第29話『光の子』

「今日から皆さんと一緒に勉強することになる、藤岡美奈子ちゃんです。お父さんの仕事の都合で、転校してこれらました。仲良くしてあげてくださいね」

 私は、その時正直どうでもよかった。

 その子が、私の代わりにいじめられてくれるんなら、話は別だけど。

 いくらその転校生にとって私が初対面でも、そして私がその子に何も悪いことしてなくても、彼女はきっと私を嫌うはずだ。だって、私と仲良くすることは自殺行為だから。

 この5年3組でそれなりにうまくやっていこうと思えば、私を皆と一緒になっていじめるしかないのだから——

 だから、新しくクラスメイトが増えたって、ちっともうれしくない。



 また、始まった。

 休み時間。

「うわ、阪本菌がついた!」

 私の肩に触った子がそう叫んで、他の子にタッチする。

 するとその子はまた、誰かにそれを移そうとしてクラスメイトを追いかける。

 私を傷付けるための、悪意に満ちた鬼ごっこ。

 転校生の周りには、物珍しさで数人の子が囲んで色々と話しかけていたみたいだった。でも、その子は急に席を立ち上がると、ツカツカと私のほうに歩いてくる。

「はじめまして」

 さっき先生に紹介された時は、何だかオドオドしてて暗い感じの子だなぁ、って思った。

 それ、私が言うのもヘンだけどね。

 でも、今私の前にいる転校生は、私ににっこりと笑いかけている。

 吸い込まれるような、きれいな笑顔だったよ。

 親以外の人から好意的な顔をしてもらえるなんて、ほとんどなかったから。



「藤岡さん。あんまりその子相手にしないほうがいいよ。何たって『バイキンの阪本』なんだから。触ったら、阪本菌がつくんだからぁ」

 さっそく、皆親切にも転校生にそう吹き込む。



 ……そうだよ。私なんか相手にしたらあんたまで——



 あきらめてたから、その転校生が皆と一緒になって私を避けても、別に恨みはしない。それが世の中、ってものだと思ったから。

「阪本さん、っていうんだ。仲良くしてね」

 クラス中が、凍りついた。

 彼女は、差し出してもいない私の手を、握ってきたのだ。菌を広めるいじめ以外の目的で、人から好意的に触られたことなどない私の体に、電流が駆け抜けた。

 なんでだろ。私の目に涙があふれるよ。

 恥ずかしいなぁ。

 でも、うれしいなぁ。



 皆が、軽蔑の眼差しで転校生を見ているのが痛いほど分かる。

 特に、偉そうにチカラでクラスを仕切っている武藤君は、憎々しげな目で藤岡さんを見ている。

 この瞬間、彼女のこれからの運命は、かわいそうだが決まってしまった。



 ……あなたは、本当にそれでいいの?

 私なんかと一緒で、いいの?

 私はうれしいけど、それじゃあなたが——



 どうしたらいいか、分かんない。

 彼女がいじめられても、私の友となったことを喜べばいいのか?

 それとも彼女が巻き込まれないために、突き放してあげたほうがいいのか。

 どっちなんだろ?

 だって、苦しい目に遭うのは、一人で十分でしょ。



 でも、彼女はどういうわけか私への友好的な態度をやめようとはしなかった。

 彼女は私を『絵里ちゃん』って、下の名前で呼んでくれることになった。

 私も、彼女を『美奈子ちゃん』って呼ぶようになった。



 美奈子ちゃんは、まるでお母さんみたいだ。

 本当にこの子、私と同い年なのかな……

 あまり子ども、って雰囲気がしない。

 目が、きれいなんだ。

 とっても、やさしいんだよ。

 私が校庭で泥だらけになって、エッエッて泣いてたらね、見つけて駆け寄ってきてくれた。

 それでね、誰もそんな目で見てくれたことがないような不思議な目をするの。

「ケガとかは、ない?」

 私は、すりむいて血がにじんだ膝とひじを見た。

 すると、美奈子ちゃんは右手を私の傷口にかざした。



 ……アテナのおんちょう(恩寵)



 ビックリしちゃったよ。

 美奈子ちゃんの手が、ボワッと光りだしたの。

 それだけじゃなくてね、私の傷口がどんどんふさがっていくの!

「美奈子ちゃん、あなたって……」

 普通の子とはちがう、と思っていたけど——

「絵里ちゃん、私のこと気味悪がったりしない?」

 彼女は心配そうに、そう聞いてきた。

「決まってるじゃない。あなたは最高のオトモダチ」

 最後まで、全部言わせてくれなかった。

「うれしいっ」

 服が汚れるのも構わず、美奈子ちゃんは私に抱きついてきた。



 ……あったかいよ。



 この時だけは、日頃いじめられていることもイヤなこともみんな、忘れた。


 


「み、美奈子ちゃん?」

 次の瞬間、私は背筋が寒くなった。

 何気なく、美奈子ちゃんの顔を見たんだけど

 目が、真っ赤だ。

 充血とか、そんなレベルじゃないよ。とにかく『赤い』の。

 怒ってるんだ、って思った。

 怖かったよ。美奈子ちゃんが、人に見えなかった。



「痛いよう、痛いよう!」

 急に、校庭の向こうで叫び声がした。

 私をさっき叩いてこかした子たちが、おなかを抱えて倒れている。

 異常に気付いた別の子が、保健室に先生を呼びに行った。

 美奈子ちゃんの目を見ると、目からメラメラと火が——

 私はあわてて、彼女の背中を揺すった。

 しかし、彼女は目から火を出したまま、私の声にまったく反応しない。

 なぜだか分からないけど、あの子たちが急に苦しみだしたのと、美奈子ちゃんの怒りとは関係がある、と確信した。



「美奈子ちゃん! もとの美奈子ちゃんに戻って! お願いよう」

 必死に彼女を揺すると、やっと目の赤色が次第にひいて、もとのあのやさしい美奈子ちゃんの目に戻った。

 彼女は目に涙をいっぱい浮かべて、いじめられている私なんかよりも、もっと辛そうに泣いた。

「絵里ちゃん、今までほんとに辛かったんだね——」

 今度は、私が美奈子ちゃんを抱いて慰める番だった。

 これは後で知ったことだったんだけど、美奈子ちゃんは触れた相手の考えていることや記憶が、読み取れるらしい。



 ……美奈子ちゃん。私が体験してきたようなひどいことをあなたにも味あわせちゃって、ほんとうにゴメンね。私の方こそ、あなたのこともっと知りたいな。



 美奈子ちゃんと一緒の日々は、長く続かなかった。

 ある日私は、下駄箱で足を押さえて転げまわった。

 声も出なかった。

 足から、どんどん血が出るのが分かる。

 上履きに、いくつも画鋲が入っていた。

 何も考えていなかった私は、まともにそれに体重をかけた。

 鋭い金属の先端は、無常にも私の踵と足の甲を刺し貫いた。

 私は、涙にかすむ目で、視界の端に燃える二つの瞳を捉えた。

 最後の力を振り絞って、私は叫んだ。

「美奈子ちゃあああちゃん、怒っちゃ、怒っちゃだめえええ!」

 でも、遅かった。



 校舎の壁に、亀裂が入る。

 天井の蛍光灯がパリン、と割れる。

 地震が起こった。

 床が、縦に横に、グラグラと揺れる。机にのっているあらゆるものが床に落ち、天井からはミシミシという音とともに砂のようなものが降ってきた。

 この事態にあわてた先生たちは、子どもたちを避難させにかかった。

 私も、先生に担ぎ上げられた。

「美奈子ちゃん、だめえええ!」

 私の叫びも、空しく響くだけだった。

 もう、何を言っても彼女には届かない。

 先生も彼女に触れようとしたが、ダメだった。

 熱すぎて、触れないのだ。

 しまいに、美奈子ちゃんの体は火だるまになった。

 ついに、美奈子ちゃんの怒りが頂点に達してしまった。



 メギド・フレイム (神の火)



 それは、人の痛みを理解しない子どもへの、そしてその世界をどうしようもできない大人たちへの怒りの審判だったんじゃないかなぁ。

 空から大きな火の玉がミサイルのように、校舎目がけて降ってきた。

 みな、校庭から燃え上がる校舎を見つめた。

 それぞれは、その炎の中に何を見ただろうね。

 やがて、熱すぎて校庭にもいられなくなり、私たちは学校を離れた。

 入れ替わりに5台の消防車がやってきて、火を消しにかかった。



 これはあとで聞いた話だけどー

 鎮火には、五時間もかかった。

 死者は、ゼロ。

 ただし、負傷者は大人と子ども合わせて58名。内重傷者5名——

 重傷者に限ってはみな、5年3組の子だった。




「……お別れなんだね」

 公園で、私と美奈子ちゃんは向かい合った。

 彼女は、明日にでも引っ越して行ってしまうらしい。

 今回の事件では、美奈子ちゃんには本来は何のおとがめもない。

 少女が超能力を使って火を呼んだ、なんて誰もまともに取り合わない。

 世間では、ただ原因不明の大惨事として、ただただ首を傾げている。

「うん、でもこれはお父さんとお母さんの決めたことなんだ。仕方ないよ。私はもう、ここにはいられないんだ」

 私は、涙目で美奈子ちゃんを抱いた。

 彼女も、ギュッと私を抱き返してくる。

「ごめんね。私、まだ自分をコントロールできなくて。力で力を抑えても、人を傷付けても何の解決にもならないのに。そのせいで、これ以上絵里ちゃんと一緒にいて守ってあげられなくなっちゃった……」



 本当にゴメンねええ

 そう言って、美奈子ちゃんは泣く。

 私は、彼女の背中をやさしくなでた。

「もう、大丈夫だよ。私のことなら」

 美奈子ちゃんは、潤んだ目で私の瞳をのぞき込んだ。

「何て言ったらいいのか分からないけど……私もう平気。負けないから」

 それは、方便のためのウソではなかった。

 本当に、私は大丈夫だったんだ。

 美奈子ちゃんの手を取り、そっと私の心臓のところに当てた。

「ここでね、美奈子ちゃんがいつまでもずっといっしょだから——」



 美奈子ちゃんは、私の前から去った。

 逃げるように、どこかへ引越ししていった。

 寂しかったけど、今の私はもう美奈子ちゃんに守ってもらわないといけないような泣き虫でも、弱虫でもなかった。

 私は、クラスのいじめに、理不尽に敢然と立ち向かった。

 失うものなど、これ以上何もなかった。



 今頃、どうしているかしら。

 私は、時折思い出す。皆が私を汚いと言って避ける中、ただ一人私に手を差し伸べてくれた彼女の眼差しを。

 私のために本気で怒ってくれた、彼女のその気持ちを。



 本当の愛に触れたとき、人は強くなれる。

 だから私は、変われた。

 今も、この世界のどこかで生きている美奈子ちゃんへ。

 私は、あなたの幸せを祈っています。

 ありがとう。



 みんなも、そういう人に、愛に——

 出会えるといいね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る