第39話『もういいから』

 お母さんとケンカした

 カッとなっていっぱい口ごたえした

 お母さんは言った

「そんな子はもう知りません」

「そうかよ」

 僕は家を飛び出した

 家を出てどうしようなんて先のことは考えていない

 もうここまできたら勢いの世界だ

 かっかする頭の中の命令に引きずられるように——

 お母さんに背を向けた

 視線をそらした一瞬

 お母さんが涙ぐんでいるように見えた



 ちょっとだけ胸をかすめる痛みはあったけど

 やはり僕はまだ頭にきていた

 お母さんの分からず屋

 感情ばかり先立って理性的に考えられない

 そうこうしているうちに、いつもの公園に着いた

 ブランコに乗って揺られてみる

 空を見上げる

 夕日はオレンジ色に空を染める

 遠い彼方の建物たちと空が接する部分から藍色の闇が迫る

 もうそんな時間だったっけ

 吹き付ける風が少し冷たくなってきた

 それとともに僕の頭も冷えてきた

 何より、お腹がすいてきた



 どうしよう

 家に帰ったらあったかいだろうなぁ

 夕ご飯もある

 テレビも見れる

 まぁ帰ってもいいかなぁ

 癪だけど、今回くらいは負けとくか

 ごめん、って言っとけばお母さんもそれ以上は言わないだろ

 ああ腹減った

 こんなとこにずっといたら風邪ひいちゃう——



 僕以外にも公園に誰かいた

 どこかの高校生くらいのお姉ちゃんが二人

 ひとりは足が悪いのか車椅子に乗っている

 そしてもうひとりが車椅子を押している

 散歩かなぁ

 雰囲気的には、二人は友達同士っぽい

 そんなことをぼんやり考えながらブランコをこがずにじっと座っていると

 驚いたことにその二人は僕のほうに近づいてきた



「こんにちは」

 車椅子を押してるほうのお姉ちゃんが声をかけてきた

「……こんばんは」

「そっか。もう夕方だもんね。こんばんは、のほうがいいかぁ」

 そう言ってちょっと笑う

 僕は車椅子に乗ってるほうのお姉ちゃんの顔を見た

 びっくりした

 お姉ちゃんの目には、黒目の部分がなかった

 黒いはずの丸い部分は、限りなく薄い水色だった



「このお姉ちゃんがね、君に伝えたいことがあるんだって」

 僕らは自己紹介しあった

 車椅子を押してるほうは、美奈子お姉ちゃん

 目の青い不思議なお姉ちゃんは、乃亜お姉ちゃん

 乃亜お姉ちゃんは、目が見えない上に耳が聴こえないんだそうだ

 でも、どうして僕のこと分かったんだろ?

 お姉ちゃん同士もなんか会話できてるみたいだし……

「ああ、それはあまり突っ込まないで」

 美奈子お姉ちゃんは笑った

「私たちは、ホントのトモダチ同士だからね。心で話ができるの」 



 乃亜お姉ちゃんは、目はゼンゼン別の方向を向いているのに——

 スッと僕のほうに伸びてきた手は、しっかりと僕の手をつかんだ

 その瞬間

 周囲の世界の全てがグルグル渦を巻いて回り、暗転した



『ワイズマンズ・ビジョン!(賢者の箴言)』



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ……ここ、どこ?



 頭がガンガン、目がチカチカ

 目の前には、鉄格子のドア

 狭い、薄暗い部屋

 自分の知識のデータから判断するに、ここはどう見ても——

 犯罪者が監禁される、牢屋みたいだ

 ということは、ここは刑務所?

「開けてぇ、出してぇ!」

 分けが分からない

 僕が騒ぐと、看守らしき男がやってきた

「……ったく、うるさいぞ。懲罰房にでも入りたいのか?」

 何で僕がこんな所にいるのか、僕が一体どんな悪いことをしたのか?

 問い詰めると、恐ろしい答えが返ってきた

「お前なぁ、自分のしたことも忘れたのか?」

 あきれ顔の看守は天井を仰いだ

「殺人だよ。あと、死刑は一週間後だからな」



 ……何だって?



「まさか、それも忘れたなんて冗談きついぜ?」



 不思議なことに、だんだん思い出してきた

 やってないはずなのに、やった記憶が僕の心に湧き出てきた

 ウソ!

 罪を犯した自覚が出てきた

 ここに来るまでの経緯さえ、まざまざとよみがえってきた

 殺人・逃走・逮捕・取調べ・裁判・死刑判決—— 



 僕は遺族に手紙を書いた

 読んでもらえたかどうかは、分からない

 僕は心から後悔して日々を送った

「……お前、変わったな」

 死刑執行・二日前

 看守は、僕の食事を運んできた時に言った

「僕は罪を犯しました」

 憔悴した表情で、僕はポツリともらした

「どんなに反省しても、もうゆるしてもらえないんでしょうね——」



 日に焼けた精悍な顔を天井に向けて、看守は語った



「そうだな。

 反省したからゆるしてくれ、ってのは通らねぇな。

 そりゃ、悪い側の手前勝手な言い分だな。

 悪い側が決められることじゃねぇ。

 決定権があるのは、遺族であり・法であり・社会だ。

 一方的にゆるしてもらえん限り、お前さんはどうしようもないのさ。

 それが、罪人の定め、ってもんだ。

 俺には分かるよ、お前さんが十分に反省しているってことが。

 でも、それでもどうにもならねぇんだ。

 そう考えてみると——

 人から『ゆるしてもらえる』ってことがどんなにありがたいことか。

 どんなにお金を払おうが償おうが、確実に買えるものじゃない。

 相手さんの気持ちにしか、その決定権はないんだからな」



 遺族からの返事は、最後まで来なかった

 ついに、死刑執行の朝を迎えた。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 あれっ

 ここは……?

 逆じゃん

 さっきまでの状況こそがここは……? ってやつなのに

 リアルすぎた

 僕は、ほっと胸をなでおろした

 やっぱり、さっきのは夢か幻か何かだったんだな

 見回すと、美奈子お姉ちゃんも乃亜お姉ちゃんもいない

 僕一人だけが、滑り台そばのベンチで寝ていた

 僕の体には、さっきの車椅子のお姉ちゃんのひざ掛けが。

 きっと、寒かろうと思ってかけてくれたのだろう

『NOA』という縫い取りが見えた



「あんた、こんなところにいたの——」

 声に振り返ると。お母さんが腕組みをして立っていた

「まったくもう。探したのよ……」



「……ごめんなさい」

 あんな体験をした後だ

 僕は、自分の悪かったことを思い返した

 この時は、素直に謝る気になった

 悪いのは、自分

 ゆるしてもらおう、と思って謝るのはマチガイ

 僕はただ、今自分がどんな気持ちなのかを正直に伝えるだけ

 その上でゆるされてもゆるされなくても、僕は受け止めるだけ

 罪を犯した人間にできるのは、それだけ



「もう、いいから。帰ってらっしゃい」

 お母さんは僕の手をグイッと引いた

「あんた探すのに時間かかったから、夕食の支度できなかったわ」

「今、もういいって言った?」

 僕の顔は、暗闇の中で光を見たように輝いた

「ホントに? もしかして、ゆるしてくれるの!?」

「……大げさねぇ」

 お母さんは、クックッと笑った

「ゆるすも何も、親子でしょ。あんたは母さんの子でしょ」

 そう言ったお母さんの顔は、いつもの怒りんぼの顔じゃなかった

 優しかった

 


「ちょ、ちょっとどうしちゃったの——」

 僕が泣いてしまったので、お母さんはうろたえた

 うん。自分でもびっくりしている

 ゆるしてもらえる、ってことがどんなにものすごいことか分かったから

 肩をさするお母さんの温かい手が、僕の気持ちを落ち着けてくれた

「家帰っても夕飯ないから、どっか二人で外食しよっか」

「マジで? やったぁ」

 僕とお母さんは手をつないで、すっかり日の沈んだ街を歩いた

 ちょっと恥ずかしかったけど、うれしかった



 僕は、片手に持った乃亜お姉ちゃんのひざ掛けを見つめた

 家も連絡先も分からないな

 またいつか会って、これ返せるよね?

 その時、どこからか声が聞こえた



 ええ また会いましょう——



 その声を聞いた僕は、よく分からない安心感に包まれた

 僕とお母さんの姿は、ファミレスの建物の中に吸い込まれた。

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