第17話『佐伯麗子の憂鬱』
朝の校門前。
通学する高校生たちは、ゆっくりと車道を走る見慣れない物体に、思わず目を見張って脇へとよけた。
テレビや映画では見ないこともないが、庶民の現実の日常ではそうお目にかかることはないもの……その黒の、恐ろしく車体の長いリムジンがゆっくりと停止する。
リムジンの目的地が、自分の学校だなんて夢にも思ってもなかった学生たちは、思わず息を呑んで、誰が降りてくるのかを見守った。
先に黒服にサングラスの体格のいい男が降りてきて、後部座席のドアをうやうやしく開ける。
真っ赤なヒールの先が現れたかと思うと、次第にその長い足があらわになってゆく。
にゅっと車外につき出される足の、息を呑むような美しい脚線美に、周囲にいた学生は思わず見とれた。
スーツの上から高級そうな毛皮をまとった佐伯麗子は、颯爽と校門をくぐって校舎を目指して歩く。そしてその歩き方たるや、頭に本でものっけて練習したんかいな? と思うほどに姿勢が完璧であった。
まるで、そこだけパリコレの会場にでもなったかのようだった。
職員室のドアを開けた藤岡美奈子は、目が点になった。
壁際にある資料ファイルを収納した棚から2冊のファイルがひとりでに飛び出し、フワフワと宙を漂う。
そしてそれを、職員室の自分のデスクに座っていた麗子が、空中でダイレクトキャッチした。
その場にいた先生方は、もしかして寝不足なのでは、と目をこすった。
中には、洗面所へ顔を洗いに行った先生までいる。
「れ、麗子先生っ!」
美奈子は、見咎めるような険しい顔つきで麗子に駆け寄る。
「ここはお屋敷じゃないんですよ? そう安易に力を使われちゃ困りますっ」
これでは、どっちが先生で生徒なのだか分からない。
「あら、まずかったかしらね?」
そもそも、何で注意されているのか分かっていない麗子だった。
「こ~こ~はっ! 特殊能力のことを当たり前と思ってる人ばかりがいるお屋敷じゃなくって、そんなものはないのが当たり前、と思ってる人たちばかりの世界なんですっ。いらない混乱は招かないでください!」
「はぁ~い」
巻き毛をいじくりながら、炭酸の抜けたコーラのような返事をする麗子に、美奈子は大きくため息をついた。
ここ外の世界では、美奈子が麗子の教育係であるメイド頭の安田の代役を務めていた。
そこへ、校長と教頭がもみ手をしながらやって来た。
日頃偉そうなのに、今はやたら腰が低い。
それは対応の意味だけではなく、実際の彼らの腰の位置までが低かった。
「教授のようなお方が我が校にお越しくださるとは……夢のようでございます! 本来ならば、化学専門の正規教員として採用させていただきますのに、本当に非常勤でよろしいのでございますか?」
美奈子は、目を丸くした。
「きょ、教授…?」
麗子が化学の博士号を持っている、とは聞いたが、大学教授だとは聞いてない。
「おや、君はご存知なかったのかね」
ハゲ頭の校長は、ずれたメガネを戻しなら説明する。
「佐伯先生は、17歳まででケンブリッジ大・マサーチュセッツ工科大、ケルン大の三つを卒業され、科学の博士号を取られているのだ。しかも、ケンブリッジでは生物化学の名誉教授でもあらせられるのだっ」
美奈子は思いっきりツッコミたくなった。
……化学博士が、なんで古典の先生!?
テレパシーで美奈子の思考を読んだらしい麗子が、誇らしげに言う。
「化学だろうが古典だろうがコペンハーゲンだろうが、『どんとこい! 超常現象』ですわ。私の辞書には不可能の文字はないのですっ。さっき破りましたから」
オーッホッホと高笑いする麗子のデスクの辞書を取り上げた美奈子はー
パラパラとページをめくって、ある項目を指差した。
「あの、ここにありますけど」
【インポッシブル】 外来語。 (英)→形容詞・不可能な。無理な。
「ああっ、私としたことがああああ」
麗子は、大慌てでそのページをビリビリ破りだした。
……この人、これでホンマに大学の名誉教授?
美奈子があきれるそばでは、まだ校長と教頭がご機嫌を取っていた。
「先生の論文、拝読させていただきましたっ。特に、『手作り酸素センサーによる自然探求型理科教育の教材開発・ヘッドライン:新世紀型理数科系教育の展開研究』 というテーマには感服いたしましたっ」
「あら、あれは私にとっても自信作でしたの。お褒めいただけて光栄ですわ」
アーハッハオーホッホと笑う彼らを離れて、美奈子はあきれて教室に戻った。
この上、麗子や校長につける薬はない。
もし美奈子がメイド頭の安田に会えば、二人は大の親友になるに違いない。
もはや麗子たちのやりとりは、越後屋と悪代官のそれであった。
麗子に頭を悩ませたのは、何も美奈子だけではない。
その日の二時間目には、柚木麻美のクラスにもしゃしゃり出てきた。
新任教師の他クラス見学、という適当な名目で!
何かの教科というわけではなく、HR(ホームルーム)の時間であった。
担任の男性教師は、きっと麗子に頼まれて断れなかったのだろう。
麗子を連れてきた担任の鼻の下は、伸びまくりであった。
主な議題は、来年度の学園祭に呼ぶ芸能人を誰にするか、であった。
クラスごとで話し合った内容を職員会議にかけ、さらにそれを理事会が検討して、最終的に決める。この高校では、毎年学園祭には有名人を一人呼んで、客寄せの目玉とする習慣があった。
しかし予算の都合もあるため、高額なギャラを必要とするような、ステータスの高すぎる芸能人は呼べない。
だからそこは、予算に合わせてかなりの妥協が必要になる。
クラスでは、実に様々な意見が出た。
「何かさぁ、ここ数年ずっとお笑い系が続いてるよねぇ。そろそろ、フツーにアーティストとか呼んでコンサートのほうがよくない?」
「でもさ、高いんでしょ? 絶対理事会からムリ、って通達が来るって。そこへいくと、お笑い系は予算的に結構射程範囲内なんだよね~」
「最近の流行だとさ、中島としおとかどう?」
「コラ、あれ、裸踊りが芸のメインでしょ? ゼッタイにPTAからストップがかかるって」
皆にどっと笑いが巻き起こる。
「そう言えばウチ歌手で呼んだ事あるのは誰だったっけ?」
「…確か、歌手と言ってもお笑い系の加紋達也」
一同は、ハァッとため息をついた。厳しい現実に、だんだん、クラスにどんよりしたムードが漂う。誰がいいか、という議論ではもはやない。どの辺で妥協するか、というあきらめにも似たネガティブな議論になってきた。
「誰かさ、有名人に知り合いとかいたらいいのに。そしたら、コネで呼べるのにな!」
それまでHRの進行をおとなしく見守っていた麗子が、突然手を上げて立ち上がった。
「有名人だったら…いいわけ?」
進行役の学級委員は、麗子の突然の参入に驚いた。
「佐伯センセイ、どなたかお知り合いに有名人でもいるんですか?」
確かに佐伯グループの会長の娘なら、有名人に知り合いがいてもおかしくはない。
「そうねぇ」
麗子は自慢の美しい巻き毛を指でクルクルいじりながら、考える。
「ジュリア・ハリントンとかどう?」
一瞬、場が凍りついた。
「う、うそやろ!?」
クラス中の誰もが、そう叫んだ。担任も、目を丸くする。
ジュリア・ハリントンとは現職アメリカ大統領夫人、つまりは『ファーストレディ』だ。担任は、ズレた眼鏡を直しながらうめいた。
「佐伯先生、またまたご冗談を……」
麗子が言うと冗談に聞こえないので、担任は本当に来てしまった場合のことを想像してか、顔が青ざめていた。
「マイケル・ジョーダンなどではありません! アメリカにいた時、彼女とは世界婦人地位向上連合の総会で意気投合しましてね。以来時折電話で話す仲ですの。きっと呼べば来てくださるわ!」
例え実現しても、そんな人物を呼べば高校は大混乱に見舞われることだろう。学園祭に似合わない物々しい警備態勢が敷かれ、雰囲気を壊すことこの上ない。
ちょっと有名すぎて問題だ、ということになり、その案は見合わせることとなった。
「センセ、もっと若い子が喜びそうな分野で、いないの?」
女子生徒の質問に、負けず嫌いの麗子は腕を組んだ。
「そうですわねぇ。あまり最近の方は存じ上げませんけどー。藍田由香里とかなら何とか」
「ウッソ~~~~!」
藍田由香里というのは、現在アルバム売り上げ、ヒットチャートともにNo.1の常連と化している、超国民的人気を誇るアイドル歌手だ。
アイドル歌手というと、見た目の可愛さがウリで歌はおまけ、というイメージがあるが、彼女は違う。見た目もアイドルだし、歌唱力も実力十分ときている。
まさかの藍田由香里の名前を聞いて皆、飛び上がって喜んだ。
「サイコー! もう、それで決まりでいいじゃん!」
しかし。ジュリア大統領夫人ほどではないにせよ、これまた地域に大混乱を呼び込みそうな話ではある。生徒たちのボルテージがどんどん上がる一方で、それを運営していく責任を考えて、担任の表情はドンドン青ざめていった。
麗子の出現は、良くも悪くもこの学校にとって『台風』のようなものだった。
それからも、麗子先生の破天荒ぶりはとどまるところをしらなかった。
非常勤としての身軽さからか、至る所に出現しては、嵐を巻き起こした。
体育の授業では、100mを8秒台で走り皆を驚かせた。
男子のサッカーにも参戦し、5ゴールを奪うストライカーぶりを発揮した。
最後のほうは、ケガをしたくなかったキーパーの生徒は、明らかに止めようとせずよけていた。
昼食時。麗子は美奈子と一緒に食べたかったらしく、彼女の教室に現れた。
「麗子先生、弁当は?」
手ぶらの麗子に美奈子が不思議そうに聞く。
「……もうじき、来るわよ」
校庭に、大きなトレーラーが乗り込んできた。
トレーラーの側面には、『東京プリンスホテル』の文字。
コック服を着た10名あまりの男たちが、次々と荷車に食材やら調理器具やらをのっけてドヤドヤと校舎に入ってくる。学生達は皆、何事かと窓から身を乗り出した。
10分後には、美奈子の教室はバイキングレストランと化していた。
「さぁっ、皆さんも遠慮しないでいただいちゃいなさいっ」
麗子がそう叫んだものだから、教室は大パニックになった。
よそのクラスからも噂を聞きつけて生徒が押し寄せた。中には先生の姿まである。
注意しにやってきた先生方まで、結局喜んでご馳走になってしまう有様だった。
ただし最後には、次回からは絶対にしないように、との注意を受けた麗子だった。
5時間目。
美奈子と麻美は、外の異変に同時に気付いた。
さっきまできれいに晴れていた空が、一瞬にして曇りだしたのだ。
「雨だぜ」
生徒たちも、急激に変わった天候に気付いた。
「……でも、何だか変じゃない?」
そう。黒雲がわいて雨が降っているのは、どうも学校の真上だけなのだ。
美奈子と麻美の二人は、真相に気付いてテレパシーを送った。
……麗子先生っ、感情を抑えて!!
「こらっ 勝手に席を立つなぁ!」
先生が止めるのも聞かず、美奈子と麻美の二人はそれぞれ、教室を飛び出した。
麗子は意図的にテレパシーを遮断しているようで、二人の呼びかけは届かない。
二人のESP(エスパー)は、麗子の位置を探り、そこへ向かってダッシュした。
外では恐ろしい突風が吹き荒れ、校庭の木々を次々となぎ倒している。
体育倉庫の扉を開けた、美奈子と麻美の前に……跳び箱の陰で、わんわんと泣き続ける麗子の姿があった。学校上空の雨雲は、麗子の感情とリンクしていたのだ。
嵐を静めるために、必死で麗子を慰めようとする二人。
美奈子は、麗子の背中を必死でなでさする。
麻美が、横で歌う。
♪ ねんねんころ~り~よ ぼうやよい子だ~ねんね~し~な~♪
……私ら、一体何やってるんだろ?
「なるほどね。そういうこと……」
涙ながらに麗子の語った話に、美奈子は天を仰いだ。
放課後。
麗子は麻美と美奈子と一緒に、夕方の街を歩く。
リムジンでの迎えは、麗子がもういらないと無理やりに追い返した。
麗子の話は、要約するとこうだ。
若い体育の教師に一目ぼれして、超行動派の麗子はさっそくアプローチをかけたらしい。
しかし、デートを断られてしまった。
それだけではなく、その直後に彼の元にやって来たのは、同僚の別の女教師。
どうも、この二人はお熱く交際中のようなのだ。
「わっ、わたくしのほうがどう考えても美人なのにぃ! あんなおかめ顔の偏平足女のどこがいいっていうのよぉ?」
無茶苦茶な言われようである。ちょっと、その女教師が気の毒である。
藍田由香里を呼べるほど人脈の広い麗子なら、いくらでもイケメンなり魅力的な男性なりの知り合いがいそうなのに——
そう不思議に思う、美奈子と麻美なのであった。
「あの~麗子先生。世の中にはですね、自分の力ではどうにもならないことってのがあるんですよ。特に恋愛とか男女の仲ってのはいい例なんです」
……と、美奈子。
「そうそう。これで麗子先生も一つ勉強になりましたね? もう、そんないやなことは忘れて、三人でパァ~ッと何か食べに行きましょうよ!」
……と、麻美。
この三人の間でだけは、先生と生徒との関係は逆転していた。
「そうね。明日からも頑張らナイト! ときめきトゥナイトですわね、オーッホッホ」
何とも、立ち直りの早いことである。
かと言ってあまり頑張られても、それはそれでまた問題がありそうではあるが……
「じゃ、景気付けに焼肉食べに行こ、焼肉!」
麻美が声高らかに宣言したが、麗子はキョトンとした。
「焼肉って……何ですの?」
二人は、唖然とした。まさか焼肉、知らないの?
「う~ん、何て言ったらいいんだろ? ステーキのかなりちっさいバージョンを、網で焼きながらたくさん食べるの。お好みの加減に焼けたら、タレにつけて——」
「タレ? 何ですの、それ」
麻美は頭をかきむしった。
「ア”————ッ! ステーキソースのこってりした版だとでも思ってくださいっ。とにかく行けば分かりますからっ行けばぁ!」
三人は、とにもかくにも近くの炭火焼肉の店を目指して歩き始める。
「そういえば先生、お金ってあります?」
美奈子は自分の財布を見て身震いしながら、麗子を見上げた。
「お金? ああ、これでもいいのかしら?」
ミンクの毛皮のコートのポケットから麗子が取り出した物を見て、二人は目をむいた。
クレジットカードの束。
ビザやマスターはもちろん、ニコス・ダイナース・ジャックス・JCB・アメリカンエキスプレス……しかもすべてプラチナ会員やゴールド会員。
カードでトランプができそうな枚数がある。
「何でそんなに……要るんですか」
麻美があきれると、麗子は当たり前のようにこう言った。
「だって、カード一枚の一ヶ月の上限は高々200万か300万程度でしょ? だから沢山持っとかないと困ると思って」
「ぜ~んぜん困りませんっ!」
美奈子と麻美は、マナカナのように同時に叫び声を上げた。
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