第24話『はじめてのおつかい』
「何ですの? ここ」
スーパーの入り口の前に立った超セレブ高校教師・佐伯麗子は目を丸くした。
教師とはいえ、もともとは家事や庶民の暮らしにはまったく縁がなかった。
食事の時間には案内されたテーブルにつけば、召使い達が次々に料理を運んでくるという毎日。
日本でも三本の指に入る財閥の箱入り娘は、今——
調理される前の食材を自分で初めて買い求める、という経験をしようとしていた。
麗子のもうひとつの顔は、超能力者(ESP)であった。
今日は、土曜日。
ESP仲間の高校の教え子、藤岡美奈子・柚月麻美と、午後から『お好み焼きパーティ』をすることになっているのだ。
会場は、美奈子の家。
麗子は、それに必要な食材を買ってくるように頼まれたのである。
パーティにしてもおつかいにしても、麗子に世間のことをもっと知ってほしいという意図があって、美奈子があえて計画したものだった。
お好み焼きを食べたこともなければ、スーパーで買い物をしたこともないという麗子は、まるで小さい子どもの『はじめてのおつかい』のようにワクワクしていた。
「バカにしちゃいけませんことよ。食べたことはないけど、お好み焼きのことは知っていましてよ! 『じゃりん子チエ』で、お好み焼き屋さんが出てきますでしょ? 確か、アントニオ猪木だかアントニオ・バンデラスだかっていう猫が住んでる——」
……ちょっと違うような気が?
ツッコミたくなった美奈子だが、買い物リストを麗子に渡し、浮世荒波に送り出した。
もし、ここに佐伯家のメイド頭・安田がいれば、『お嬢様に一人でスーパーに買い物に行かせるとは、何たること!』と叫びながら卒倒してしまうに違いない。
「と、とにかく。お金は落とさないでくださいね。余計なものや高級すぎるものは買わないように。あ、あと寄り道をしないで真っ直ぐに帰ってきてください!」
まるで、子ども扱いである。
「は~い」
麗子も、意外と素直である。
17歳の生徒に諭された23歳の教師は、ついに『大冒険』に出かけた。
しかし。
美奈子と麻美の両名は、麗子を一人で送り出したことを後悔するハメになる。
「これはまた、壮観ですわね」
広いスーパーの店内に、所狭しと置かれた食材。
たくさんの主婦たちが、買い物かごや新聞の折込みチラシを片手に、店内を物色している。
麗子は、美奈子から預かったメモを斜め読みした。
「薄力粉・キャベツ・豚バラ・長芋・削り節・イカ・お好み焼きソース・青のり、っと」
麗子が初めて耳にした言葉が二つあった。
……ナガイモ? ゴリライモのお友達かしら? 青ノリ?
まぁ、行けばどうにかなるとポジティブに考えた麗子は、意気揚々と店内にスキップして入っていった。あまりにも場違いな麗子の高級ファッションと芸能人並のオーラに、客たちも店員もビックリした。
よく分からない演歌を鼻歌を口ずさみながら、野菜売り場から順に回る麗子。
青のり駅は雪の中、などとかなり勘違いをしていたが、本人はいたって真面目であった。
本日の特売やタイムサービスを知らせるアナウンスが店内に響く。
「なるほど。ちょっとした経済学の勉強になりますわね」
その方面の研究は一通り極めていた麗子は、様々に頭の中で原価と卸値、税と売値との相関関係や利鞘などを勝手にシュミレートして、楽しみながら店内を歩き回った。
「まぁ! あれは何?」
豚バラを買うために立ち寄った精肉コーナーで、麗子はまた『未知との遭遇』を果たした。
それは……ソーセージを売るための『試食コーナー』であった。
ソーセージを焼くおばちゃんは、気さくに声をかけてきた。
「いらっしゃい。お嬢さん、今日は伊藤ハムの『バイエルン』がお買い得だよ~」
麗子のマニアな脳内は、その言葉を勝手に音声変換してしまう。
「バ、バイオマン?」
「はい?」
おばちゃんは何のことか分からず、戸惑った。
そんなものが肉売り場で売っているるわけがないと思考を軌道修正した麗子は、さっそく店員のおばちゃんに聞いてみた。
「これ、いただいてもよろしいんですの?」
「はいな。是非お召し上がりくださいな」
おばちゃんは爪楊枝に刺された一口大のソーセージをひとつ、親切にも麗子に手渡してくれた。
何の抵抗もなく、普段食べつけないその食材を口にした麗子は——
「お、おいしいですぅ!」
何と、大感激であった。
「これ、購入させていただきますわ」
弾む声で言う麗子だったが、さっそく美奈子との約束をひとつ破っていることに気がついていなかった。
『余計なものは買わない!』
「毎度ありです。何袋、ご入用ですかぁ?」
次の瞬間、おばちゃんは我が耳を疑った。
「ここにある分、全部」
「……へ?」
麗子は、さらにむちゃくちゃを言った。
「もし、他にも在庫がおありのようでしたら、それもいただきとうございます」
おばちゃんは、凍りついた。
「てっ、店長と相談してまいりますっ……」
麗子の体から発散されるいかにも金持ちなオーラを読み取って、冗談ではないと踏んだのだろう。おばちゃんは、大慌てで事務所に向かって駆けて行った。
交渉の結果、トラック一台分の『バイエルン』が、佐伯家に向かって輸送されることになった。
ほぼ一週間をかけて必死に売りさばく量が一瞬にして売れたのだから、店長は大喜びだ。
佐伯家の使用人は、おそらく麗子に付き合わされて毎日まかないでソーセージを出されるハメになるだろう……
合掌。
「ところで……このスーパーは近々なくなりますの?」
先ほどから、麗子には気になって仕方がないことがひとつあった。
店内のあちこちに、『閉店売り尽くしセール』という文字が踊っていたからだ。
「はい、残念ですが。今、原材料代が上昇を続ける中、過当競争の中で生き残れませんで。先のことも考えてここらで撤退して、大手に経営権を移譲しようというのが苦渋の決断です。仮に、今抱えている商品の在庫がすべてはけたら当面の危機は脱しますが、そんな奇跡はあり得ませんし——」
店長の嘆きを聞いた麗子の目が、きら~んと光った。
「ダメになりそうな時、それが一番大事ですのよっ!」
「……はぁ」
店長は、狐につままれたような顔をしている。
「私に、『怪奇大作戦』『ポールのミラクル大作戦』がありますの。何としても、閉店を回避するのですっ! ちょっと事務所で相談しませんか?」
すでに麗子は、美奈子との二つ目の約束を破ろうとしていた。
『寄り道をしないこと!』
さて。
その後、非番だった者も含め、スーパーの全従業員が召集された。
ありとあらゆる商品に対し、試食コーナーを乱立させた。
佐伯家の使用人も、麗子の気まぐれに付き合わされて強制的に連れてこられた。
佐伯家が抱える、一流のシェフたち……フランス料理・イタリア料理・中華料理・和料理など全ての部門のコック長が集結。試食コーナーとは思えない設備を導入した。
まるで、昔の番組『料理の鉄人』のスタジオパフォーマンスのようだ。
「さぁ、いらっしゃいいらっしゃい!」
店内に入りきらない従業員はみな、店外で呼び込みを行った。
コネの力を使い、人気の若手演歌歌手・熱川きよしとアポをとり、昼の三時から歌ってもらうことになった。印刷会社に発注し、大急ぎで1万枚の広告ビラを刷り上げた。
おばちゃんキラーのきよしに来てもらえば、売り上げ上昇は約束されたようなものである。
閉店を前にして意気消沈しがちだった店員たちはみな、心に火がついてやる気を取り戻した。
「さぁさぁ、よってらっしゃい! ママースパゲッティとカゴメのパスタソースが安いよっ」
麗子もいつの間にやら店員の制服を着て、試食コーナーの一角を牛耳っていた。
言うことが世間ズレしていて面白いのと、麗子が目の覚めるような美人だったことが影響して、恐ろしい人だかりが出来ていた。
かたわらのコンロでパスタを茹でながら、麗子は力説する。
「まさにこのうまさは、『乙女パスタに感動』ですわよっ。特に今日皆さんにオススメするのは、この温めてパスタにかけるだけで手軽にプロの味が楽しめる『ボロネーゼ』ソースでございますっ。シロガネーゼだか残酷な天使のテーゼだか知りませんが、このイタリアントマトの風味は絶品ですわよ。
しかも、今日は定価の三割引。三割引ですよ奥さんっ」
言ってることはヘンだが、まるでジャパネットたかたの社長並の話術と愛嬌が功を奏して、瞬く間に商品が売れていくのであった。
この時、麗子は完全に『お好み焼きパーティ』のことを忘れ去っていた。
午後二時半に、事務所内で中間報告が行われた。
その時点での売り上げは、普段の一日の売り上げの5倍だった。
「……今で、在庫の半分がはけましたっ」
店長の報告に、麗子は厳しい顔をした。
「まだまだっ。これじゃ甘い!」
事務所の椅子からスックと立ち上がった麗子は、店長に驚くべきことを言い残して、店外へと出て行ってしまった。
「これから、まだまだ売りますからねっ。在庫処分なんていわず、もっとどっかから商品仕入れてきなさい! さらに売りますことよっ」
外の空は晴れ渡り、気持ちの良い午後であった。
天気予報でも、降水確率は0%である。
「……それじゃあ、いっちょやりますか」
スゥッと深く息を吸い込んだ麗子は、精神を研ぎ澄ませた。
美しい栗色の髪が巻き起こった風で総毛立ち、眼球は緑に輝く。
……風の声、大地の唄。
空の眷族、万物の理を司る精霊よ。我が声に耳を傾けよ——
突然、スーパーの上空に黒雲が発生し、それは瞬く間にその地域全体の空を覆いつくしてしまった。やがて大粒の雨が降り出し、稲光が!
麗子は、一体何をしようとしているのか?
アカシック・タイフーン!!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
…遅い。
グゥグゥ鳴るおなかを抱えて、美奈子と麻美は茶の間で待っていた。
ホットプレートも、食器も、準備できるものはすべて整えた。
「何やってるんだろ。まさか、迷子になった……とか?」
さっきからテレパシーで呼びかけても反応がないので、麻美は心配し始めていた。
「まさか。仮にも学校の先生だよ?」
そうは言いながらも、やはり美奈子も心配になった。
麗子先生は気まぐれだから、何かに首を突っ込んでしまうことは十分に考えられる。
その時、つけっぱなしにしておいたテレビが緊急のニュース速報を流した。
「……先ほど、気象学史上初めての現象が確認されました。
何の兆候もない晴れ渡った東京上空に、台風18号が発生いたしましたっ。
何もないところから、しかも日本の本土上で台風が発生するという異常事態に——
気象関係者一同は、首を傾げています」
あわてて、窓の外を眺める麻美。
「そういえば、さっきから急に曇りだしたなとは思ったけど」
考えられる原因は、ただ一つ。こんな芸当が可能なのは——
美奈子と麻美は、顔を見合わせて異口同音に叫んだ。
「まさか、麗子先生の仕業!?」
この特殊な台風は、不思議な風の吹き方をした。
スーパーを広大な円の中心点として、そこに向かうような強風が、道行く人をあおるのだ。
天気予報で今日は一日晴れだと思い込んでいた人々は、うろたえた。
用事もないのに、雨をさけるためにスーパーに駆け込んだ者も多かった。
その風に吹かれた者は、なぜだか分からないけど、スーパーで何か買わないといけないのではないか、という気にさせられてしまうのであった……
しかもこの台風は、大型のクセにやたらと風力が弱かった。
フタを開けてみれば、完全に麗子の読みどおりであった。
在庫商品を売り切るどころか、さらに仕入れが必要なほどだった。
熱川きよしのプチコンサートも、二千円お買い上げでサイン色紙、四千円お買い上げで握手プラスツーショット写真、などと商売っ気を出したところ、普段売れないような商品までがさばけた。
店長以下、全従業員は麗子に頭を下げた。
とりあえず、もう少しスーパーを存続させて頑張ってみますという店長とオーナーの言葉を聞いて、大変満足した麗子は……ここでやっと、スーパーに来た本来の目的を思い出した。
「しまった! お好み焼きパーティの買い物を忘れておりましたわ!」
この時、時刻はすでに午後の四時半であった。
パーティはお昼ご飯代わりに行われるはずであったというのに!
お礼に、と無料で大量のお好み焼きの材料を持たされた麗子は、スーパーをあとにした。
そのころには、麗子の召還した台風は去り、雨も上っていた。
麗子が美奈子の家に戻ってみると、二人とも腹をすかしてぐったりしていた。
美奈子はもう、空腹の余り説教する気力もないようである。
お好み焼きパーティは、ついに夕食となってしまった。
「次からは、ゼッタイに私もついていきますからねっ」
二度と、麗子を一人で出さない決意を新たにする美奈子であった。
お詫びに、麗子が二人のために必死にお好み焼きを焼いてあげた。
作るのは初めてだったが、教わりながら見事な一品を焼き上げた。
麗子にはどうも、料理のセンスが備わっているようである。
飢えた狼と化していた美奈子と麻美は、実に大サイズ四枚分のお好み焼きをペロリとたいらげてしまった。
空腹は最良のソース、というところであろうか——。
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