第8話『愛と誠』
藤岡美奈子は、学校へ戻るのが億劫になってフラフラ街をさまよった。
彼女は、高校生にして恐るべき超能力を秘めたESP(エスパー)だった。
念動力・透視力・テレパシー・サイコメトリー・予知……
美奈子はそのすべてにおいて、最高の能力を発揮した。
単純に考えたら、そのような力が使える美奈子のことをうらやむ人もいるかもしれない。
しかし、特殊な能力を持つことは決していいことばかりではない。
むしろ美奈子のことに限って言えば、悲惨』であるとしか言いようのない生活を送っている。
気の緩んだ時に、人や物に触れたその瞬間。
予知能力が勝手に発動してしまい、やがて起こる事故や不幸が分かってしまったりする。
放っておいてもよいのだが、知ってしまった美奈子はそれを救わずにはいられないのだ。
あとで、良心の呵責に苛まれることが分かっているからである。
今も、本当は高校の授業中のはずなのに、エスケープして人助けをしてきたのだ。
なぜ、そんなハメになったのかというとー
月曜日の朝だから、高校では全校生徒が校庭に出ての朝礼があった。
美奈子は生徒たちの列に混ざって並び、先生方の退屈な話を聞いていた。
退屈しのぎに、空を眺めたのがいけなかった。
一台のヘリが空中を飛んできたのだが、下手に見つめてしまったが故に、美奈子にはそのヘリの1時間後のビジョンが見えてしまった。
なんと空中で大爆発が起こり、墜落してパイロットが死亡するのだ。
原因は、エンジントラブル。オイルの給油弁が詰まっているのを、整備点検の際の手落ちで見逃したためらしい。
……あ~あ。見ちゃったよ。
ため息をついた美奈子は、無謀だとは思ったがこっそり列の最後尾に出た。
そして、皆が前を向いているのと朝礼台に立っている先生が熱弁に酔いしれているのとを確認してから、美奈子は空中へ飛んだ。
「イカロスの翼」
彼女は空中300メートルまでジャンプすると、そのままヘリの後を追った。
航空会社に伝えたりしても、まず信じてもらえないだろう。パイロットにテレパシーで話しかけるなんて論外だ。
言うことを信じてもらえなかったり、逆にパニックになったり。もっとひどいのは、マスコミや金儲けのネタにしようとこちらを追及してくる者もいる。
だから、あらかじめ信用できる人物と分かってからでないと、テレパシーによる意思疎通は使えない。
仕方なく、美奈子はヘリの後にピッタリとくっついて、無理矢理ヘリのエンジンを停止させた。
そして念動力でヘリを浮かせ、最寄の空港まで勝手に誘導して着陸させた。
当然、乗っているヘリが高高度でエンジン停止したと知った中のパイロットは、気が狂いそうになるほどのパニック状態になった。
美奈子の方は、まぁ命が助かるんだから安いもんでしょ、と思いいケロッとして放っといた。
着陸後、綿密な整備をする必要に迫られるように、わざと機械の一部を壊しておいた。
これだけのことをし終わってから、美奈子はやっと肩の荷が下りた。
エスケープの言い訳を必死に考えているうちに、美奈子はついに学校へ戻るのが面倒になった。
自分へのご褒美として、あとは街をブラブラして散歩することにした。
……あとでちょっと先生の記憶をいじって、出席にしてもらお。
人助けしてるんだし、これくらいはカミサマも見逃してくれるっしょ。
美奈子が近くの小学校の前を通りがかった時、出会い頭に一人の小学生の男の子とぶつかった。
体の大きい美奈子は倒れなかったが、その小さな男の子は後ろにしりもちをついた。
美奈子の便利な危険予知能力も、自分のことに関してだけは一切使えないのだ。
「きゃっ! ご、ごめんね……」
転んだ拍子に、男の子のランドセルが開いてしまい、中から筆箱やら教科書やらが飛び出てしまった。
「僕は大丈夫だよ、お姉ちゃん。ちょっとびっくりしただけ」
男の子は、路上に散らばった文房具や教科書を拾い出した。
美奈子も腰をかがめて、それを手伝った。
何気に、落ちたノートの表紙を眺めた。
5年3組 畑中 誠
……ふぅん。誠くん、っていうのか。いい名前。
美奈子が手を伸ばして、そのノートに触れた瞬間。
「エッ!?」
またもやサイコメトリーを発動してしまった美奈子は、そのノートを通して誠という少年の抱える心の重荷を知ってしまった。
うずくまって肩を震わせる美奈子に気付いた誠は、美奈子のそばに並んでしゃがみ込んで、紺のブレザーの上から美奈子の背中をさすってきた。
「お姉ちゃん、どうしたの? 気分でも悪いの?」
美奈子は袖で涙を拭うと、気丈に振舞おうと努めた。そして、どうやったらこの少年を救えるのか必死で考えた。
やがてひとつの結論に至った美奈子は、しゃがんだまま誠と真正面から向き合い、両手で彼の肩をしっかりとつかんだ。
「お姉ちゃんの名前は美奈子っていうの。誠くん……よね。お姉さんのこと、あなたのお友達にしてくれる?」
「うん!」
誠の顔が、花が咲いたかのようにパッと明るくなった。
普通、道でいきなり見ず知らずの年上の他人に友達になろうなどと言われたら、まず不思議がるか怪しむかするものだ。
美奈子には、会ったばかりの人をいとも簡単に友達と認めてしまう彼の事情が、痛いほど分かっていた。
「テレパシスト・ビーコン」
美奈子は、自分の額を誠の額にピッタリとくっつけた。
触れ合った額どうしが、淡い黄緑色に光る。
「美奈子お姉ちゃん、今のは何かのおまじない?」
不思議そうに誠は尋ねてくる。
「そう。これでね、どんなに離れていたってね、誠くんがどうしても助けが欲しいときにお姉さんには分かるの。困った時には、いつでも駆けつけてあげるからね」
これで美奈子は、好きな時に誠の状況をテレパシーで把握できるのだ。
夜7時30分。
美奈子は、誠の通う小学校に出向いた。
用務員のオジサンの目をかいくぐり、5年3組の教室へ向かう。
夜の小学校は、真っ暗だ。
美奈子は赤外線探査モードへと眼球を切り替えた。
「ミネルヴァの目!」
闇の中で、美奈子の眼球が赤く輝いた。
誰かが出くわしたらきっと気絶されるような恐ろしい顔で、美奈子は廊下を進んだ。
「……ここね」
念動力で、教室の鍵を内側から回す。
カチリ、という音を聞いてからドアを開け、教室の中へ入る。
そこで美奈子は、クラス全員の机に手を触れて回った。
「……分かった」
これで、クラス35人分全員の名前と人柄が把握できた。
そして、誠をいじめているいじめグループのリーダーが誰かも分かった。
「誠くん。
あなたは決して一人ではないのよ——」
夜の12時。
美奈子は、誠の家の前に立った。
そして、睡眠状態にあった誠の潜在意識にリンクして、ある夢を見せた。
それはまるっきりの夢ではなく、誠の知らない事実を映したものだった。
誠がひどいいじめを受けている影で、立ち回る少女がひとり——
誠の持ち物が隠されれば、あとをつけて探し出して元に戻す。
机に落書きされれば、人知れず雑巾で拭いて消してあげていた。
でも、誠が直接嫌がらせを受けたり暴力を振るわれている時には——
さすがに飛び出してかばうほどの勇気まではない彼女は、声をかみ殺して泣くのだった。
次の日。帰りの会も終わり、いよいよ帰るだけとなったその時。
誠の前に、大きな体が立ちふさがった。
平均的な小学生よりは、はるかに大きい体格をした熊谷賢治は、華奢な誠を威圧するかのように見下ろして、冷たく言い放った。
「……今日、4時に二丁目の例の空き地に来い。来ないとどうなるか、分かってるよな」
誠はランドセルを背負うと、賢治と目を合わせないようにして、うつむき加減で返事をした。
「分かってるうよ」
取り巻きの三笠雄太と渡辺秋雄をうしろに従えた賢治は、肩をいからせて教室を出て行った。
ため息をひとつついた誠は、5分ほど待ってからやっと教室を出た。
誠が校門を出ると、一人の少女が彼を待っていた。
「メール、見たから来たよ」
彼女は、誠と同じ5年3組のクラスメイトの水野愛だった。
二人は肩を並べて、しばらく無言で歩いていた。
先に口火を切ったのは、愛のほうだった。
「で、話って何?」
「ありがとな」
間髪入れずに、唐突に誠はそう言った。
「…………」
いつになく真剣な誠の様子に、愛は何を言われるのかおおよそのところを察した。
何となく決まりが悪くなった愛は、顔を赤らめた。
「水野には、色々助けられてたみたいだ。本当にありがとう」
歩きながら、思わぬ所で礼を言われた愛は、恥ずかしさにうつむいた。
「ありがとう、って言われるほどのことじゃないわ。だって私、人にバレないようにできる範囲だけでしか誠くんのこと助けられなかったんだもん。熊谷君とか、他のみんなの前では怖くって何も言えかった。私ってね、だから卑怯者なのよ」
必死で平常心を保とうとしていた愛だったが、それでもやはり抑え切れなくて大粒の涙が流れた。
誠には、それで十分だった。
「いや、それでもやっぱり……『ありがとう』だよ」
愛に負けないくらいに顔を赤らめた誠は、震える左手で愛の右手を優しく包んだ。
ちょっとびっくりはしたが、愛は手を引っ込めずに、少し力を入れて誠の手をギュッと握り返した。
手をつないだまま、二人は肩を並べて歩いて行った。
「……何だよ、女連れかよ。恥ずかしいヤツだなぁ」
愛を連れて現れた誠を見て、賢治とその取り巻きの二人は、ゲラゲラと笑った。
工事現場そばの空き地。
将来ビルでも建つのか、むき出しの赤い鉄筋を組んだだけの骨組みが、異様な存在感を持ってそびえ立っている。
「水野、そこをどけ。お前も、誠と同じ目に遭いたいのか?」
こぶしをポキポキ鳴らして、二人との距離をつめる賢治。
しかし、賢治が不思議に思ったことに——
愛と誠の目には、恐れというものがまったく感じられなかった。
その時。背後で誰かの大きな声がして、賢治は後ろを振り返った。
「待ちなさいっ」
賢治はそこに、信じられない光景を見た。
制服姿の美奈子を先頭に、彼ら以外の5年3組のクラスメイトたちが全員、勢揃いしていた。
「お、お前らなんでここにいるんだ!?」
「そ、その……みんな、このお姉ちゃんに連れてこられたんだ」
意外な妨害に、賢治はイライラをつのらせた。
「一体何だってんだよ。小学生の問題に、年上のねーちゃんが首突っ込もうってのか? 卑怯だよ」
言い終わった瞬間、賢治は美奈子に楯突いたことに後悔した。
それは、その場にいる全員がそうだった。
急に、美奈子の目が魔物か何かのように真っ赤になり、光り出したからだ。
「うわあああっ」
美奈子ににらまれた5年3組一同は、金縛りにあったかのように誰もその場を動くことはできなかった。
「卑怯、ですって? その言葉、そっくりそのままあんたに返すわっ」
怒った美奈子の姿ほど怖いものはなかった。
「心配しなくても、私は一切手出しも口出しもしない。……ところで誠くん」
呼びかけられた誠は、昨日友になったばかりの美奈子を見つめる。
「お姉ちゃんにしてあげられるのは、ここまで。あとは、あなた次第」
誠は、横にいる愛と、美奈子が連れてきたクラスメイトたちを見た。
「ありがとう、美奈子お姉ちゃん。ボク、もう逃げないよ」
誠は、澄んだ目で愛の顔をのぞきこんだ。
そして、うなずきあった二人は、互いの腕を組んだ。
驚いたことに、二人はそのまま無言で賢治の前に一歩ずつ、ゆっくりと進んでいく。
「な、何だよ!?」
愛と誠の突飛な行動に面食らった賢治は、内面の動揺を隠そうとするかのように、誠の頬を殴りつけた。
賢治のこぶしを受けた誠はよろめいたが、またキッと賢治の目を真っ直ぐに見据えて、賢治に迫る。
気味の悪さに我を忘れた賢治は、見境がなくなった。
女の子である愛にも手をあげてきた。
愛はよけも逃げもせず、顔をひっぱたかれた。
真っ赤に腫れた頬をかばいもせず、涙を浮かべた目を真っ直ぐ賢治へと向けてきた。
その時、不思議なことが起こった。
美奈子の連れてきた5年3組のクラスメイトたちがー
一人、また一人と愛と誠のもとへ駆け寄り、腕を組み出したのだ。
そしてそれはやがて、いじめっ子三人組以外の全員で作る、長い列となった。
腕でつながった彼らは、横一列で賢治たちに迫った。
生まれて初めて、賢治は自分以外のクラスメイトに対して『恐れ』という感情を味わった。
それは、自分が信じてきたもの・頼みとしてきたものが脆くも崩れ去る瞬間だった。
後ずさる賢治に、なおも迫るクラスメイトの列。
「やめてくれえぇぇぇっ」
賢治たち三人は思わず、その場にしりもちをついて、誠を始めとするクラスメイトたちを見上げた。
暴力を使ってくるわけでもない彼らに、賢治は自らの負けを認めた。
「これで分かったでしょ」
空き地に、美奈子の怒声が飛ぶ。
「あなた、力がすべてだと思ってきたんでしょ? 強ければ、他のみなも言いなりになると思ってきたんでしょ。でもね、みんな心のどこかで間違ってる、って思ってたんだよ。みんなあなたのことが好きで従ってたんじゃない。だから誠くんと愛ちゃんの勇気を見てね、みんなが間違ったことには間違ってるって言わなきゃ、って気付いたんだよ」
美奈子の言葉に、クラスメイトたちは口々に叫んだ。
「ぼくら、間違ってたよ。自分もいじめられるのが怖くて、今まで黙って見てきたけど、今の誠の勇気見て自分が恥ずかしくなったよ——」
いじめっ子たちは、もはやこらえきれなくなって、大声で泣いた。
クラスメイトたちが見ている前だったが、どうしようもなかった。
誰もが震え上がったあのいじめっ子の姿は、そこにはなかった。
あるのはただ、実は一番弱いのは自分だったと悟った可愛そうな子どもの泣き崩れる姿だった。
……まさか!
美奈子の脳裏に、閃光が走った。
「危ないっ!」
それは、一秒に満たない時間の中で起こった。
小学生たちのちょうど上にそびえ立っていた鉄骨の一部が、音を立てて落下してきたのだ。
美奈子には予知能力があったが、発動させるには対象物をじっと見ている必要があったから、この場合は仕方がなかった。とっさに、美奈子は鉄骨の落下地点へとダッシュした。
「ヘラクレスの剛力!」
頭上を見た賢治は、足がすくんだ。
そして、もうだめだ、と思った。
しかし。彼の頭上数センチの所で、その鉄筋はピタリと静止した。
「…………!?」
賢治は、見た。
自分をかばって、美奈子が両手で鉄筋を受け止めているのを。
全長15メートル・重量800キロの鉄筋を持ち上げている美奈子は、全身をガタガタと震わせていた。そして美奈子の両の手の平からは真っ赤な血がドクドクと流れ、肘を伝って滴り落ちた。
「どきなさいっ!」
その声に我に返った賢治は、転がるように美奈子の横から飛びのいた。
賢治が安全な所へ行ったのを確認してから、美奈子は鉄骨を地面に投げ下ろした。
その場にへたりこむ美奈子に、誠をはじめ5年3組の面々は必死で駆け寄る。
「お姉ちゃ~~~ん、大丈夫!?」
美奈子は、蒼白な顔を健気に上げて微笑んだ。
「平気よ。心配しないで——」
そう言い終わらない間に、助けられた賢治が美奈子の胸に飛び込んだ。
そして、泣きながらくぐもった声で繰り返した。
「オレみたいなやつを必死でかばってくれて……助けてくれてありがとう……」
スカートの生地で手の血を拭った美奈子は、微笑んで賢治を抱き止めた。
そして、母のように優しい眼差しで、賢治の心の中へと入り込んでいく。
……ひとつ、覚えておきなさい。
『誰でも人の上に立ちたいと思う者は、かえって人に対して僕 (しもべ) のように仕え、心から尽くしなさい』
それでこそ、本当の意味で人はついてくるのだと思うわ。
今私がしたように、誰に対しても優しくあれ。そして全力で守るの。
今日のことは、あなたのこれからの人生で、きっと生きてくるでしょう——
愛と誠、そして賢治。さらに5年3組の仲間たち。
彼らのその後を語ることもできるのだが、それはあえて語らずにこの物語を終わることとしよう。
読者の想像にお任せしたい。
ただ、最後にひとつだけ付け加えることがあるとするならば——
美奈子は鉄筋が落ちてきた時、別にじかに受け止める必要はなかった。
そんなもの、驚異的な美奈子のサイコキネシス(念動力) をもってすれば、遠距離からでも簡単に吹き飛ばすことができた。
美奈子はケガ覚悟で、あえて 『教育的効果』 を狙ったのだ。
命を懸けて人を守るとはどういうことか、見た目に分かりやすく子どもたちに教えたかったのだ。
……おかげで、ちょっと痛かったけどね。
しばらくは、手に包帯をグルグル巻きにして過ごさなければならない美奈子であった。
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