第19話『ピンポンダッシュ』

 ……よし、次の家だ。



 インターホンのボタンを押したその瞬間に、城戸拓也は反対方向へ駆けた。

「はい? どちら様?」

 すでに無人と化したインターホンの前の空間に、何も知らない家の主婦の声だけが空しく響き渡る。

「……もしもし? もしもしっ!?」

 その時には、拓也はすでに三軒隣りのインターホンのボタンを押した後だった。

 何かに取り憑かれたように、狂ったように——。

 次々と住宅街のインターホンのボタンを、ひたすらに押して回る。



 拓也が今必死でやっているのは、世に言う『ピンポンダッシュ』というものである。子ども時分に、いたずら心でやったことのある方もいるのではないだろうか。

 しかし。観察すると、ただのいたずらにしては拓也の行動はかなりヘンだ。

 さっきから、町内の家という家すべてに、片っ端からピンポンダッシュをしているのだ。

 一軒も漏らさず、である。

 しかも、彼が息を切らせて必死で走る姿は——

 面白半分のいたずらというよりは、むしろそうすることが彼の義務か使命かのようでもある。



「きゃっ」

 三丁目の角で、拓也は急に現れた女子高生とぶつかった。

「すんませんっ」

 それだけ言い残して、一瞬で去っていく。

 立ち止まる気など、さらさらないようである。

「何ですの? あれ」

 ぶつかられた女子高生と一緒に歩いていた、この近くの高校に勤める非常勤講師・佐伯麗子は、今しがた走り去って行った、小学校高学年くらいの男の子に、目を丸くした。



「こら~待て! これ以上のいたずらはやめろ~!」

 男の子が走り去って1分後。

 体格のいいオヤジとほうきを持った若い主婦が、二人の横を走りぬけた。

 どうやら、先ほどの男の子を追跡しているようだ。

「あれは、どうやら『ピンポンダッシュ』ですね」

 ぶつかられた女子高生・藤岡美奈子は麗子にそう教えた。

「ぴんぽん……だっしゅ?」

 深窓の令嬢である麗子の頭には、クエスチョンマークが飛び交っていた。

「つまりですね、用事もないのに他人の家の呼び鈴を鳴らして逃げる、という迷惑ないたずらのことですよ」

 麗子の眉間に、さらにしわが寄る。余計混乱したらしい。

「へええ? そんなことして何が面白いんですの?」

「……さぁ」

 何が面白いのかと問われても、うまく説明できない美奈子なのであった。

「でもね、あの子とぶつかった時にすべての事情が分かりました。あの子は、ただのいたずらであんなことをしてるんじゃないみたいです。もしかしたら、ここは私たちの出番かもしれませんよ」

 そう言うなり美奈子は、麗子の手をつかんだ。

 とたんに麗子は、考え込むような表情になった。

「ふぅん。そういうことなら、ひとつオタスケマンでもやりましょうかね」



 ……麗子先生、また分からんこと言うし!



 今時の若い子は、タイムボカンシリーズなど『ヤッターマン』くらいしか知らないだろう。

 麗子は財閥のお嬢様のクセに、やたらマニアな古いアニメを沢山知っている。



 アキレスの足!



 美奈子は人間離れした速度で地を駆け、拓也少年を追跡し始めた。

「じゃ、私は空から——」

 周囲の木々がザワザワと揺れ、麗子の周囲を風の流れがうねる。



 ……風の声、大地の唄。空の眷族、万物の理を司る精霊よ。

 我、風とひとつとなりて、大空をひらめき渡る雷(いかずち)とならん——



 麗子の体はゆっくりと宙に浮かび上がったかと思うと、次の瞬間には空を水平飛行し始めていた。



 実は、美奈子と麗子、この二人の正体は——

 超能力者(エスパー)だった。それも、桁外れの力を持った。

 拓也にぶつかった美奈子は、瞬時にサイコメトリー(触れた相手の思念を読み取る)で、彼の抱える事情をすべて読み取ってしまったのだ。

 言葉にすると時間がかかるため、美奈子は麗子の手に触れることで、彼女に自分が読み取ったすべての情報をアップロードしたのだ。超能力者同士だからこそできる意思疎通法である。

 美奈子は時速80kmものスピードで道路を走り——

 ついに、拓也と彼を追跡する大人二人の姿を視界に捉えた。



 拓也が、この町の小学校6年3組のクラスメイト、本庄啓太に呼び出されたのは三日前のことだった。彼には、なぜ自分が呼び出されたのかについて、おおよその見当はついていた。

 処刑場に自ら出向くような心境で、放課後の体育館倉庫前に向かう。

 啓太の周りには、取り巻きの男子生徒が4人いて、威圧するような視線で拓也を見下ろしてくる。

「お前、オレのすることに逆らうからには、それなりの覚悟ってものがあるんだろうな?」

 まるで、江戸時代の裁判のようだ。

 お奉行である啓太の前に、正座で座らされている拓也。

 周囲には下役人のように取り巻きたちが控えている、といった構図だ。

「ああ」

 少々の痛い目は、覚悟していた。

 子どもの世界の閉鎖性と、大人の目すらくらませる悪魔の知恵を知っている拓也は、先生や親に相談しようなどという発想は、まずできなかった。

 真奈香を助けてやれるのは僕しかいない——。



 秋野真奈香は、6年3組でいじめのターゲットになっている女子生徒である。

 理由など、ない。

 彼女の何が悪いのか? と問うても、いじめている者のほとんどが答えられないであろう。

 何かのきっかけはあっただろうが、実に取るに足らない事柄のはずである。

 要は、誰でもよかったのだ。屈折した子どもたちの鬱憤のはけ口に選ばれてしまった、言うなれば『犠牲者』のようなものである。



 真奈香は、学内では必死に不当な扱いに耐え、表向きは平静を保っていた。

 しかし。拓也は見てしまった。真奈香が学校という地獄から開放されてようやく家路につく時——

 普段は気丈な彼女が、帰宅する道を歩きながら泣いていたのだ。

 張り詰めていた緊張が解け、気が緩んだからだろうか。

 拓也は、彼女へのいじめに加わりはしなかったが、かと言って守ろうとしてきたわけでもない。

 そんなことをしたらボスである啓太からの総攻撃を食らうであろうことは目に見えていたからだ。

 でも、拓也は彼なりに胸を痛めた。



 ……やっぱりおかしいものはおかしい。どうして秋野がこんな目に遭わなくちゃならない?



 そう思ったある日、拓也は真奈香をかばう行動に出た。

 隠されたものは元に戻してあげ、いじめられる時以外は無視される真奈香に、親しげに話しかけたりし始めた。

 当然の成り行きとして、それを反逆行為とみなしたいじめの首謀者、啓太から呼び出しを食らってしまい、現在に至るというわけだ。



 殴る蹴るをされるか。それとももっと陰湿に、次の日から沈黙刑にかけられたり持ち物を盗まれたりすることになるのか。

 しかし、拓也に後悔の念はなかった。

 なぜなら、間違ったことへの義憤という以上に、卓也は真奈香に対して異性に抱く恋心も抱いていた。だから、不思議なほどに自分が傷つくことへの恐れは少なかった。

「そうだ。ただコイツをシメるだけじゃ面白くないな」

 何を思いついたのか、ニヤッと笑った啓太は、恐るべき提案をしてきた。



 この町内の家すべてを、ピンポンダッシュして回る。

 それができたら、秋野へのいじめをやめてやろうじゃないか——

 単純な拓也は、その条件を呑んだ。

 逃げることも、ごまかすこともできない。なぜなら、彼がダッシュして回るその後を、ある程度の距離をおいて啓太の取り巻きたちが自転車で追跡していたからだ。

 この賭けには、厳しい条件がひとつあった。

 もし、町内全部を回り終えないうちに大人につかまったり取り押さえられたりした場合は——

 ゲームオーバーとなってしまうのだ。

 ぶっちゃけた話、啓太自身そんなこと土台無理と思って難題をふっかけているのだ。

 拓也が勝つ可能性は、恐らく万にひとつもない。

 なぜなら、ここは町内とはいえかなり広いし、都内でも有数の住宅密集地である。

 家が五千世帯以上はあるし、その中には派出所だって含まれている。



「ゆるせない……」

 超能力で拓也から事情を読み取った美奈子の心に、火がついた。

 怒りに燃えた美奈子の体に、真っ赤な炎のオーラが揺らめいた。



 ワイズマンズ・サイト(賢者の目)!



 アメリカ国防省が誇る軍事偵察衛星『KH-4B』の監視カメラと自らの眼球をリンクさせ、町内の動くものすべてを把握した美奈子は、拓也に対してダイレクトサイコリンクを試みた。

 つまり、テレパシーで拓也と会話しようというのである。



 ……拓也くん。聞こえますか?

 聞こえたら口に出さなくてもいいから、頭の中だけで返事ちょうだい!



 ……お、お姉さん、一体誰?



 いきなりの不思議な現象に、拓也は戸惑いを隠せないようである。



 ……私は、あなたの味方。

 いい、私の言うことをよく聞いて。

 そこを直進したら、近回りしたさっきのオジサンの追っ手につかまることになる。

 逆走しても、ほうきを持ったオバサンと挟み撃ちにされるだけ。

 そこから左5軒先の河野さんちの角を曲がって!



 何がどうなってるんだかわけの分からなかった拓也だったが——

 真奈香を救いたい一心の拓也は、とにかくその降って湧いたアドバイスに従うことにした。



 200メートル上空から拓也を見下ろした麗子は、美奈子とテレパシーでコンタクトを取り、状況を把握した。



 ……麗子先生。まずいことに、拓也くんのピンポンダッシュに怒った大人が二人、増えました。

 追っ手は現在四人。

 二人ずつで東の3丁目15番地と西の28番地から本人に迫っています。



 空中でピッタリ静止して立った麗子は、腕組みをして瞳を閉じた。



 ……逃げれる脇道はないんですの?



 ……残念ながら、ありません——


 カッと目を開けた麗子の瞳は、深い緑色と化す。

 彼女の真上にだけ、黒雲が発生した。

 稲妻が周囲にひらめき渡り、麗子の体内に大気のパワーが蓄積されてゆく。



 ……そういうことならば、致し方なし!



 数万ボルトの電圧を体内に溜め込んだ麗子は、電気人間と化していた。

 麗子はどこで覚えたのか、仮面ライダーストロンガーの歌を歌いだした。



 ……麗子先生。そんなわけ分かんない歌はいいから、何とか助けてあげて!



 上機嫌で歌っている麗子に水を差すように、美奈子はテレパシーを送る。


 

 ……んまっ。せっかく人が気持ちよく歌っているのにぃ!



 まだ22歳の若さにして、育ちの良い財閥の令嬢であるはずの麗子が、なぜそのようなマニアックな知識を持っているのかは、謎である。



 ……それじゃあ、ちょっと可愛そうですけどいきますことよ——



 両腕をめいいっぱい広げた麗子の体を、火花を散らす電気のエネルギーボールがグルグルと回転する。


 ……美奈子ちゃん、座標の修正をサポートよろしくっ



 地上の美奈子は、拓也を追跡する四人の刻一刻と移り行く座標を、正確に捉える。



 ……了解。コース修正。南南東0.32



 麗子の体から、4つのエネルギーボールが放たれ、ミサイルのように地上を襲う。



「ザッピング・スパーク!」



 かわいそうだったのは、拓也を追う四人の大人たちだった。

 拓也の事情など知らない、本来正しいことをしている彼らの運命は——

「ぎゃあああああああああああああああ」

 電気の塊を背に受けた四人は、バッタリとその場に倒れた。

 これで、当面拓也を追い回す者はいなくなったのであるが——



 ……麗子先生。この人たち、大丈夫なんですか?



 例の、オーッホッホといういかにも金持ちっぽい高笑いが聞こえる。



 ……なぁに、ほんの40分くらい体が痺れて動けないだけですわっ


 

 麗子の答えに、思わず絶句する美奈子であった。




 何だか、ヘンだ。

 もう、誰も追いかけてこなくなった。

 それどころか、呼び鈴を押しても、どの家も人が反応してこなくなった。気のせいかもしれないが、どうもピンポンダッシュが 『やりやすくなった』 ように感じるのである。



 しばらく走っていると、突然何かの違和感を感じた。

 胸騒ぎがして、後を振り返ってみると——

「まじかよおおおおおおおお」

 拓也は、目玉が飛び出しそうになった。

 小学生くらいの子どもたちが大勢、後からついて走ってくるのである。

 何人いるだろう。10人・20人……いや、30人はいるな。

 でも、拓也を妨害しようというような雰囲気は感じられない。

 ニコニコとしてついてくる。少なくとも、敵ではないようだ。

 その後から、もっと拓也を恐れさせるものが姿を現した。

 OBSのテレビ中継車だった。



 上空では、朝毎放送と立読テレビの中継ヘリが、拓也を捉えていた。

 テレビカメラを向けられたリポーターは、マイクに向かって興奮気味にしゃべる。



 ……皆さん、ご覧ください!

 今、ここS町では、かつてない意外な挑戦が行われているところでありますっ。

 その内容は、なんと『連続ピンポンダッシュ』で世界新記録をつくってしまおうというものです!

 これが成功しましたら、ギネスブックに載ることはまず間違いありません!

 そして今回、この記録に挑みますのは、S町立第二中学校の一年生、城戸拓也くんだということです!

 この模様は、民放全局とテレビ東京を含む全国ネットで実況いたしますっ



 茶の間でテレビを見ていたS町の住人は、ビックリ仰天した。

「何だって!」

 これには、拓也を監視していた啓太とその取り巻きたちも、開いた口がふさがらなかった。

 これでは確実に拓也が成功するどころか、彼がいわゆる『町のヒーロー』になってしまう。

「兄ちゃん、ガンバレ!」

 拓也は、行く先々で歓迎されるようになった。

 皆、家の前に出て彼を待ち受けていた。

 まるで、さぁ押してちょうだいと言わんばかりの歓迎振りである。



 …ピンポンダッシュして喜ばれるなんて、一体どうなってんだぁ!?



 20分もすると、まるでS町全体が駅伝か国際マラソンの沿道のようになった。

 テレビ局が用意でもしたのか、なぜか町内の皆が三角の旗を振って拓也を応援しているのである。

 とにかく彼には、何がどうなっているのかわけが分からなかった。

「よう、頑張ってるねぇ! これ走りながら飲みなっ」

 4丁目の山田さんちのオヤジが、アクエリアスを一本、渡してくれた。

 まるで、給水所である。

 その後、彼は15階建てのマンションに突入した。

 そこでも、彼は下にも置かぬほどの歓迎を受けた。

 拓也は、焦ることなくゆっくりと快適にピンポンダッシュができたのだった。

 驚いたことに、その後のコースでは、白バイの先導車がついた。



 ……ケーサツがピンポンダッシュを奨励してもいいのか!?



 マスコミを巻き込んでの町の大騒ぎを見て、美奈子は唖然とした。

「これ、麗子先生の仕業でしょ!」

 ここまでするとは予想外だった美奈子は、ただただ舌を巻いた。

「テレビ局には知り合いが多いですからねっ。ちょっと取り上げてもらえてもらえるように、打診しただけのことですわ。やるからにはここまでやりませんとねっ」

 さすがは麗子。ただの金持ちとは一味違う。



 3時間後。

 いよいよ、ゴールが近付いてきた。

 いつの間に作ったのか、『世界新記録、おめでとう!』というアーチまでできている。

 沢山の人が、ゴールで待ち構えている。

 後からは、拓也に続く沢山の子どもたち。



 ……まるで、ロッキーやん。



 5124軒目のインターホンを押して——

「おめでと~~~~~~~~!」

 周囲の大歓声が、彼を包む。

「拓也君っ」

 なぜか、目に涙を浮かべた秋野真奈香がそこにはいた。

「私のために、私なんかのためにぃ……」

 なりふり構わず、真奈香は拓也に抱きついた。

 呼吸を整えるのももどかしく、拓也も真奈香を抱き返した。



 もはや、二人には恥ずかしいなどという気持ちはなかった。

 あるのはただ、真実に結ばれた愛情だけだった。

 そのまれに見る美しい光景は、全国の茶の間に生放送で届けられ、多くの視聴者の涙を誘った。

 知略に長けた麗子が、真奈香に連絡を取ってすべての事情を説明し、ゴール前で待たせたのだ。

 この辺りの演出にも、抜かりがなかった。

 収録された映像は、その夜のあらゆるチャンネルの報道番組にて取り上げられた。



 この出来事は結果として、クラス内のくだらないいじめを吹き飛ばすのに、十分すぎるくらいの威力を発揮した。

 もはや、拓也と啓太の立場も逆転していた。

 でも、拓也は自分の私利私欲のためにその立場を利用することもなかったから、クラスの平和は保たれた。



 正しい道を信じて行けば、奇跡は起こる——

 拓也の思いやりに報いるために、美奈子と麗子という二人のエスパーが彼に遣わされたのだ。

 そう信じたい。


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