第1章 邂逅  第1節 奇妙な出会い

 「はぁ……はぁ……っ!」

「逃がすな!捕らえろっ!」

燃えるような赤い毛に、3メートル半を越える巨体、身体中を走る溶岩のような血管に、全身から発せられる熱気と血の臭い。

異形の人狼であり、亜人であるガリーチェは、四足の狼の姿で、大地を駆けていた。

後ろからは人間の警備隊が、魔獣馬まじゅうばに乗り追いかけてくる。

普段であれば、人間などガリーチェにとって問題にはならない。

しかし、今回は数が多い。

おまけに、先頭で指揮を執っているのは、女騎士イストークだった。

 イストークは剣の腕が立ち、魔獣馬も乗りこなす、仲間からも恐れられる冷徹な騎士であった。

その内面を表すかのように、イストークが纏う鎧は全身が青白く輝いている。

頭部は龍を模した冑で覆われており、素顔を知る者は少ない。

「多少であれば、傷つけても構わん。射て!」

「ぐあぁぁっ……!」

イストークの合図で放たれた矢が、いくつかガリーチェに命中する。

一瞬叫び声を上げるが、走るのを止めることはない。

この先に何があるか、良く知っているからだ。

「くそっ……化け物め。これぐらいでは止まらないかっ!」

イストークが魔獣馬の腹を蹴り、スピードを上げた時だった。

「隊長っ!待って下さいっ!この先は……」

ずるりと斜面を滑り落ちそうになり、魔獣馬が立ち上がって嘶いた。

寸でのところで手綱を引き、なんとか難を逃れたイストークは舌打ちをした。

「チッ……赤い川、死の川か……」

警備隊達の眼下には、大きな赤い川が血のようにドロリと流れていた。

「あいつめ……ここに飛び込むとは……」

「どうします……?これでは追うのは難しいかと……」

「分かっている。次は必ず捕らえてやる。あんな獣に王都の地は踏ませない……」

そう言うと、イストークは忌々しげにしばらく川を睨んだ後、隊員を連れて引き上げていった。

 「ぷはっ……!」

ガリーチェは対岸に上がると、少しずつ人間の姿に変わっていった。

耳や尻尾、手足や胸の毛など、一部は狼の特徴を持ったままだが。

「ふぅ……痛ぇな、しくじったよ、全く」

木の陰に隠れながら、刺さった矢を1本ずつ抜いていく。

そして警備隊が完全に去ったのを確認してから、ここまでは来れないだろうと、心の中で舌を出した。

この目の前に広がる赤い川、別名“死の川”は、あらゆる生物の骨を溶かしてしまう。

それは、獣の特徴を持つ亜人や、魔獣も例外ではない。

ガリーチェのように異形の亜人は渡れなくもないが、それでもあちこちに火傷のような傷が出来ていた。

人狼族はタフで回復力が高い。

しばらくすれば治るだろうと、ガリーチェはゆっくり歩き出した。

 すると、木の根本に何か大きなものが倒れているのを見つけた。

三角耳のフードに、不気味な目玉模様がついた袖、その先に伸びる鋭い爪のような金属……。

自分と同じ、人狼かもしれない。

裸のガリーチェは、あわよくば服を奪ってやろうと思い近づいてみたが、どうやら服は手作りのようで、継ぎ接ぎだらけだった。

「おい、お前……人狼か、他の亜人か?」

声をかけながら、軽く揺すると、倒れていた者はゆっくりと顔を上げ、口を開いた。

「……あなたは、もしかして人狼ですか?」

弱々しい声の主は、青みがかった灰色の髪を持つ少女だった。

「変な奴だな。私が訊いているんだ。答えるのはそっちだろ?」

そこまで言って、ガリーチェはおかしな事に気づいた。

「待て。お前、どうやってこっち側に渡ったんだ……?死の川があるのに。ここは私のような人狼しか来れない場所だぞ。お前みたいなガキが来られる所じゃあ……」

「よ、良かった……。あなたは人狼なんですね。やっと出会えた……」

「あっ!おいっ!」

フードの少女はそれだけ話すと、その場に倒れてしまった。

困った事になったと、ガリーチェはため息を吐いた。

このままここに捨て置いても良いが、何故ここへ来れたのか、“やっと出会えた”とは何かが気になってしまった。

それに、もしも仮に亜人になりすました人間の手先だったら……対処しなければならない。

しばらく迷ったが、ガリーチェは少女を担いで、森の奥にある住み処へと向かった……。


 ガリーチェの家は森の木で造った小屋のようなものだったが、小さな暖炉と小窓、布を重ねてつくったベッドなど、最低限のものは揃っていた。

その固いベッドの上に、やや乱暴に少女を投げると、壁に掛けていた服を着た。

狼の姿になる度に駄目になるので、服は作業着のような地味なものが何着もあった。

暖炉に火をつけて暖まりながらうとうとしていると、突然雨が降ってきた。

その音で目を覚ましたのか、フードの少女がゆっくりと起き上がった。

「あれ、ここは……?」

「私の家だけど。お前、あんな所に独りで……。何者なんだよ?」

「あなたはわたしの命の恩人です!助けられたのは2回目なんです!」

ずいっと身を乗り出す少女の頭をガリーチェは叩いた。

「会話通じないのかよ。落ち着け。まず、名前と種族を吐……教えてくれ」

ガリーチェの乱暴さにやや驚いたのか、少女は姿勢を正した。

「えっと……済みません。わたしはスタフティと言います。種族は……亜人だと思うんですけど、分からないんです」

「私はガリーチェ。人狼だ。種族が分からないってどういう事だ?怪しいぞ……」

「あ、怪しくありませんっ!種族は分からないけれど、わたし人狼になりたいんですっ!」

「はぁ?ていうか、そのフードをまず取れ。信用出来ない」

「これは駄目です!見せたくありませんっ!」

「良いから、み、せ、ろっ!」

ガリーチェが無理矢理スタフティのフードを取ろうとしたその時だった。

凄まじい風圧が突然起こり、ガリーチェは反対側の壁に叩き付けられた。

手には何か固い感触があった。

「痛ってぇ……今のなんだよ。あ……」

「今のは風の魔法です……。咄嗟に出ちゃう事があって……それより、それ……うぅ」

ガリーチェは自分の手に握られている物と、スタフティを交互に見た。

スタフティの頭からはフードがずれ落ち、後ろに向かって湾曲した2本の角が生えていた。

しかし、左側の角の先が折れていた。

そして自分の右手には、鋭く尖った物が……。

「う、うわぁぁ!わ、悪い!まさか折れるなんて。泣いてるのか……?と、取り合えず返すから!」

「良いですよ……きっと、その内また生えてきますし。それは持っていて下さい。それより、思ったより乱暴なんですね。ちょっとがっかりしました……」

「わ、悪かったよ……。確かに、見たことない特徴だな。羊や山羊の亜人って訳でもないんだろう?」

「はい……。少し前の事を話しても良いですか?」

「角折っちゃったしな……。良いよ、話してくれ……」


 「先程もお話しした通り、わたしは自分の種族が分からないんです。もちろん両親も……。だからずっと孤児院で育ちました」

「ふぅん。そりゃ大変だな。良くある話だが」

ガリーチェは椅子の背もたれに両腕を乗せて、やや退屈そうに話を聞いていた。

「はい……。でも、勉強は好きでした。孤児院の人達は優しかったし、本もたくさん読ませてくれたので。わたしはそこから特別に王都学園に行けることになったんです」

「王都学園!?エリートの集まりじゃないか。凄いな。というか、お前歳はいくつなんだ?」

「16歳です。ガリーチェさんは?」

「16か。小柄だからもっとガキかと思ったよ。私は24だ」

「そうなんですね。大人げないから、もっと近いかと思いました。乱暴だし……」

「なっ!生意気な奴め……。まぁ、良いや。それで、続きは?」

「王都学園に初めて行った時はワクワクしました。でも……その……」

「いじめられでもしたか?もしくは、亜人達には魔法を教えないとか、そんな差別を目の当たりにしたとか……」

スタフティは、俯いて黙ってしまった。

「無理に言わなくても良い。私も似たようなもんだ。この川の近くで捨てられていたのを拾われて、孤児院で育てられたが、見た目が見た目だからな。相当怖がられた。学園行ってからは、それなりに仲間も出来たし、色々やってきたが……。お前はもっと事情がありそうだな」

「……王都の学園でも、亜人の癖にという意識が人間側に根付いていて、何かと嫌がらせを受けました。それである日、魔法を使っちゃったんです。ガリーチェさんも見たでしょう……?」

「さっきの風みたいなやつか。あんなの魔鉱石まこうせき無しでどうやって出したんだ?」

この国では火、風、土、水の魔法があるが、魔鉱石という特殊な石同士をぶつけ、摩擦を起こさなければ、普通は発生させることが出来ない。

すると、スタフティはおずおずと自分の口を指差した。

「わたしの歯には、どうやら生まれつき魔鉱石と同等の成分が含まれているらしいんです」

「そんな珍しい事があるのか?」

「はい。自分の身に危険が迫ったりした時、強く歯を食いしばったりすると、勝手に魔法が……。学園の健診で発覚した時は、気をつけるようにとしか言われなかったんですけど、後から先生達が話しているのを聞いちゃって……」

「一体、何を……?」

ガリーチェが思わず身を乗り出すと、スタフティは小さな声で言った。

「この亜人は興味深い個体だから、研究材料とした方が良いんじゃないかって……」

「そ、そんなのっ!」

ガリーチェは椅子から立ち上がりかけて、静かに座り直した。

「酷い話だな……」

「どうしようかと悩みました。学園で勉強はしたいけど、このままじゃ危ないかもって……。でも大丈夫だったんです!王都襲撃事件のおかげで……!」

王都襲撃事件……。

ガリーチェは苦笑した。

それは自分が……自分達がついさっき失敗した襲撃だったからだ。

「そ、それでその事件がどう関係するんだ……?」

「あの時、亜人達の襲撃があちこちで起きたおかげで、学園も混乱状態に陥ったんです。わたしは思い切って逃げ出しました」

「ふぅん。度胸あるじゃないか……」

「そしたら、聞こえたんです。研究材料を確保しろーって!その時爆風が起きました。わたしがうっかり魔法を使ってしまったのかと思って、じっと目を凝らしたら違いました……。爆風が起きた方向に、見たこともない巨大な狼が居たんです!真っ赤な毛並みの!」

スタフティはそこまで一気に話すと、ベッドから立ち上がって腕を上げ、ガオーっと吠えるようなポーズをした。

水色の瞳を輝かせて興奮気味に喋るスタフティに、ガリーチェは狼狽えた。

「それは……まぁ、その、私だけど。助けようと思ってやった訳じゃないし、誰が居たかなんて知らないしなぁ……。恩を感じる必要はないよ……」

「結果論だから良いんです。それでわたしは助かったんですから。それより、あの時王都で何をしてたんですか?」

「それは……闘ってたんだよ。人間と……」

「ふーん。あんな危ないことをするほど大切なことですか……?」

「そんなこと、お前には関係ないだろ」

「関係なくないですよ!あの後、ちゃんとお礼しようと思ってこっそりついて行ったら、たくさんの警備隊に追われてるんですもん!」

「なっ!お前そんなところまでついてきてたのか!?」

「はい。びっくりして川に飛び込んじゃいましたけど。人間が怖くって……。そこで、気を失ったみたいです」

ガリーチェは驚いて、スタフティの身体を調べた。

「びっくりして飛び込んだって……!生物の骨を溶かす死の川だぞ!なんともないのか!?」

「大丈夫みたいですね……」

「本当に何なんだ、お前。人狼でもないのに……」

「だからわたし、人狼になります!」

「はぁ……?何でそうなるんだよ?」

ガリーチェはスタフティの姿を改めてまじまじと見た。

不格好な狼フードだ。

「そう言えばお前、何でそんな格好してるんだよ」

ガリーチェが訊ねると、スタフティは嬉しそうにくるりと回った。

「良いでしょう?わたし、何の亜人か分からないから……。子どもの頃から本でたくさん亜人の事調べてて。その中でも昔から存在していて、タフで強い人狼に憧れてたんです!」

「憧れねぇ……。お前が思っているより良いもんじゃないと思うぞ」

言いながらガリーチェは前のめり気味のスタフティを手で押し返した。

「まぁ、確かに他人の角折る程度には狂暴で暴力的ですもんね」

「だから、それは悪かったって……」

「じゃあ決めました」

「何を……?」

ガリーチェは不安になって眉を下げた。

「わたし、あなたについていきます。人狼になるために……!」

「は、はぁ!?だ、駄目に決まってるだろっ!」

「何故ですか?仕事があるなら手伝いますし、生活に必要な事も、何でもやりますよ!あっ、ガリーチェさんは、いつもどんな仕事をしてるんですか……?」

「し、仕事は……。魔獣を退治したり、とか……かな……?」

上手く説明出来ず、ガリーチェは頭を抱えた。

「魔獣退治ですか……ふぅーん。ねぇ、ガリーチェさん?」

スタフティはガリーチェの近くまで歩くと、不意に顔を覗き込んだ。

「な、何だよ……」

「ガリーチェさんって、もしかして悪いことをしてる人なんですか?」

「そっ……!」

スタフティと目が合ったガリーチェは、まるで心臓を掴まれているかのような気分になった。

「そんなこと、ある訳ないだろっ!悪いことなんかしてねぇっ……!」

「じゃあ、安心です……」

「そ、そうか……」

お互い机を挟んだ状態でしばらく無言で座っていた。

「止みませんね、雨」

「そう、だな。今日は取り合えず、休んでいって良いよ。外は暗いしな……」

「ありがとうございます!でも、まだ眠くないなぁ……」

「それなら、本でも読んでるか……?」

冷や汗をかきながら、ガリーチェは適当に本棚から何冊か取り出した。

「わーい!本は久しぶりです!」

実に厄介な拾いものをしてしまったようだと、ため息を吐くガリーチェだった。

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