第6話『ピザを取るのも命がけ』
「さぶっ」
2月の冷たい空気は、容赦なく浩二の体をしめつけた。
焼けた直後のピザをすぐに箱につめて、すぐさまデリバリー用の原付に向かう。
時刻は5時少し前だが、辺りはもうすっかり夜空だ。
大学生の浩二がこのアルバイトを始めてから三ヶ月になる。
やる前から覚悟はしていたが、冗談じゃなく寒い。
ピザ屋から支給される、デリバリー要員用の服は厚手で、それなりに厚着の部類には入る。
だが原付で風を切って走ると、本当にストーブやこたつ、エアコンの効いた部屋が極端に恋しくなる。
しかも今日は土曜日だから、出動回数がどうしても多くなる。
「……たしか次は、楠が丘町三丁目だったな」
とにかく、今はきちんとこのピザを三丁目の『富永さん』に届けることだけを考えればいい——
業務に集中することで寒さを忘れよう、などと涙ぐましくもあまり意味のない努力をする浩二であった。
「よし。ここだな」
メゾン楠が丘、というマンションの301号室。表札には確かに富永、とある。
白い息を冷え切った空中に立ち昇らせながら、インターホンのボタンを押す。
浩二は、何か反応があるのを期待し続けて待つのだが…
一向に 『はい』 などと返事が返ってくる様子もなければ、ドアが開くこともない。
「あれ?」
でも、新聞受けの隙間やのぞき窓から見る限り、室内にはこうこうと明かりがついている。
人がいるような感じはするのだが……
浩二は仕方なく、ドアをコンコン、とノックして大きめの声を出してみた。
「富永さ~ん、ご注文のピザ届けにあがりました~」
ピザを届けに来たら先方が留守になっていた、というのはあまり聞いた事がない事態だ。
キャンセルなら、すぐ連絡が入るだろうし。
もしかして富永さんは、何かのハプニングにでも見舞われたのか?
三分間そんなことを続けたが、事態は何も進展しない。
そうしている間にも、アツアツを食べていただくべきピザが、冷めていってしまう。
浩二はポケットから携帯電話を取り出して、メモリーから店の電話番号を呼び出した。
「えっと、シーフードミックスとミートバジルスペシャルのハーフ&ハーフをMサイズで。生地は、ヘビークラストでお願いします。あ、あと500円引きのクーポン券持ってます」
女子高生ESP(エスパー)・藤岡美奈子は、自宅の電話から宅配ピザを注文しているところであった。
母の照代からさっき連絡があり、今日は帰りが遅くなるからピザでもとっといて、と言われたのだ。
立て替えてくれたら後でお金払ってあげる、と言われた美奈子は思わずガッツポーズを作った。
「きちんと夕御飯作れなくてごめんね」
そう母から謝られた美奈子だったが、彼女にしたらゼンゼン問題なかった。
むしろうれしくて、「らりほ~」 と、小躍りしたほどだ。
やはりこのごろの若い子は、ピザとかそういうのが大好きなのだ。
父などは 「うへっ、そんなチーズだらけの食いもん、よく食べるなぁ」などと顔をしかめるが、美奈子は逆に 「こんな美味しいものを食べれないなんて、お父さん可哀想」 などと思ってしまう。
さすがに、好き嫌いを直す超能力というのはなかったから、こればかりは美奈子でも父をどうにもできなかった。
「エッ?」
受話器を通じて、美奈子の耳が気になる音声を捉えた。
彼女の耳は、人間が聞こえる限界周波数の2万Hzを超える音(超音波)も拾うことができ、どんなささいな物音すらも聞き逃さない。
普段はその力を意識して封印しているのだが、ピザのことで有頂天になり気が緩んでいたのだろう。
彼女に聞こえたのは、店内の別の電話での会話。配達員が困りきった声を出している。
三丁目の富永さんにピザを届けに行ったが、何度呼んでも留守らしい。
でも、家には明かりがついている——
美奈子は直感的に、何かの胸騒ぎを感じた。
注文後に受話器を置いた美奈子は、家の電話の前で腕組みをして考え込む。
「さてと、どうするべきか——」
美奈子は、富永さん宅へ行ってみる必要性を感じた。
でも、正攻法では時間がかかる。
テレポートするにも、場所が特定できない限り無理だ。
『賢者の眼』 を使えば建物は特定できるが、検索には少々時間もかかる。
今回のケースはスピード勝負。急いだほうがいい、と美奈子の勘は告げていた。
そして何より、外は寒いから出るのはいやだった。エスパーのくせに、寒いのはいやだからというただそれだけの理由で、美奈子は自分が外に出ずに事態を解決する方法を必死で考えた。
「……あまり気は進まないけど、試してみるか」
過去に一度だけ試し、その後はずっとつかっていないある能力を、美奈子は使おうとしていた。
それは、下手に使うと自分の命にも関わりかねない能力だった。過去の一回はうまくいったが、今度も問題が起きないという保証はない。
でも美奈子はこと人助けとなると、見境なく体を張ってしまう無茶な子だった。
目を閉じた美奈子は、浅い呼吸を繰り返しながら、精神を鋭い針先のように研ぎ澄ませてゆく。
時満ちて、美奈子は叫んだ。
「エレメンタル・フォーム!」
カッと見開いた美奈子の瞳は、収縮して緑色に輝いた。
いきなり空中に現れた光の帯が、やがてまばゆく美奈子の全身を包む。
数秒して次第にその光は消えていったが、そこに美奈子の姿は跡形もなく消えていた。
美奈子は、全身を電気信号の情報に変化させ、電信ネットワーク回線内に潜り込んだ。
これで、一秒もしないでウェッブで繋がっているところなら世界中どこにでも行ける。
だだこの能力の危険なところは、元に戻る時に少しでも気が緩めば、体を構成する分子の電子配列や遺伝子情報を現実空間に復元する際、元とズレたり狂ったりする場合がある。その場合は体に奇形が生じたり、下手すれば死に至る可能性もある。
電子と化した美奈子は、富永という苗字を持つ楠が丘三丁目の家をネットワーク上で検索し、探し当てた。
そして、電話回線をたどって富永家の電話口までさらに一秒をかけずに到達した。
美奈子は、配達をあきらめて帰りかけていた浩二に、テレパシーで呼びかけた。
「ごめんね、いきなり。驚かないで、私の言うことを聞いて——」
配達用の原付にまたがって店に戻ろうとしていた浩二は、驚くなと言われたがそれでもやっぱり驚いた。
「のわああああああああっ!?」
仕方ないだろう。
周りに誰もいないのに、急に頭に女の子の声が聞こえてきたら、誰だって驚くに決まっている。
「私、富永さんの家の中にいるの。大急ぎで、警察を呼んでちょうだい。お願いっ」
浩二の顔色が変わった。何だって、お客様が危ない目に——?
「おい! それじゃあ、富永さんは何かヤバいことにでもなってるのか? 警察には何が起こった、って言えばいい?」
見かけによらず行動派の浩二は、やるときにはやるという男らしい一面があった。
もう、テレパシーでの会話など気にもせずに、バイクを降りてケータイを手にした。
目の前の状況を把握した美奈子は、低い声で言った。
「……強盗です、って伝えて」
映写機でもパッとつけたかのようにいきなり姿を現した美奈子に、強盗は肝を潰した。
「お、お前いったいどっから入ってきたんだ!」
どっから入ってきたかと聞くよりは、どうやっていきなり空中にわいて出たんだ? と聞くほうがいいように思うが、ただでさえ人に見られないかとビクビクするようなことをやっている所へ急に人が現れたのだから、頭が混乱しても仕方のないところであろう。
強盗は無精ひげを生やし、長いこと着替えていないよれよれの服を着て、手に出刃包丁を持っている。
彼の後ろ、ちょうどリビングの隅には——
縄で縛られ、猿ぐつわをかまされた富永さん夫妻の姿があった。
「ちょ、ちょっとでもおかしなマネをして見やがれ! さ、刺してやるからなぁ!」
男はそう言って、包丁を繰り出すような仕草をして美奈子を威嚇してくる。
美奈子は、クスッと笑った。
包丁どころか拳銃でもミサイルでも美奈子は怖くなかった。
逆に、恐れるべきなのは男のほうであったのだ。
「ひいいっ」
真っ赤に燃える美奈子の目を見た男は、震え上がった。
「マルスの怒り!」
男は念動力で弾き飛ばされ、背中から壁に激突して、そのまま気絶した。
縛られていた富永夫妻はもまた、信じられないものを見ていた。
男の持っていた包丁が、生き物のようにフワフワと空中を泳いでいるのだ。
これは、美奈子が男を念動力で吹っ飛ばす時に、「持たせてちゃ危ない」と思ってとっさに手放させたものだったのだ。
富永夫妻の拘束を解き、逆に警察に引き渡すために犯人を拘束した。
すべてが終わり、あとは警察が到着するのを待つのみとなった、その時。
「し、しまったぁ!」
美奈子はある事実を思い出し、ショックを受けた。
今度は、富永さんではなく——
自分が 『ピザを注文したのに家にいない迷惑な客』 になってしまっていたのだ!
時計を見ると、注文してからすでに40分以上の時間が経過していた。
30分以内という公約を店がきっちり守ったとしたら、もう終わりだ。
浩二の呼んだ警察が来て、事件は一件落着した。
犯人は、富永の旦那さんが社長を務める会社の元社員。
不祥事で懲戒免職にされた逆恨み、ということだったらしい。
美奈子が事件解決に奔走している間に注文したピザは、もちろんおじゃんになっていたが。
事情を聞いた富永さんが、恩人である美奈子のためにピザを新しく取ってくれたので、美奈子は喜んで富永さん家に居座り、ご馳走になった。
「おや、また会ったね」
ピザを運んできたのは、テレパシーでの呼びかけに応えて協力した浩二だった。
彼とは、警察が来てから一緒に事情聴取を受けたりなどして行動を共にしていた。
「さっきはありがとね。お礼に、いいこと教えてあげる——」
でもタダはいや、と言って美奈子はピザの700円割引券とコーラ1ℓペットボトルの無料券を要求した。
「私の力がホンモノなのは分かるでしょ? 私の教えることはね、すっごい値打ちがある情報なの。あとできっと、安いもんだったと思うはずよ」
浩二がバイトを終えた時刻は、夜の9時。
バイト先で焼いたピザを持って、大学で同じ専攻の美智代が下宿するワンルームマンションへ向かう。
美奈子が彼に教えたこと。それは——
「今日バイトが終わったらね、あなたの一番好きな女の子の家に、ピザを持っていきなよ。
きっと、いい事が起こるからさ」
……本当かなぁ。
半信半疑だったが、実際に美奈子の活躍を目の当たりにしていた浩二は、やはり信じることにした。
でもやはり、予言とはいえ夜にいきなり女の子の家に押しかけるのだから、ちょっと勇気がいった。
目的のマンションに着いた浩二は原付を降り、ピザの入った箱を抱えた。
「あ、雪だ」
浩二は、フワリと舞った雪に気付いて、夜空を見上げる。
初めは少しだった雪が、やがて無数の仲間を引き連れて地上に舞い降りてきた。
……多分、今頃二人ははよろしくやってるはず。
自宅の二階の部屋で、寝転がって音楽を聴いていた美奈子は確信していた。
だって、恐るべき美奈子の予知能力は、今日のことだけでなく、未来に浩二と彼女が結婚しているビジョンまで見通したのだから。
エイッ、と上半身を起こした美奈子は、天井を見つめて嘆いた。
「あ~あ、誰か私の恋も予知してくれないかなぁ!」
そうなのだ。
美奈子にはどうしても……自分自身のことだけは予知したり透視したりできなかったのだ。
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