第38話『シェイプシフター』

「言っとくけど私、何か解決してもらえると思って来たんじゃないから」

 目の前の女の子は、斜め上の天井の端に目をやり、そっぽを向く。

 親が行けって言うから。無理やりよ、無理やり」

 まぁ商売上、最初からカウンセリングなど受ける気のない人間を相手にするのは慣れている。

 佐伯貴子は、ハナから問題解決などどうでもよかったので、この高校生の少女を適当にあしらうことにした。

 逆に、この反抗的な少女との出会いを楽しむことにしたのだ。



「それを聞いて安心したわ。実のところもね、私ももうホントなら終業時間なのよ。なのにさ、そのタイミングで電話かかってきてよ、うちの娘がヘンなんです、話聞いてやってください、って。ホント、迷惑もいいところよね。

 551の豚まん、買いそこなったらどうしてくれるって言うのよ!」

 ある程度意図的に言ったはずなのだが、551のくだりでは本心むき出しになっていた。一応これでも、貴子はこの児童相談所のプロの相談員なのである。

 病的な雰囲気の中にもまだ人なつっこさを残していた少女は、そこで初めてクスッと笑った。貴子は嫌な予感がしたので、あわててこう付け加えた。

「……要するに、私たち二人は被害者なのよ! そこで提案。お互いの利益のために、ここはもう話をしたことにして終わらせて……ね? それで、双方利害一致、ってことで」

 貴子の提案に乗ってくると読んだはずの少女は、予想を裏切った。

「お姉さん、面白い。やっぱさ、気が変わった。悩み聞いてくれる?」



 ……なんでや!



 これで、551の豚まんにかぶりつく楽しみが遠のいた。やっぱり、才能あるカウンセラーは人の悩みにとことん付き合う運命にあるようだ。



「私ね、大麻持ってるの」

 さぁ、これからじっくり話を聞こうかとした矢先の爆弾発言である。

 貴子は、飲みかけていた紅茶を噴きそうになった。

「そそ、そうなの?」

 少女は、こともなげに次の言葉を継ぐ。

「円もした」

「は? それは何」

「援助交際」

 またもや紅茶が気管に入りかけて、貴子はむせた。

 こちらが時間をかけて聞き出すような話をどんどんしてくれることは、カウンセラーにしてみればありがたいことではある。でもこの場合、内容が内容だけにそうも言っていられない。

 貴子の顔が気色ばむのを見て、少女のそれまでの笑顔が曇った。

 その表情は、『あんたは話の分かる大人だと思ったけど、やっぱり親や先生と同じかい。がっかりだよ』と言っているようでもあった。

「どうせさぁ、あんたもダメとか自分を大事にしろとか言うんでしょ。理由とかそんなものはもう聞き飽き——」



 少女は、最後まで言葉を言い終われなかった。

 なぜなら、貴子の平手打ちが飛んできたからだ。

 椅子から転げ落ちた少女は、自分に何が起こったのか分からない様子であった。

 親でも先生でもない、相談に訪れた公共機関の職員に手を挙げられるなんて夢にも考えていなかっただろうから、頭が真っ白になって当然であろう。

 目から、涙があふれ出た。

「何でさ。どこが悪いっていうの? 大麻だってタバコとそんな大きく変わんないし。援交だって相手選んで、最後までヤラせなければそんなに問題じゃないでしょ? 金安くすりゃ、ゴハンとかカラオケ付き合うだけでも儲かるし」

 貴子は、優しいカウンセラーから鬼に豹変した。

 近所中に轟く声を張り上げた。

「世の中にはね、悪いことというのは二つあるの。理由があって悪いことと、理屈抜きに悪いこと。あなたのやっているのは、明らかに理屈抜きで悪いほう。だから問答無用で私はあなたを叱るっ」

 泣く少女に、慰めるどころか、さっきにも増して烈火の如く怒った。

「私が叩かれた、って訴えたらどうする気?」

「なんでもやったらどう? 私が相談員やってる覚悟は、そんな脅しで子どもにへつらう程度のもんじゃないわよっ」



「……大人がみんな、あなたみたいだったらよかったのに」

 しばらくして泣き止んで落着きを取り戻した少女は、ポツリと言った。

 怒られたのに、少女はどこか嬉しそうにも見えた。

 時間も、夕方から夜へと変わっていく。

 駅前の551の閉店前には、もうすべりこめそうもない。

 貴子は潔く、この目の前の救うべき魂に、とことん向き合うことにした。

「お姉さんには、今まで誰にも言えなかったこと、話すね」



 少女は、苦しそうだった。

「私ね、ずっといい子できたの。塾も行って、言われたとおり勉強して、ピアノもバレエも習って。今ではいいことだったのかどうか分かんないけど、やってみたら一応それなりにはできちゃったのね。

 そしたら親は、この子はやったら出来る、ってんでさらに先回りして私のやること全部決めちゃうようになって——」

 おかしい。

 貴子の第6感が、この子は普通ではない、と察知した。

「だからさ、自分で何かを決めたことって一度も、一度も……」

 少女の顔が、ドス黒く豹変していく。

「一度も……ない」

 最後の声は、男の声でも女の声でもなかった。

 あえて言うなら、獣の咆哮である。



 ついに、少女の手足を異様な黒い毛が覆い始めた。

 みるみる異形な姿に変わっていく。

 貴子は、最近新聞紙上を賑わせている事件を思い出した。

 真夜中の連続通り魔事件。死者3人、重軽傷者10人。

 被害者の証言によると、犯人は人間の背格好はしているが、その俊敏な動きはどう見ても……何かの動物だ、というのである。

 刃物で襲ってくるが、時として噛みつきもあるという。

 実際に噛まれた被害者の傷を調べてみると、その歯型は人間のものではなかった。

 あえて調べてみたら、それは狼のものに一致した。



 ……シェイプシフター(変身人間) か。



 聞いたことがある。

 海外では、古代の昔から中世までその存在は伝えられている。

 貴子は、ただのカウンセラーではない。

 過去に、特殊な事件をいくつも乗り越えてきた。

 腹をくくった貴子は、攻撃系の特殊能力をまずは封印した。

 対話による解決が、できるかもしれないと判断したのである。

 シェイプシフター(変身人間)には、2種類ある。

 生まれつきのもの。何かに憑依されてなるもの。

 少女の場合は、後者だろう——



 ついに、変化は完了してしまった。

 少女の衣類は、筋肉の肥大化により、破れ裂けた。

 身長155センチの少女は、天井に頭の付く狼人間になっていた。

「誰にも言えなかった私の秘密って、これ」

 悲しい目をして、狼人間は言う。

「この姿になっても、5分くらいはまだわたしのまま。でもその後は、ダメ」



 ……人格が乗っ取られるわけか。



 貴子は、必死で解決法を頭で考える。

「こんな相談したって、バカにされるだけだし。かといって証拠を見せたら、私の人生、たぶん終わりでしょ? 研究されるし、殺したりケガさせた人にだって責任取らなきゃいけないだろうし——」



 憑依されやすい人間の特徴。

 劣等コンプレックス。

 自分を飾る者。

 愛情に飢える者。

 それが過度に表れたのが、この子だとすると……

 原因を断てば、居心地が悪くなって、中の奴は出ていく。

 じゃあ、何をすればいい? 何を?

 ここからは、能力に頼るか。



『ワイズマンズ・サイト!(賢者の眼)』



 貴子は、ひとつの結論に達した。

 考えられることはひとつ。

「電話を二本かける時間をちょうだい。その間、すみませんがあなたの動きを封じさせていただきます——」

 いつ、少女が人格を乗っ取られていもいいように、念のため呪縛の結界を張ることにした。

 


 真如懺賽紅妙 詔隼結宙鉾献 纏衣経辿稜舜

 鎮宅 

 一魂浄誓の儀 

 祝覇盛の時に阿夜して見る神の

 態雅の時に遠津美世麗を彷徨えり



 ……これで、5分はもつかな。

 貴子は、落ち付いて電話番号をプッシュし、必要最低限の情報を的確に相手に伝えることに、全力を尽くした。



 私は一人

 私は考えるし夢もある

 でも、考えることも夢を見ることも許されない

 私は自分で生きてはいけないのだ

 なぜなら、みんなが私の人生を決めるから

 私に生きることを誰も教えてくれないから

 正しい事を正しいと教え 自分もそれを行う人がいない

 悪いことを悪いと教え 自分もそれを守る人がいない

 目的地もないまま、私は歩き続ける

 誰も、私がどこにつくのか教えてくれない



「一体、何をしている?」

 狼人間の声は、もう少女の人格によるものではないようだ。

 受話器を置いた貴子は、満足げに時計を見た。



 ……まだ4分たってない。間に合ったわ。



「あなたにね、見せたいものがあって」

「余計な事を、するな。このいまいましい呪縛布陣さえなければ、お前などとっくのとうに——」

 貴子は、惑わされなかった。例え表の人格は別でも、あの子は必ず私の声を聞いて理解するはず。

「聞いて。今から見せることをしっかり見てちょうだい。その上であなたがどうするかは、任せる。結局あなたが変われなくて、私が殺されても恨まない。でも、あなたの人生あなたが決めなさい」



 狼人間の意識の中に、ひとつのイメージが流れ込んできた。



 …どこ?



 少女の部屋の中だ。



 …あ、お母さん。お父さんも、いる



「綾子、お母さんが悪かったよ。どんなになっても、お前はお前だよ。よかれと思って母さん色々おまえにしてきたけど、一度も綾子の意見を先に聞いたことはなかったよね。

 お前のしたい事があったんなら、言っておくれ。とにかく、お前が苦しいのよりは、お前が好きに生きてくれたほうがいいんだよ」

 母の次は、父だ。

「父さん、仕事のことばっかりで何もお前にしてやってなかった。したことと言えば、あれ習わせたらいいんじゃないか、これやらせたらいいんじゃないかって口ばっかりだった。

 今、カウンセラーの先生から聞いたよ。お前の辛い事情が初めて分かった。どうか、父さんをゆるてほしい。

 お前が実は、ピアノもバレエも好きでなかったってことも、教えてもらったよ」

 その後の父の行動は、少女の自我を完璧に呼び覚ました。

「ゆるしてくれ、ゆるしてくれ!」

 父は、バットなんか持っていきなり振り上げた。

 それを振り下ろした先はー

 私のピアノだった。

「こんなもの! こんなもの!」



 冷静に考えたら、極端な行為ではあった。

 でも、そこまでした父の気持ちの強さは、少女のかたくなな心とわだかまりを破壊するのには十分だった。

「帰って来ておくれ。頼むから、元のおまえに戻っておくれ——」



 私、帰ってもいいんだね

 私、自分で決めていいんだね

 ちょっと怖いな

 でも、うれしいな

 カウンセラーの先生、本気で叱ってくれてありがとね

 お母さん、謝ってくれてありがとね

 お父さん

 ピアノ壊すくらい私の事大事に考えていることが、今分かったよ

 だから、今私も変わらなくちゃね——



 狼人間の背が、みるみる縮んだ。

 たくましい体つきは、丸みを帯びた女性のそれに変わった。

「……お帰りなさい」

 貴子は、裸の少女に毛布をかけてから、何か着せられる服を物色し始めた。

「ただいま」

 少女は、本当の意味で『帰って来た』のである。

「長い、旅だったね」

 そう言いながら、貴子は自分の着替えとして持っていた服を手渡した。

「これ、ちょっと大きいかも」

 実際、長身の貴子の服は少女にはサイズが大きかった。

「家まではそれでガマンなさい。でも、誤解しちゃダメよ。私はぁ、背が高いだけですからね! 背が!」

「……ちょっと、横もあるかも」

「うがぁ! 言ったわねぇ」

 2時間前に初めて出会ったとは思えない、仲の良さである。



「最後に、ひとつ聞いてもいい?」

「なぁに?」

 551をあきらめた貴子は、厨房からお菓子類を引っ張り出してきた。

「二本の電話って言ってましたね。一本はウチだったんでしょ。二本目はどこ?」

「あ~、そのこと? 気になった?」

 マスヤのおにぎりせんべいを頬張りながら、貴子はモゴモゴ答える。

「あなたの中から狼人間を追い出したのはいいけど、そのまま放っておいたら、また取り憑ける別の人間を捜すでしょ? だから、退治をお願いしたの」

「そんなこと……できるんですか?」

 キョトンとして聞いている少女にお構いなく、貴子は当たり前のように言う。

「私はね、心霊術が専門なの。怪物やっつけるとかいう肉弾戦は、私の妹とその友達が専門。野蛮な仕事は私向けじゃないってわけ」

「じゃ、その、妹さんと……お友達に電話した、んですか?」

「ノンノン」

 気取った調子で、貴子はチッチッと人さし指を振る。

「まっさかぁ。仲間なんて、テレパシーで通じるから電話なんかいらないって。電話はね、警察の方。今からひと暴れありますけど、物的な被害が出たらフォローよろしく、って知らせてあげたの」

「……はぁ」

 少女には、ついていけない世界であった。

「やっぱり、派手に始めちゃったわね」



 外からは大きな爆発音と、何かの倒れる音がかすかに聞こえてくる。

「麗子と美奈子ちゃん、手加減がないからねぇ……」

 貴子は、我が妹の性格を思い、戦闘後のしりぬぐいと後片付けをする人に同情した。少女は、ぼそっと独り言を言った。



『勝手は勝手でも、こういう種類の勝手な大人って……いいな』



 言葉の真意が飲み込めず、今度は貴子がキョトンとする番だった。

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