第35話『Smile Again』
「ねぇねぇ。ママ、これ前から気になってたんだけど——」
繁華街ではない、郊外の住宅地に近い静かな場所にある、小さなバーラウンジ。
派手さはないが、地元の常連に愛される店として、安定した人気を誇っている。
夜の12時に近くなった頃、常連客の男のひとりが、バーのママである和美に声をかけてきた。
「あの写真立ての中の子、だあれ?」
レジカウンター横のサイドテーブルに、小学校高学年くらいの背格好をした女の子が映っている写真があった。
ご機嫌斜めなのか、ブスッとした顔で映っている。
「ああ、それ」
一瞬、和美はうれしいのか悲しいのか、どっちとも取れるような複雑な表情をした。そして、すぐにまた営業用スマイルを取り戻した和美は、丁寧に答えた。
「今生きてれば、高校生くらいになる私の娘だよ。18で産んだんだけど、私もやんちゃでねぇ。色々あってさ、私はこの子の母親にふさわしくない、ってんで家庭裁判所で親権剥奪されちゃったのよ」
「へぇ。ママにもそんな過去がねぇ」
常連客の男は、うなった。
「で、それからは、娘さんには会ってないの?」
グラスを布で丁寧に拭きながら、和美は遠い目をした。
「うん、面会もダメ。元夫と一緒にいると思うけど、どこにいるんだかねぇ」
「そうか」
男は座っていた自分のテーブルに帰りかけたが、思い出したように和美に振り返って、手を合わせて謝り始めた。
「ごめんね。変わった客連れてきて。あの子どこかの金持ちの子でねぇ、いい子なんだけどマイペースというかゴーイングマイウェイというかさ……有名な佐伯グループの会長の長女らしくてね、世間ズレしてるんだよ」
小声でささやく男の声に、和美は苦笑した。
「でも金持ちのお嬢さんのわりには、持ってくるものが庶民的よね……」
ラウンジの客席内で、一番目立っている人物。
和装の和美は、その落ち着いたたたずまいを見事に保ったままその問題の人物に近付いた。客席の者は全員、その珍妙な客のお土産を振舞われていた。
「さぁさ、みんな遠慮なく食べてくださいね! 沢山買ってきたんだからぁ」
飲み屋にあまり似つかわしくはないが、それでも食欲をくすぐる匂いが辺りに充満していた。匂いの正体は、551蓬莱の豚まんとギョーザだった。
「今日はようこそいらっしゃいました。ここのママをしてます、上野和美と申します。以後お見知りおきを」
和美がそう挨拶すると、見るからに高価そうなスーツ姿の女性は勢いよく立ち上がって、和美の手を取りガクンガクンと振ってきた。このリアクションをまったく予期していなかった和美は、思わず目を回した。
「あらら、こちらのママさんでしたのね! 初めましてぇ、今日は楽しませていただいていますぅ! 私、こういう酒場って、初めて来たんですよぉ!
……お土産、何がいいのかゼンゼン分かんなかったんでぇ、とりあえず551蓬莱にしときましたけど、よかったですかね?」
「は、はぁ。まぁ、ありがとうございます」
一応、客だ。和美は、丁寧にお礼を言った。
……飲食店に来たのに、手土産が食べ物って——
そうツッコミたくはなったが、情報によると相手は世間の常識が微妙に通じない、大金持ちの令嬢だ。まぁ、仕方あるまい。
そしてさっきの男性客の情報によると、この女性はどこへ行くのにも551の蓬莱を持っていくらしい。そして、お土産のはずなのに、持ってきた本人の方がバクバク食べるんだよ、というのが笑える。
要は、自分が好きなだけなのだ。
……しかも酒場、っていう言葉今時使うか?
「あ、申し遅れました。わたくしこういう者です——」
長身の、よく見れば美人なその女性は名刺を渡してきた。
S区児童相談所 特別相談員 佐伯貴子
「あら、児童相談所の方でしたの」
相手が、ただの金持ちのお嬢さんだとばかり思っていた和美は、驚いた。
「さっき、あの有名な佐伯グループの会長の娘さんだと——」
「ああ。なるほど、ご存知でしたのね」
貴子は、細い赤縁のメガネを指で上げて、説明を加えた。
「私ね、家の保護下から自由になってね、社会に出たかったんです。一人立ちして、自分の持っている力を人のために生かしたい、というのもありましたから」
突然、貴子が寡黙になった。
あれだけ陽気にはしゃいでいたのが、嘘のように静かになった。
次から次へと豚まんを口に運ぶ手も、ピッタリと止まった。
「あの、佐伯さん。どうか……なさいましたの?」
和美は、少し気味が悪くなった。
というのも、貴子は何もないはずの和美の後ろの白い壁を、穴の開きそうなぐらい凝視していたからだ。
そして、その目つきは尋常ではなかった。
「あのぅ——」
打って変わった低い声で、貴子は和美に尋ねてきた。
「ママには、娘さんがいましたか?」
「エッ? はぁ、まぁ」
……どうして、過去形で聞くのかしら?
次の瞬間。
貴子の目が、燃え上がった。
比喩でなく、文字通り炎が噴き出した。
その場にいた一同は、混乱するというよりは水を打ったように静まり返った。
そして、そこからさらに何が起こるのかを、全員が固唾を飲んで見守っている、という感じでもあった。
貴子は、ひと声高く叫んだ。
「ワイズマンズ・サイト (賢者の目)」
誰も、動けなかった。
誰も、言葉を発しなかった。
一分半ほどもたっただろうか。ようやく貴子の目の炎が消えた。
そして、何となく普通の人の雰囲気に戻った。
「あの、今一体何が?」
貴子はそれに答えるより先に、スマホに手を伸ばし、会話しはじめた。
「……警視庁・レベル3のアクセス権を持っています。照会はESP0005。大至急、警視正以上の階級の者と話がしたい。急いでください」
和美と客は、テレビドラマのような会話にあっけにとられた。
急にケータイの送話口から口を離した貴子は、店全体に通るような大きな声で、こう呼びかけた。
「あ、あと5分くらいで美奈子ちゃんっていう高校生の女の子が来ます。未成年ですけど、中に入れてあげてくださいね。お酒は飲みませんから!」
何が起こっているのかまったく把握できない和美は、オロオロした。
「説明は……あとです」
貴子は、ケータイに向かってまだすごい内容のことをしゃべり立てていた。
警視庁のヘリを今すぐ出せ、出せないの押し問答をしているようだ。
「子どもひとりの命がかかっているんですっ! 四の五の言わずに出せえええ」
「悪いわねね、こんな時間に」
明らかに、深夜のバーに似つかわしくない、あどけなさを残した少女が店内に現れた。客としてならたたき出すところだが、今回は仕方がない。
「いいのいいの。困ってる人は、助けなきゃね」
美奈子と呼ばれたその少女は、貴子にウィンクした。
どうも、二人は親しい間柄らしい。
「妹呼んでもよかったんだけどね。でもあの子、力加減を知らないから余計なもの壊しそうで……美奈子ちゃんの方がよっぽどレディだから安心だわ」
貴子の言葉に納得する部分が多かったのか、美奈子はケタケタと笑った。
「確かに。麗子先生ならその地域ごと壊滅させそうですものね」
もはや、和美を初めその場の客たちには、ついていけない話であった。
和美には、にわかには信じがたい話であった。
貴子は、実は霊能力者。
そして彼女が呼んだ美奈子は、国家公認のESP、つまり超能力者。
貴子と美奈子は、手を握り合って客席の中央に立った。
二人の指示で、和美を初めとする客たちは手をつないで円陣を組んだ。
皆の中央に立った二人の異能力者の目が光った。
マス・ワイズマンズ・サイト!
……見える。
和美の目にも、ハッキリと見えた。
「佳奈子!」
見間違えようはずもない。
親権剥奪後は、会うこともなかった娘。
大きく成長してはいるが、小学生の頃の面影は十分だ。
「みなさん、意識を集中させて!」
貴子の指示が飛んだ。
そして、霊の横に立つと貴子は叫んだ。
「この子が見えたら、彼女の救いのことだけを考えて!」
パリン!
急に、天井の蛍光灯が割れて、店内が暗くなった。
みな蛍光灯の破片を何とかよけたので、けが人はでなかった。
「許せない!」
美奈子が、泣いている。
急に、美奈子の全身に発火現象が起こった。
燃えている。
メラメラと、超能力少女の体を炎が舐め尽している。
しかし不思議なことに、建物にはまったく引火しない。
周囲にいる者も、ちっとも熱くはなかった。
ただ、その怒りの波動と度合いだけは、強烈に伝わってくる。
「佳奈子さん。その子とお父さんは、どこ?」
美奈子は、佳奈子の霊体に話しかけた。
霊は言葉を返さなかったが、美奈子は何らかのメッセージを受け取ったようだ。
直後、美奈子の思念はインターネット回線に潜り込み、東京都庁の住民台帳データベースをハッキングする。
18ケタのパスワードを二秒で解析した美奈子は、厳重な警視庁のファイヤーウォールを突破した。
「……分かった」
アメリカ国防省が誇る軍事偵察衛星 『KH-4B』 の監視カメラと自らの眼球をリンクさせた美奈子は、佳奈子のくれた情報から東京23区を片っ端からスキャンした。
そしてついに、目標を捉えた。
「捕まえた!」
美奈子の目が、白目と黒目の区別もつかないほど真っ赤になった。
「ちょ、ちょっと美奈子ちゃん、そこまでしなくてもー」
何かを感じた貴子は、美奈子の体を揺すりにかかった。
しかし。いったん怒らせてしまった火の神を鎮めることは、不可能だった。
ついに、世界最強の念動放火能力者最大の技が発動した。
「メギド・フレイム! (神の火)」
次の日。
和美の元夫、つまり佳奈子の親権を持っていたはずだった父親は、警察に逮捕された。容疑は、児童虐待及び強姦、殺人・死体遺棄。
調べによると、和美と別れてからの父親は、いざ自分だけで娘を育ててみるとうまくいかなかったり思い通りにならないことも多かったりで、次第に虐待するようになっていた。
最後には高校生になった娘に性的暴行まで加えて、それがエスカレートして死に至らしめてしまった。
娘の死体を隠した父親は偽名を使い、一切を捨てて別人になりすました。
その後知り合ったある女性にかくまってもらい、一緒に暮らし始めるのだが、そこでバツイチだったその女性の子どもを、再び虐待してしまうのだった。
美奈子が父親のことを突き止めた時点で、まさにその父親による虐待の行われている最中だったようだ。
急に降ってきた天からの火の玉は、父親のかくまわれていた家を焼き尽くした。
不思議なことに、燃えたのは家だけ。隣近所には一切燃え移らなかった。
女も子どもも、無事。
父親は、致死に至らない程度のやけどを負っただけで、生け捕ることができた。
ただ、その炎は消防隊などによる人力の消火活動ではどうにもならず——
40時間に渡って、燃え続けたそうである。
「やっほー」
店のドアに取り付けた鐘が、カランカランと鳴った。
「あら、いらっしゃい」
和美は、大恩人である貴子と美奈子の二人を迎えた。
「これ、お土産ね!」
貴子は手に、551蓬莱のアイスキャンデーを持っていた。
まだ夕方前で店は準備中。客は、誰もいない。
「あ、これですね。いい写真に替わりましたね!」
貴子が指差したのは、レジカウンター横のサイドテーブルの写真。
以前は、ブスッとした顔の佳奈子の小学生時代の写真だったのが、今では亡くなる前の高校生時代の佳奈子の笑顔が、写真立ての中に納まっていた。
虐待を受けていたと感じさせない、きれいな笑顔。
「刑事さんによると、発見された佳奈子ちゃんの死体の、服のポケットの中にあったんだそうです」
写真立てを持ち上げて、まぶしそうに眺めた貴子はポツリと言った。
「佳奈子ちゃん、言ってました。あなたに、この自分が笑顔で写っている写真をどうしても持っていてもらいたかったんだ、ってね」
恐ろしい力を持っているが、それを発揮しない時はごく普通のかわいい女子高生にしか見えない美奈子も相槌をうった。
「そうそう。佳奈子ちゃんは、写真と一緒にお母さんのところに帰ってきたかったんですよ、きっと」
和美と貴子と美奈子が覗き込む写真の中で、佳奈子は優しく微笑んでいた。
これからも、佳奈子はこの写真の中で、和美と一緒にこのバーを切り盛りし、盛りたてていくことだろう。
「……お帰り、佳奈子」
そう語りかける和美の瞳から、涙が流れた。
笑う写真の中の佳奈子の顔に、ポツリと涙の雫が落ちた。
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