第16話 男なら! 切腹切腹ゥ!
シャワー室から出てきたカスミは、普段は二つに縛っている髪を下ろし、肩まで伸びたセミロングに変わっていた。
髪はまだしっとりと濡れ、赤みのさした頬といい、清楚かつどこか艶っぽい雰囲気である。
だが彼女が美少女であることはロメロも理解していたことだ。彼にとってこの程度のときめきは予想の
だが彼女は、そのときめきを打ち壊すほどの恐るべき現実を纏っていたのだった。
「どーしたのゲボちゃん? 目が赤いよ?」
小首をかしげる彼女に合わせて、茶色の髪が揺れる。
そんな彼女は、髪以外はとくに濡れている様子もなく、おまけに、
ロメロは、その現実に一瞬思考が停止した。
だが、すぐに我に返り、そういえば神はいなかった。と心の中で呟いたのだった。
そこにいるのはもはや武人などではなく、覆しようのない現実に打ちのめされた一人の若者だった。そして自分で脱がせよう、という発想に至らないあたりが、彼がまだ
「そんな服もってたっけ?」
「カスミナールに変身するときと一緒だよ? 魔法で出したんだよ」
「……なるほど」
魔法に頼らない戦闘を貫いているロメロは、ますます魔法が嫌いになった。
彼ががっくりとうなだれていると、隣にカスミが座った。
同じ洗剤を使っているはずなのに、彼女から漂ってくる妙に良い香りがロメロの鼻を抜ける。
なぜこんなにもいい香りがするのだ、と、彼はそんな疑問で頭がいっぱいだった。先ほど決心した、丁重にお引き取り願うという考えを塗りつぶす香りに、どんどん顔が熱くなる。
そんなロメロに、カスミはにっこりと笑いかけた。
「じゃー寝よっか!」
彼女はそういうと、勢いよくベッドに顔をうずめたのだった。
☆
結局のところロメロはカスミのお願いを断ることはできない。
それは、自身の思考をかき乱されると言った以前の問題である。
彼はカスミの下僕。ゆえに、主人には逆らうことはできない。
ベッドの中で冷静さを取り戻したロメロは、そう考えることで、自身の不甲斐なさを誤魔化していた。
なぜ今更こんなことを考えているのか。それは、自分の背中に感じる温もりから必死に目をそらそうとしているからである。
二人は互いの背中をくっつけるようにして横になっていた。
二人の隙間を隔てるように挟まれた掛布団。しかしカスミの体温が高いせいか、その薄っぺらな壁は確かな温もりをロメロの背中へと伝えていたのだった。
ベッドに入って窓辺の小さな照明以外を消してからは、お互いに一言も発していない。その沈黙がより一層、ロメロにカスミの存在を意識させることとなった。
静まれ俺の心臓! えぐり取るぞ! などと考え始めた彼は、なるべくときめかないようにと、今日あった血みどろの現場を思い出そうとした。
結果、気分が悪くなってしまったのは自業自得と言わざるを得ない。
気分の悪さとずっと同じ姿勢でいることの寝苦しさから、彼は体を反転させた。
「あ」
「わぁ、びっくりしたぁ」
偶然にも同じタイミングで寝がえりをうったカスミと、薄暗がりの中で目が合ってしまった。
彼女の深紅の瞳は、暗闇でも爛々と輝いている。彼女は本当に人間なのか、とロメロは訝しんだ。
「いつもね」
「え?」
布団で顔を半分隠したカスミが、小さく呟いた。
「いつも、エンビーちゃんと一緒に、こうやって寝てたんだ」
「エンビー、ちゃん?」
誰だそれは。俺以外に一緒に寝るような仲の人がいるのか。とロメロは思ったが、そもそも、今日あったばかりの彼がカスミと一緒に寝るというこの状況がおかしいのである。
だが、もやもやした感情が心中に渦巻くロメロは、それが誰なのか聞くのをためらわなかった。
「誰だよ、それ」
語気は強い。
若者ゆえの、子供じみた嫉妬である。
「ペットだよ。冷たくて、ぺとぺとしてるんだぁ」
「ペット? あ、ああ、そっか」
ロメロはなぜか自分がほっとしていることに気がつき、それが嫌でたまらなかった。
先ほどの自分の態度は、とても武人として、それ以前に男として小さすぎるものだと気がついたのだ。
カスミは凶悪で残虐で恐ろしい。だが同時に、可憐で清らかな少女であることを信じ切れなかった、そんな自分を、彼は恥じた。
「ゲボちゃんは、あったかいね」
ロメロの胸に顔をうずめるカスミ。首筋にサラサラの髪が触れ、心臓が激しく脈を打つ。
「か、カスミちゃん、くっつきすぎ」
「照れてるの? でも、抱きしめて欲しかったんでしょ?」
もぞりと顔を上げるカスミ。
ロメロは首に感じる小さな刺激に、くあああ! と声を漏らした。
熱いくらいのカスミの体温を感じて、ロメロの理性は徐々に希薄になっていく。
薄くなった理性の陰から、本能が顔をだした。それは少しずつ、まるで密室に流し込まれる毒ガスのようにロメロの思考を満たしていく。
「ね、ゲボちゃん」
カスミが、静かに呟いた。
「な、なんだ。はふぅ、はふぅ、ひゅひぃー」
謎の呼吸法で精神の安定を図るロメロは、カスミの紅の瞳に負けず劣らず、目が血走っていた。
二人の間に広がる独特の空気が、ロメロの心をかき乱す。
彼は、不思議に思った。
今日初めて出会った女の子に、なぜこんなに振り回されているのか。メンバーから一目置かれ、影ではファンクラブもあるらしいとの噂が流れている彼である。どうしてこんな、凶暴で突飛な行動ばかりとる少女と、朝から晩まで一緒にいるのだろう。
普段から女性は剣を鈍らせる存在として、一定の距離をたもつようにしているロメロだ。この状況は、本来ならありえないことである。
幼馴染のリリィは別にしても、異性に対して自分から積極的に話しかけたり、よもや触れたりなどということは、しない。
だが今日の彼は、カスミに振り回されながらも、積極的に話しかけたり、腕を掴んだり、更には頼る場面まであった。そして同時に、恐怖し、困惑し、一度は死んだ。
しかし、そんな彼女といることが、心の底から嫌ではないということを、結局のところ、彼女から逃げ出さなかった彼自身が証明していたのだった。
そんなロメロの思考を遮るように、カスミは桜色の唇を開いた。
そして真っ赤な舌が、ちらりと顔を覗かせた。
「はやく、私を愛して?」
上目づかいで囁くカスミ。
喉に触れる吐息が、熱い。
目が、潤んでいる。
甘い香りが、鼻孔をくすぐる。
ロメロの中で、なにかが、弾けた。
「うおおおおおおお!」
「ゲボちゃん!?」
ロメロは布団を吹き飛ばし、勢いよく立ち上がった。
彼の視線の先には、驚き、身を縮めるカスミの姿が映る。
「も、もう、我慢できん! すまん、カスミちゃん!」
「へ? げ、ゲボちゃん!?」
ロメロはカスミに手を伸ばした。
しかしその手は、カスミの顔の横をすり抜け、ベッドに立てかけてあった
しゃらん、と甲高い音を立てて引き抜かれた黒塗りの剣。天井に向けられていたその切っ先は、くるりと反転し、ロメロの叫び声と共に彼の腹部を貫通したのだった。
そしてそのまま、口から赤黒い血を垂れ流し、彼はベッドに倒れた。
「ぐ、ごふ……。朝に、なったら……抜いて、くれ……」
そう言ってロメロは、事切れた。
カスミは、しばらくの間きょとんとした表情で、ロメロの真っ青な寝顔を見つめた。
「変なゲボちゃん」
彼女はくすりと笑ってから布団をかぶりなおした。そして目を細めて、徐々に冷たくなっていく彼の腕を、強く抱きしめたのだった。
「おやすみ。私の、初めての下僕」
こうしてロメロ・ホプキンスの、これまでの人生で最も波乱万丈な一日は、終わったのである。
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