第8話 死の森×若者集団×ローブの女

 現代より昔――。


 とある人工島のとある一角に深い緑色で覆われた一帯があった。


 鬱蒼とした森林地帯である。太陽の光も通さないほどに枝葉が密集した森林は常に湿気が充満する不快な環境を生み出す。人工島で唯一の亜熱帯気候となる森林では未確認の動植物が誕生していく。生命の神秘や誕生を研究する学者たちにとっては浪漫の塊のような環境だが、いざ調査に当たった学者たちは口を揃えて無謀な調査だと言った。


 独自の生態を築いた森林の動植物は人間すら捕食してしまう凶暴性に目覚めていた。多くの調査団が犠牲になった事態を重くみた各特区は手練れを集めた討伐隊を結成した。皮肉にも人間の死が一時的とはいえ、不仲の五特区に協力関係を結ばせることになった。


 集められた手練れの中でもひと際、優秀とされる異名持ちを隊長として小隊を組み、二小隊一チームという形で森林に踏み込んだ。急造チームとはいえ優秀の集まり。臨機応変に対応することで森林の奥へと進行していく。その連絡は森の入り口に設置された司令部に逐一で届けられていた。


 連絡が最後に届けられたのは森林の中間地帯。結成した全四小隊すべてがそれより先から連絡一切途絶えた。


 通信機の故障でもなければ電波障害でもない。司令部が最後に聞いた連絡は激しい戦闘音と討伐隊の悲鳴、断末魔だったからだ。状況を把握しようにも応答はなく、少しして元の静けさを取り戻す。その瞬間、司令部は全滅したのだと確信した。


 それ以降、討伐隊が結成されて森林に派遣されることはなくなった。森林から変異種の動植物が出てきて被害を及ばすこともなく、こちらから寄り付かない限りは安全が保障されているのが派遣を取り止める決め手となった。そしていつしか死の森と呼ばれるようになると、世間から危険区域という常識だけが残り、かつて大量の行方不明者を出した惨劇は歴史の闇へと消えていった。


 そして現代、その死の森に近寄る者がいた。立ち入り禁止の看板や柵を無視して区域に侵入するのは若者の集団だ。時間は深夜帯。夏の風物詩の一つとして数えられる肝試しをする絶好のスポットとして選ばれた。


 立ち入り禁止区域に足を踏み込んだ若者たちは真夏にも関わらず肌寒さを覚えていた。息苦しさや全身を倦怠感にも襲われ、能天気な若者たちでも不気味さは拭えない。引き返そうと提案するのは女性陣。対して男性陣は怖がる女性陣に少しでも格好いいところを見せようと余裕な態度を見せる。絵に描いたような典型的な一場面だ。


 格好いいところを見せようと意気込んでいた男性陣も森林の入り口に近づくに連れて口数が減っていき、いざ入り口前に到着した頃には恐怖で顔を引き攣っていた。


「ね、ねぇ? 帰らない?」


 一人の若い女が声を詰まらせながらも言った。それを皮切りに彼女の意見に賛同する声が相次ぐ。しかし、一人の若い男だけは反対した。


「なんだよ? ここまで来ておいて帰るとかダサ過ぎだろ」


 若い男は友人の制止を振り切って森の中へと入って行った。取り残される形となった友人たちは互いに互いの顔を見合わせる。彼ら彼女らの本音はこのまま引き返したい。しかし、それは友人を見捨てるのと同義だ。仮に被害があっても制止を振り切った友人に全ての責があるのだが、目覚めの悪いことに変わりはない。その結果、取り残された組の若者たちも森の中へと足を踏み込もうと決心した。


 その矢先だった。森の中から友人の悲鳴が届いたのは。悲鳴に若者たちは慌てふためく最中、いち早く正気を取り戻した若者が助けに入ろうと森の入り口に差し掛かった。その行動を制止する者はおらず、寧ろ先程までの恐怖も忘れて我先と助けに入ろうとしていく。友人に限らず、誰かの命の危機を前にすれば当然の行動である。


 しかし、彼ら彼女らを呼び止める声が届いた。聞き覚えのない声に訝しみながらも若者たちは声が聞こえた背後を振り返った。


「その森に入るのはやめておきなさい」


 全身をローブで覆い隠してフードを深々と被った人が立っていた。素顔がフードの影に隠れていてはっきりと映らないが、声音から女性であることが分かる。


「だ、だけど友人が森の中に入ってしまって……」


「その友人は悲鳴を上げた?」


「は、はい! それを聞いたから助けに行こうと――」


「既に手遅れだから諦めなさい」


 あっけらかんとローブの女は言った。その態度に怒りを覚えた若者の一人が反論する。


「なんで確認もしていないのにそんなことがわかるんだよ⁉」


「それはここが死の森だからよ。一度、足を踏み込めば決して生きて帰ってはこれない。君たち若者でも知る常識よ?」


「それは……」


 死の森に入ってはいけないということは若者たちも知っていた。何故、立ち入り禁止区域に指定されたのかその詳細は知らなくとも、常識として知っていた。ただ話題と刺激に飢える若者にとって謎という言葉の響きは好奇心をくすぐるもの。それが肝試しを死の森で実行しようとしたことに繋がる。


「今すぐ帰りさない。その友達にしても自業自得なのだから貴方たちが気に病む必要

はないわ」


「で、でも……」


 決心できずに食い下がる若者たちの姿にローブの女は小さく溜め息を漏らした。


「親切心は素直に聞き入れておくべきだと思うわよ? 時間をかければかけるだけ貴方たちの命すら危うくなるのだから」


「それってどういう――」


 ローブの女が放った言葉の意味を問おうとした矢先、森の方角から雄叫びが届いた。空気が鳴動して全身を襲う。咄嗟に耳を塞ぐも恐怖で若者たちは腰を抜かしてその場に座り込む。


「ほら? 貴方たちが素直に聞き入れないから狩人が来てしまったわ」


 森の中から姿を見せたのは巨大な猪。その体長は裕に三メートルを超えている。鼻息が荒く、分厚くて鋭い牙が剥き出しになっている。大量の涎が地面に垂れ、巨大な口の中には人の腕と思われし物体が血塗れ状態で入っていた。


「な、なに、あれ……」


 全身を震わせながらも声を絞り出した。


「見ての通り猪よ。ただし変異種ではあるけど」


 若者たちとは正反対に冷静な口調でローブの女は説明する。それから若者たちを置いて足を森の入り口へと進めていく。彼女の背後からは若者たちの制止の声が届くもローブの女は聞き入れず、猪の隣に立った。互いの視線がぶつかるも、猪がローブの女に牙を剥く様子はない。


「心配は無用よ。私はこの森で生きているから認められているの」


 それならば自分たちも助かる。若者たちは僅かな希望に安堵したのも一瞬、ローブの女の一言で再び絶望に落とされた。


「でも貴方たちは森の住民ではなく獲物だからさようならね」


 ローブの女は助けを呼ぶ声を無視して森の中へと消えていった。その背後では男女の悲鳴が上がっていた。ローブの女は一度も振り返ろうともせず、無関心を貫く。そのことで彼女は気付かなかった。


 この一部始終を見ている人物の存在に。

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