第6話 修道士×仮面男×第三者の女
陽とクラリッサが合流し、那月が魔術師の統括者を殺すよりも以前、ブルーノが潜伏していた教会に一人の客人が訪れていた。客人は探索する素振りも見せずにまっすぐ教会の奥部屋の扉を開き、そこでブルーノを発見した。ブルーノもまた教会の扉が開いた音と、その後に続いた床を打つ靴音からクラリッサではない誰かが訪れたのだと確信していた。
真正面から視線が交差する。お互いに動じる様子は見せないが、身動きが制限されているブルーノの内心は焦りの色で染まっていた。来訪者の正体も目的もわからない上に命を奪いにきた魔術師であれば今のブルーノに反撃する手段はない。
「まどろっこしいのは嫌いでね。……あんたは俺の敵か?」
「…………」
来訪者から返事どころか仕草も返ってこない。表情から読み取ろうにも双眸から右頬まで伸びた仮面が邪魔をする。
「無視かい? 喋れないというわけでもないだろ?」
ブルーノは挑発的な口調で喋りかける。この際、返事は求めていない。挑発に乗ってくることに越したことはないが、一方的にでも声を掛けることで時間を稼ぐことが出来れば救援を引き連れたクラリッサが帰還するかもしれない。ブルーノはその可能性に賭けた。
(見え透いた挑発に乗らないか……)
案の定と言うべきか、来訪者からの返事はない。この事態は予測できていたブルーノも無言を貫かれては精神的に辛い。
静寂な空間が教会内に広がる。一切の音が遮断されたかのように外からの雑音は届かず、まるで現実から切り離されたかのような錯覚を覚えてしまう。
鼓膜を揺らすのはブルーノの息遣いだけ。普段は気にならない息遣いも静寂空間では煩く聴こえてしまう。そんな状態だからこそブルーノは来訪者の異変に気付いた。
「まさか本当に――」
「そこまでです」
「――っ⁉」
ブルーノの心音が跳ね上がった。自分と来訪者しかいなかったはずの空間に第三者の声が介入したのだから当然の反応である。
(いつのまに⁉ 気配どころか足音すら気付かなかった……)
「これは失礼。どうやら随分と驚かせてしまった様子。謝罪致しますわ」
第三者は女性の口調で語り掛けてきた。声音からして齢四〇程度だろうか、全身を覆うローブのフードを深々と被っていることで素顔までは把握できない。
「……この無口の来訪者はあんたの連れか?」
「ええ、そうよ。挨拶もできなくてごめんなさい」
「まったくだ。教育がなっていないんじゃないか?」
「本当にごめんなさい。でもね? 仕方ないのよ。だってこの子、教育を受けること
なく死んじゃったから」
「なに? 何を言って……」
「済ませなさい、我が愛しの子」
ブルーノが第三者の女の言葉に理解が及ばずとも彼女の声に従って仮面の来訪者はブルーノとの距離を縮めてきた。膝を曲げて屈伸する形で姿勢を止めて大きく口を開いた。
開かれた口から剥き出しになったのは鋭い二本の牙。唾液に満たされた牙は微かに輝き、牙の先端から零れ落ちる。唾液がブルーノの頬に落ち、そこから徐々に垂れていく。
二本の牙は獣のそれよりも鋭利で凶悪な型を持つ。まさしく架空の怪物、吸血鬼を彷彿させるものだ。
正体を知ったブルーノは血の気が引いて顔色を青褪めた。眼前の脅威から逃げようにも体が動かない。それは怪我による後遺症ではなく、全身を襲う痺れによるものだった。辛うじて動く視線だけを落とせば頬から何かが溶けるような音と煙が立ち昇っている。
「そうそう、伝えるのを忘れていました。その子の唾液には酸性による麻痺毒の成分がありますの。即効性ですからお気をつけくださいね」
第三者の女は口角を吊り上げて小さく笑って見せた。素顔が見えなくとも笑みの形だけで彼女の持つ妖艶さを窺わせた。ブルーノにとっては絶望の笑みだ。
二本の牙がブルーノの首元に迫る。体を動かそうと必死に抵抗するも意志とは反して微動だにしない。青褪める顔色に加えて恐怖が表情を歪めていく。叫び声をあげようにも唾液の麻痺毒は舌すらも痺れさせていた。声にもなっていない苦悶の叫びが教会内に木霊した。
それから数分して苦悶の叫び声は途絶えた。
◇
陽たち一行が教会前に到着した。
不気味な静けさが辺り一帯を覆い、夏にも関わらず肌寒さを覚える。合流してから一度も遭遇することのなかった魔術師の気配もなく、一言で表すならば安全地帯だ。しかし、陽と那月は形容しがたい違和感に苛まれていた。対してクラリッサはそこまでの余裕はなく、間髪入れずに教会へと踏み込んだ。陽と那月は視線を合わせて意思を疎通すると同時に頷き、クラリッサの背を追いかけて教会に入った。
教会内に悲鳴が上がった。
クラリッサのものだ。それは教会の奥部屋から届き、陽と那月は顔を見合わせた後、駆け足で向かった。
「そんな……ブルーノさん……」
奥部屋ではクラリッサが両膝を崩して床に座って涙を流していた。涙を流した先には干からびた男の死体が壁に背を預ける形で死に絶えている。クラリッサの反応からして死体が救援対象の一人であったブルーノだと陽と那月は確信した。
涙を流しながらも呆然とするクラリッサを那月が優しく死体から離すと、支える姿勢で奥部屋から出て行った。比較的、状態の良い木造の椅子に座らせたのと同時にクラリッサはその意識を失った。那月は心音に脈拍、呼吸間隔を確認して状態を確認した後、奥部屋へと戻ってきた。
「彼女は大丈夫ですか?」
「気絶が功を奏したな。意識があったときよりも状態が整っている」
「そうですか。……おそらく仲間の死を直面するのは初めてだったのでしょう」
「あの様子からするとそうなのだろうな……」
那月はクラリッサの事を気に留めながらも死体の傍に寄って腰をかがめた。
「首元に二本の牙による傷痕。手口は一緒だな」
「ええ。クラリッサと合流した時間から逆算して、殺されたのはつい先程ですか」
紙一重で犯人とすれ違う形になったことを陽は悔やむ。
「……微かに酸性の臭いがするな?」
「酸性ですか?」
陽は死体とその周囲に視線を配った。
「周囲に影響はなし。頬の骨が他の所と比べると溶けているようですね。箇所と位置からして――」
「犯人の体内で生成されたもの、と考えるのが妥当だな。おおかた唾液といったところだろう」
「骨を溶かす程の唾液ですか。ますます人間離れしてきましたね」
「ああ……」
どこか不意に落ちない表情を浮かべる那月は周囲に視線を配って観察していく。教会が建てられた年月や放棄されてからの年月はわからないが、老朽化の具合から相当な年月が経過していることは容易くわかる。雨風に晒されて屋根は腐り落ちて筒抜けになり、遮る物がなくなった室内も酷く朽ちている。それらは放棄されて自然の力に晒された建造物ならば別段珍しくない光景だが、那月の目にはそれが不自然に映った。
彼女の目には風化による光景が綺麗に残り過ぎているように映ったのだ。
「おかしいとは思わぬか? 命を奪う者と奪われる者が邂逅しておきながら、この部屋には戦闘した形跡がない」
那月の疑問に倣って陽は改めて部屋全体に視線を配った。彼の目にも自然で朽ちた部分だけが映った。
「……確かに」
「クラリッサの言ではブルーノとやらは怪我を負っているとことだったが、まったく身動きできないような重傷ではない」
那月はブルーノの死体に視線を落とす。
「まして外法狩りの修道士。実力の程はわからないが、命の危機を前に抵抗しないような人種ではあるまい」
「そうなると身動きできない事情があった……。酸性……唾液……、仮にそれらが体の動きを奪う要素があるとしたら麻痺毒といったところでしょうか?」
「どうやって唾液で麻痺を生成させたのかわからないけど、おそらく間違いないわ」
「そうなってくると本当に吸血鬼の仕業だと疑いたくなりますね」
「あら? 吸血鬼の唾液には麻痺毒が含まれているのかしら?」
「架空の怪物ならその程度の隠し要素があってもおかしくないというだけですよ」
人間離れした意味で吸血鬼の仕業だと発言した陽にとって那月の問いに対して明確な答えはなかった。だから適当に誤魔化し、奥部屋から去る。しかし、那月は納得がいかなかったようで、陽の後に続いて部屋を後にしてからも質問を続けるのだった。
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