第9話 ゴブリンVSオーク

 一方、そんなロメロの時間稼ぎもあってか、カスミはキングの近くまでたどり着いていた。


 しかしそんな彼女の前に、一頭のオーク。門番のヤサクが立ちはだかる。


「ブゴオオオオオオ! ここは通さねぇ! キングには指一本触れさせねぇだ!」

「邪魔しないで! マジカル☆ホームラン!」


 凄まじいスピードを維持したままカスミは跳躍した。

 ヤサクの眼前に、いくつもの魂を吸った狂気のバットが降りおろされる。


 鈍重なオークには、その攻撃を防ぐことも、ましてや躱すことなど到底出来はしない。

 一撃粉砕の釘バットは、今まさにヤサクの脳漿をぶちまけようとした、その時。


「あぶなあああああい!」

「ブギィィ!?」

「あれれ?」


 突如現れたゴブ太がヤサクの顔面に跳び蹴りを食らわせて、ヤサクがよろめいた。

 カスミのバットはその進行上から標的を失い、空を切る。

 彼女は空中で一回転して地面に着地するとゴブ太に冷たい視線を送り付けた。


「ゴブ太……? 邪魔、するの?」

「と、とんでもございやせん! け、けど星の姉御! ちょっと落ち着いてくだせぇ!」


 しばしの沈黙の後、カスミはなにかに気づいたように満面の笑みを浮かべた。


 この時ゴブ太は、あ、オイラ死ぬんだ。と覚悟していたのだった。


「そっか! わかったよゴブ太! 『ここは俺に任せて、先へ行け!』ってやつなんだね!」

「へ?」

「んん~! すっごい、すっごいいいよ、それ! わかったよゴブ太! その子の相手はお願いね! 私は……一番悪い子をやっつけるから!」

「ええええ!? ちょ、ちょっと姉御!?」


 とんでもない誤解をされてしまったゴブ太はこれはまずい状況だと思ったのか、慌てて訂正しようとしていた。

 だがしかし、後ろから凄まじい殺気を感じて振り返る。

 そこには、豚鼻から血を流し、怒りで目を血走らせたヤサクが立っていた。


「ブゴォ。ゴブリン風情が、オラに蹴りを入れるなんていい度胸だべ。捻り殺してやるべええええ!」

「ち、ちがうちがう! オイラは、あんたを助けようとしただけで……!」

「問答無用だべ! オラは一族一の槍使い、ヤサク。覚悟するべ!」


 ヤサクはそう言って、槍を突き出した。

 槍の先端は目で追えず、銀色の流れとなってゴブ太を襲う。

 耳障りな風切り音が聞こえた。


「うああああああああ!?」


 ゴブ太としては、命を救った相手に刃を突き付けられ、もはやどうするべきかわからない。ゴブリンはオークの手下として生きる種族だ。だがその関係はいたって良好で、ゴブリンたちはオークのことを嫌ってなどいない。むしろ外敵から自分たちを守ってくれる存在だとすら思っている。


 その見返りに槍や斧などの武器、料理や家事、またはキングが使っているような狩りの道具を作ることについて、なんの不満もなかった。


 しかしヤサクからすれば、普段自分たちにペコペコしているゴブリンが反旗を翻し、人間という強力な助っ人を引き連れてやって来たように見えたのだ。


 ゆえにヤサクは、ゴブ太を敵とみなし、攻撃したのである。


 ヤサクの鋭い一突きを間一髪のところで上体をそらして躱すゴブ太。


 胸に赤い筋が一本浮かび、ひりひりと痛む。


「や、やるしかないのか! お、お、オイラが! けど!」


 ゴブリンの中では突出した戦闘力を持つゴブ太であっても、相手がオークとなると尻込みしてしまう。

 それは己の技量だとか力だとかの問題ではなく、オークとゴブリンという関係性が生んだ心の弱さだった。

 ながらくつき従えてきた相手に自分が刃を向けるのか。それが正しいことなのか、ゴブリンの中でもまだ若い彼には判断しきれなかったのである。


 だが、そんなゴブ太の葛藤を知る由もないヤサクは、容赦なく槍を振り回した。


 縦に叩き伏せ、そのまま横になぎ、体を反転させ持ち手でゴブ太の腹を突く。


「ごはぁ!」


 鈍重なオークとは思えない見事な体さばきにゴブ太は圧倒され、よろめいた。


 その後も続く連撃を辛くも躱し、ゴブ太は一度、距離を取る。


「なかなか躱すべな! これはどうだべ!」


 ヤサクは大きく一歩踏み出し、横なぎに槍をふるった。ゴブ太はそれをしゃがんで躱し、頭上を槍が通り抜ける。

 だが槍を振り切ったヤサクの動きは止まらず、そのまま一回転するように体を回転させると、今度は体の陰から槍を突き出した。


 ヤサクの体に隠れて槍の先端がみえなかったゴブ太は、一瞬体をこわばらせた。


 だがしかし、命の危機を感じ取った彼は、考える前に体が動いていたのだった。


「うおおおりゃ!」

「なに!?」


 ゴブ太は上へと跳びあがった。槍は先ほどまでゴブ太がいた場所を貫き、制止している。


「まだだべ!」


 ヤサクは槍を両手でしっかりと握り振り上げた。


 ゴブ太は柄の部分を足の裏で受け止め、そのまま上空へと打ち上げられる。


 彼の瞳に流れる雲と太陽が見えた。鳥は風を切り、虫は歌を歌う。なんて爽やかな日なのだろう、と彼は思った。


 だがそんな現実逃避は、重力という万物の力に対しては無力である。気色の悪い浮遊感の後、ゴブ太の体は再び地上へと引き戻されていく。


 そこに待っているのは、自分を突き刺そうと待ち構えている一本の槍。


 それは、死。





ーーーー生き残って、一族の血を、紡いでほしい。





 死んでいった仲間の言葉が頭の中に木霊する。


 ゴブ太はようやく腹を括り、腰に携えたこん棒を掴んで、自分に刃を剥けるへと殺意を向けたのだった。


「オイラはあああ! こんなところで死ぬわけにはいかないんだあああ!」


 ゴブ太の叫びが、森をざわつかせた。


「ブギィ! ま、眩しい!」


 顔を上げたヤサクは、ゴブ太の背負う太陽に目を焼かれ、顔を伏せてしまった。

 だがしかし、ゴブ太にとってはそんなヤサクの状況など知ったことではない。ただ己の全存在をかけて、何千、いや何万と振ってきたこのこん棒を、振りおろすのみである。



「ああああああああ!」

「プギ!? し、しまっ……!」

 


 ごん!!!



「ブ、ブギャァ……」


 ヤサクの脳天にこん棒がめり込んだ。彼はそのまま膝をつき、しばらく目を回して、ついに顔面から地に付したのだった。


 白目をむき、口から泡を吹いている。バランスを取れず無様に地面に墜落したゴブ太は、上下しているヤサクの胸を確認してほっとした。


 そして同時に、体中を熱い何かが駆け巡る。それは勝利、という名の高揚感。


「うおおお! 勝った! オイラが! ゴブリンがオークに勝ったあああ!」


 ゴブ太はその喜びを誰かと分かち合いたくて仕方がなかった。


 こんな時、心のよりどころとなるのはもちろん尊敬する兄貴。つまりロメロである。


 ゴブ太は目を輝かせて、尊敬する兄貴の影を探した。


「兄貴! 兄貴兄貴! 今のみてくれやしたか!」


 嬉しそうに顔を綻ばせたゴブ太の顔は、一瞬にして凍りついた。




「うおおお! こいやぁ! どっからでもかかってこいやあああ!」




 オークの群れの中央で、砂塵を巻き上げながらぐるんぐるんと回り続けるロメロ。


 その姿は、あまりにも鬼気迫るものがあり、この穏やかな森の中で凄まじく異様な雰囲気を放っている。


 さながら教室で癇癪をおこした問題児のようであるが、当人たちは命を懸けた生存競争の真っただ中にいるのである。これは本気と本気がぶつかりあった結果生まれた、小さな奇跡なのだ。


「へ、へへへ」


 ゴブ太はそんなロメロの姿を見て膝をついた。乾いた笑いと、涙が頬を伝う。


「兄貴、あんたは……あんたはやっぱりスゲェ! あんなにたくさんのオークを相手に一人で戦うなんて、オイラにはとてもできやしねぇ! オイラ、兄貴に出会えて本当に幸せでやんすよぉ!」


 目から大粒の涙をこぼすゴブ太。


 彼は知らないのだ。ロメロが己の知能の低さゆえに、あんな状況になっていることを。


 だが、仮に知っていたとしても、妙にハイテンションな今のゴブ太には、どんなロメロの姿も英雄にしか映らなかったかもしれない。


「うおおおお! げほ、げほ! こいやああ! うおらあああ!」


 こうして、自分の尻尾にじゃれつく犬のように回り続けるギルドの若き英雄と、それを見守るオークたち。さらにその光景で涙を流すゴブリンという、珍妙な構図が出来上がったのだった。

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