第4話 呼び名

 カスミは目を丸くしながら顔を上げた。自分の励ましの言葉がそんなにも意外に思われているのだろうか。ロメロの一般的な脳みそでは、そう考えることしかできない。


カスミ・・・は、なんだかよくわからないけど、強い奴と戦いたいんだろ? なら、この世界にはいくらでもいるからさ。さすがに神様レベルの奴がいるかは、わからないけど、でもきっとカスミ・・・が満足するようなーー」

「なんで?」

「へ?」


 カスミの瞳にじわりと涙が滲んで、戸惑うロメロ。

 そんなに失礼なことを言ってしまったのだろうか、と自分の言った言葉を反芻するが、なにも思い当たらない。


 カスミはホッケーマスクを落とし(落ちた瞬間ウォァァァ! という叫び声が聞こえた)両手で顔を覆い隠して座り込んでしまった。


「お、おい!? どうしたんだ!? どこか痛いのか!?」


 道行く人々の視線が二人に集中する。傍から見れば、どうみても男が女を泣かせてしまったようにしか見えない。


 ギルドの若き英雄は、戦場での予想外の事態には何度も対処してきたが、わけもわからず泣き出す女の子の対処法についてはまったくの経験不足だった。


 今まさに彼の感じている焦燥感は、買い物帰りに火竜とばったり出くわして突然威嚇された時と相違ない。


「お、おいカスミ・・・!?」


 どうすればいいのかもわからず、不用意にカスミに近づいたロメロは、不意に額をわしづかみにされた。完全に自分の意識の隙間を縫って迫ってきた腕に、達人の居合も見切ることのできるロメロは反応することさえできなかった。


ーーーーこいつ、瞬きと同時に……!


 ロメロの心は、驚きと焦燥で燃え上がる。


 そしてその感情は、額に走る激痛によって掻き消されてしまうのだった。


「う、うおおおお!?」


 ぎりぎりと額を締めあげられ、もがき苦しむロメロ。目玉が飛び出そうな程締め上げられ、振りほどこうと必死に彼女の細い右腕を両手でつかむが、自分の額をがっちりとつかんだその手はまったくもって外れる気配がない。


 激痛は混乱をよび、彼は徐々に立っていることさえ困難になると、膝を地面についた。白い土から微かな砂煙が舞い上がり、その砂煙の向こうでは、先ほどまでの泣き顔が嘘のような冷たい表情でカスミが見下ろしている。


「ねぇ、なんで?」

「なにが!? うおおお! 出る! 出ちゃううう!」

「なんで呼び捨て・・・・なの?」

「……はぁ!?」

「ゲボちゃんは下僕なんだよ? なんで下僕がご主人様を呼び捨てで呼ぶの?」

「申し訳ありませんカスミ様ッアアアアアアア!」


 もはや思考する余裕すらないロメロはカスミへの敬称と絶叫の境目がわからなくなる程、叫んだ。


「その呼び方、可愛くない」


 ぎりりと締まる額。半ば白目をむいているロメロ。


「アアアア! カスミさああああんんんあああ!」

「却下」

「カス、カスミちゃああああああああああん!」


 ロメロが叫んだその瞬間、カスミの顔に満面の笑顔が咲き誇った。


「それがいいよ!!」


パァン! どちゃ。



「あ」


 カスミは、感極まって力んでしまったのか、ロメロの頭を握りつぶしてしまった。


 水風船のように弾けた頭。命令系統を失った体は、力なく腕をたらし、そして行き場を失った鮮血が勢いよく首から飛び出している。


 しかしすぐに血は止まり、ロメロの傷口から淡い緑色の光があふれると、彼の首は元通りに戻ったのだった。


「はぁ……はぁ……? お、おかしい。カスミの笑顔を見て助かったと思った瞬間、頭を握りつぶされたような気がした……」

「カスミ?」

「か、カスミちゃん」

「うんうん、ゲボちゃんはいい子だね☆」


 カスミはロメロの頭を無造作に撫でた。なぜ撫でられているのか理解できないロメロだったが、ただ一つ、今後カスミの名を呼ぶときは『ちゃん』を付けなければならないということだけは、本能的に理解していたのだった。


 その後カスミは、呪いをかけることはあっても解けるかどうかはわからない、とロメロに告げ、そのことを聞いた彼は妙に損した気分になった。


「あ、でも、特訓で私の魔法を受け続ければ、なにかが起こるかも!」

「……なにか?」

「なにかだよ! この世は、愛と正義と、たーっくさんの不思議でできているんだゾ☆」


 ぱちんとウィンクするカスミ。瞼から星が発射され、ロメロの額に突き刺さる。


 ロメロは、痒いような痛みと共に、血と臓物にまみれた自分の姿を想像するのだった。

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