第30話『光と音のない世界 ~4人目の能力者~』
皆さんは、想像できるかな。
例えば、朝何気なく目覚めたら——
何も見えない。
音が、何も聞こえない。
そんなことってあり得ない、と思った。
でも、これは実際に私の身に起こった現実なのだ。
初め、母は私が度の過ぎた冗談を言っているのだと思ったようだ。
まあ、普通そうだろうね。そのことでお母さんを責めるわけにはいかない。
どうやら、声は出るようだ。
私は叫んだ。目が見えないよう、何も聞こえないよう、って。
もちろん、自分がそう言ってるはずだと想像するだけである。
自分のしゃべっている、その音声自体が聞こえないのだから。
分かるのは、しゃべると声帯が震えて振動しているようだ、という感覚だけ。
ベッドから下りようとして、目測を誤った私はバランスを崩した。
見えるのは、闇だけ。
自分が空間の中でどういう体勢なのか、皆目分からない。
私の頭に激痛が走った。
多分母だろうと思われる人物が、私を抱え上げた。
ドシドシと、二階の私の部屋から階段を下り、一階へ向かっている感じだ。
違和感がする頭に手をやってみた。
生暖かい液体が手に触れた。どうやら出血しているらしい。
こりゃ学校どころじゃないな、とぼんやり思った。
私は、皮膚感覚からすべてを想像するしかなかった。
恐らく救急車に乗せられ、病院に担ぎ込まれたのだろうとは想像できた。
病院のベッドの上で、ようやくゆっくりと考えごとをする時間を持てた。
このまま、治らないのだろうか?
それが、私にとって一番怖いことだった。
もう一生、何も見えない・聞こえないとしたらどうだろう。
家族の顔も、友達の顔も、美しい風景も本もテレビも映画も、好きな人の声も、鳥のさえずりも風の音も音楽も——。
目が見えないだけなら、まだ何とかなる。
耳が聞こえないだけなら、生活も仕事もそれなりにできる。
しかし、私の身に降りかかったのは両方だった。
まず私がぶち当たった壁は、他者とのコミュニケーションであった。
声は出るが、耳が聞こえないので会話は成立しない。
目が見えないので、手話は意味がない。
私と初めて意思疎通したのは、母だった。
手のひらにゆっくり指で文字を書いてくれた。
多少もどかしい感覚もあるが、それで何とか相手の言いたいことは伝わる。
声が出るので、相手の言いたいことさえ分かれば返答は早い。
まるで私はヘレン・ケラーになった心境だ。
……寂しいよね 辛いよね 乃亜には母さんがついてるからね
「私、治るのかな」
母は、また私の手のひらに文字を書いてきた。
……これから、病院の先生が検査してくれるからね。きっと治るわよ。
三日して、私は退院した。
治ったからではない。
親は何も言わないが、きっと原因不明か何かで、手の施しようがないのだろう。
手術のようなものもされることはないみたいだし、薬も注射もない。
病院で具体的にしてもらったのは、言わば頭の傷の外科的処置くらいなものだ。
私は、車椅子での生活を始めた。
たいがい、母が付きっ切りだった。目が見えない音が聞こえないでは、車椅子を押してくれる人がいなければ外出など一切できない。
高校は、あきらめた。
こんな私が、どうやって勉強できる、っていうの?
友達とも、もう終わりだよね。
もう、対等の関係でなんていられない。
ボランティア的な友情や同情なんて、されたほうがみじめだ。
私の目の前で、世界が閉ざされたような気がした。
皮肉にも比喩とかじゃなく、『目の前が真っ暗』になった。
時折、わけもなく泣いた。
いや、わけはあるよね。
考えたくなかったんだけど、私の一生は闇に閉ざされたままなんだろうなってちょっとでも想像するだけで、「絶望」というやつに取り込まれそうになる。
自分では聞こえないけど、私は多分大きな声で泣いた。
そのたんびに、母が飛んできて私を抱きしめてくれた。
そしたらね、不思議と落ち着くんだよ。
一応睡眠薬は処方されていたけど、母に添い寝してもらうのが一番の薬だった。
もと女子高生としては、ちょっと恥ずかしいけどね。
私には、昼と夜の区別がつかなかった。
話によると、全盲の人であってもかすかな光は何となく分かるものらしい。
外が暗いか明るいか、位は判別がつくんだとか——
でも不思議なことに、私にはまるで 『眼球自体がなくなったかのように』その光を僅かにさえも感じられないのだ。
これはいったい、どういうことだろう?
母は、指文字で伝えてきた。
…今度、父さんが添い寝代わろうかって言ってきてるけど、あんたどうする?
目と耳が利かなくなって以来、初めて私は笑った。
「お気持ちはありがたいですけど、それは結構です、って言っといて」
少しだけ気持ちが楽になった私は思った。
「そのうち、点字も勉強しなきゃね」
私は、母に車椅子を押してもらい、時々散歩に出た。
風は、私のお友達。
音は分からないけど、私の体を心地よく撫でる。
太陽も、私のお友達。
光は見えないけど、私は光線の暖かさを肌で感じる。
花も、私のお友達。
かぐわしい花の香りが、私を慰めてくれる。
時折、公園にいるとどこかの子どものかわいらしい小さな手が、私の手を握ってくれる。
その他意も邪気もないぬくもりに触れると、私の心の中に火が灯ったような温かい感覚になるんだ。
私が光と音を失ってから、一ヶ月が過ぎようとしていた頃。
おかしな現象が、私の身に起こり始めた。
聞くところによると、人間ってどこかに障害が出ると、それをカバーしようとして、まだ生きている別の感覚が鋭敏になることがあるんだって?
そのせいかどうかは分からないけど、私にはおかしなものが見えるようになった。
いや、『見える』というのは言い方が悪いな。
心の中で見えるんだ。思考の中の風景、っていうのかな?
二階の、自分の部屋で座っていた時。
足元に、おかしなモヤモヤが見えた。
あ、ごめんね。私国語が苦手で作文もカラッキシだから、語彙が少ないの。
モヤモヤ、なんて我ながら表現が幼稚だ。
何だか、青白い煙が私の下のほうでブスブスくすぶっているのだ。
誰に教わったわけでもないけど、私にはその意味が分かった。
……誰かが、怒ってるんだ。
夕食の時、母に聞いてみたら案の定だった。
家計簿をつけているときにスーパーの買い物のレシートを眺めてたら、たまたまひとつしか買っていない商品をふたつ買ったことになってたから、それが原因で母は怒っていたみたいだ。
……あとで文句言ってやらなくっちゃね。
指文字をつづる母の指先から、何となく怒っている感じが伝わってきた。
それがきっかけとなって、ある意味私の世界は真っ暗ではなくなった。
私には、周囲の人々の感情が色のようなものになって見えるようになった。
怒ってる人、泣いている人、笑っている人、喜んでいる人、悩んでいる人——。
初めは、見えるのは家の中の家族の分だけだったのが、それがだんだん範囲が広がっていって、二週間後には地平線がかすむくらいの遠くまで、何千・何万という色の粒がひしめき合うようになった。
親に言っても多分信じないだろう、と思ってこのことは黙っておいた。
ある夜。
私は悪夢にうなされて、飛び起きた。
額にも、パジャマの内側にも、かなり汗をかいているのが分かった。
そして、意識が覚醒した今も、それはまだはっきりと見えていた。
……悪意だ。
しかも、今まで見たこともないほどの途方もない。
恨みと殺意の塊だ。
血に飢えた魂がいる。
犠牲者を求めて、すぐにでも地を行き巡ろうとしている。
「止めなきゃ」
あの魂は、放っておけば明日にでも人殺しをする。
私は、さっそく手元のブザーを押した。
あの日以来、困ったことが起きたらそうしていた。
すると、一階で寝ている母が飛んでくるのだ。
言わば、ちょっとした『ナースコール』みたいなものだ。
汗を吸ったパジャマや下着を替えるのを手伝ってくれる母に、この町に犯罪者か、今からそうなろうとしている人がいて、すぐにでも事件を起こしそうなんだけど何とかならないか? と相談してみた。
……でも、それだけの話じゃ、警察は動いてくれないんじゃないかしら
あまりにも漠然とした突拍子もない話に、母は困惑した。
目と耳が機能しなくなった分、その場に流れる気の動きというものが皮膚を刺すように、痛いくらい分かるように研ぎ澄まされた私の超感覚は、そうは言いながらも母があまり信じてくれていない様子なのが分かって、ちょっと寂しかった。
その時だった。
誰かの声が、私の心の中に響いた。
「さっき叫んだのは、あなた?」
耳は聞こえないはずだが、それは私の中で想像上の音声となって、私に語りかけてきた。
その声の波形 (なぜか、私にはそれが見える)からして、私と同年代の女の子の声だ。
「えっ。もしかして、私って会話できてる?」
指文字以外で他人と、こんなにスムーズな意思疎通ができるなどとは、驚愕でありまた感動であった。よくSF調の映画などで、超能力者が使う『テレパシー』というやつだろうか。
「あなたの切実な叫びが私たちに届いた。あなたは、私の仲間よ」
彼女は藤岡美奈子と名乗った。何と私の高校の先輩だった。彼女は二年生で私は一年生。
「……私は、乃亜。早崎乃亜」
美奈子さん以外にも二人、普通でない能力を持つ仲間がいるらしい。
私は、さっそく本題を切り出した。
近く、必ず犯罪を、この場合は明らかに殺人だったが……を起こしそうな要注意人物がいるんだということを美奈子さんにかいつまんで説明した。
すると、テレパシーで彼女から返答があった。
「最近ニュースで騒がれている連続殺人犯ね、多分。裏付けがないからまだ非公開情報になっているんだけど、犯人がこの地区に逃げ込んできてるんじゃないかという警察の見解もあってね。今躍起になって探してるみたいよ。
だから乃亜ちゃん、あなたの力が今こそ世の中のために役立つんじゃないかしら? さぁ、力を合わせて一緒に立ち上がりましょう」
翌日、午前9時。
犯人の男が潜んでいると思われる文化住宅の一室から50メートル離れたところに、車椅子に乗った乃亜と、それを押す美奈子の姿があった。
すでに、建物の周囲は警官隊が取り囲んでいる。
「美奈子ちゃん。私らは学校の授業を蹴ってまでこっちに来てるんですからね。とっとと犯人捕まえて、戻りますことよ」
どこにいるかは見えないが、美奈子たちの高校の教師・佐伯麗子の声がする。
この時すでに、乃亜にできた友達は三人になっていた。
美奈子にこの麗子、そしてやはり美奈子の同級生の、柚月麻美。
三人は国家が公認するESP (エスパー) で、非公式ながら警察機構でいう警部補の地位を持っている。
だから、彼女らの言うことやすることに、警察は全幅の信頼を置いているのだ。
四人のうちでは、誰とでも心の中で自由に会話ができた。
乃亜にとっては、涙が出るほどうれしいことだった。
「先生、分かってますって。乃亜ちゃんがいるから、今日は楽勝だと思うよ!」
そう言って後、 美奈子は乃亜に語りかけた。
「私たち三人の中の誰にも、人の心の動きや感情を読み取れる人はいないの。私も人に触れることでその人の過去は読み取れるけど、現在進行形の心の動きまではダメ。あなたにしかできないことなの」
車椅子上の乃亜は、こっくりとうなずいた。
「うん。私犯人の動きをトレースしてみるね」
まず、美奈子が作戦の火蓋を切った。
「ミネルヴァの目!」
美奈子は眼球をサーモグラフィ(熱映像探知モード)に切り替えた。
「犯人は、まだこちらの包囲に気付いていないわね」
警察側の責任者である、奥田警部補に合図を送る。
犯人がアパートの中にいるのは、確実だ。
制服警官が数人、警棒を片手にジリジリと家の入り口ににじり寄る。
乃亜はカッと目を開き、誰も見ることのできない世界を捉えた。
「逃げたぞっ」
警官の怒号が響く。
包囲に気付いた犯人が、最後の抵抗を試みている。
刃物を片手に持って、警官がひるんだ隙に逃走を図った。
「ここはひとつ、犯人が余分な罪を作らないように、早く勝負を決めましょうかね。今日のところは、麻美ちゃんと乃亜ちゃんで頑張ってみよう」
先生らしく、麗子がテレパシーで指示を送る。
「はいな」
車椅子の位置からはちょうど反対側の茂みに身を潜めていた麻美は、スックと立ち上がる。
背の高い、弓道部の正確無比なスナイパーの瞳がブルーに燃えた。
クレッセント・シューター
麻美の手に、光の粒子がまばゆくまとわりつく、輝く大弓が現れた。
静かに、光の矢をつがえる麻美。
「乃亜ちゃんっ、この後やつはどっちに曲がる?」
見える、そして分かる。悪意の塊の、黒い悪魔の考えていることが——
心の眼には、犯人の思考は丸裸だった。
……三秒後に右っ
「ありがとっ」
弦を引き絞った麻美は、犯人が右方向へ曲がった場合の空間座標を、千里眼で割り出して特定すると——
トランキライジング・アロー
何の迷いもなく引き絞った弦を解放し、矢を放った。
乃亜の読み通り、右に進路を変えた犯人の位置に、吸い寄せられるように麻美の放った光弾は到達した。麻酔効果のある矢を受けた犯人は、その場でバッタリと地面に倒れた。
「やりましたわ! 正義は勝つ、必ず最後に愛は勝つ! 勝海舟、カツカレーですわね! オーホッホ」
今回、まったく力の見せ所がなかった麗子は、意味不明な言葉を残すことだけは相変わらず忘れないのであった。
不思議なことに、美奈子のヒーリング能力をもってしても、乃亜の目と耳はどうにもならなかった。かつて盲人の目を治し、死んだ人間をさえ甦らせた美奈子でも無理とは!
「きっとこれは、治すべき類の病じゃないから、治せないのかも」
麗子は、そう結論付けた。
「そうね。多分、あなたのは障害なんかじゃない。むしろ、必然だったのよ。誰も見ることの出来ない、人の心の真実を、宇宙の真実を見通すために——」
光は見えないが、太陽に顔を上げた乃亜の目は、涙に濡れていた。
……私、うれしい。
見えなくなって良かった。
聞こえなくなって良かった。
ウソのように聞こえるかもだけど、ホントだよ。
偽物じゃなく、本当に大事なものが何か、見えるようになった。
そして何より、私の使命が分かった。
私にしかできないことをするために。
私だけじゃない。障害を背負う方は、みなそうなんだと思う。それはその人にしか成せない何かを成し遂げるため、特殊な使命を帯びた方なのよ。
何ら不幸ではないの。だから今、私は幸せ。
今4人は、固く手を握り合った。
炎の戦士・美奈子。
風と大地の戦士・麗子。
星の戦士・麻美。
超能力チーム・美奈子軍団に、新たに四人目の能力者が加わった。
隠された人の思いを見抜く心眼の戦士・乃亜——。
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