第6話 恐るべき侵略者

 東の森【エルレガーデン】。かつてエルフが住んでいたとされるこの雄大な森は、今や知性のない『野生の』獣や魔物が住み着く場所となっている。


 町にほど近いところにあるとはいえ、人気のない森は危険が多いので一般人は寄り付かない。ギルドメンバーであっても、狩りや採集のクエストが出ていなければ訪れることが無いような場所だ。


 森の入り口にたつ二人の前に広がる鬱蒼とした森林樹木は、木々の隙間から差し込む木洩れ日と小鳥の囀る鳴き声に一見穏やかな姿を見せているが、それは表向きの顔である。


 木の陰、地面のくぼみ、枝の上。様々な場所で本能のままに生きる獣と、人の味を覚えた魔物たちが目を光らせる場所なのである。


 そんな、身近で危険な場所にロメロとカスミはやって来た。


 カスミはそんな森の真の姿には無知なのか、それとも知っているうえでのことなのか、草木をかき分けずんずんと進んでいく。その後ろを、ロメロは周囲に気を配りながら追いかけた。


「カスミちゃん、敵がどこに潜んでいるのかもわからないんだ。慎重に行こう」

「平気だよ。私、生き物の気配がわかるから」

「気配って……」


 ますます、彼女が何者かわからなくなるロメロであった。

 だが、いくら強力な魔法やスキルを兼ね備えたカスミであっても、オークキング相手に真っ向勝負は厳しいだろうとロメロは思案する。


 キングは、他のオークとは違う。個の力ではなく、集団としての力を発揮する厄介な相手だ。物陰から忍び寄り、丁寧に取り巻きを排除して、一対一に持ち込むのが理想だと彼は考える。


 問題は、カスミがその作戦に乗ってくれるかどうかだが。


「今回のクエストは、無理かもしれないな……」


 目の前を物おじすることなく進んでいく小さな背中に、げんなりとした視線を投げかけるロメロ。


 彼の中で、すでにカスミの少女性に対して庇護する気持ちが薄れかかっていた。それもこれもすべては初対面で腹を突き刺されたり、下僕にされたり、右手を砕かれそうになったからである。頭を粉砕されたことについては、彼は覚えていないため、特に怒りは感じていない。


 彼女の数々の暴挙の末、命の危険を感じたらすぐに逃げよう、と彼はそう決心した。


 森の木々は進むほどに険しくなる。腰くらいまで伸びた藪が密度を増して行く手と視界を遮っている。


「あ」


 急にカスミが立ち止まり、ロメロもそれにならう。


 前方に視線を凝らすと、小さな緑色のなにかがうごめいているのが見えた。


 鋭くとがった耳。大きな頭は全身の三分の一ほどはあるだろうか。全体的に筋張っておりやせぎすな体つきだが、下腹だけが異様に膨らんでいる小人が、森の中のひらけた場所に集まっていた。


 腰に白い干し草を束ねた装束を巻いただけのその生き物は、すぐ近くに勇者とその下僕がいることも知らず、平穏で穏やかな営みを続けている。


「ゴブリンか」

「ゴブリン?」

「オークの手下だ。ゴブリンはゴブリンで集落を持っていて、強力な魔物や獣を狩るときにオークに助けてもらう。代わりにオークは、ゴブリンたちに料理や酒を作らせて、それを食う。一種の共生関係にあるんだ」


 ゴブリンは、人の目を避ける傾向にある臆病な種族である。中には戦いを挑んでくるものもいるが、大概は隙を見て逃げる。


 そんなのを相手にしても時間と労力の無駄だが、もしも見つかればオークたちに報告が行くだろう。ここは遠回りしてやり過ごすのが無難だということを、ロメロは自身の経験から知っていた。


「ふーん。でも、あれも悪い奴なんだよね?」

「ま、まぁ、人間からすればな。でも奴らは臆病だから、めったに人間を襲わないし、無視しても……カスミちゃん?」

「やらなきゃ。それが、魔法少女の使命だもん」


 いつのまにか、カスミの手には一本のバットが握られていた。

 だがただのバットではない、本体から無数の釘が飛び出した見るからに凶悪なバットだ。バットには、ところどころ赤黒いシミが付いていて、釘はまばらに錆びている。


 彼女はそれを胸の前で握りしめ、わざとらしい不安げな表情でゴブリンたちを見つめていた。


 その憂いを帯びた儚げな表情よりも、ロメロは彼女の手に握られているバットに視線がいってしまう。


「お、おい、なんだその禍々しいこん棒は?」

「これは、アイテムナンバー4、『マジカル☆ホームラン』。頭に当てると、相手をホームランするんだよ!」


 ロメロにはホームラン、という言葉の意味が理解できない。だがしかし、それが確実に相手を屠る・・という意味合いであることはすぐにわかった。


「まてまてまて、だから! 無理に戦う必要は!」

「いっくよー☆」


 ないんだってば! という言葉は遮られ、ロメロの脳裏に星がきらめく。それはゴブリンたちも同じなのか、彼らは体をこわばらせ、ロメロたちへと顔を向けた。


「人間だ! 襲ってくるぞ!」

「女子供は逃がせ! 男は時間を稼ぐぞ!」


 小さなゴブリンの中でも少しだけ体の大きな者たちがこん棒を手につぎつぎと向かってきた。

 カスミはその波に真っ向から突っ込んでいき、バットを横なぎに振り絞る。まるで爆発に巻き込まれたかのように、ゴブリンたちは四方八方へと吹き飛ばされていった。


「くそ! やるしかないか!」


 ロメロは剣を引き抜き、爆風の被害をまぬがれた集団へと駆けだした。左側にいる集団の頭数は三匹。しかし武装はしていない。


 右側にいるゴブリン達は四匹。すでにこん棒を構え、カスミに向かっている。ロメロは右側にいるゴブリンの集団へと狙いを定めた。まずは武器をもった脅威からかたずけていく算段だ。


「はぁ!」


 一閃、横なぎに切る。瞬きをするよりも早いその斬撃に、三体のゴブリンが腹を切り裂かれ、地に伏せる。

 さらにもう一太刀、と降りおろした剣は、しかし振り切ることができず最後のゴブリンに阻まれてしまった。


「なに!?」

「ぐぐ、なめるなよ人間! 逃げまわるだけがゴブリンだと思うなよ!」


 予想外の事態に、ロメロは後ろに飛びのいて距離をとった。

 眼前には一匹のゴブリン。それは見るからに普通のゴブリンだったが、体中に痛々しい傷跡が刻まれていた。ロメロの剣を止めたのは、彼だ。


 達人級の剣技をもつロメロの一太刀を止めることは、ドラゴンの巣を裸で潜り抜けるよりも難しい。何よりこのゴブリンからは、武人のような、ある種の気高さのようなものをロメロは感じとった。   


 だからこそ彼は、このゴブリンは他とは違うことを察したのだった。


「やるな、お前。俺の名はロメロ。お前の名はなんという?」


 ゴブリンもまた、相手が剣の達人であることに気づいたのか、こん棒の構えを解き、ロメロを見た。互いの名を知ること。それは武人として、相手を認めたことに他ならない。


「ふ、オイラの名は、ロイヤルクワトロハーゲン」


 ずいぶんと豪華な名前だと、ロメロは思った。


「ロイヤルクワトロハーゲン・ディスクレイモア・フォン・クリステラギルバート・ラーテンクロイツだ!」







「……?」


 このゴブリンが、突然呪文を唱えたことに、ロメロは疑問符を浮かべざるをえない。

 どうやら自分の伝え方が悪かったらしいと反省し、恥を忍んでもう一度聞くことにした。


「お前の、名前を、言ってみろ!」


 今度はしっかりと発音して、間もとって、よくとおるように腹から声をだした。

 なにせ辺りは、カスミのせいで絶叫の嵐。生半可な発声では届きようもない。


「オイラの! 名前は! ロイヤルクワトロハーゲン・ディスクレイモア・フォン・クリステラギルバート・ラーテンクロイツだああああ!」


 ゴブリンもまた、鼓膜を震わす絶叫に負けじと声を振りしぼった。

 当然、その声は確かにロメロへと届いた。が、しかし、








「……………………?」






 やはり、ロメロには理解できない。


 ゴブリンが鋭い犬歯の生えた口から放たれた空気の波は、確かな言葉の波となってロメロの鼓膜を揺らしていた。


 だがしかし、ロメロには理解することができない。


「どうした人間。怖気づいたのか?」


 ゴブリンは、こん棒の切っ先を向け、嘲るような笑みを浮かべる。緑色の顔は醜く歪み、ロメロを見下すように目を細めた。

 その表情をみた時、ロメロの血が、熱くたぎった。


「ふ……まさか。行くぞゴブリン!」

「来い! 人間!」


 結局、ロメロがゴブリンの名前を呼ぶことは無く、いままさに戦いの火ぶたが切って落とされようとした、その時。

 彼らの前に砂煙を巻き上げながら、何かが滑り込んできた。


「う、うぅ」


 それは、血まみれのゴブリンだった。片腕を失い、頭や口からは血を流している。


「ピスカリア・ストローディティチ・マルコスハーゲン!」

「…………………ストロー?」


 ゴブリンはこん棒を投げ捨て、血まみれのゴブリンへと駆け寄った。

 相手の様子が変わり、構えを解くロメロ。頭の中には、ストロー……、ハーゲン……、ハーゲン……と先ほどの呪文のような名前が駆け巡っていた。


「ピスカリア・ストローディティチ・マルコスハーゲン! 今……今血を止めるから!」

「よせ、俺はもう、助からないさ。だが、お前にはまだ、生きる希望がある。生き残って、一族の血を、紡いでほしい」


 血まみれのゴブリンは、力なく笑った。そして先ほどまでロメロと相対していたゴブリンは、その瞳から大粒の涙を流し、力無く笑うゴブリンの顔にぽたりぽたりと雫が落ちる。


「そんな、オイラは、流れ者だ。みんな、この村の住人じゃないって」

「バカだなぁ。みんな、ゴブリンなのに強いお前に嫉妬してただけだ。お前も、この村の一匹。俺たちの、バーン・ザ・ミッドナイト・ザ・カンザスビレッジの、仲間さ」


 村の名前を早口で言いきった血まみれのゴブリンは、更に赤黒い血を吐き出して、自身の薄汚れた布の服を濡らした。


 ザ、使いすぎじゃないか。ロメロの思考はもはや、戦うことよりも、妙に印象的なゴブリンや彼らの村の名前ばかり気になってしまって仕方がない。


 とはいえ、たとえ思考があさっての方向へ向いていたとしても、ロメロは鷹のような視線をけして緩めたりはしなかった。


 珍妙な名前のオンパレードに当惑していたとしても、今はおそらく感動的なシーンなのだろうと察した彼は、空気を読んでその雰囲気を壊さないようにしていたのだ。

 

「ピスカリア・ストローディティチ・マルコスハーゲン……! うぅ……ぐす……」

「雨……か? へへ、雨って、こんなに、温かかったんだなぁ」


 そして血まみれのゴブリンは、がくりとうなだれて息絶えたのだった。  


「ピスカリア・ストローディティチ・マルコスハーゲえええええええン!!」


 なんだかよくわからないが、ゴブリンに戦意がないことを察したロメロは、剣を鞘にしまった。

 そして、カスミの様子を見ると。


「きゃはは! たーのしー☆」


 彼女はバットを振りかざし、次々とゴブリンたちを、見るも無残な肉塊へと変貌させていた。


 飛び散る脳漿と星々に、ロメロは眩暈がする。


 ふと、勇気ある一匹のゴブリンが、短刀を両手で持ち、死体の影から飛び出した。


「カスミちゃん!」


 ロメロの声にカスミが反応することもなく、短刀はまっすぐに彼女のがら空きの後頭部へと突き立てられた……はずだった。


「残像だよ☆」


 カスミの体はまさにかすみの如く揺らぎ、ゴブリンは大地へと短刀を突き立てていたのだった。


 そしてそのゴブリンが、慌てて短刀を引き抜いたその時、彼の腹部を、バットが貫通した。


「ぐ……ごふぅ! に、げろ……お前たち」

「パパー!」


 幼い声が響く。

 阿鼻叫喚の地獄絵図は、その後も凄惨な絵の具をぶちまけていく。 


「うああああん!」

「あ、あ、嫌だああああ!」

「この世に救いはないの!?」


 小さいゴブリンも大きいゴブリンも、皆一様に大地にぶちまけられた後、カスミは、死体を抱きながらさめざめと泣く最後のゴブリンに気がついたのか、死神さながらにゆっくりと彼に歩み寄った。


 ゴブリンは、足音に気がついて顔を上げるが、時すでに遅し。天高くふり上げられたカスミのバットは、すでに射程範囲内だ。


 バットからつきだした釘に、肉片がまとわりついている。そこからぼたぼたと、地面に落ちた。


「い、嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! オイラは約束したんだ、生き残るって! こんなところで死にたくない!」

「でも、悪者はやっつけなきゃダメなんだよ☆」


 カスミが、バットを振り降ろそうと、柄を握る手に力を込めた。

 ゴブリンは死を感じたのか、腕で顔を覆い隠す。

 だがしかし、彼の脳漿がぶちまけられることは、なかった。


「もうやめろ、カスミちゃん。十分だ」


 ロメロがカスミの手首を握り、バットが降りおろされるのを止めていたのだった。 

 正直、自分の力で止められるとは思わなかった彼だが、驚くほど細く、なのに柔らかな彼女の手は、すんなりとロメロの制止を受け入れたのだった。


「ええー? でも、全員片づけないと報復されちゃうよ?」


 心底不思議そうなカスミに、ロメロは背筋が凍る。

 しかし、これ以上無残な光景は、あまたの戦場を駆け抜けたロメロであっても見たくはないと思った。

 これでは戦闘というよりは一方的な虐殺である。あまつさえカスミは、その虐殺を楽しんでいるようにもみえた。

 武人としての誇りで剣を振るうロメロにとって、命を奪うということはけっして楽しむようなことではなく、むしろ命を賭けて挑んできた相手への敬意と称賛を持たなければならない、というのは彼の持論である。


「その方がマシだ。おい、お前」

「へ、あ」



 がたがたと震えるゴブリンは、ロメロの声で顔を上げた。

 その目には、恐怖が色濃く映し出されている。



「行け。そいつと約束したんだろ? 生き残るって」

「あ、ああ……」

「はやくしろ! いつまでも止められないぞ!」




 ロメロの一括で、体の自由を取り戻したのか、ゴブリンは勢いよく両手を地面につき、額を地面にこすりつけた。


「兄貴!」


 そしてそのまま、ロメロに向かってそう叫んだのである。



「……はぁ?」

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