第15話『あの子はたぁれ』

 山々の谷間を吹き抜ける風が、心地よい。

 長い冬が終わり、やっとめぐってきた春。

 時折冷気を含むことはあるけれど、新しい生命の息吹を感じさせてくれるような春風が吹くようになった。

 真下に大きな湖、そしてはるか向こう側に大きなダムの見える展望台で、高校の制服姿の藤岡美奈子と柚月麻美は、身を乗り出してその雄大な風景を眺めた。

「まったくさぁ、高校に遠足なんかいらないっつーの」

 物憂げな顔をした美奈子は、そう言ってため息をつく。

「だよねぇ。この年になったら、行きたいところくらい休みの日に勝手に行く、ってもんだよね——」

 今日は都心からバスに乗り、遠足として自然いっぱいのこの峡谷に来ているのだ。

 今は、お弁当の時間が終わり自由時間である。

 他のクラスメイトたちは、アスレチック設備などもある運動公園のほうにほとんど行ってしまい、二人の周囲に生徒の数はまばらであった。



 二人はふと、ちょっと離れたところでやはり湖を見下ろしている老人に気づいた。

 何だか、小声で歌を口ずさんでいる。

 美奈子は、かなり久しぶりにその歌を思い出した。

 小さい頃に歌ったことがあるような気がする。

 確か『あの子はたあれ?』 っていう童謡だったような。

 片手に歩行杖を持った初老の男は、二人の女子高生に歌を聴かれているのに気づいて、頭をかいた。

「やぁ、これはお恥ずかしい。あんたがたは、ここへは遠足か何かで?」



 話を聞くと彼は小柳幹雄という名で、小学生時代をここで過ごしたらしい。

「今日はここが無性に懐かしくなってな。小学生の時引っ越してしまって以来一度も戻ってなかったんじゃよ」

 美奈子は、不思議に思って幹雄に聞いた。

「でも……この辺りって民家なんかゼンゼンないですよね。どこに住んでらしたんですか?」

 老人は、目じりに深いしわを寄せて、空を見上げた。

「この下じゃよ」

 美奈子と麻美は、エッと驚いて湖を凝視した。

「もともと、この下には村があったんじゃ。そこにわしも住んどったんじゃが、引越しして3年後に、村がダムの下に沈んだんじゃ」



 幹雄は、二人に子ども時代の村での思い出を語って聞かせた。

 彼は、同級の『中塚美代』という女の子と大の仲良しで、しょっちゅう一緒に遊んでいたらしい。

 「将来は、美代のことお嫁さんにしてね!」と言われ、じゃあ大人になったら結婚しようね、などという無邪気な約束事までした仲だった。

 しかし、ある時幹雄の父の仕事の都合で、どうしても都心に移り住まなければならなくなったのだ。

 別れの日。小学校の校庭で、幹雄は泣いている美代に指切りをして約束をした。

「絶対にまた戻ってくるから。そして、美代を迎えに来るから」

 泣きはらした目を上げて、美代は訴えた。

「ゼッタイだよ。ゼッタイに迎えに来てね……」

 しかし。引越ししてしまい、新しい友達もでき、その環境に住み慣れていくうちに、幹雄はいつしか、美代のことを忘れ去っていた。



 そうして、50年あまりの歳月が流れた。

 幹雄は、さびしそうに笑う。

「わしはね、後悔しとるんですよ。いくら小さかったとはいえ、約束は約束。破って申し訳なかった、とこの年になって思うんですわ。もしできることなら、美代に会いたい。そして、来るのが遅くなってしまったと謝りたいんじゃ」

 その話は、美奈子と麻美の心に響いた。

 そして幸いな事に、この二人にはその老人の無理な願いを叶える力があったのだ。

 二人は、世界最高レベルの力を持つ超能力者だったのだ。



 山道を下って、湖水に触れられるところまで三人はやってきた。

 幹雄は、正直半信半疑だった。

「ほんとうに、美代ちゃんの居所が分かる、というのかね?」

 まあ、見ててくださいよー。美奈子はそう言うと、一歩前に進み出た。

 彼女の靴先が、ピチャッと音を立てて湖水を踏む。

 美奈子の瞳は猫の目のように収縮し、緑色の光を放った。



「ダイアナの幻夢」



 幹雄の周囲に、信じられないことが起こった。

 山が、木々が、空が——

 恐ろしい速さで葉は繁りそして枯れ、山はめまぐるしくその色を変え、日は昇りそして沈み——

 春夏秋冬がグルグル巡る。

 ビデオでいう、超高速の巻き戻しである。

 恐ろしい速さで、風景がどんどん過去にさかのぼっているのである。

 やがて周囲の水がすべて引いてゆき、そこに水没した村が姿を現した。

「さ、行きましょ」

 あっけにとられている幹雄を、美奈子は手を引いて導く。麻美もそれに続いた。

「小学校がどこにあるか、案内していただけますか?」



 時は、夜だった。

 過去の記憶を頼りに、幹雄は村の中を歩いた。

 懐かしい。すべてが昔のままだ。ここは山田さんち、あそこは駄菓子屋さん——

 そのうちに、小学校に着いた。

 そして迷わず幹雄は、美代と最後の約束をした校庭を真っ直ぐに目指した。

 グランドの真ん中に、小さな人影がひとつ。

「……美代ちゃん」

 50数年前に別れた時と同じ、そのままの姿。

 美代は、年老いた幹雄に気付き、振り向いた。

 そして、ニコッと笑顔を見せた。

「それはね、残念ながら美代ちゃんの幻影。単なる映像にしか過ぎないの」

 後ろから幹雄に声をかけた美奈子は、進み出て美代の幻影に触れた。



「ワイズマンズ・サイト (賢者の目)!」



 美代の疑似生体情報をスキャンした美奈子は、日本全土を対象にして同じ波長を持つ人物の割り出しにかかった。

 彼女は、アメリカ国防省が誇る軍事偵察衛星『KH-4B』の監視カメラと自らの眼球をリンクさせ、片っ端からサーチしていく。沖縄・九州該当なし。中国・四国地方該当なし。関西・該当なし——

「オジサン、時間がかかりそうだから、座って待ってよ」

 麻美に促され、地面に半分埋まったタイヤの遊具に腰を下ろす。

「おお、これは座れるんじゃな。幻影じゃ……ないのか?」

 ヨイショ、と幹雄の横に腰を下ろした麻美は、ウーンと考え込んだ。

「幻影なんだけど、実体はあるの。……あ~もう! どう説明していいのか、美奈子ちゃんじゃなきゃ分かんないよう!」

 他にすることもないので、髪の毛が逆立ち、目から異様な光を放ったまま立ち尽くす美奈子を、ふたりはしばらく見守り続けていた。



「……ウソ」

 眼球の輝きが消えた美奈子は、しばらく考え込んでいた。

「なんか、問題でもあったの?」

 心配そうに、麻美が聞く。

 すぐには返事をせず、美奈子は美代の幻影と正面から対峙した。

 幹雄の見ている目の前で、美代と美奈子の体は蛍光灯のような乳白色に光った。



「ロスト・コーリング」



 美奈子と幻影の美代は、二言三言会話を交わした。

「おじさん」

 悲しげな目をした美奈子の、静かな声が響く。

「美代ちゃんは、亡くなっています。中学に上ってすぐに、病気で」

「そ、そんな馬鹿な」

 幹雄は弾かれたように腰を上げ、美代の幻影の前に立った。

 老いてたるんだまぶたから、涙があふれ出た。

「ごめんな。私が約束を守らなくて。お前がもうこの世にいないなんて——」

 グランドにガックリと膝をつき、幹雄は下を向いてうなだれた。



「ほんとはね、美代さんが今どこで暮らしているかを割り出して、会いに行ってもらえるようにしようと思ってたんだけど……こんな結果になって残念です」

 麻美も立ち上がり、美奈子に近づいてきた。

「それじゃあ、オジサンに本物の美代ちゃんに出会わせてあげようよ。私も力を貸すからさ!」

 目を伏せてフッと笑った美奈子は、再び顔を上げた時には瞳から真っ赤な炎を噴き出していた。

 彼女と手をつなぐ麻美。

 今二人を中心として、巨大な力場が形成されようとしていた。

 自然界の法則に反するその現象に、空模様は荒れ、雷が落ちる。

 稲妻の閃光に、二人の瞳は青く輝く。そしてつないだ両手を高く挙げる。



「サモン・デッド!」



 大地が激しく揺れ、幹雄は立っていられなくなり、地に伏した。

 幹雄の目の前で、美代の幻影は恐るべき変化を遂げた。

 子どもだった美代の姿は、一度大きな光の玉になり——

 再び人型をとって幹雄の前に立った時には、一人の成人女性の姿になっていた。

 それは、成人まで生きていたらそうなっていたであろう美代の姿だった。

「……ずっと、待ってた。呼んでくれてありがとう」

 美代の唇からその一言がこぼれた時、幹雄はたまらず彼女を抱きかかえ、謝罪の嗚咽を漏らした。

「そうか。本当に悪かったな。もう、どこへもいかないさ。ずっと、美代と一緒だよ」

「ホント? うれしい——」

 霊体の美代は、無邪気に笑った。

 きっと、見た目が大人でも心は死んだ少女の当時とそう変わらないのだろう。

「約束したよね。美代ちゃんと結婚するって」

 この時、二人のESP(エスパー)は幹雄の真意を悟り、身震いした。

「そ、そんな! オジサン……ダメだよ」



 幹雄は、美代を抱く手はそのままに、顔を美奈子と麻美のほうに向けてきた。

「お二人さん。今日は出会えて本当に良かった。感謝しているよ」

 二人の目の前で、みるみるうちに幹雄は、老人の姿から若き日の青年の姿へと変化してゆく。

 似合いの一組の男女となった美代と幹雄は、手をつないだまま美奈子と麻美のほうに向き直った。

「何も言わず、行かせてほしい。私はもうこの歳じゃし、ひとり身でこの世に残す家族もない。このまま、美代といることが私の本望なのだ。最後のわがまま、どうか認めておくれ——」



 美奈子と麻美の見ている前で、50年越しの再会を果たした二人は、ゆっくりと天に昇って行った。心から幸せそうに、互いの笑顔を見つめながら——

 胸の詰まった美奈子と麻美は、涙をボロボロ流して別れを惜しんだ。

 手を取り合った二人が夜空の彼方に見えなくなるまで、手を振り続けた。

 それに応えるかのように、天から美代と幹雄のものと思われる歌声が届き、幻の廃墟に満ちるのだった。

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