第25話 生命の魔女と死霊使い

「どうした?」

「あの子に任せるみんなの判断はこの際いいとするわ。けど、それだけの力があるなら、言っておかなきゃならないことがあったんじゃない?」

「言っておかないといけないこと?」

「お城、壊さないでね、って」

「……急ぐぞみんな! このままだとララさんに殺されーーーー!」


 突然爆音が響き、大気が震えた。森の木々は葉を激しく振り合わせ、獣たちはざわめきだす。

 ロメロは衝撃が飛んできた方向へと顔を向けると、そこには、中庭から真っ赤な炎と黒い煙を吹き出す古城が見えた。

 カスミが出発して十五秒。距離は七百メートルほど。時速にしておよそ百七十キロメートルである。


「急げえええ!」


 ロメロの叫び声と共に、一行は駆け出した。





 古城に到着し、灰色の煉瓦でできた建物群を抜けると、すでに地獄絵図は完成していた。

 もともと歩く死体ウォーカーだった者達は、黒い炭の塊となって土と同化している。大陸の魔物たちも、まるで割れた陶器の人形のように体の各部を欠損し、沈黙していた。

 なにをすればこのような状況になるのか。その答えはすぐにやって来た。


「きゃははは! そーれ、マジカル☆ナパーム!」


 尖塔の天辺から飛び出した桃色の影。側頭部でそれぞれ結んだ金の髪をなびかせながら現れたのは、牧村カスミ。いや魔法少女カスミナールだ。

 彼女は狂気に満ちた笑顔で、古城の中庭をうろつくゾンビ共に以前オークたちの住みかを襲ったときの毒ガスのような円筒形の物体を撃ち込んでいた。


 彼女が上空から放つそれが地上に到達した瞬間、爆音と共にあたりに火の手が広がった。まるで生者を死の国へと誘う無数の手のように広がる炎は、死にぞこない共を業火に包み、冥府へと送り出す。


 その光景にロメロは唖然としていると、カスミは一行のすぐ傍へと着地した。


「あれ!? ゲボちゃんたち早いね!?」

「……ろを……」

「え? なぁに、ゲボちゃん?」

「お城を壊すなって言われてただ……じゃないの!?」


 つい強い口調で言ってしまいそうになり、とっさに言葉を選んだ彼は、奇妙なおねえ口調になっていた。そしてそんな彼の怒りに呼応するかのように、さらに古城の一部が爆発した。


 二つならんだ尖塔の右の塔が崩れ、落下してきた瓦礫は砂埃を巻き上げた。砂煙は一行を飲み込もうと迫りくる。


 濁流のように襲い来る砂煙からかばうように、ロメロはカスミを抱きしめた。彼女の小さな頭を自分の胸へと押しつけ、あまりにも細く華奢な腰に左手を回し砂煙に背を向けたのだ。


「カスミちゃん! リリィは防護魔法だ! 早く!」

「了解よ!」

「げ、ゲボちゃん!?」


 それは当然の出来事に対してのとっさの判断だった。カスミであれば土砂に巻き込まれた程度でダメージを負うことなどないだろう。だが一人の武人として、目の前に立つ少女をかばわずにはいられなかったのだ。


 カスミがロメロの胸を両手で押さえながら驚いていると、ついに砂煙は二人と、そしてリリィたちを飲み込んだのだった。


 喉が焼けるような高温の砂煙に包まれる中、ロメロは何者かの気配を感じた。


 全身が粟立つような、悪寒とともに。


「ワシの手ごま共がほとんど壊されておるではないか。ゾンビ共はまだしも、大陸産の魔物リリン共は蘇生できんというのに!」

「エキドナ様ー! あまり不用意に近づかれると被ばくする恐れがございますぞー!」


 年寄り臭い口調の若い女の声と、野太い男の声が聞こえた。


 ロメロは、女の声に聞き覚えがあった。それは、自身に不死の呪いを受けた日に聞いた声である。忌まわしき、魔女の声。やがて砂煙が晴れ、上を見上げると、箒に座った女がいた。


 女は三角の黒い帽子に、胸と腰回りだけを隠したほとんど下着といってもいい服装で、宙に浮かぶ箒に横向きに座っていた。


 その隣には青い火の玉が一つ、浮かんでいる。


 ロメロははっきりとその姿を視界にとらえた。そして、カスミの腰に回していた手を握りしめ、わなわなと拳を震わせるたのだった。


「エキドナ、エバーグリーン!」


 ロメロが叫ぶと、エキドナはにやりと笑った。


「いつぞやの騎士殿ではござらんか。元気そうでなにより。まあ、死なんのじゃから当然と言えば当然か」

「貴様! 降りてこい! 俺と勝負しろ!」


 エキドナはロメロの申し出を嘲るように鼻で笑った。


「だれが脳筋と一騎打ちなどするか。おい死霊使いよ。お前が行け」と言って、火の玉に目くばせしながらロメロを指さしたのだった。


「わ、われがですか? し、しかし、我はまだ蘇らせてもらったばかり故、肉体が……」

「ワシの作った下僕の癖に、逆らう気か?」


 火の玉はしばらくうろうろと宙をさまよい、死屍累々のゾンビ共の中へと飛び込んでいった。


 ロメロは火の玉の行方を目で追っていた。しかし、鈍重な歩みを続けるゾンビ共の中に紛れ込んでしまい、その姿を確認することはできない。


 本当であれば、彼はエキドナに集中したかった。だがもしも死霊使いがリリィを狙ってきた場合、彼女を守らなければならない。もしも死体の陰から襲われれば、防ぐことが難しい場合もある。


 それに、いくらオークたちがいるとはいえ彼らは致命傷を追えば命を落としてしまう。現状、最前線に立つべきなのは自分なのだということをロメロは理解していた。だからこそ彼は、仇敵であるエキドナよりも、目前の脅威であるゾンビ共と死霊使いを警戒したのである。


「エキドナは生命を操る魔女だ! 気をつけろみんな!」


 燃えながらも前進する亡者の群れから、一つの影が上空へと飛び出した。その影がロメロたちの目の前に着地して、ゆっくりと立ち上がる。


 腰に布切れを巻いただけのその影は、浅黒い肌でひどくやせ細った男だった。


 頬はこけ、髪は濃いブラウン。ざんばらになった髪はとても清潔とはいえず、獣のような風貌である。


 ロメロはその男に見覚えがあった。かつて同じ時期にギルドの門をたたいた男。小太りな姿とは裏腹に、繊細な戦法を好んだ男。


「まさか、ブディなのか!?」


 ロメロは仄かに頬を染めながら黙りこくるカスミから手を離し、ブディと呼ばれた男をにらみつけた。


「ブディって、あの!?」


 ややぼぅっとしているカスミをすり抜け、リリィはロメロのすぐ後ろまで躍り出ると、杖を両手で握りしめて臨戦態勢に入る。


「痩せちまっているけど間違いない! どうしてこんなところに!?」

「我の目に狂いはなかった。この男、死んでもなおかなりの魔力を内包しておるわ! なるほど。この男、森で死んだあと奇跡的に蘇生したようだな。だが弱り切った体では自然の中で生きることはできなかったか……む、おもしろい魔法を使えるな。どれ!」


 ブディの体を乗っ取った死霊使いは、額に手をあててぶつぶつと呟いた。どうやらあの体が使える魔法を確認しているようだ。

 

 数秒何かを唱えた後、骨と皮だけの手を無造作に振り回し始めた。縦横斜めと一見するとでたらめに振り回しているだけに見えるそれは、最終的に彼の胸の胸のまで手を組み合わせ、人差し指と親指の腹を突き合わせるような姿勢で止まった。


 ロメロはその動きをみた瞬間にぞくりと悪寒が走った。あの動きは、ブディが戦闘前に行う魔法発動の予備動作だ。東の森でのとある任務で同行したときに、強力な魔法だから準備だけで息があがってしまう、とかつてブディが言っていた言葉を思い出す。


 ロメロは、痩せろ、と言い返し、ブディはその任務で命を落とした。死因は肥満による急性心筋梗塞だった。


 そんな過去の思い出がフラッシュバックしているときに、ブディの体を乗っ取った死霊使いは構えを解いて、右手を大きく横なぎに振った。


「ふせろ!」


 ロメロはとっさに振り向くとリリィに覆いかぶさるように押し倒し、頭を低く下げた。その動きに習うようにオークたちもつるりとした緑色の頭を押さえて伏せる。カスミは両手を腰の後ろで組みながら一歩右斜め後ろに後ずさった。


 死霊使いの腕の動きに沿って、あたりの瓦礫や炎が分断される。同時にロメロの頭上を見えない何かが高速で通り過ぎていった。


 そして彼の背後にいた無数の亡者が体を切り刻まれて沈黙した。肉塊となったゾンビは、どしゃどしゃと湿った土のような音をたてて地面に落ちる。しかしカスミにはかすりもせず、彼女は平気な顔をして立ち尽くしていた。


「な、なにあれ!?」

「魔法で作ったワイヤーだ! 触れるだけで細切れだぞ!」

「なんでお姉さんは無事なの!?」


 瓦礫の陰から一部始終を見ていたシアンがそう叫んだ。


「糸がこないところにたってたんだよぉ」


 はたして高速で迫りくる透明なワイヤーの軌道を読むことなどできるのだろうか。それ以前に、たとえ来ないとわかっていてもほんの少しでも触れればチーズのように肌が切り裂かれるような刃が真横を通り過ぎて、まったく動じずにいることなどできるのだろうか。その規格外の度胸と狂気に、シアンたちの近くにいたオークたちは眉を八の字に下げていた。


「嬢ちゃんはイかれてるべ……」


 ロメロがその言葉に深く共感しているとき、ブディの体を乗っ取った死霊使いはにやつきながら肩を回していた。


「ふむ、使い方が難しいな」

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