名乗らせていただきます」
部屋の主は豊満な胸に片手を添えた。
「宗教特区を取り纏めています、オルガ=クーリナです」
特区の頂点に立つ者とは思えない物腰の低さだが、当人と直に対面している陽と那月は息苦しさを覚えていた。
(そこにいるだけで他者を圧倒する存在感――)
(正真正銘の“王”というわけか……)
口裏を合わせたわけでも意思疎通をしているわけでもないのに陽と那月がオルガに対する印象は同じものだった。
オルガ=クーリナという女性は《女教王》の異名で知られている若き主導者だ。その出生は謎が多く、最初に姿を見せたのは教会間で起きていた宗教戦争である。颯爽と姿を現したオルガは他者を寄せ付けない圧倒的な武力を持って事態を鎮圧。深刻化を見せていた宗教戦争を治めた。その功績が買われて彼女は若干、二四歳という若さで主導者の座に就いた。一体、何者なのか、出生の謎も相まって様々な憶測が飛び交う最中で彼女は神聖化され、現在では恐れと畏れを備え持つ女教王として君臨している。
存在感に圧される形になった陽と那月だが、それぞれ心を落ち着かせて平常心を取り戻した。
「異能特区行政執行部“執行者”天瀬那月です」
「同じく漆原陽です」
「存じ上げております。《
オルガが言う通り那月と陽の異名は一般市民でもない限り知らぬ者はいない。それ程に有名人なのである。
「ですが……。いえ、だからこそ今回の一件は残念でありません。貴方がたであれば二人を無事に救出できると信じていました」
オルガから落胆の色が見てわかる。そこまで露骨な反応をされては那月も陽も文句のひとつ付けたいところだが、事実なだけに反論の余地がない。何より危惧したのは主導権を持って行かれることだ。
だから那月は余計な会話を捨てて単刀直入に発言した。
「何がお望みですか?」
「――犯人の身柄」
「……解決ではなく身柄の要求ですか?」
陽の問いにオルガは頷く。陽は理由を問い詰めようとするも那月が手で制した。下手に詮索することで自分たちに禍の火の粉が降り注ぐ危険性があると判断したからだ。
「わかりました。ですが命の保証まではできません。それでもよろしいですね?」
「ええ、生死を問うつもりはありません。ええ、生死に左右されることではないでし
ょうから」
(生死に左右されることはない?)
オルガの言わんとしていることが陽には理解できなかった。おそらくは彼女だけが知り得る何かがある、ただ漠然としたものが彼の中にあった。
「その旨は私自身が特区に伝えておきます」
「ふふ、よろしくお願い致しますね」
「はい。それでは自分たちはこれで――」
「そうでした! クラリッサを連れて行ってもらえませんか? 彼女のことですから放置しておくと単独で動いてしまいそうで……」
「……承知しました」
「ありがとうございます。クラリッサには入り口で待機するように言っておきますので。それではご武運を。無事に解決することを祈っています」
オルガの激励に陽と那月は頭を下げることを返事とし、部屋から出て行った。
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