第14話 悪食ソフィア

「ちょっとまったちょっとまった。え? なにしようとしてるの?」


 カスミの不穏な動きをいち早く察知したロメロは、あわてて突き出された右腕を掴んだのだった。


「もっと盛り上げようと思って!」

「死人がでたらお通夜になっちゃうだろうが!」

「わぁ、楽しみぃ☆」

「全然楽しみじゃない!」


 純朴な少女のように目を輝かせるカスミを、ロメロは焦りつつも説得した。

 彼らがそんな、もはや日常的ともいえるやり取りをしている中、喧嘩はますます激化し、ついに武器を手に取るものまで現れた。


 そこかしこで金属がぶつかり合う音が聞こえる。


 何人かはすでに戦線を離脱したようで、顔や体から血を流し、床に倒れている。


 こんなにも凄惨な光景だと言うのに、男たちの汗は妙に輝いていた。


「ぐはあああ! クソ、やるな人間!」


 集団の輪から弾き飛ばされたゴブ太は、輪の外で口元の血を拭いながら、荒れた呼吸を整えていた。


 彼の表情も、妙に充実しているような、満足気な顔つきである。


「そこかぁ! 死ねえええええ! ってあれ!?」


 最初にゴブ太に絡んでいた若い男が、喧騒の中からスリンガーを構え、ゴブ太を狙っていた。


 彼が引き絞ったゴムを離そうとしたその時、喧騒の波によろめいた別の男が彼にぶつかり、照準がずれてしまった。



 狂った照準の先にいたのは、一人の女性。



 胸の前で手を握り、不安げに眉尻を下げたソフィアだった。


「へ?」


 彼女が、自身にスリンガーを向けられていると認識し、小さく驚いたと同時に、鉛玉が放たれた。


「いかん!」


 ロメロはソフィアの窮地に気がついた。


 だがしかし、カスミの凶行に気を取られていたためか反応はやや鈍く、すでに放たれた玉を防ぐには間に合わない。


 彼の伸ばした手の、その指の先を、鈍い鉛色の球体は、無情にも通り過ぎていく。


 そんな彼の足元を、何かがすさまじい勢いで通り過ぎていった。その影はソフィアを突き飛ばすように体当たりし、そして鉛玉は、その影の背中へと深くめり込んだのだった。


「きゃあ!?」

「うぐぅ!」


 ソフィアを守ったのは、ゴブ太だった。


 彼は、自分から照準が外れたことに気がつき、そして同時にソフィアの危険を察知したのだ。


 彼の背中から、ぽとりと鉛玉が転がり落ちて、そして背中には、痛々しい赤い腫れができている。


「ゴブ太! よくやった!」

「へ、へへ。兄貴のご友人なら、守って当たり前っすよ! いてて……」


 満足気に笑ったあと、ゴブ太は苦痛に顔をゆがめた。


 そんなゴブ太を膝の上に乗せたソフィアは、身を挺して自分を守ってくれた小鬼をしばらく見つめ、そして優しく抱きしめたのだった。


「ありがとうございます。えっと、ゴブ太、さん? 背中、大丈夫ですか?」

「え!? あ、こ、こんなの平気でやんすよ! なはは!」

「ゴブ太さん……」


 水のようでありながら確かな弾力を持つソフィアの胸に沈むゴブ太は、顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうにしている。


 ゴブリンの美的感覚がどのようなものかはわからない。なので、美女の豊満なバストを堪能できても、嬉しいのかどうかはゴブ太本人にしかわからない事である。


 だがそれでも、ロメロは内心とても羨ましかった。


 同時に、もしも間に合っていればあそこにいたのは俺だったのだろうか。と、あり得ない未来を想像し、落胆したのだった。


 ソフィアは優し気な表情でしばらくの間ゴブ太を抱きしめると、途端に鋭い目つきで、いまだ喧嘩をしているメンバーを睨みつけた。


「あなた達! いーいーかーげーんーにー! しなさあああい!」


 彼女の視線の先で青白い電撃が発生し、密集した集団はみな感電した。

 数秒後、雷撃がやむと、感電したメンバー達は白い煙を口から吐き出しながら、全員床に顔をこすりつけることとなった。


「すごーい! ソフィアちゃんて強いんだね!」

「以前は俺と同じ銀等級だ。けど、戦いよりもやりたいことがあって、今は受付嬢をやってるけどな」

「ふーん。戦わないんだ。残念」


 強そうであれば、誰でもいいのか。ロメロはカスミの、あくなき強者への渇望に震えた。


 ようやく騒ぎが収まったものの、ゴブ太は相変わらずソフィアに抱きしめられている。


 ロメロはまだ堪能してんのかよ、はやく代われよ。と思ったが、彼の番が来ることは永遠にない。


「そ、ソフィアさん? そろそろ離して欲しいんすけど」

「もう少しいいじゃないですか。ほら、私ヒーラーでもあるので、こうやって体を密着させていると回復もしやすいんです」


 ロメロはおもむろに、腰に携えたナイフを取り出し、手首を切った。


 血がぶしゅりと飛びちり、どくどくと血が流れるがすぐに血は止まってしまった。


 その様子を見ていたカスミが、刺して欲しいの? と聞いてきたので、彼は物憂げな表情で、違うんだ。ただ、抱きしめて欲しいだけなんだ、と返した。


「あっはは、ゲボちゃん、気持ち悪いよぉ!」


 カスミに悪意はなさそうだが、心のわだかまりを深くしたロメロは、ソフィアとゴブ太を見て嫉妬を通り越し、むしろ微笑ましく感じたのだった。


 ゆえに彼が、愛だな。と、あまりにも月並みなことを口走ったとしても仕方がない事である。


「愛?」


 カスミはその言葉が気になったのか、真面目な表情でロメロを見上げていた。


「愛って、なんなの?」

「え」

「大きな豚さんが言ってたの。お前に愛を語る資格はないーって」



 キングはカスミに言っていた。


 力による支配は、愛ではない、と。



 ロメロはその会話を聞いていなかったので、彼女がなにに悩んでいるのかは検討がつかない。なので彼は、一般的な愛について尋ねているのだと思った。


 愛とはなんなのか。その答えを明確にするには、彼自身の経験値。主に女性との経験が圧倒的に不足していた。


 だが、あまりにも綺麗な瞳で尋ねてくるカスミに、知らないとは言い出せず、彼は必死になって言葉を探したのだった。


「愛。愛ってのはな」

「うん」

「愛ってのは、大事な人。いや、大事な、なにか。いつまでも一緒にいたいと思える。そんな気持ち、だ」

「へー」


 カスミの反応は薄い。


 知った風な事をいっている痛い奴だと思われただろうか、とロメロは焦りに焦っていた。


 これ以上、沈黙に耐えられない。そう判断した彼は、もっとディープ・・・な愛を語ろうと口を開いた。


「ようは、最終的に男と女がずっーーーー」

「ゲボちゃんは、私のこと愛してくれる? ずっと一緒に、いてくれる?」

「……こん?」


 カスミの言葉はあまりにも意外だった。


 愛してくれるかどうか、など、普通口に出して聞くだろうか。


 牧村カスミは聞く。思ったことをそのまま口に出してしまう。


 それは純粋さなのか子供っぽさなのか、どちらにしろカスミはロメロの話を聞いて、恐らくこの世界に来て初めての、心から真剣な眼差しを彼に向けていた。


 ざくろ石のような深紅の瞳は、ロメロの視線を捉えて離さない。その瞳に映る光は、決して乙女チックな惚れた腫れたの類ではない。寂しさや、悲しさの光を宿していた。


「……それは、難しいよ」


 ロメロはぽつりと言った。


「そうなの? あの二人には、愛があるのに?」



 本当のことを言えば彼は、カスミのお願いを否定することで何かしらの体罰があるのではないか。怒り狂ったカスミに、この世のものとは思えない苦痛を味わわせられるのではないか、と不安だった。


 だが、彼女の真剣な質問に、武人としてではなく彼女と一日を共にした者として、自分も本音をぶつけようと思ったのだ。


「だれかを一生愛するってのは、簡単にはできないもんだ。普段から一緒にいて、自然と生まれるものなんだよ、きっと。そもそもあの二人は、別にずっと一緒にいたくなるような愛じゃない。俺がカスミちゃんに、カスミちゃんの望んでいるような愛を感じるには、まだ、君のことを知らなすぎる」

「知ったら、愛してくれるの?」

「そうとも限らないよ。相性ってやつもある」

「んー、難しいんだね、愛って」


 カスミは頭を抱えて眉間に皺を刻んだ。


「だいたいカスミちゃんは、愛とか正義とかずっと言ってたじゃないか」

「それは勢いだよぉ。魔法少女は、愛と正義が口癖なんだゾ☆」

「えぇ……。まぁ、べつにいいけど。とりあえず俺はもう休むよ。今日は疲れた」


 大きなあくびを一つ吐き出したロメロは、重そうに足を引きずりながら、受付の裏にある階段をあがっていった。


「そーだね。いこっかゲボちゃん! ゴブ太も、また明日ね!」


 カスミはいまだ抱きしめられているゴブ太に小さく手を振って、ロメロの後ろについていった。


「ちょ、オイラいつまでここにいるんすか!? 兄貴!? 姉御ぉ!?」

「こらこら、暴れたらだめですよ~! それにしてもゴブリンの肌って、なんだか爬虫類のお腹みたいで不思議な感触ですね。きっと食べたら癖になってしまい味、なのでしょうね。……じゅるり」


 ぎらりとソフィアの目が光る。それは明らかに食欲によるものだった。彼女が銀等級という立場を捨ててまでやりたかったこと。それはあらゆる美食を堪能することである。

 

 だが、この町の一般的な価値観で美味しいとされるものをあらかた味わった彼女の最近の趣味は、いわゆる、”ゲテモノ”食い。悪食といってもいいかもしれない。

 

 コカトリスの脳みそ。オオサワギ鳥の足。グレムリンの目玉。


 メンバーが討伐の証明に持って帰ってきた戦利品を、彼女は行きつけの定食屋にもっていき、調理してもらうのが日課である。


 その事実は、ロメロを含めほとんどの者が知らない。


 いまだに彼女が普通の、例えばパンケーキやモンブランなどのスイーツ系女子と思っているメンバーも多い。


 逆に事実に気がついてしまったメンバーは、決してそのことには触れず、また彼女に逆らおうとはしないのだ。


 その狂気を察したのか、ゴブ太は全身に鳥肌を立てていた。



「ひぃ! 兄貴! 兄貴ぃー!」



「一口、一口だけ」




 涎をたらすソフィアは、逃れようと必死にもがくゴブ太を強く抱きしめた。


「た、助けてー!」


 ゴブ太は、すでに見えなくなったロメロに向かって、叫んだ。

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