第5話『いつかきっと私にも』

 冬の夜の新宿、少しすえた臭いのする歓楽街の裏通り。



「ちっ、今日の上がりは少ねぇなぁ」

 斉藤正則は、本日の戦利品を確認した。

 財布が三つに、女性用のバッグがひとつ——

 それでも中の現金だけの総額で言うと、たったの1万8千円にしかならなかった。

 クレジットカードは、正則にとってはあまりありがたくない。

 最近は昔と比べて、カードを使うときに『暗証番号照会』を求めてくる店が増えた。

 本屋ですら、導入しているところがあるのには驚いた。

 暗証番号を割り出す裏技はないでもなかったが、それを使うには大きな犯罪組織に関わる必要がある。

 あくまでも一匹狼でやっていきたかった正則には、そこまではしたくない、という思いがあった。



 正則は、少年時代からはみ出し者で、世間とはそりが合わなかった。

 彼は社会に反抗を続け、結果まともな就職すらできなかった。

 できなかったというよりは、そもそも彼にその意思はなかった。

 手先の器用だった彼は、せっかくのその能力を悪い方面へと生かしてしまった。

 今では、彼の右に出る者はいないほどの『スリのプロ』になっていた。

 専門はスリと置き引き、あとリスクが大きいのでたまにしかしないが『ひったくり』 。

 この三つを、専門にしていた。

 そこから上がる盗品やお金で、日々をブラブラ暮らしていた。

 今までに警察につかまるヘマをしたことは、一度もない。

 現金だけを抜き取ったあとのものは近くの公共のゴミ箱に捨てて、正則は立ち上がって歩き出した。

「ま、何もないよりはマシでしょ」

 その日のねぐらを求めて、彼はカプセルホテルを探すべくその場をあとにした。



「ちょっと、すみません」

 歌舞伎町の入り口近くまで来た時。正則を背後から呼ぶ者がいた。

 正則は、警戒心をあらわにして振り返った。天涯孤独の身を貫いている彼には、声をかけられる心当たりといえば警察と同業者くらいしかなかったからだ。

 そこには、40過ぎと思われるサラリーマン風の男が立っていた。

 少し異様だったのは、スーツがまるで何ヶ月もそのまま着ているかのように生地がヨレヨレなこと。

 髪の毛もほぼ手入れされておらずボサボサで、無精ひげまで生やしていた。

「あ、心配しないでくださいよ。私は警察とは関係ありませんから」

 その言葉を聞いても、正則の心から警戒心は消え去らなかった。



 …敵じゃないにしても、『警察』 という言葉が出てくるということは——

 少なくともオレのしていることを知ってる、ということになるな。



 相手の男は、正則の懸念を見抜いたかのようにフッと笑いを漏らした。

「旦那のご心配は最もです。ちょっと、話を聞いていただけませんかね?」



 近くの公園のベンチで熱い缶コーヒーをあおりながら、正則は男の話を聞いた。

 彼は名を安田武雄といい、半年前までは『菱山重工』という鋼鉄を製造する工場の社長だったらしい。

 しかしここ最近業績が伸び悩み、小切手の不渡りを出してしまい、ついに多額の負債を抱えて倒産してしまった。安田はその時から一切を捨てて逃げてきたのだという。

「奥さんや子どもはどうした? いなかったのかい?」

 グビッとコーヒーの最後の一口を飲み干した正則は、そう尋ねてみた。

「…いました」

 安田はベンチに前かがみになって、寂しい目をした。

「妻は、逃げていきました。ただ、今年高2になる娘だけはあれからどうなったのか……ただそれだけが気がかりではあるんですが」

 人情話には大して興味のなかった正則は、それ以上安田の身の上話を聞くことには興味を失った。

「で、結局お前さんはこれからどうするんだ?」

「それなんですがね」

 真剣な目をして正則の顔をのぞきこんだ安田は、驚くべきことを言った。

「旦那の目も覚めるようなスリの技術……感服いたしやした。どうかひとつ、私を弟子に……というか仲間にしてくれませんかね?」

 その日から、正則は安田の面倒をみた。

 彼にも、犯罪の片棒をかつがせながら、盗品やすったお金で飢えと寒さをしのぐ日々を送った。

 安田のことは、安田を略して『ヤス』という愛称で呼ぶことにした。



「……よっしゃ。アレ、行ってみよう」

 渋谷駅の改札前。

 コインロッカーの影から正則とヤスの二人は、ある一人の男に注目していた。

 背広の上からベージュのトレンチコートを来て、外は曇りなのに色の濃いサングラス。

 そして気ぜわしそうにスパスパとタバコを吸う男の足元には、服装とはまるで釣り合っていない紺のスポーツバッグ。

 長年、窃盗を繰り返してきた正則の野生の勘が告げていた。

 あの人物はかなりわけありの人物だ、と。

 そしてあのバッグの中には、必ず金目のものが入っていると。

 もしわけありのヤバイ物ならば、盗難にあっても下手に警察には届けられない。

 しかも都合のよいことに正則は今まで一匹狼を貫いてきたから、横の関係(同業者)から情報が漏れることもまずない。

 ヤスは、盗みに関して比較的スジが(?)良かった。

「そんじゃ兄貴、行って来ますね」

 いつの間にかヤスは、正則のことを『兄貴』と呼ぶようになっていた。



 ……しかし、無防備なやっちゃ。



 ヤスは、駅構内の大きな柱にもたれかかる男の背後からバッグに接近しながら、そう思った。

 何か考え事でもしているのか、ヤスがそうっとカバンをつかんで走り去っても、優に5秒ほどは気付いていなかった。その五秒間に、足の速いヤスはすでに地階へ降りるエスカレーターを激走していた。

「ちっ、やられた!」

 泡を食ったトレンチコートの男はヤスの後を追いかけようとしたが、後の祭りだった。

 土地勘のあったヤスはすぐに何度も曲がり道に入り、完全に男の視界から消え去っていた。



「……マ、マジかよ!」

 近くの喫茶店で落ち合った正則とヤスは、紺のスポーツバッグのファスナーを開けてびっくり仰天した。中には、何だかよく分からない牛革のケースと、100万円の札束が幾つか。

 数えると、700万円あった。

「スッゲー! 今までで最高の上がりじゃんかよ。ヤスっ、今日はラーメンでも何でも好きなもん食いに行こうぜ!」

 獲得した金額のわりには、おとなしめの散財の仕方である。

「へいっ、アニキ! そんじゃあオレ、宿屋の荷物をもっといいホテルに入って移しときますぜ」

 ヤスは、一足先に喫茶店を出た。一方正則は、そのあとも降って湧いた幸運の余韻に浸るべく、カバンの中身を確かめてはそのお金を使って何をしようか、と想像を巡らせた。

 悲しいことに、正則にはそれを元手に真面目に何かを始めよう、という発想はまるで出てこなかった。



 ホテルニュー大倉の302号室にチェックインしたヤスと正則は、さっそく700万円の札束を拝むべく、スポーツバッグをひっくり返して中身をベッドの上にぶちまけた。

「……何だ、こりゃ」

 札束が出てくるとばかり思っていたのに、そこにバラバラと降ってきたのは——

 ヤスが、目を丸くして答えた。

「へぇ。間違いでなければ…こりゃ学校の教科書とか参考書とか、っていうやつですよね」

「そんなことは誰でも分かる。問題は、札束が一体どこでどうやってこんなもんに化けたのかってことだよっ」

 正則は、喫茶店を出てからの記憶を呼び戻した。



 ……そういえば、店を出てから角で女子高生とぶつかってバッグを落としたような?


「あっ、あの時か!」

 真っ青になった正則は、プロの彼らしからぬヘマをしてしまったことに気付いた。

 どこかの女子高生のバッグと、そこで入れ替わってしまったのだ。




「……こんなこと相談できるの、美奈子ちゃんしかいなくて」

 夜の九時で ファミレス『Royal Host』のバイトを上がった女子高生・藤岡美奈子は、同じ職場で一緒にウェイトレスとして働いてる雅美から相談事をもちかけられた。

 美奈子と雅美は通う高校こそ違ったが、ここで仲良くなったのだ。

 彼女らは揃ってバイト先を出た後、近くのモスバーガーに入ってテーブル越しに向かい合った。

「さっそくなんだけどね、これ見て」

 雅美は通学用のスポーツバッグをテーブルに乗せ、ファスナーを開けた。

 美奈子は、見慣れぬ物を見て驚いた。

「これって……お金?」

「うん、数えたら700万円あるみたい。それと、何だか真っ黒な硬い箱がひとつ。思い出せばさぁ、昼間男の人とぶつかったんだよね。その時に男の人が持っていたバッグと私のって、ソックリだったんだよね。もしかしたらその時に入れ替わっちゃったのかなぁ?」



 藤岡美奈子は、ただの女子高生ではなかった。

 彼女には、特殊な能力があった。そう、それは超能力。

 超能力にも色々ある。念動力・透視力・テレパシー・サイコメトリー・予知——

 美奈子はまれにみる『すべての種類の超能力の最高レベルを備えたESP(エスパー)』だったのだ。

 しかし、彼女は世間から注目されたり、国家から特別な任務を背負わされたりして自分の女の子としての小さな幸せを奪われたくなかったため、普段は一切の能力を封印して暮らしていた。

 でも美奈子はごくまれに、自らの持つその潜在的な恐るべきパワーを解放する時があった。

 それは、誰か困っている人に助けを求められた時。そして、今が正にその時だった。



 別にまだ雅美に危害が及んだわけではないが、美奈子には何か嫌な予感がした。

「ちょっと見せてね」

 美奈子はまずバッグの取っ手を握ってみる。

 その次に札束。

 そして牛革の黒い、物々しい箱——

「そ、そんな……」

 サイコメトリー(残留思念を読み取る能力)でこのバッグにまつわるすべての事情を理解した美奈子は、目を見開いた。

「ど、どうしたの美奈子ちゃん? 顔色が真っ青よ」

 雅美は、運ばれてきたハンバーガーそっちのけで顔色の悪い美奈子の心配をした。



 美奈子は雅美を説得して、問題のバッグを預かった。

 それを新宿駅西口にあるコインロッカーに預け、鍵を制服のスカートのポケットに突っ込む。

「……さてと、一仕事しなきゃね」

 駅構内を出た美奈子は、東京23区すべてを検索範囲として、ある二人の人物を特定しようとしていた。美奈子の眼球は広範囲探査モードに切り替わり、蒼く光った。



「ワイズマンズ・サイト (賢者の目)」



 美奈子はアメリカ国防省が誇る軍事偵察衛星 『KH-4B の監視カメラと自らの眼球をリンクさせ、その機能を借りて東京中をくまなく眺めつくす。

「……いた」

 池袋駅近くの高架下に、目指す人物はいた。

 眼球を普段の目に戻した美奈子は、深くため息をついた。

「あまり使いたくないけど、この際しょうがないっか」

 スウッと息を深く吸い込むと、美奈子は目に見えない窓でも拭くかのように、空中を両手で撫でだした。



「ディメンション・ゲート」



 すると、そこに光り輝くドア大の空間が現れた。

 美奈子がその光の中に身を投じると、光の壁はスウッと消えた。

 そこには、すでに美奈子自身の姿もなかった。



「……だからこの能力は使いたくなかったのよ」

 700万円がおじゃんになって屋台でおでんとヤケ酒をかっくらっていた正則とヤスの目の前に、急に光の壁が現れたかと思うと、ニューッと制服姿の女子高生が現れたのだ。これには、屋台のオヤジを含めた三人は肝を潰した。

「なっ、なっ、何事だぁ!?」

「……お、おほん」

 バツの悪い美奈子は、わざとらしい咳払いをした。そんなことをしても、何のごまかしにもなりはしなかったが。

 美奈子の持つテレポート能力 『ディメンション・ゲート』には、到着先を細かく指定できない、という欠点があった。例えば、誰も驚かせないように、人目につかない場所に……というような。



「オジサン、あときんちゃくと豆腐、ちくわと牛スジお願い」

「あいよ~」

 美奈子は、正則とヤスにおごらせて、おでんを食べていた。

 若さ絶頂の彼女の食べっぷりは、かなりのものでー

 どんどん追加注文をしていく美奈子に、今日の稼ぎの減り具合を気にしてハラハラする二人であった。

「するってーと、何かい」

 正則が美奈子に尋ねる。

「あのカバンを取り戻しに、とんでもねぇやつらがじき襲ってくる、ってわけかい?」



 美奈子が能力でカバンから読み取った事件の真相は、こうだ。

 実は、カバンの中の700万円というのは、この事件では大きな意味があるものではなかった。

 本当に重要なのは、黒い箱の中にあった物だった。

 それは、国家機密扱いであるデータが保存されたマイクロチップ。

 日本の防衛戦略上の配置シュミレーションと、戦闘機F-15の後継機、ステルス機能も備えたF-22の極秘設計図。

 そして今までのステルス機を凌ぐ軽量化に成功したボディの材質の秘密。加えて、倒産した『菱山重工』が開発に成功したファイン・チタニウム合金の製造法などが記録されているのだった。

 それを聞いた元社長のヤスは、憤った。

「ちっくしょう、今回ウチの会社を潰した圧力の裏には、きっとそのこともあったんだな」



 推理を披露する探偵のように、美奈子は流暢に説明する。

「渋谷駅に立っていた男は、関東一円を牛耳るヤクザ・一和会系高砂組から受け取ったそのブツを、何者かに渡そうとしているところだったみたいね。取引相手までは読み取りにくかったけど……多分政府で重要な位置を占める政治家の誰かね。国を裏切って、他国に情報を横流ししようとしていたのね。とにかく」

 噛んだチクワを飲み込んだ美奈子は、イスから立ち上がった。

「やつらは、何が何でもチップを取り戻そうとやって来る。あのバッグに関わった人間を、皆消そうとしている。お二人さんは敵をちゃんと巻いたと思ってるみたいだけど、それは大きな間違いー」



 正則とヤスは、美奈子の目を見て腰をぬかした。

 電球のように光を放ち始めたからだ。



「コンバット・サーチング・モード」



 どんな小さな動きも見逃さない動体視力を得た美奈子は、寂れた高架下の屋台の周囲に展開する敵の数を数えた。



 ……フェンスの向こう、土管の奥に二人。

 高架の上にスナイパーが一人。

 道の向こうから銃を持って走ってくるのが三人——



 美奈子の体は、熱を持たない火炎に包まれて燃え上がった。

「ひいっ」

 おでん屋台のオヤジは、ハゲ頭を屋台の中に隠してうずくまった。



 パアン!



 夜の池袋の裏街道に、乾いた銃声がこだました。

「任せてっ」

 ひと声叫んだ美奈子は猛獣のような恐ろしい目を燃え上がらせ、腰をかがめてまばゆい光を発する両手を突き出した。



「ホーミング・ブラスター!」



 ミニチュアの太陽のように光り輝いた美奈子の手の先から、流れ星のような光の玉が、美しい光の尾を引きながら四方に飛んでいった。

 そしてそれらは、美奈子が認識していた全ての敵のエージェントに、正確に命中した。



「待て。そこまでだ」

 美奈子が背後をとられるなどということは、滅多にあることではなかった。

 ハッして美奈子が振り返った時には、すでに遅かった。

 そこには、ヤスにバッグを盗まれた、あのサングラスとコートの男。

 そして彼が銃を向けているのは——

 美奈子のバイト仲間の雅美。



 …しまった、雅美ちゃんの安全も先に考えておくべきだった!



 桁外れの超能力を持っていた美奈子ではあったが、そこはまだまだ高校生の浅知恵ですること。

 百戦錬磨の裏世界の住人に裏をかかれるのは、ある意味無理なからぬことであった。

 美奈子は、自分が後ろを取られたわけを知った。

 この男もまた、エスパーであった。

 ただ、能力は気配を消すことと若干の透視能力に限定されているようだ。

 彼はやはり、その能力に目を付けられ国家に飼われている工作員だった。

 そしてそれは、美奈子が最もなりたくはないものだった。

 エスパー同士は、声に出さずにテレパシーで会話した。



 ……どうせお前は、チップの入ったカバンをどこかに隠したんだろう。

 バッグを渡すか、ありかを教えるかしろ。

 さもないと、この子の身の安全は保証しないぞ。



 ……この卑怯者。

 あんたもエスパーなら、こんなことはやめて。

 力は、正しいことのために使うべきだわ!



 ……言うな!

 私は、こうしなければ生きて来れなかったんだ!

 お前みたいな小娘に何がわかる!



「もう、いやっ!」

 男が美奈子とテレパシーで会話して注意がそれた隙に、雅美は男の脇腹に思いっきり肘鉄を食らわした。体のバランスを失い、地面に倒れ込む男。

 必死に地を蹴り、少しでも遠く男から離れようと走る雅美。

 しかし。男は倒れながらも、銃の照準を雅美の背中にピタリと向けていた。

「まっ、雅美~!」



 ……エッ? なぜこの人が雅美の名を!?



 屋台の影から飛び出したのはヤスだった。

 彼は確かに、雅美の名を呼んだ。

 その瞬間、一発の銃声が響いた。



 美奈子は、自らの甘さをこの時ほど悔いたことはなかった。

 拳銃の弾などいくらでも無力化できたのに、一瞬の考え事が彼女の判断を遅らせた。

 雅美をかばったヤスは、銃弾を胸に受けてひっくり返った。

 後を振り返って、凶弾に倒れたヤスに飛びつく雅美。

「お父さん! 何でよっ。何でこんなところに……」

 ヤスは息も絶え絶えに、放り出してきた娘に答えた。

「すまんかったな。これでちょっとは父さんらしいことをしてやれたかなぁ……」

 美奈子が銃を撃った男に一瞥をくれると、彼は10メートルほど空中を飛ばされ、高架下のコンクリートの柱に激突して、気絶した。

「そうだったのね……」

 正則と美奈子は、数奇な運命の果てに再開を果たした父と娘の、悲しくも美しい姿を見つめた。



 チップと現金の入ったバッグは、現場にやってきた遠藤という公安の刑事に渡した。

 刑事とは思えない、派手な服装をした女性刑事だ。

 彼女は、現場に倒れていた武装集団を見て、驚いた。

「ご協力感謝いたしますっ。まぁ、この状況はフツーじゃないよねぇ。あなたたちだけで倒せるわけないはずだけどっ。どーやったかは聞かないでおいてあげるねっ」

 にたぁっ、と意味ありげな笑みを浮かべた遠藤亜希子刑事は、美奈子の肩をポン、と叩いた。

「さっ、警視庁の鑑識にややこしいこと聞かれないうちにお帰りなさい。あなたのことは黙っておいてあげる。私も、あなたと同じでいっつも事件に余計な首突っ込むタイプでね~」

「……はぁ」

 言ってることはよく分からなかったが、とにかくややこしいことは聞かないで逃がしてくれるらしい。

 この時の美奈子は、将来またこの刑事と関わることになるという事実を知る由もなかった。



 遠藤刑事の厚意に甘えて、美奈子はその場を離れた。

 ヤスは救急車で運ばれ、娘の雅美が付き添って行った。

 一方、斉藤正則はこれまでの窃盗容疑で事情聴取を受けるべく、警察へ連行されて行った。

 美奈子はヤスを襲った銃弾を止められこそしなかったが、とっさに何とか弾道を数センチずらすことには成功していた。

 それが功を奏し、ヤスは何とか一命を取り止めた。




 三ヵ月後。

 バイトがひけた雅美と美奈子は、その足でミスドに入り、お茶していた。

「どう、あれからお父さんとはうまくやってる?」

 ホットカフェオレをすすりながら美奈子は雅美に尋ねた。

「まぁね。怪我のほうはもうちょいで退院できるって。そいでさ、父さんの会社が傾いたのは不正な裏の操作があったことが分かったんで、菱山重工の会社も工場も元通りになることになったよ。お母さんの誤解も解けて、家族もまた元通りに暮らせるしメデタシメデタシの結末。本当にありがとう」



 ドーナツにかじりつきながら、雅美はあの事件の後の顛末を話してくれた。

 国家機密の漏洩に係わる問題だけに、新聞やテレビでは流れなかった情報である。

「やっぱり、裏で糸引いてたのは現職の外務大臣と防衛庁の一部の幕僚だったんだって。まったく、自分の国を敵に売ろうなんてとんでもないヤツよねぇ」

 雅美は言いながら、プリプリ怒っている。

「それはそうと、あの……誰だっけ、スリの正則さんはどうなったの?」

「ああ、そのことね——」

 美奈子の質問に、雅美は口の中のドーナツを飲み込むと、再び言葉をついだ。

「あの人、今回のことで皮肉にもず~っと盗みばっかりしてきたのがバレちゃってねぇ。即、刑務所行き。でも、今回の事件解決に役立ったのが加味されて、一年ほどで出てくると思う。そんで後は父さんが社で面倒見ようと思う、って言ってたから心配ないと思うよ」

「……そう」

 カフェオレを飲み干した美奈子は、窓から夜の帳が降りた東京の街並みを眺めた。



 ……私のこの呪わしい力も、また何とか人の役に立てた。

 そうしているうちに、いつかは私自身も幸せになれるかなぁ?

 でも、ムキになって求めちゃいけないね。

 一番大事なのは、幸せが向こうから来てくれるまでは人の幸せを願い続けること。

 そしてあきらめずに、善と思ったことを成し続けること。

 こんな私にも彼氏できるかなぁ。できても、なった人はタイヘンだろうなぁ——



「あ、雪だ」

 雅美の声を聞いて美奈子が店内から窓の外を見ると、夜空からパラリ、パラリと雪が舞ってくるのが見えた。

 ちょっとセンチメンタルな気分に浸りながら、やっと女の子らしい表情を浮かべた美奈子は、頬杖をついて舞い落ちる雪の華たちを目で追った。


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