第34話『Only You』

 僕は、ただ電車を待っていただけなんだけど。

 その日は、ちょっと変わった日だった。



 社会人一年目。

 大学という世界から、一気に空気が変わった。

 とまどいながらも、次第に慣れてきたけどね。

 今日もまた、一日の仕事が終わった。

 僕は、片道一時間40分をかけて遠距離通勤をしている。

 職場から家まで、電車を二本乗り継がないといけない。

 今はちょうど、最後の一本を待って、駅のベンチに座っているところだ。



 僕が座ってから1分もたたないうちに、隣のスペースに、OL風の女性が腰を下ろした。



 ……ん? 何か、臭うんだけど?



 思わずそう思った原因が分かった。

 その女性は、ひざに 『551の蓬莱』 のお土産の紙袋を抱えていた。

 なるほど、臭いの正体は豚まんか。

 しかし、事態はそれだけでおさまらなかった。

 何とその女性は、おもむろに紙袋からまだホカホカの豚まんを取り出して——

 ムシャムシャと、うまそうに食べ始めた。



 ……ここで食うのか? よくやるなぁ。



 家に帰り着くまで、我慢できないのか?

 横顔しか見えないが、かなりの美人でスタイルもいい。

 有名人でいえば、藍田由香里という人気歌手に似てなくもない。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、予想しない出来事が起こった。



「あなた、何でこのベンチの同じ席にばっかり座るの?」

 僕はびっくりした。



 ……え、何。僕?



 振り向くと、豚まんをがっつく隣の女性の顔が正面にあった。

 正面から見ても、やはり美人だ。

 でも、聞かれた内容が内容だ。

 確かに。

 無意識のうちに僕は、このホームに来ると同じベンチの同じスペースに座る。

 だが、なぜこの女性にはそれが分かる?

「あなた、ちょっと時間ある? 電車、二本くらい遅らせてもいい?」

「は、はぁ……?」

 今、一体何がどうなろうとしているのか、想像もつかない。

 僕がとまどった表情を隠せないでいると——

「このベンチにどういう思い出があるの? 聞かせてくれない?」



「あ。わたくし、こういう者です」

 彼女は、僕に一枚の名刺を差し出した。



 S区児童相談所 特別相談員  佐伯貴子



 佐伯さんは、せっかく話をうかがうんですからどうぞ、と551の豚まんをひとつ、手渡してくれた。

 二人で豚まんをムシャムシャ食べながら、僕は昔の思い出を話すことになった。

「やはり、551蓬莱のある時とないときでは、お話の弾み具合もゼンゼン違いますからねぇ! オーッホッホ」

 いよいよ、僕は分からなくなった。

 何で、こんなところで児童相談所の職員さんに昔話をしてるんだ?



 5年前。

 僕がまだ、高校生の時分だ。

 家庭の事情で、遠くに越してしまった友人がいた。

 藤見映子、という女子のクラスメイト。

 友人と言うよりも、僕個人としては密かに想いを寄せていた。

 でも、結局告白できずに、見送ってしまった。

 今いる、このホームで。

 僕が今座っている待合席に座っていて、藤見さんが今佐伯さんが座っている場所に座って、電車を待っていた。

 二人とも言葉少なに、うつむいていた。

「あの……さ」

 か細い声で、藤見さんが声を発した。

 どんな言葉も逃すまいと全身を耳にしていた僕は、鋭くキャッチした。

「な、なに?」

 藤見さんはカバンをゴソゴソしたり、モジモジ身を揺すっていたがー

「ううん。べ、別に何でもない」



 そこへ、アナウンスとともに電車が滑り込んできた。

「じゃあね」

「元気でな」

 やがて、二人の間を電車のドアがさえぎった。

 それが、藤見さんを見た最後だった。

 結局、好きだったのに告白できなかったというほろ苦い思い出とともに、僕の高校時代は幕を閉じた。

 そして、今の今まで忘れていた。

 でも、僕の深層意識はそのことが忘れられなくて——

 ついつい、この思い出のベンチに座ってしまうのだろう。



 話を聞き終わった佐伯さんは、妙なことを言い出した。

「今から変わったことをするけど、驚かないでね」

 言い終わらないうちに、佐伯さんの目が異様な輝きを帯びた。



『ワイズマンズ・サイト (賢者の目)!』



 真如懺賽紅妙 詔隼結宙鉾献 纏衣経辿稜舜



 ……な、何だ!?

 お経のような、呪詛のような聞き慣れない言葉の洪水。

 3分もたっただろうか。

 乗るべき電車がやってきたが、まったく気にならなかった。

 僕は当然、佐伯さんがしようとしていることを最後まで見届ける気だった。


 


 (一週間後)


 僕は、休暇を取って青森へ向かった。

 東北新幹線から、ローカルな列車を乗り継いで——

 自然豊かな田舎までやってきた。

 道中ずっと、僕はすっかり古くなって変色した手紙を読み返していた。

 5年越しで、僕に届いたラブレター。



 あの時駅で佐伯さんは、ベンチの下に手をやると、何かを探し当てた。

「あ、あった」

 佐伯さんは、僕にこう言ったのだ。

「これ、あなた宛。藤見さんもあなたも似た者同士ね! 二人して、最後に好きだったって告白する勇気がなかったんだからねぇ」

 それは藤見さんが僕に渡そうとして、渡せずにベンチの下の金具に挟んでしまった手紙。中身を読んでしまった瞬間、僕の心に封印されていた藤見さんとの日々が、彼女への想いが一気に蘇った。

「彼女に……会いたい?」

 そう聞かれて、僕は首を縦に振った。

「そう」

 佐伯さんは、自分の正体を明かした。

 彼女は、霊能力者だった。

 死んだ人間も見えたり会話したりもできるし、生きている人間の霊も霊視できるのだという。

「藤見さんの居場所を教えますから、行って来なさい。彼女を救えるのは、もしかしたらあなたかもしれません」



 山中の小さな病院の受付で、面会手続きを済ませる。

 指定された個室に入る。

「誰……?」

 車椅子に乗った藤見さんは、僕を見た。

 やはり、僕のことは覚えていない。



『藤見さんは半年前、交通事故に遭いました。一命は取りとめましたが、足の機能を失った上に過去の記憶もなくしたのです』

 療養所の主治医から、事情をひととおり聞いていた。

 そうか。僕が知らない間に、藤見さんはこんな目に……

 僕は、彼女が渡せずにベンチ裏にはさんだ手紙を広げた。

「これ、読んだよ」

 その瞬間。

 藤見さんの背中がビクン、と震えた。

 電流でも走ったかのように、ガクガク前後に揺れる。

 僕は、思わずかがみ込んで車椅子上の藤見さんの上半身を抱きしめた。

「君だけが…大好きだ」

 藤見さんの瞳からも、一筋の涙が頬を伝った。

 開いた窓から流れてくる優しい風が、藤見さんの口元でささやかれた言葉を、僕の耳まで運んできてくれた。

「あの手紙、読まれちゃったんだ。恥ずかしいな……」



「あら、いらっしゃい。二人お揃いで——」

 僕は藤見さんの車椅子を押して、二人で佐伯さんを訪ねた。

 児童相談所なんて縁がないから、大人気なくワクワクしていた。

 「記憶を戻せたのね。よかったよかった」

 応接室に通されると、さっそく佐伯さんは551の豚まんをすすめてきた。



 ……この人、いつでもこれを食べてるのか!?



 僕と藤見さんは、顔を見合わせて笑った。

 変わった人だが、僕らにとっては佐伯さんは大恩人なのである。



「そう。婚約したの。それはめでたいわねぇ」

 三人の間で、昔からの親友のように話が弾んだ。

「あ、それはそうとー」

 佐伯さんはふと思い出したように言う。

「藍田由香里、って誰? 私に似てるの?」



 ……あちゃー。そんな思考まで読み取られていたのか!



 僕は観念した。

 手近に、オンライン状態ののPCがあったので、検索して画像を出してみた。

「ホラ、この人ですよ」

 腕組みをしてしばらく黙っていた佐伯さんは、やがてポツリと言った。



「なんだ。私のほうが美人じゃないの」





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※歌手・藍田由香里が登場する他作品


『Miss D.J.』 (短編小説)

『第三次焼肉対戦』(短編小説)

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