第15話 安息の時間は唐突に崩される
ゴブ太の叫び声を背中に感じながら、ロメロは宿舎二階の廊下を歩いていた。
後ろからは、ツインテールを揺らしながらひょこひょことカスミがついてきている。
ロメロは、『7番部屋・使用中』と札のかかった部屋の前で、立ち止まった。
「あそこの角を曲がったところから、女子のエリアだ。空いている部屋は好きに使っていい。部屋に入る前に、扉についている札を使用中に切り替えるんだ」
「はーい」
「俺の部屋はここだから、何かあったらきてくれ。じゃ、おやすみ」
そういってカスミを残し、自室に入った。
質素な木製の室内はこざっぱりとしていて無駄な物はない。いや、一つだけあった。これといって特筆することのない室内において、これでもかというほどの存在感を放つ物体。
ゴレムギリアンの
それ以外には古めかしい木製のベッドと、
ロメロは室内に入るなり、すぐさま穴の開いた鎧を脱いで、テーブルの上に置いた。
「今度直してもらわないとな。はぁぁ~、それにしても疲れた。とりあえずシャワーだ、シャワー。それから酒飲んで寝よう」
そう独り言ちて、彼は服を脱ぎ、入り口のすぐ隣にあるシャワー室へと入った。
室内には全身を映す鏡が壁に取り付けられており、黒髪と鍛えられた体を持つ青年が映りこんだ。
彼の体にはこれまでの戦いを彷彿とさせるような傷跡がいくつもついていた。それら一つ一つを確かめるように、彼は様々なポーズを取り、鏡で自身の体を確認する。
彼はまず両腕をあげ、陰っていた脇と横腹を確認した。大胸筋は腕の動きに引っ張られ、鎖骨の上へと押し上げられる。ついで広背筋が隆起した。
そのまま上半身を右へ左へとねじる。腹筋と腹斜筋は、伸び縮みを繰り返す。まるで地殻変動を起こした大地のようである。
彼がついつい自分の体を確認してしまうのは、新しい傷がついていないかを確認するためである。傷に気をつけて体を洗わないと、とてもしみるからだ。
だが彼が不死の呪いを受けて以来、新しい傷が増えることはない。今では単なる癖である。
自身の体を確認した後、緑色の小さな石がついた木製の取っ手を捻った。すると、壁にとりつけられたシャワーヘッドから暖かいお湯がすぐに出てきた。
お湯は地下にある炎の魔導石で暖められ、取っ手に取り付けられた風の魔導石を使って配管内の圧力を下げることで地下から昇ってくるのだ。この世界では一般的な
備え付けの洗剤で体を洗い終わったロメロは、最後に尻をぱぁーん! っと叩いた。
「む、タオルがないな。まぁいいか」
彼は塗れた体のまま、風呂をでた。
無論、言うまでもないが全裸である。
服を着たままシャワーを浴びる人は少ないだろう。彼は基本的に、多数派の庶民的な思考をしているため、当然、シャワーを浴びる時も全裸である。しかも体を拭うことができなかったのでそのまま服を着るわけにもいかない。そもそも、着替えは部屋の中だ。
全裸の彼はシャワー室から出てきて、固まってしまった。これも言うまでもないことだが、固まった、というのは、身動きがとれなくなった、という意味の比喩である。
「きゃ、ゲボちゃんのえっちぃ☆」
小さな星がきらきらと宙を舞う中、カスミがテーブルに備え付けられた椅子に座り、両手で顔を隠していた。
隠してはいるが、指の隙間から送られてくる視線は、しっかりとロメロのホプキンスを見つめている。
ロメロは前を隠すことよりも、なぜ彼女が自分の部屋にいるのか、という疑問で頭の中が一杯だった。
もしやなにか伝え忘れたことでもあったのだろうか。どちらにしろ、カスミの予想外の行動には要注意すべしと、本能レベルにまで刷り込まれたロメロは、前を隠すことを忘れていた。
忘れているにとどまらず、彼は大きく腕を広げ眉間に縦筋をうかばせたのだった。
「か、カスミちゃん! 勝手に入ってきたらダメだろ!? いくら俺が下僕だからってプライベートは守られるべきだ!」
そんなことを言いながらも、自身のプライベートゾーンをさらけ出している。
カスミの視線はロメロの顔よりも遥か下方に向けられており、その瞳は右へ左へと、猫じゃらしを前にした子猫のようになにかを追いかけていた。
「今日から一緒に寝ようと思って」
「はぁ!?」
「ゲボちゃんが少しでも早く私のことを愛してくれるように、これからはなるべく一緒にいるようにするね!」
これからは、という言葉は間違いである。なぜなら二人が出会ったのは今日なので、これからは、というほどの時間はたっていない。
けれどもロメロは、そんな些細な間違いを指摘することさえできないほど、頭の中が真っ白になっていた。
それもそのはず、男所帯の戦場を渡り歩いてきた彼にとって、異性と共に眠る経験など一度もないのである。だからこそ彼は、どういった対応を取るべきなのかわからない。
ここは自身の安全のためにも、なんとしてでも断るべきなのか。しかし、こんなチャンスは二度と巡ってこないかもしれない、断るには惜しい気がする。
ロメロが思い悩んでいると、カスミはすっと立ち上がり、彼の隣を通り過ぎた。
「シャワー、借りるね」
彼女はそういって、ぱたん、とシャワー室の扉を閉めた。
そんな台詞を、まさか自分が聞くことになるとは、とロメロは感無量である。
「これは夢……なのか」
水の滴る音を聞き、我に返った彼は、ひとまずパンツを履いたのだった。
☆
数十分後。ロメロはベッドに腰かけ、ずっと考えていた。今は黒い布の服に、縦じまのパンツという格好である。
彼は武人である。武人とは、主人に忠誠を誓い、間違っても傷つけるようなことなどあってはならない。それは、ロメロが今ひねり出した持論である。
結局のところ最終的に彼が出した結論は、丁重にお引き取り願おうというものだった。言葉には気をつけなければならない。機嫌を損なえば頭を締めあげられるということを、すでに経験済みである。
彼がその結論に至ったと同時にシャワー室の扉が開いた。
「ふぅー、気持ちよかった」
カスミの能天気な声が聞こえた。シャワー室からは、白い湯気が天井に昇っていく。
ロメロはふと、気がついてしまった。
そのことに気がついたのは本当に偶然でなんの切っ掛けもない。ただ、突然シャワー室に入る前のカスミの姿が脳裏に浮かんだのだ。
彼女は、その手になにも持っていなかった。
着替えも、体を拭くタオルも。
ということは、今まさにシャワー室から出てこようとしている彼女の姿は可能性として二つ。
濡れたままセーラー服を着て、
ロメロは、先ほどの数十倍の回転数で思考を働かせた。
自分が先ほど全裸だったのは、備え付けのタオルがシャワー室になかったからだ。それは今朝、置き忘れたからだったが、ロメロは自分の部屋なのだから別に全裸で出ていったところで問題はない。と思い、先ほどは風呂を出た。
だがしかし、カスミはどうだろうか。彼女が自分の裸体を見た時の反応を思い出した。あのとき、彼女はロメロの裸を見て、『えっちぃ』と言ったのだ。
ということはつまり、命を奪うことにためらいはなくとも、恥じらいという感情はあるということである。
ならばやはり、前者の可能性が高いだろう。いやしかし、あの自由奔放な少女が服を着て眠るだろうか。なんとなく全裸睡眠派のような気がする、とロメロは思った。
それはもはや予想というよりもロメロの願望であったが、まだ若い彼にはその違いに気がつかない。
スケスケか全裸か。添い寝を断る断らないの時よりもよっぽど深刻な顔で、彼はシャワー室の入り口を睨みつけていた。考えすぎているせいか、彼の血圧はぐんぐん上昇し目は真っ赤に充血している。
彼があられもないカスミの姿を妄想していると、ついに彼女のつま先が見え、次に彼女は、全身をさらけ出した。
「なん……だと……」
ロメロは、自身の予想を遥かに超えた光景に息をのんだ。
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