第7話『生と死との間に』

 今日も、バイトで遅くなった。

 藤岡美奈子は、バイト先であるファミレス 『Royal Host』を出て、電車に乗るべく駅へと急いだ。

 彼女は、まだ若干高校生にして、恐るべき超能力を持つESP(エスパー)なのであった。

 彼女の偉いところは、その能力を自分の私欲のためには一切使わない、というところである。

 念動力・透視力・テレパシー・サイコメトリー・予知…。

 美奈子はそのすべてにおいて、最高の能力を発揮した。

 もし彼女がよこしまな心の持ち主であったとしたら、それらを悪用していただろう。

 例え善人であっても、そのような力を与えられれば誘惑に負けてしまうことだってあるだろう。

 実際、彼女が本気になれば大銀行から人知れず大金を盗むことだってできる。

 それも、まったく証拠や痕跡を残さずに。

 でも美奈子は、普段の生活では自身の能力を封印して生活していた。

 彼女がその恐るべき能力を発動させるのは、誰かが困っているのを見た時や助けを求められた時だけ。

 だから彼女は、バイトの時給950円という給料に甘んじて、地道にお金を稼いでいるのである。



 交差点での信号待ちをしている時に、美奈子はそばの電柱に立て看板があるのにふと目を留めた。

「あれ、先週まではこんなものなかったよね?」

 信号はまだ変わりそうもないので、そこに書かれてあることを読み上げてみた。



「1月25日午後9時33分頃、この交差点にてひき逃げ事故がありました。

 この事故を目撃された方は、お手数ですがー

 杉並警察署 (03-3314-0110)、または近くの交番まで情報をお寄せください」



 よく見ると、交差点の東側、大きな橋の欄干の手前に、お菓子が置いてあり花も添えられている。

 きっとここで、はねられた人が亡くなってしまったのだろう。

 美奈子は、立て看板の横に立っている人物に気付いた。



 他の誰にも見えないだろうが、特別な目を持った美奈子には見えてしまった。

 恨めしそうな表情で美奈子を見据えるのは、20代前半と思われる女性。

 肌はものの見事に『青緑色』をしていた。その上、彼女の着ている服が、半分血に染まっているということは、彼女がすでに死者であることを明確に物語っている。



 美奈子は、霊と意思疎通を試みた。

 死者を見たり呼び出したり話したり、というネクロマンシー(死霊術)は、下手に使うと術者がビジター(来訪者。ここでは別の次元の存在のこと)に取り込まれてしまうこともあるため、自重しなければならないとは自覚していた。

 しかし、美奈子はその女性の霊の悲しげな眼差し、そして何より地縛霊として霊界に旅立つことすらできないでいる彼女の姿に、胸を痛めた。

 近くに自分以外の通行人がいないことを確認した美奈子の体を、白い光のオーブ (球体) が包む。



「ダイアナの幻夢」



 美奈子は、交差点に視線を集中させた。

 彼女の瞳が猫目のように収縮し、緑色に妖しく光った。

 瞳の中で、ビデオの逆回しのように交差点の映像がどんどん過去にさかのぼっていく。

 そして、事件のあった一週間前の9時33分の映像が頭出しされた。



 わき見運転をしながら女性に気付かずに突っ込んでくる、一台のワゴン車。

 青信号で渡っていた女性は、車に気付いて驚愕に目を見開くが、もはや逃げるには遅すぎた。

 跳ね飛ばされた女性は体をくの字に折ったまま、少し離れた大橋の欄干に頭から落ちた。

 車は一瞬停まりはしたが、三秒をかけずに再びフルスピードで逃げ去っていた。

 自分のしてしまったことを受け止められず、捕まって残りの人生を棒に振りたくなかったからであろう。



 美奈子は見えた映像から、車のヘッドライトが割れているのを見ていた。

 鑑識が調べた後、キレイにしてしまったであろうが、少しはガラスの微小な破片が残っているはず——

 そう思った美奈子は現場の道路にかがんで、手でそこらじゅうを触れて回った。

「……あった」

 目に見えないほどの細かなガラス片から、サイコメトリーで残留思念を読み取る。

 そしてついに、美奈子は事件の真犯人にたどり着いた。

「なるほどね。すぐには捕まらないわけだ」

 何の偶然か、犯人の男の職業は自動車の整備工だった。

 彼は他人に干渉されることなく、自身の車の破損箇所を処理できたのだ。

 普通は、事故を起こした車を修理に出すことで足がついたりするものだが——

 犯人自身が修理工なのだから、これはかなり始末の悪いケースだ。

 美奈子の瞳が、その光の色を緑から青に変えた。



「ワイズマンズ・サイト」(賢者の目)



 アメリカ国防省の軍事偵察衛星をの機能を乗っ取った後で、東京都庁の住民台帳データベースをハッキングする。18ケタのパスワードを2秒で解析した美奈子は、厳重な警視庁のファイヤーウォールを突破した。

 東京都の23区を検索対象に、サイコメトリーで読み取った男の情報をもとに衛星でスキャンしていく。

「……分かった」

 山岡栄一、30歳。ツノダ自動車杉並第一支店技術サービス部部長。

 自宅の位置も判明した。



「ついといで」

 女性の霊は無表情で、美奈子の後について歩き出した。

 美奈子は後に霊を従えたまま、電車に乗った。

 荻窪から中央線に乗って、高円寺で下車。

 警察に犯人の情報を流して捕まえてもらう、という方法もなくはなかった。

 しかし、美奈子ははねた犯人にも、この死者の女性にもー

 双方にとって、納得の行く結末を迎えて欲しいと思ったのだ。

 彼女は今から、犯人の男性の家に乗り込むつもりだった。



「……話があるそうですが?」

 応接間に通された美奈子は、ソファーの上で身を固くした。

 すでに、夜の10時なろうしていた。

 こんな時刻に、制服を着た見知らぬ女子高生の訪問を受け、山岡栄一は面食らっていた。

 普通なら、門前払いである。しかし——

「一週間前のひき逃げ事故のことで来たのですが」

 そう言われた栄一は、正直なところ心臓が口から飛び出そうなほどに驚いた。



 ……まさかこの子、事件の目撃者か?



 美奈子は開口一番、こう切り出した。

「あなたが女性をはねたことは知っています。すぐに自首していただけませんか」

 栄一は、先ほど妻が運んできたお茶に口をつけて、精神を落ち着かせた。

「どうして、警察に行ってそのことを言わないでここに来たのかね?」

 それだけが、栄一の解せない点であった。

 あなたに、自首して欲しかったんです。バレて捕まるよりも、人の命を奪ってしまったことを悔いて、償おうという気持ちをもってこれからを生きて欲しかったからです」



 ソファーに深く身を預けてため息をついた栄一は、美奈子のまだ幼さの残る顔をジロリと一瞥した。

「君は、まだ若いから分からないだろうねぇ。確かに、私は悪いことをしたさ。済まなかったと思っているよ。でも、私が刑務所に入ることで……私の妻は、そして子どもはどうなる? 私はどうしてもそのことだけが気がかりなんだ。そしてついに、家族の生活を守れるのならば一生逃げおおせてみようと決心までしたんだっ」

 栄一は知らなかっただろうが、美奈子はただの高校生ではなかった。

 その能力と数奇な運命のために、たくさんの人の生死に関わり、涙を流してきたのだ。

 彼女は、家族のためと言いながらもその自己中心的な本質をさらけ出してしまっている栄一の弱さを見抜いた。美奈子は、焦った。



 ……ヤバい。この人が心から悔いていなければ、霊は納得しない。



 その時だった。

 栄一の目が、何か恐ろしいものでも見たかのように、恐怖に見開かれた。

「ひいいっ」

 ソファーから転げ落ちた栄一は、しりもちをついたまま美奈子の後方を見上げる。

「まさか」

 美奈子は、後を振り返った。

 女性の霊の長い髪の毛が逆立って波打ち、目が真っ赤に輝いている。

 恐らく、彼女自身の意思で、栄一にも自分の姿が見えるようにしたのだろう。

 霊は、明らかに怒りに満ち満ちた霊的波動を周囲に叩きつけていた。

 パリン! 

 大きな音がして、天井の蛍光灯が割れた。

 同時に、窓側の窓ガラスが、内側から粉々に砕け散った。

 机が、花瓶が、ミニコンポが——

 部屋中のあらゆるものが、宙に浮遊した。

 明らかに、ポルターガイスト現象が起こっていた。



「きゃああっ、あなた! これは何!?」

 物音に驚いた栄一の妻が、呆然として部屋の戸口に立っていた。

 霊が栄一と妻に一瞥をくれると、空中の浮遊物の一部が、恐ろしいスピードで二人めがけて飛んだ。

 栄一は背中に花瓶を、妻は額に置時計を受け、血を流してうめいた。

「パパァ、ママァ!」

 騒ぎに目を覚ました幼女が、おぼつかない足取りで部屋に入ってくる。

 女性の霊の背後で、本棚が動いた。

 それは宙でゆっくりと横倒しになり、狙いを明らかに幼女の頭部に定めていた。



 その時。

 一瞬にして部屋の中は真っ赤に染まった。

 美奈子が、泣いている。

 彼女の燃えるような怒りは、もはや押さえきれないところまできていた。

「ゆ、許せない。あなたがいくらかわいそうでも、関係ない人まで巻き込むのは、許さないっ」

 獅子の瞳が、灼熱の炎に輝いた。

 体のあらゆるところから、溶岩が揺らめくかのようなオーラを発散させていた。

 怒りに我を忘れた美奈子は、恐ろしい力を使おうとしていた。

 生者が使うことは死の危険がつきまとうとされる死霊術の最終奥義——



 ふつう霊というのは死んでいるのだから、それ以上は死にようがない。

 しかし。死者をさらに殺せるという術がある。

 霊魂自体を消滅させるという踏み込んではならない神の領域に、美奈子は手を出そうとしていたのだ。

 自らの危機を悟った霊は、美奈子を恐れて後ずさった。

 彼女が冥界の使者やデーモン(悪魔)に匹敵する力があると悟ったのだ。



「エクトプラズム・デストロイヤー」



 美奈子は、普段の彼女からは想像もつかないような大きな口を開けた。

 口から帯状の光が大蛇のようにのたくり現れ、霊の体に巻きついてがんじがらめにした。

 霊が苦しむと部屋中の浮遊物が急に力を失って、ボトボトと床に落ちる。

 自らの消滅を悟った霊は、せめて栄一だけでも道連れにしようと、最後の力を振り絞って呪い殺しにかかった。

「うぎゃあああああああああ」

 白目をむいて泡を噴き、栄一は転げまわった。

「あなたっ」

 妻は、額と右目を血だらけにしながらも、夫にすがりつく。

「パパァ、死なないでぇ!」

 幼女も、散乱した家具を乗り越えて、その小さな手で栄一の体をさすった。

 そして、美奈子に消されかけようとしている女性の霊にしがみついてきた。

「お願い、わたしがあやまるからぁ、代わりになってもいいからぁ、お父さんだけは取らないでぇ!!」

 重力によって幼女の目から落ちた涙がひとしずく、霊の女の体に吸い込まれた。



 美奈子は、ハッとして我に返った。

 今まで負のエネルギーに満ちていた女性の霊の体から、みるみるうちにエネルギー反応が消えた。

 攻撃の必要なくなった美奈子は、自身のパワーオーラをオフェンシヴモードからプロテクションモードへとシフトさせた。

 部屋全体が、赤から淡い緑色へと、その色を変てゆく。

 今度は、女性の霊の体が、不思議な光を放って発光し始めた。

 暗い色だった皮膚が、あざやかな肌色になりー

 事故で血だらけになっていた服からは、一切の血の汚れが消えていった。

 霊は幼女の前でかがむと、その幼い体を優しく抱きしめた。

 呪縛の解かれた栄一とその妻は、肩を寄せ合ってその光景を見つめていた。



 ややあって、栄一の声が静かに響いた。

「…私は、自首するよ。いつまでも逃げていたら、この子にとって誇れる親なんかではないことには変わりないからな。きちっと償って、帰ってくるよ」

 栄一は這いずって霊の足元までやって来ると、その顔を真下からのぞき込む。

「あんた。ひき殺してしまって、本当にすまんかったなぁ」

 がっくりと床に両手をついて、栄一は男泣きに泣いた。



 美奈子は、静かに片手を天井高く上げた。



「ディバイン・ゲート」



 彼女の瞳は、オレンジ色に明滅した。

 それと同時に、廊下であるはずの部屋のドアの向こうの景色が、ありえないものに変化した。

 ドアの向こうは光を放つ別次元の大空となり、光を放った。

 物質宇宙次元とは違う異世界への門が、開かれたのだ。

「今のあなたなら、このドアをくぐってもあちらの世界から拒絶はされないはず。さぁ、行って」

 その時、霊は初めて笑った。

 栄一たち三人家族と美奈子に深々と頭を下げたあと、霊はドアの光の向こう側へと吸い込まれていった。嵐が去ったあとのような破壊された部屋で、残された者たちはしばらくその場を動けなかった。




 次の日。

 栄一は、事故現場であり、女性が叩きつけられて即死したであろう場所——

 橋の欄干のたもとに、花を捧げた。

 静かに両手を合わせ、黙祷を捧げる。

 そして彼は、足早にその場を立ち去った。



 これから、警察に行くのだ。

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