第13話 ウェルカム・トゥ・ワイルドローズ!

 半日後。

 ロメロとカスミ、そしてあの騒動を生き延びたゴブ太は、それぞれ個別の部屋へと案内され、尋問を受けた後釈放された。


 宿舎へと向かう道すがら、とっぷりと日が暮れて、代わりに顔を出している二つの月を眺めながら、今日は疲れたから、きっとよく眠れるだろうな、とそう思ったのだった。


 宿舎の中はまたしても人だかりができていた。クエストの受付と食堂を兼ねた一階には怒気が渦巻き、重苦しい空気が立ち込めていた。


 血に飢えた魔物どもに囲まれた時のような空気を感じたロメロは、無意識に食堂の状況を分析した。


 食事場のテーブルに集まった屈強な男たちは、もともと凄みのある顔をしている上に、さらに顔の影を濃くして小さな何かを睨みつけている。


 小さななにかは、緑色の肌と尖った耳の特徴的なシルエットをしていた。


 それは、ゴブ太だった。


 ゴブ太は、皆が食事をとるためのテーブルに乗って、先頭の男と顔を突き合わせている。


 ロメロから見て、彼らの手前側には、変身前ノーマルフォームのカスミと、受付嬢のソフィアの姿も見えた。こっそりとソフィアに近づいて肩を叩いた。


「あ! ロメロさ……」

「しー」


 名前を呼ばれると厄介だと思い、ロメロは自分の口元に人差し指を押し当てた。それを見たソフィアは、慌てて自分の口をおさえ、ロメロの耳元へと顔を寄せたのだった。


「あのですね、お連れのゴブリンさんをみたメンバーの方々が、因縁をつけてこうなりました」


 あまりにも簡潔すぎる説明だったが、ロメロには十分理解できた。


 おそらく、最初はそれほど大きな因縁をつけなかっただろう。だが、些細ないちゃもんであっても天敵ともいえる人間に囲まれたゴブ太にとっては、命の危険を感じてもおかしくはない。


 その結果、小さな諍いは、枯れ葉に燃え移った火の粉のようにまたたくまに燃え上がり、そして今、最高潮に達しているのだ。


「なるほど、だいたいわかった。ありがとう。ところでカスミちゃんがやけに静かだけど、どうしたんだ?」


 こんな時、いの一番に首を突っ込むはずのカスミが静かに傍観していることが、ロメロには不思議に感じられた。

 昼間の溌剌とした態度は影を潜め、カスミはぼうっと遠くを見つめるようにして、ゴブ太とメンバー達を眺めている。


「ここに来た時からあんな調子でしたよ?」

「そうか……」


 ロメロは、カスミの肩を叩いた。

 彼女は、無表情のままゆっくりと振り向いたのだった。


「カスミちゃん、どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」


 この少女は狂唐突に異世界に召喚され、さらにオークキングを倒すという偉業を成し遂げたのだ。


 カスミに対して精神的な幼さを感じていたロメロは、もしかしたら彼女なりに明るく振舞っていて、無理をしていたのかもしれないと心配になった。


 冷静に考えてみれば、彼女にはこの世界に来るまでの生活があったはずなのだ。


 それが、ひょんなことからこの世界に降り立ち、世界を救うこととなった。


 ロメロからすれば、彼女の存在は自身の願いを叶える流れ星のように感じていた。しかし当の本人の立場は、漆黒の宇宙に投げ出されてしまった星屑に他ならない。


 飄々としてわかりづらいカスミだが、かなりの負担がこの小さな肩にのしかかっているはずである。


「ううん、別に。ただね、ついさっき、赤い髪のお姉さんと話したことを少しだけ考えていたの」


 赤い髪、と聞いて、ロメロが思い浮かべたのは二人。


 リリィとその姉・・・のララ。


 幼馴染のリリィは自分のところに来ていたから、カスミの言っている人物はララだろうとロメロは察した。



 ではなぜ、ギルドヘッドである彼女がわざわざカスミのところへと出向いたのだろうか。



 それはそもそも、疑問からして間違っている。ギルドのトップであるララが、勇者として召喚されたカスミと話さない方が不自然なのだ。


 今日は唐突にクエストに出発してしまったため、日中に話をする機会がなかったが、尋問という絶好の会話の場をララは利用しただけのことだろうと、ロメロは考えた。


「なにか、酷いことでも言われたのか?」


 カスミは静かに首を左右に振った。


 そんなことを言われれば、きっとカスミは怒るだろう。そしてララと対立し、今頃この町は戦火に包まれているはずである。


 では、なにを言われたのか。ロメロはカスミの言葉を待った。


「違うよ。とってもいいお姉さんだったよ。私の大好きなマカロンもくれたし、私の話を楽しそうに聞いてくれた。でもね、最後に、言われたの」

「なんて?」




 カスミは寂しげに微笑み、そして口を開いた。




 それは、ロメロの人生を大きく変える一言。地獄への、入り口である。




「賠償金、一億ギリーだって☆」

「ひょぇ!?」


 あまりの金額に謎の奇声を発したロメロは、そのまま固まってしまった。


 見られていたのか。いや、きっとカマ・・をかけられただけだろう。けれど純真無垢なカスミは、正直に答えてしまったに違いない。


 ララ・ローズ・マリアは曲者である。巧みな話術と機転。そして、絶大な戦闘力をもって、この北方ギルド『野バラ』のトップに立っているのだ。


 そんな彼女からすれば、ただ強いだけのカスミから情報を聞き取ることなど、赤子の手を捻るよりもたやすいであろうことは、ロメロにはわかり切っていた。


「ゲボちゃん。一億ギリーってどれくらい?」

「そ、そのチョーカーが一ギリー、五百ゴルドだ……」


 ロメロは震える指で、自身とお揃いのチョーカーを指さした。


 ちなみにオークキング討伐報酬が、およそ百ギリーである。つまり一億ギリーとは、オークキング百万頭分の金額となる。

 無論、そんな金は、ロメロにはない。


「でもお姉さんが言っていたんだけど、魔王を倒せばチャラになるんだって」

「なに!?」


 ロメロの顔がぱっと明るくなった。借金地獄ら抜け出すかすかな希望が見えた気がしたのだ。


 本当はそれが、真の地獄への片道切符かもしれない。しかし、今日一日でカスミの戦闘力の高さを嫌というほど味わったロメロは、彼女なら魔王を倒せると思っていた。


 そしてそれは、ララも感じたのだろうな、とロメロは気がついた。でなければ、そんな提案をするはずが無いからだ。


「ところでゲボちゃん。魔王って、だぁれ?」

「昼間説明したじゃないか。この世界を征服しようとする恐ろしい奴らだって」

「世界を、征服……? でも私……」


ガシャアアアアアン!





「きゃあああ! なにをやっているんですかあなた達!」


 ガラスの割れる音とソフィアの悲鳴で、二人の会話は途切れてしまった。


 音のする方へ視線を向けると、ベージュ色の革の鎧を着込んだ若い男とゴブ太が掴みあっていた。男は鼻の穴を大きく広げ、ゴブリンの癖に! と、顔を真っ赤にして大声を張り上げている。


「生意気なのはお前だ! 弱いくせに粋がるな!」


 ゴブ太は唾を飛ばして言い返していた。そんな彼らをはやし立てるように、周囲を取り囲む男たちの熱気が高まっていく。


 その様子に、ロメロは大きなため息をついたのだった。


「やめろお前ら。ゴブ太も冷静になれ」

「邪魔しないでくだせぇ! これはゴブリンだとか人間だとかの問題じゃないんすよ! 男として、売られた喧嘩は買わなきゃならねぇ!」


 こいつ田舎の不良かよ。とロメロは思った。


 ゴブ太は男の胸倉をつかみ、どんなに振り払われても必死にしがみついている。


 何度か殴られてもいたが、けっしてその手を離そうとはしない。


「離し、やがれぇ!」


 やがて男はゴブ太の体を両手でつかみ、放り投げるようにして後ろに投げ飛ばした。


 吹っ飛ばされたゴブ太は、空中で身をよじることしかできず、静かに酒を嗜んでいた髭面の男にぶつかった。


 喧嘩には関心を示していなかった髭面だが、せっかくの酒がこぼれたことに大層ご立腹なのか、無言で立ち上がると、すぐ近くにたっていたスキンヘッドの男を睨みつけたのだった。


「へ? いや、俺じゃなーーぶへぇ!」


 スキンヘッドが言い訳する間もなく、髭面に殴り飛ばされる。

 そして飛ばされた先には、また別の人がいて……、と負の連鎖はとどまることをしらず、あっという間に喧嘩の波は広がっていった。


「おい! 誰だいま殴ったやつ! てめぇか!?」

「俺じゃねぇ! ふざっけんなよてめぇ!」

「くそったれ! あのゴブリンはどこだ!? どこにいやがる!」

「うおおお! ゴブリンをなめるなよ人間どもめ!」

「なんだこのゴブリン! 強いぞ!」


 血の気の多いメンバーが多数在籍している野バラでは、このような光景は日常茶飯事である。


 だが、彼らは暴れれば暴れっぱなし。割れた食器も乱れたクエストボードもそのままである。そして、その後片付けは、この場所が職場であるソフィアがいつもやる羽目になっているのだ。


「もぉ! 皆さんやめてくださいー!」


 だからこそ、彼女が怒るのも無理はない。


「諦めろソフィア。こうなっちまったら誰にも止められん。みんなの気がすむまで殴り合うしかないのさ」


 そんなスカした台詞を放つロメロだが、そんな彼もたびたびこのような騒ぎに乗っていたし、むしろ、前回は彼が発端だった。


 その理由が、誰かが自分のシュークリームを食べ、号泣した後の癇癪かんしゃくだったことは、幸い誰にも知られていない。


「よかったねゴブ太! みんなと仲良くなれたみたいで、私、とっても嬉しいよ!」


 カスミは、陶器のように滑らかな両手を、ぱん、と打ち鳴らしてにこにこ笑った。


 殺す殺すと連呼しているあのゴブ太の姿を見て、仲良くなれたというのかどうかはわからないが、カスミはとても上機嫌のようである。






 そして彼女は、おもむろに右手を開き、騒ぎの中心へ向けたのだった。

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