第37話『神の火』


 ママ 行ってらっしゃい

 何で泣くのさ

 こっちまで泣きたくなっちゃう

 そんなに謝らなくていいよ

 だって ママのせいじゃないんでしょ?

 また夜会おうね



 ボクが大きくなったら

 ママ夜働かなくてもいいようにしたげるね

 それまでガマンしてね

 ひどかったパパが生まれ変わって

 また戻ってくるかもしれないね

 そうなったらいいのになぁ

 そうだったらいいのになぁ


 


 都内駅前にある、24時間保育を行う保育園。

 大きな歓楽街までそれほど遠くはないため、夜の仕事をもつシングルマザーがこの保育園にわが子を預けては、昼見るとくすんだビル街の中に姿を消してゆく。

 夜になると、街の汚さはすべて闇でかき消され、まばゆい色とりどりの光で飾り立てられる。

 最近、ビルの3Fにあるこの保育園の職員になったエリカは、二人の子どもが気になって仕方がなかった。

 かわいそうな事情を抱えた母子なら、今までに何組も見てきている。

 でも、その中でもエリカの注意を引いた二人とは——




「君はだあれ?」 



 αὐτὸς δὴ θεός ἐσθ᾿ ὁ πλάσας τετραγράμματον Ἀδὰμ



「そう。君も寂しいんだね」



 τὸν πρῶτον πλασθέντα καὶ οὔνομα πληρώσαντα 



「えっ お母さん守ってくれるの?

 もう夜も一緒にいられるようにしてくれるの?

 君、すごいね

 そんなことができるんだ?」



 οὐ σοφίης ἀπάνευθεν Ἀδὰμ τὸ πρὶν ἐκαλεῖτο,



 分かった

 明日だね

 楽しみに待ってるね—— 




「それでは先生、この子をお願いいたします」

 エリカは、初めてこの子を見た時普通の子じゃない、と思った。

 目が、子どもではない。

 鋭い。

 見た目は、普通の5歳児だ。

 ここに初めて預けられる子どもの多くは、寂しさから悲しげな表情をしたり、別れを嫌がったり。中には泣き出す子までいるのだが——

 この子には、微塵もそういうところがなかった。

 そればかりか、母親の事情も何もかも、悟りきった上で納得して来ている、といった印象も受けた。あくまでもカンに過ぎないが、エリカは昔から自分のおかしなカンには自信があった。

 必ずと言っていいほど、当たるのだ。



「それじゃあ美奈子、ちゃんと先生の言うこと聞くんですよ」

 美奈子と呼ばれた女の子は、返事はせず首を大きく縦に振った。

「それじゃあ、みんなのところに行きましょうか」

 エリカが保育室へ案内しようと彼女の手に触れた時——。

 美奈子は顔をしかめた。

「……エリカ、センセイ」

「なぁに?」

 返事してから気付いたことだが、エリカは美奈子と母に対して、まだ自分の名字しか名乗っていない。

 ……なぜ、この子は私の下の名前を?

 今は、そんなことを悩んでいる暇はなかった。

 不思議な子は、次の一言を言い放った。

「健斗くん、っていう子。気をつけて見といたほうがいいよ」




「健斗くんって、あなたね?」

「うん。そうだよ」

「あなた、どっかでヘンなのに会わなかった?」

「ヘンなのって?」

「人間じゃないけど、しゃべるやつ」

「…知らない」

「ウソ」

「ウソじゃないもん! 知らないもん」



 まだ5歳の美奈子には、話術やカウンセリング術など知る由もなかったから、仕方がない。聞き方が性急すぎたからか、健斗は保育園では新参者の美奈子に、心を閉ざしてしまった。

 美奈子には、すべてが分かっていた。



 ……健斗くんは、ウソをついている。

 でも一体、何のためかなぁ?



 美奈子は、こっそりと保育室を抜けだし、誰も見ていないところへ。

 深呼吸をひとつしてから、探りたいことに意識を集中させた。



『けんじゃのめ! (ワイズマンズ・サイト) 』



 ……分かった

 あの子が守ろうとしているのはお母さん

 そして

 あの子の後ろに憑いているのは!



 ダメ 頼っちゃ

 何なのかまでは分かんないけど

 そいつは 『てかげん』っていうのが分からない——



 エリカはこっそり、物陰から美奈子を見ていた。



 ……目が、目が光ってる!



 ガタガタと体に震えが来たエリカだったが——

「大人が、守ってあげなきゃ」

 そんな不思議な思いがどこかから与えられ、落ち付いた。

 健斗くんと美奈子ちゃん。

 この二人に、何が起ころうとしているのか?




 深夜12時を過ぎた。

 母親がまだ迎えに来ない子どもは、就寝中であった。

 その中で、寝苦しそうに寝返りを打っている子どもが一人。



 Οὖτις ἐμοί γ᾿ ὄνομα· Οὖτιν δέ με κικλήσκουσι



「えっ 今から?」



 μήτηρ ἠδὲ πατὴρ ἠδ᾿ ἄλλοι πάντες ἑταῖροι.



「わかったよ——」



 音もなくムクッと起き上った健斗は、夢遊病者のようにフラフラと歩く。

 保育室の暗がりを抜けてしまうと、普通は宿直の職員に見つかってしまう。

 しかし、健斗の姿は廊下の手前で、まるで消しゴムでこすったかのように……

 消えた。



 もう一人、目を覚ましている子どもがいた。

「……動いた」

 ふとんの中から這い出た美奈子は、暗がりの中でも急いで服を着替えた。

「ディメンション・ゲート!」

 保育室の隅に、ドア状の光が現れた。

 その揺れ動く淡い光の中に、美奈子が足を突っ込みかけた時。

「待って」

 背の高い大人のシルエット。それは、職員のエリカだった。

「……私も連れてって」

「私がどこへ行くか、分かってて言ってるの?」

 エリカと会話する美奈子の声は、子どものそれではなかった。

「健斗くん、探しに行くんでしょ?  私、今見てたから」

「だからって、何でエリカ先生が行く必要あるの?」

 まるで大人と会話しているみたいだった。

「一時預かりとはいえ、私は今健斗くんと美奈子ちゃんのお母さんがわりでしょ? だから——」

「分かった」

 美奈子は、クスッと笑ってエリカの手を引いた。

「お姉ちゃんにも、少しだけ能力者の血が流れてるね」

 二人の姿が光のドアに吸い込まれると、保育室はまた何事もなかったかのように、暗闇と子どもたちの寝息に閉ざされた。




 ταύτην ἰὼν ὁ Ξέρξης τὴν ὁδὸν εὗρε πλατάνιστον.



 一瞬にして、街は火の海になった。

 健斗は、もう健斗ではなかった。

 目に異様な光を宿し、道路を闊歩する。

 彼が不思議な言語でしゃべる度に、天から火が降りてきた。

 人間は、成すすべがなかった。

 消防車がすべて出動するが、健斗が歩く先々で大火災になるので、消火が追い付かない。そして、彼が取り憑かれたように進むその目的地は——

 母親の、職場。



「待ちなさい」

 健斗の前に、美奈子が立ちはだかった。 



 τὴν κάλλεος εἵνεκα δωρησάμενος κόσμῳ χρυσέῳ. 


「……そう」

 美奈子は、悲しい顔をして下を向いた。

 数メートル離れたところで様子を見ているエリカには、二人が何を話しているのかまったく見えてこない。

「でも、だからって街を、関係ない人を無茶苦茶にしていいことにはならない」

 美奈子の体に、火がついた。

 エリカは気を失いそうなほどビックリしたが、本人は熱そうではなかった。

 正確に言えば、美奈子自身が火の化身か何かであるように思えた。

 そしてそのエリカのカンは、外れていなかった。

 美奈子は、世界最強のESP (エスパー) として生まれた子。

 パイロキネシス (念動放火能力) の神。

「とりあえず、健斗くんから離れなさい。こんな状況じゃ、話し合いにもならないじゃない」



 καὶ μελεδωνῷ ἀθανάτῳ ἀνδρὶ ἐπιτρέψας δευτέρῃ.



 天頂から、青白いビーム状の光が下ってきた。

「エリカ先生っ」

 美奈子は子どもとは思えない力で大人のエリカを抱え、30階はある、向かいのビルの屋上まで跳躍した。

 地上では、車20台を巻き込む大爆発が起こった。

「ひええええええ!」

 街の明かりが、エリカの足元で瞬く間に豆粒ほどになる。

 着地した美奈子の体の火は消えていたが、瞳は真っ赤に光を放ったままである。

 エリカは、SF映画のような出来事が自分の身に起こっていることが、まだ信じられなかった。

 恐ろしいスピードで、カブトムシのような甲虫が下からまっすぐに飛来してきた。

 体長10メートルはある。あんな大きなカブトムシは、地球にはいない。

「まさか、あれが?」

 エリカには、ここで何となく事件の輪郭が見えてきた。

「うん。健太くんに取り憑いていたやつ」

 言うやいなや、美奈子の目から火炎が噴き上がった。




 メテオ・ミサイル!



 無数の火炎球が空中に現れ、そのすべてが巨大な昆虫目がけて突き進んだ。

 昆虫が飛行して位置を変えても、すべての火炎球は昆虫を追尾してゆく。




 地上50メートル上空では、美奈子とビジター(異世界からの来訪者)との戦いが続いていた。そこで自分が役立てることはないと思ったエリカは、地上へ降りて健斗の姿を探した。


 

 ……取り憑いていたヘンなものは抜けたし、大丈夫だろ。



 保育者としては、何より預かった園児の安全は守らねばならない。

「あ、いたいた!」

 先ほどの爆風の影響からは、逃れていたようだ。

 気を失って道路わきに倒れている健斗を抱き起そうとしたのだが——

 10メートル四方はある崩れたビルの壁が、頭上に迫っていた。

 エリカは、目を上げて自分のするべきことを一瞬で考えた。




「もう、やめましょ 争って何になるの」



 ワレワレノハハナルホシワ ミニクイココロノエゴノセイデ

 トリカエシノツカナイホドニ ハカイサレ

 ツイニ ホロンダ



「……それであなたは宇宙をさまよって——」



 サマヨッテイタ

 タマタマコノホシヲミタ

 ワレワレトオナジミチヲ タドッテイル

 ミスゴシニデキナイ

 アッチデモコッチデモ

 コノホシノニンゲンハ ジブンチュウシンニイキテル

 ジコノリエキノタメニ ヒトヲギセイニスル

 コレハモットモユルセナイ



「……分かるよ。でも、あなたの力では、一生懸命生きている人や弱い人さえも巻き込んでしまう。ゆるせないのは分かるけど、悪いことををしていない人まで殺さないで。だから、ここはわたしを信じて、まかせてちょうだい。

 ところで、あなたは、健斗くんのためにこれから何をしようとしていたの?」

 美奈子の頭に、相手の思考が流れ込んできた。



 ワレハ ケントノハハヲ スクイタカッタ



 健斗の母。

 身を持ち崩した夫の蒸発。

 多額の借金。

 厳しい取り立て。

 子どもの健斗には分からなかったが、母の仕事はデートクラブの風俗嬢だった。

 そして、その借金と言うのは

 全くの作り話だった。

 暴力団事務所が夫のことを知っており、それらしく話をでっち上げた。

 もちろん、借用書も偽造である。

 でも、健斗の母はあの夫ならやりそうなことだ、と思い大して疑わずに返済を決意したのだ。

 そして今この瞬間も、健斗の母は売らなくていいはずの体を——



 大人の事情はよく分からない部分もあったが、美奈子は怒った。

 ハダカの健斗の母が心眼に見えた時、何だか分からないけど激情が渦を巻いた。

 それに合わせるかのように、東京の空が真っ赤に染まった。

 美奈子の使える最大級の火力技が、炸裂しようとしていた。

 火の神の怒りは、ついに頂点に達した。



『メギド・フレイム!』 (神の火)




 これは、後日談である。



 次の日の新聞で、二つの記事がトップを飾った。

 ひとつは、都心で起きた原因不明の火災・爆発事故。

 もちろん、美奈子とビジターの戦闘のせいである。

 そしてふたつ目。

 美奈子が召喚した天からの火は——

 健斗の母を食い物にしている暴力団事務所に突き刺さった。

 組長・幹部は当然のこと、構成員は一瞬で焼死。

 建物は全焼。

 ただ、不思議なことに燃えるのはきっちりその建物だけで、一向に隣家には燃え移らないのだ。

 これは、科学的に何とも説明のしようがなかった。

 一般人の犠牲者はゼロ。



 しかし。

 その火はどんなに消防が消火活動をしても、普通には消えてくれなかった。

 三日三晩、その炎は燃え続けた。




 ビジターは、地球を去った。

 


 コノホシモ マダステタモノデハナイナ



 最後にそう言い残して。

 自分は死んでも健斗は生かそう、と決意してビルのがれきを受けとめようとしたエリカを、カブトムシ状のビジターが間一髪のところで助け出した。

 こうして、一連の騒動は終息を見た。



「お世話になりました」

 保育園に美奈子を引き取りに戻ってきた母は、エリカの前で頭を下げた。

「もう、こちらには……?」

 残念そうに、美奈子の母は首を横に振った。

「もう、引っ越します。私たち家族は、この子が能力を派手に使ってしまうたびにそうしているんです。私はもう、慣れましたからいいのですど、友達ができるたびに別れてばかりのこの子が、可哀想で可哀想で——」

 涙目の美奈子は、うつむいている。

「またトモダチ、できるといいね」

 エリカは美奈子に声をかけた。

 そこにいたのは、あの大人顔負けの判断力と気迫をもった美奈子ではなく、心細さに涙する、普通の5歳児としての美奈子だった。

「それじゃあ、私たち飛行機の時間がありますので」

 母に手を引かれて、美奈子は去っていった。



 ……頑張って、生きなよ。



 エリカは、幼くして恐ろしい力を持ってしまった美奈子の行く末を、心配するのだった。そして、あの子にも普通の幸せが来ますように、と祈るのだった。



「健斗君も行っちゃうんだね」

 続いて、健斗の母も子を連れだって保育園に現れた。

「ええ。いい機会なので、もう夜の仕事はやめようと思うんです」

「それで、どちらまで?」

 子どもがいるとは思えない美貌を持った健斗の母は、遠い目をして答える。

「山口県の母の実家に戻って、和菓子屋さんを手伝おうと思っています」

「……じゃあ、これからお母さんといっぱいいっぱい遊べるよね!」

 健斗は無邪気に笑って、母親を見上げる。

「そうね。もっと一緒にいられるわね」

 長い間の呪いの呪縛から解き放たれた清々しさが、健斗の母の表情から感じられた。事情を知るエリカは、心からよかった、と思った。

「それじゃあ、お世話になりました——」

「センセ、元気でね!」



 美奈子親子に続いて、健斗親子も街の人ごみの中に消えていった。

 エリカは、目をつむる。

 目に溜まったものが溜めておけなくなり——

 大きなしずくが落ちて、床に小さなシミを作った。

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