第18話『炎精』

 上原高志が、暴走族を抜けようと思ったそもそものきっかけは——。

 数週間前に起こった、ある夜の事件だった。



 集会のために、族全体が港近くの広い場所に集合した夜。

 その場所は、かつてあるバス会社の配車場、つまりバスターミナルとして使用されていた広大な敷地である。そのバス会社が倒産してからは土地の買い手がつかず、放置されているうちにいつの間にか、族の溜まり場と化してしまっていたのだ。

 高志の属する族は、関東一円で最も力があると言って差し支えない、巨大な組織であった。

 彼の上にはチームリーダーがおり、30人ほどを束ねている。

 さらにその上に、ヘッド(かしら)がいて、5人のチームリーダーを管理する。

 そしてその頂点に立つのが、総族長の鬼頭亮次、22歳。



 亮次は、純粋な族出身者ではない。

 この暴走族がこれだけ見事に組織化され、かつ強大な力を誇れるのもー

 実は彼が『極道』、つまりヤクザだからである。

 関東にとどまらず、全国規模に勢力を伸ばす一和会・飛山組がバックについて、操っているのだ。そうでなければ、無分別な若者の集まりというだけでは、これほどまでに見事な統制はとれない。

 総勢三千人とも言われるその暴走族は、地域住民から恐れられ、警察も彼らを徹底的なマークの対象とした。



「サツだ!」

 まだ全員が集まりきらない時間に、その声は響いた。

「逃げろ!」

 チームリーダーは部下たちに一斉に指示を飛ばした。

 数台のパトカーと白バイが、サイレンを響かせながら、近づいてくる。

 今回は、特につかまるわけにはいかなかった。

 なぜなら、今回は別組織とシンナーやトルエン、少量の覚せい剤の取引があったからである。

 もちろんこのことは、ヘッドクラスの人間までにしか知らされていない。



「早紀ちゃん、早く!」

 高志は、チームの中で仲の良かった渡辺早紀を気遣いながらも、素早く自分のバイクにまたがる。彼女とは境遇も似ていてウマも合ったので、ちょっとした恋心ににも似た感情を抱きつつあった。この族は、特に『レディース』と呼ばれる女性チームがあるわけではなく、男も女も混合である。

 早紀のバイクもやっとエンジンがかかったのをを見て取った高志は、ローギアからクラッチをつなぎ、450CCの黒いバイクを急発進させた。

 ノロノロしていては警察につかまって、面倒な事になってしまう。

 アクセルを思い切りふかした高志は、瞬く間にギアを二速・三速へとシフトしてゆき——

 風を切って、夜の都会を疾走する。



 全員は集まっていなかったとはいえ、数百台のバイクが一斉に逃げるのだから、その混乱たるやすさまじいものがあった。

「何っ?」

 高志は、バックミラーに捉え続けていた早紀の姿が消えたことに気付いた。

 急ブレーキを踏み、ちょっと乱暴ともいえるターンを試みた。

 タイヤと路面との摩擦音が甲高い音を立て、熱でタイヤから煙が上る。

 目測を誤り、高志はバイクごと転倒してしまった。

 バイクのボディが、路面をこすりガリガリと嫌な音を立て、15メートル滑ったあとでようやく停止した。

 幸い、高志自身に怪我はなかった。



「ちっくしょう。……早紀ぃ!」

 とりあえずバイクを立てて500メートルほど戻ると、路肩に倒れた早紀のホンダCBR。

 そして、右足の膝を抱えて苦しみもだえている早紀の姿があった。

「大丈夫か!?」

 大慌てでヘルメットを脱いだ高志は、早紀の前に屈みこんだ。

「痛い……痛いよう!」

 強がりの早紀がそう言ってしまうほどだから、痛みはかなりのものだろう。

 どうやら、早紀は足を骨折をしているらしい。

 すぐに救急車を呼びたいところだが——。

 バイクのそばでこの格好で、今ここからそれをしたら、必ず暴走族騒ぎに関連させて考えられ、捕まってしまう。

 ここはどうしても、警察の捜査範囲から逃れた上で、普通に病院にかかる必要がある。



「頑張れ。オレが何とかしてやるから——」

 早紀を背中におぶった高志は、自分のバイクの後部座席に早紀を乗せようとしたのだが——

「……ダメだ」

 どこか機械部分が故障したのか、電気系統がいかれたのか、彼のバイクはうんともすんとも言わなかった。仕方なしに早紀のバイクも確認してみたが、タンクからオイルが漏れ出しており、エンジンをかけるのは危険だ。

「おーい、誰か止まってくれ! この子だけでも乗せてやってくれ!」

 高志は、同じ族と思われるバイク集団に向かって、手を振って叫んだ。

 しかし、誰も止まってくれるものはなかった。

 確かに、大規模な族だから知らない者だって多い。

 でも、ヘルメットのせいで顔は見えないが、中には見覚えのある特徴的な車体から同じチームと分かる者までもが、無情にも通り過ぎた。

「…………」

 不幸中の幸いで、高志と早紀のいる方向には警察は来なかったようだ。

 とりあえずバイクはそのままにして、高志は早紀をおぶったまま歩き始めた。



 次の日の午後。

 早速高志は、病院に早紀を見舞った。

 早紀は昨日の事故で、大腿骨を骨折していた。

 三日の入院であとは車椅子で一週間も過ごせば、徐々に歩けるようになってくる、との医師の見立てだった。

「……なぁ」

 早紀のベッドのそばに座った高志は、天井を見つめている早紀に語りかけた。

 彼は、一晩考え抜いた結論を早紀に伝えようとしていた。

 うつろな目で、早紀は高志に視線を移した。

「私、何となく高志の言いたい事、分かるような気がする」



 二人は、それ以降族の集まりに行かなくなった。

 ようやく、自分のしていることの愚かさに気付いたのだ。

 この世の矛盾、そして大人社会の汚さを嫌って粋がったまではよかった。

 しかし、結局反抗したからといってじゃあ自分たちが作る世界がそれより素晴らしいのか、といえば……結局、何かあったときに困った仲間を身を挺して救うどころか、自分が助かることのほうが大事だ、という程度の関係しか築けない世界でしかなかったのだ。

 恰好つけても、結局組織が大きくなれば大人が作る社会とどうしても相似形になってしまう。

 いくら世の中に反抗しても、それにかわるものを提示できなければ無意味だ——。

 そう結論付けた高志は自動車整備工場で、早紀はとりあえずデパ地下のケーキ売り場で——

 それぞれに、社会で地に足をつけた上で、自分探しをすることに決めた。



 しかし。族はそれほど甘くはなかった。

 ただのチンピラ集団ならまだ簡単に逃れる道もあったろうが、バックに広域暴力団が控えて徹底した管理体制を敷いていたから、黙って族を抜けた二人に追及の魔の手が襲った。

 初めは、彼らの出勤途中に現れて、集まりに戻るように説得された。

 応じないでいると、辞めるにしても一度総族長の所に行ってわびを入れろ、と脅してきた。

 もちろん、高志と早紀にその気はなかった。

 行けば、リンチに近い行為をされるであろうことは目に見えていたからである。

 警察に届ける、という選択肢はなかった。警察が彼らを守ってくれる情熱などよりも、族が彼らを狙う執念のほうが数千倍も勝るからである。

 一時はどうにかなっても、結局いつかは余計に怒らせた彼らの魔の手に落ちる。

 そのうちに、族の執拗な脅しは、二人を恐怖に陥れた。



 デパ地下の一角にあるスィーツの店 『Henri Charpentier』(アンリ・シャルパンティエ)。

 その従業員用更衣室の片隅で、早紀は震えていた。

 彼女が気がつかないうちに、ロッカーの前に彼女あての置き手紙があった。

 内容を読んだ早紀は、青ざめた。唇から血の気が引き、ワナワナと震える。

「……どうしたの早紀さん、何かあったの?」

 更衣室に入ってきた同じアルバイトの女子高生・藤岡美奈子は、心配そうに早紀に近づいてきた。彼女はここでのバイト暦が長く、早紀より年下だったが仕事上では大先輩であった。

 二人は出会ってから、すぐに仲良しになっていた。

 美奈子に相談したからといって何が変わるとも思えなかったが、とにかく今は話を聞いてくれる人が必要だった。でないと、早紀の心は悩みに押しつぶされてしまう。

 そこで早紀は、余すところなく伝えた。

 自分がかつて荒れていて、暴走族のメンバーであったこと。

 今の彼と一緒に族を抜けたこと、しかしただで抜けさせてくれそうもないこと——



 過去のすべてを涙ながらに語る早紀の話を耳を傾けながら、美奈子は早紀あての置き手紙を読んだ。彼女が文面に目を走らせている間、恐ろしい現象が起こった。

 天井の蛍光灯が激しく明滅し、事務机の上にあった湯のみが突然音を立ててパリン、と砕け散った。

 そして、まるで太陽の表面のように、美奈子の目から火がメラメラと踊りだしたのである。

 手紙をクシャッと握りつぶした美奈子は、立ち上がった。

「早紀ちゃん。私もついていくから心配しないで——」

 手紙の内容は、以下のようなものだった。



「お前の男、上原高志の身柄を預かっている。

 危害を加えてほしくなければ、今夜10時にいつもの埠頭前の広場に来い」




 美奈子が目を上げると、そこには無数のバイクのヘッドライト。

 クラクションの音と、思いきり空ふかしをするエンジンの爆音が、耳に痛い。

 恐らく、ほとんどのバイクが排気マフラーを外しているのだろう。

 みなそれぞれに、鉄パイプや棒状の武器を所持していた。

「約束どおり来るとは、見上げたもんだ。そこだけはほめてやるぜ。まぁ、単に怖いもの知らずなだけかもしれんがな」

 族の先頭に立った総族長・鬼頭亮次は、バイクにまたがったままそう言って笑う。



「……早紀ちゃんの彼氏を返しなさい」

 亮次は、早紀についてきた見知らぬ女子高生に目を丸くした。

 どう見ても強いとは思えない。

 なのに、これだけの荒くれ者の集団を前にして、少しも動じる様子がないのだ。

 一体何が、この女を支えているというのだ?

「ほらよ、そこにいるぜ」

 亮次の後ろから、仲間に押されて両手を縛られ拘束された高志が出てきた。

 すでに何らかの暴行を受けたらしい彼の顔は、赤く腫れ上がっていた。

「……約束が違うじゃない! 何で手を出したのよ!」

 美奈子の横で、早紀は叫んだ。

「うるせえ。これくらいでグタグダ騒ぐな」

 くわえていた煙草をペッと吐き出すと、亮次は良く通る声で怒鳴った。

「ウチの族がなぁ、辞めたくなりゃ何のお咎めもなく簡単に抜けられますよ、なんて噂が立っちゃなぁ、ウチはなめられんだよ! しっかり落とし前つけてから辞めやがれってんだ」

 歯軋りをした美奈子は、亮次を見据えたまま早紀に言った。

 「早紀ちゃん。下がってて」

 底知れぬ力を秘めた少女は、たった一人でおよそ千人に戦いを挑もうとしていた。



 亮次は、我が目を疑った。



 ……人間の目から、火が出ることなんてあり得るのか!?



 美奈子の怒りは、もう誰にも抑えられないところにまで来ていた。

 炎の闘神は、ついに目覚めてしまった。



 サイトブレイク・ノヴァ!



 その場の千人あまりは、非常な驚きに打たれた。

 夜の埠頭前の広大な敷地に、直視できないほどの光線が降り注ぎ、一帯をすっぽりと包み込んだ。まるで昼間、いやそれ以上の明るさが空間を支配した。

「めっ、目がああああ!」

 美奈子以外のすべての人間の視力を、一時的に奪った。

 そして、なぜか瞬時にすべてのバイクのエンジンが止まった。

 ヘッドライトさえも、消えてしまった。

 機械という機械のすべてが、その機能を停止した。

「ちっくしょう!」

 族の一部がやけを起こし、満足に目も見えぬまま鉄パイプを振りかざして美奈子のいる方向へ突進してきた。

「ひいいっ」

 あまりの暑さに、最前列に並んでいた者たちは亮次も含めて後退を余儀なくされた。

 なぜなら、美奈子の体が火だるまになったからだ。

 しかし、不思議な事に美奈子自身はなんともないようである。

 それは、彼女自身が火の精霊と同化していたからー。



 メテオ・ミサイル!



 夜空が真っ赤に染まり、おびただしい量の小さな隕石が、弾丸のように降ってきた。

 族たちは、流血しながら頭を覆った。

「痛てえよおおおお」

 隕石の一部はバイクの車体を貫通し、炎を噴き上げて大爆発を起こした。

 その場の千人は、大パニックとなって逃げ惑った。

 その混乱に乗じて、美奈子は高志の身柄を確保し、早紀に彼を渡した。

 しかし、美奈子の火の審判は終わりではなかった。

 そしてついに、美奈子が使える最大級の火力技が炸裂することとなる。

 もう、その姿は一人の女子高生ではなかった。

 言うなれば、火の神ー



 メギド・フレイム(神の火)



 東京上空すべてが、炎の照り返す紅に染まりあがった。

 天空から無数の火の玉が雨のようにくだり、もはや星も月も見えなくなった。

 美奈子の目の前、半径およそ1キロ四方は完全に火の海と化した。

 あり得ない高さまで噴き上がる、炎の壁。

「熱いっ、熱いいいいいいっ、助けてくれえええ!」

 背中が、髪の毛が——

 ブスブスと嫌な臭いと音を立てて焦げてゆく。

 大いなる火炎地獄の前に、若者達は余りにも無力であった。

 服が燃え上がり皮膚にへばりつく。

 耐えかねて亮次は地面を転げ周り、芋虫のように地を這い進んだ。

 埠頭から海に落ちれば、火を消せると考えたのである。

「何だ、通さねぇつもりか」

 少しずつ戻ってきた亮次の視力が捉えたのは、恐ろしい目で自分を見下ろす美奈子の姿だった。

 亮次は、初めて警察以外のものを恐れた。



「……オレの負けだ」

 亮次は、ガックリと顔を地につけた。

 美奈子は、足元に転がる亮次を見て、哀れむように言う。



「それは、違います。

 もし、今回の事をもってしてもあなたが心を入れ替えようとしないのならー

 力であなたを叩いた、私の負けです」



 それだけを言い残して、美奈子は去った。

 早紀は高志に肩を貸して、美奈子に続いた。

 まるで神のような力を持つ少女の残した言葉の真意を思い巡らしながら——

 亮次の意識は、次第に遠のいていった。



 通報を受けた消防は、ただちに都内から消防車を8台、火災現場に向かわせた。

 しかし、その火災の規模はすさまじすぎた。

 まさに、山火事に匹敵する火力であった。

 完全な鎮火をみるまでに、実に8時間がかかった。




 何よりも不思議だったことは——

 これだけの火災でありながら、その場に居合わせた暴走族の集団には誰一人死者が出なかったことである。

 あれだけの火にさらされておきながら、誰を調べてもみな軽度の火傷で済んでいた。

 これは、どう考えても科学的に説明のつかない謎であった。

 どうして一瞬にして、火の気のまったくない場所で大規模な発火現象が起こったのか。

 鑑識がいくら現場を調べても、分からなかった。

 暴走族の証言から、信じられない力を持った制服姿の女子高生の話が浮上してきたが——

 警察側は美奈子が国家公認のESP (エスパー)であり、非公式ながらも美奈子は警察機構で言う警部補の階級をもっていることを知っていたので、その辺りはうまく処理した。



 暴走族は、事実上の解散をみた。

 若者は、それぞれに現実を直視して、社会へ自分の居場所作りに戻っていった。

 自分に一体何ができるのか、何が使命なのかを模索するために。

 亮次がその後どうなったのか、知る者はいない。

 もう、飛山組に彼の姿はなかった。

 ということは、彼はヤクザから足を洗ったのだろうか?

 ヤクザが足を洗うには、それなりの『おとしまえ』をつけさせられるという。

 すると、彼はそこまでの決心をした上でヤクザをやめたのであろうか?



 もし、亮次が日本のどこかで別の人生を歩み始めているのなら——

 美奈子のしたことは、無駄ではなかったことになる。

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