第4話『デパート・ウォーズ』
【まえがき】
この物語は、時系列上は第1話『RED EYES』より前に起きた出来事です。
執筆上でも、美奈子が一番最初に登場した作品なのですが、美奈子シリーズの第1話を飾る話としてはそぐわないと判断し、公開をあとにしました。
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人類の単位にすれば数億年の昔から戦争を続けている、二つの勢力があった。
一つは、プリスキラ王立宇宙帝国。
これはアンドロメダ星雲ウプシロン星系を拠点とする、一大文明国家であった。
100万にのぼる知的生命体の住む惑星を統括している。
二つ目は、ガイオ自由銀河連邦。
ヘラクレス座のM13星雲を拠点とする、地球人の言葉にすれば 『社会主義』 を標榜する集団である。
規模自体は、プリスキラ王立宇宙帝国に比べるとはるかに弱小であった。
しかし彼らの種には『超能力』とも言うべき特殊な力が備わっていた。
彼らは少数で他種族の一個師団(約2500人)に相当する戦闘力を発揮することができたのだ。
そんな彼らは『ミュウ』と呼ばれ、恐れられていた。
あまりにも長く、かつ熾烈に続いてきた戦いの歴史の中で、ついには双方とも国力が疲弊してしまった。
王立宇宙帝国の高度な科学力、そしてミュウの持つ桁違いの破壊エネルギーが刃を交えたことにより双方の母星はすでに消滅しており、それぞれの国民の中からも『これ以上戦うことの意義』を疑問視する声が上がっていた。
戦争どうのこうの、という以前に双方が内部分裂をはらんで崩壊しかねない、という事態を憂慮した両勢力のトップは、秘密裏に会談を行い、一つの結論に達した。
一つ目の合意。
どんなに科学が進んでも、我々知的生物というものは究極には愚かである、ということ。
よって、自分たちの思いの通りに動いていたのではいつまでたっても平和などというものは訪れないこと。それを共通認識として持つに至った。
二つ目の合意。
ガイオ自由銀河連邦側には、長い歴史に渡って『ミュウ』たちを指導し続けてきた意思を持つスーパーコンピュター『マザーガイア』があった。
もはや、軍事力と軍事力の衝突をやめ、『銀河の賢者』と名高いそのシステムに伺いを立て、その答えを参考に解決の道を模索しよう、ということ。
そしてついに、10年に渡る果てしない演算の果てに、マザーガイアはある一つの結論に達した。
互いの政権のトップ以外には極秘のうちに、ある作戦が遂行されようとしていた。
プリスキラ王立宇宙帝国軍側からは、最強の連合艦隊であるイプシロン第七旗艦艦隊が発進。
対するガイオ自由銀河連邦は、マザーガイアと国民との仲立ちをする司祭職にあったジョニー・マクシミラをリーダーとする七名のサイオニクス戦士(あらゆる種類の超能力をオールラウンドに使えるミュウのエリート)を派遣した。
彼らが目標として向かったその場所とは——
原始的で野蛮な星系、としてどちらの勢力からもアプローチされず打ち捨てられていた太陽系の第三惑星……『地球(ティラー)』 と呼ばれている辺境の星だった。
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今年5歳になるルミは、西武百貨店の4Fのおもちゃ売り場を、時間を忘れて眺めまわっていた。
やがて、母親が近くにいない、ということに気付いた。
俗に言う『迷子』というやつになったのだ。
大晦日を明日に控え、年末大売出し商戦の真っ只中にあったため、通路も売り場も人であふれる。
そんな中で迷子になれば、もはや子どもが独力で母親を探し出すのは不可能に近い。
店員にでも話しかけて『迷子センター』 なるものに連れて行ってもらい、放送でもしてもらうしかない。
妙に子どもらしくない、落ち着いた雰囲気をまとったルミは、泣きもせずにレジの店員にでも訴えようとちょこちょこと歩き出した。
しかし。数歩進んだところで、ルミの足元をつついて呼び止める者があった。
「おいおい。そこの子ども」
「……おばちゃん、誰?」
人を呼び止めるのに足元をつつく、というのもおかしな話だったが、振り向いたルミはその理由を悟った。下の床を見ると、背丈が30センチにも満たない 『リカちゃん人形』 と呼ばれるおもちゃが、立っていたからだ。
「曲げれる関節が少ないから、歩き辛いことこの上ないわ。しっかし! オバチャンとは何だオバチャンとは! 失礼ナッ。『お姉さん』とお呼びっ。確か地球人は、それほど歳でもない女性のことをそう呼ぶって学習したわよっ」
プリスキラ王立宇宙軍・イプシロン第七旗艦艦隊のドルカス一級准将は、ルミの鋭い読みにドキリとした。
彼女は300路(地球人でいうところの三十路)を超えていて、最近はお肌の曲がり角で悩んでいたのだ。
ドルカスは、長きに渡る戦争に終止符を打つための作戦の最高指揮官として任命された。
先ほど、地球のことに関しては、アメリカのペンタゴン(国防省)のホストコンピューターをハッキングし、百科事典にして三千冊分の知識をダウンロードして脳のメモリバンクに保存した。
地球上のすべての言語パターンも取り込んだので、すべてに対応が可能だ。
中には津軽弁や関西弁など、必要以上のデータまで網羅されていた。
学習過程で、ドルカスは地球に『ドモホルン・リンクル』なるお肌の薬があることを知ってしまった。
実は、科学の高度に進んだ彼女らの世界に唯一なかったのは『コラーゲン』という物質だった。
第七艦隊の全員が「欲しい~~~!! と叫びまわり、さきほどは収拾のつかない事態に陥りかけた。
ドルカス自身も、誰よりも率先してゲットしに行きたかったのだが、「作戦が先でしょっ!」 と言って全軍をどうにかなだめた。
……エッ、どうして全員がそんなもの欲しがるのかって?
それは、プリスキラ王立宇宙帝国を構成するのは、すべて地球でいう『女』だけの種族だったから。
彼女らは無性生殖をして、種族を増やしていた。
だから、男というものは身近に存在しないのだ。
「と、とにかく」
しゃべるリカちゃん人形は、跳躍してルミのスカートのポケットに納まった。
「あなたに協力してほしいことがあるの。ちょっと、人気の少ない階段口まで行きましょう」
ルミは、ませた表情で小首をかしげた。
「これって……万引きにはならないのかなぁ?」
まだ更年期ではなかったが、気の短いドルカスは苦悩した。
「ア゛―――ッ!!! そんなこと気にしないでいいっ。銀河の存亡がかかっているこの作戦、なんでこ~んなジャリたれに頼らないといけないわけぇ? もうっマザーガイアの考えることってホント分かんないわっ」
ジャリたれとはまた、いったいどこで学習した言葉だろうか?
ちょっと、ランゲージ・システムが不調らしい。
ドルカスの独り言がしっかりと聞こえていたルミは、ちょっと考える顔をしてボソッと一言こうつぶやいた。
「頼りないガキで、悪かったわね」
「……ふぅ~ん」
ルミはとりあえず、百貨店の4Fから5Fに上がる階段に腰掛けた。
そこで、リカちゃん人形を媒体として語るドルカスの話に耳を傾けた。
幼稚園の年長さんでしかないルミには難解な話も多かったが、物分かりのよいほうであった彼女は、だいたいの内容を把握した。
「わたしが、お母さんを見つけることができれば、いいわけね」
「そうだ」
リカちゃん人形に似合わない、低く鋭い声。
「今から地球時間にして二時間以内に、お前は母親を探し当てなければならない。条件は一つだけ。自分から他の人間の助けを求めてはならない、ということ。もし成功すれば、我ら王立宇宙帝国の勝利となる。しかし、そうさせまいとして、敵方のガイオ自由銀河連邦のやつらは妨害工作をしてくるだろう」
階段を上り下りする客たちは、人形と会話するルミを見て感嘆の声を上げた。
「最近のおもちゃは、すすんどるなぁ!」
地下の食料品売り場へ向かうべく、ルミはよいしょっ、と下りのエスカレターに飛び乗った。
「ホントにお母さん、地下に行ったの?」
ルミは、ポケットに向かって質問した。
「いちいちこっちを向いてしゃべんなくてもいいよ。全部聞こえているからね。それに私はこの人形の中にいるわけじゃない。遠隔操作しているだけだ」
遠隔操作、という言葉が分からなかったルミだが、どうも会話をするのに人形のほうを向く必要はない、という要点だけは理解できた。
「……だがルミとやら。油断するでないぞ。敵は母を捜せまいとして、きっと何らかの攻撃を仕掛けてくる」
「じゃあ、わたしなんか危ない目に遭うの?」
ルミの顔が曇った。
「心配するな。我々の艦隊が命を懸けて守る」
百貨店内の換気ダクト内に展開していた1200隻の戦艦は、ドルカスの指揮により密かにルミを追跡しだした。
彼女らの種族は、平均身長がたったの数ミクロンだったため、地球の人間は途方もない巨人に見えた。
プリスキラ王立宇宙帝国軍の旗艦艦隊は、実にチロルチョコほどの大きさしかなかったのだ——。
「手を上げろ。そのままゆっくりあっちへ進め」
ルミの母、多香子は急に刃物を突きつけられて動揺した。
身長170センチ程度。歳は20代後半くらいの男。
茶色のジャンパーに、ジーパン姿。
室内なのにサングラスをして口には大きなマスクをしており、いかにも怪しい感じだ。
「そっちへ、入れ」
男があごをしゃくった先には、女性用トイレがあった。
動揺はしていたが、ルミの母親だけあって冷静な多香子は、男に尋ねた。
「ホントにいいんですか? こっち、女子トイレですけど??」
男の動きがピタッと止まった。
「な、何だ? 入っちゃまずいことでもあるのか?」
……この人冗談を言ってるのかしら?
それとも、確率的には低いけど『ホントに分かってない』?
一瞬考えていたが、焦っているらしい男は結局、多香子を連れたまま堂々と女性トイレに侵入した。
あまりにも堂々とした男の乱入に、鏡で化粧をチェックしていた女子大生風の女性と、恰幅のいいおばさんの二人は、その場に凍りついた。
「キャアアアアアアアア~~~~エッチ~~~~!」
……ほら、言わんこっちゃない。
多香子は無謀な男の行動にあきれると同時に、今時 「エッチ~」はないやろ、大昔の女の子がスカートめくりをする男子に言う言葉じゃあるまいし、と心の中でツッコミを入れた。
しかし。一同を恐れさせる考えられない現象が起こった。
「ま、まさかお前たちは王立宇宙帝国軍のやつらかっ! 先回りしているとはな」
一瞬にして、男の体はガスのような青白い炎に包まれて燃え上がった。
肝を潰した多香子は、男の手を振りほどいて逃げ去ろうとしたが、男は人の力とは思えない握力で多香子を捕らえて離さない。しかし、不思議なことに火は燃え移らないばかりか、ちょっとも熱くなかった。
多香子の見ている前で、天井の蛍光灯がパリン、と割れてガラス片が降ってきた。
そして、女子トイレの個室のドアが一斉に開いて、用を足していた女性客が我先にと飛び出て行った。
どうも、便器内の水が恐ろしい勢いで逆噴射しているようだ。
下着を膝までずらしたまま、ほうほうの体で逃げてゆく若い女性までいた。
ちょっとあんた、拭くところはちゃんと拭いた? とトイレットペーパーを持って追いかけたくなったが、そんな場合ではないと思い直した。
「とりあえず、逃げるぞ」
男はそう言って、多香子の手を強引にグイッと引いて、再び売り場のエリア目指して、駆け出した。
6Fのレストラン専門街にある、喫茶店。
……なんで私が、こんな得体の知れないのとお茶しないといけないのよ?
ミルクティーをすすりながら、多香子は自らの立場を嘆いた。
ついついバーゲン品に目が行った隙に、娘のルミとはぐれてしまったせいで、こんなことに……
「こちらの要求は、さきほど言った通りだ。今から二時間、探しに追ってくる娘さんに見つからないように、逃げ切ること」
男は、コーラをストローからすすり上げてはゲホゲホと咳き込む。
「ティラーの飲み物は、マズイ」
……マジでコーラ知らないんだ?
喫茶店に入ってから今までこの男から聞かされてきた話は、信じるのが難しい内容だった。
地球なんか眼中にもない大きな二つの勢力が、戦争をしてきたらしい。
武力による衝突に限界を感じた両軍のトップは、賢者と名高いスーパーコンピューターに勝負の落としどころを尋ねた。
そしてその結果というのが……ムチャクチャだった。
迷子になったウチの娘が私を二時間以内に見つければ、目の前の男の敵『プリスキラ王立宇宙帝国』 の勝ち。そして、私が娘から逃げ切れば、この男の属する『ガイオ自由銀河連邦』の勝ち、らしい。
男の話だけでは、この二つの勢力のどちらが正義なのか、正しいのかは分からない。
しかし、生命を脅かされている身としては、従うより他しょうがない。
先ほどの事件で彼の超常的な力を見せ付けられた多香子は、ガードマンや警察官に助けを求めたところでどうにもならないだろう、とあきらめていた。
「でも、こんなところでゆっくりしていて、いいんですか?」
多香子は居心地の悪さから腰をモゾモゾさせて、男に話しかけた。
「大丈夫。やつらのレーダーをかく乱する擬似バイオパルスをまいて来てやったから、今は地下の辺りを必死に探しているはずだ」
心に何かひっかかるものを覚えた多香子は、恐る恐る聞いた。
「さっきから一言一言しゃべるごとにお声が違うように思うんですけど……どうしてですか?」
「やっぱり、ヘンか?」
嫌ならよせばいいのに、四苦八苦してコーラを飲み干した男は立ち上がった。
「一つの体に見えるだろうが、我々は七人だ。本来我々の種族はもっと微小な大きさでしかない。この世界で活動しやすくするために合体し、巨大化した姿でいるのだ。しゃべってる者が変ると、声も変る」
……じゃあ、一人が代表してしゃべれよな。
そう思った多香子だったが、自分の置かれた立場のほどをわきまえ、黙っていることにした。
先にレジの横をすり抜けて出ようとしていた男は、頭をかいて多香子のもとへ戻ってきた。
「お金って…… 何だ?」
ただでさえひっ迫する家計に頭を悩まされていた多香子は、余計な出費に思いっ切り不機嫌になってしまった。多香子に頑張ってもらわないと勝利がない男は、必死で多香子をなだめた。
困り果てた男は、目の前にエルメスの新作バッグを出現させ、これでどうだ? と聞いてきた。
もちろん、多香子は狂喜乱舞したが、出所が気になった。
「これ……どうやって出したの?」
「ああ。さっき1Fの売り場で見たやつを、ここまでテレポーテーション(時空間瞬間移動)させたのだ」
……それって、つまりはネコババじゃん。
チクッと良心がとがめた多香子だったが、 『今日はとんでもないことに巻き込まれちゃったんだから、その御苦労賃にこ~れくらいのご褒美があってもいいわよね、カミサマ!』と心の中で思った。
値札をブチ切った多香子は、ホクホク顔でバッグの中身を移し変え、古い安物(見栄を張ったヴィトンのバッタもんだった!)を階段途中のゴミ箱に突っ込んで捨ててしまった。
「デメトリス」
男の低い声がした。
「ハイ」
その返事は、同一人物の口から出ている。
「やつらは、いずれ我々の罠に気付く。先に、奴らのところへ行って偵察を頼む。場合によっちゃ、攻撃してもかまわん」
「……了解、ジョニー」
多香子は顔をしかめてそのやり取りを眺めた。まるで、気持ち悪い一人芝居を見るかのようだった。
突然光の束が間の前に現れ、模型サイズの戦闘機 『F15』が床に出現した。
七人の中の一人が出て行ったせいなのか、男の背丈が縮んだように多香子には思えた。
戦闘機は二人の目の前で天井近くまで浮き上がり、そして瞬く間に飛び去って行ってしまった。
「あ、そうだ。私のことはジョニーと呼んでくれ。この 『ガイオ最強の七人』 のリーダーを務めている者だ」
「ハイハイ。ところで、ジョニーさん」
多香子は腰に手を当て、ため息をひとつついた。
「私とかうちの娘に、キケンなことはないんでしょうね?」
「ああ」
ジョニーはもう必要ないと判断したのか、サングラスを外した。その目は、ガラス玉のように透き通った水色であった。
「我々の標的はあくまでも王立帝国軍の連中だ。なるべく娘さんには手を出さないようにしよう」
……なるべく、ってなんだい。なるべくって!
カミサマ、例えこのエルメスの新作バッグをお返ししてもかまいませんから、どうかルミをお守りください——
祈るにしては捧げるもののレベルがちょいと低かったが、多香子はまったく気にしていなかった。
「ちっ。してやられた」
リカちゃん人形の声は続く。
「解析の結果はここのはずだったんだが……敵のニセ情報に踊らされてしまったようだ。クソッ、擬似バイオパルスなどというこざかしいものを残しおって!」
ドルカスの言うことは、ルミにはちんぷんかんぷんだった。
ただ、「敵にだまされたらしい」というニュアンスだけは辛うじて汲み取った。
「カイセキ……って懐石料理?」
デパ地下の食料品売り場をちょこちょこと闊歩するルミ。
焼きたてパンや洋菓子の芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「アーッ、もうウルサイ!」
短気なドルカスは、イライラしてインカムマイクに唾を飛ばして怒鳴った。
もし彼女が地球人だったとしたなら、最も保育士や学校の先生には向かない人種だろう。子どもの目線に立つ、という発想がまったくなかった。
「……しかし」
ドルカスは正直、任務よりも周囲のスイーツたちに目が行きっぱなしであった。彼女の周りの副官や参謀長たちも、生唾を飲み込みながらモニターに映る色とりどりの食べ物を見つめていた。
「ティラーには実にうまそうな食物があるのだな。是非とも食べてみたいものだ!」
店番をしていた藤岡美奈子の脳裏に、閃光が走った。
それは、初めて味わう感覚だった。
彼女が知っているものとはまったく異質の、別世界の何か——
高級洋菓子店『Henri Charpentier』(アンリ・シャルパンティエ)の店員であった彼女は、隣りにいた同僚の和美に 「ちょっとの間ここお願いね」 と声をかけてから、急いで持ち場を離れた。
食料品街の通路の真ん中に立った美奈子は、キョロキョロと周囲を見回した。
……いる。でも、どこ?
美奈子は深呼吸して、意識を集中させた。
サイコメトリーでその場の残留思念を読み取った美奈子は、目標の痕跡をたどった。
「あっちか!」
彼女の視線の先には、かわいい小さな女の子の姿があった。
サーモグラフ(熱映像探知)モードに眼球を切り替えた美奈子の瞳は、真っ赤になる。
一目で、美奈子はある事実を確認するに至った。
女の子のポケットにある人形から、明らかにこの世界のものではない周波数の電磁パルスが放出されているのを。
「……まずいぞ」
四階の婦人服売り場をあてもなく歩き回っていたジョニーは、急に立ち止まった。
ジョニーのすぐ後ろを歩いていた多香子は、止まるのが遅れて彼の背中に軽くぶつかった。
「まずいって、何がです?」
「ESP(エスパー)に気付かれた。しかも、相当の力を持ったやつだ。ティラーにこんなやつがいるなんて、全然聞いてないぞ!」
多香子は、何がどうなったのか理解できなかったが、とにかくこちらに不利な状況になったらしいことだけ、感じ取った。
「お前はここにいろ。自分と娘の命が大事だったら、な」
それだけ言い残して、ジョニーは恐るべきスピードで駆けていった。
つむじ風でも吹きぬけたかのようなジョニーの動きに、その場にいた客たちは思わずのけぞる。
しかし、意を決した多香子は、重い足取りで歩き出した。
何と言われようが、多香子はルミのことを何よりも心配した。
偉大なる母の愛は、動くなといわれたジョニーの命令などおとなしく聞いてはいられなかったのだ。
藤岡奈子は、小さい頃から、自らに備わった力に振り回され、戸惑っていた。
父と母は、嫌でも美奈子の超能力、としか言いようのない力を日常的に目の当たりに見せつけられ、その存在を認めざるを得なかった。
「絶対、人に見せてはいけない」 と言われて育ってきた。
よく、テレビなどで『超能力者』と称する者が念力だと言ってスプーンを曲げたり、迷宮入りの事件の犯人を「ここにいるはずです」と透視をしたりする者がいる。
美奈子には彼らと同じ、いやそれ以上のことができた。
逆に美奈子から見れば、彼らの半分以上は『ニセモノ』であった。
彼女には、分かっていた。ホンモノのESPであるほど、世間から隠れようとする。何故なら、表面には出てこない国家の秘密機関に本物の能力者と認識されてしまったら、その後の人生にプライベートなどというものはなくなってしまうから。
そしてどんなことに巻き込まれるか、分かったものではない。
人前で力を使うことを封印してきた美奈子だったが、その封印を破る必要を今、正に感じていた。
美奈子には分かった。
今ここで、人類……いやそれどころか宇宙の命運を左右する何かが、起ころうとしているのだと。
「ルミ、左に走れ!」
ドルカスが叫ぶ。
「おねいさん。左って……こっちでよかったよね?」
ルミは、自分が左だ、と思うほうを指差した。
「ムキーッ」
忍耐力に著しく欠けるドルカスは、頭をかきむしった。
よくそんなんで、軍の最高司令官になどなれたものである。
「そっちでいいから、とにかく駆けろ!第七艦隊、全艦右舷35度、方陣形に展開! 何としてもルミと人形を死守せよ」
一部の客は気付いた。
マッチ箱ほどの戦艦のような飛行物体が多数、天井にひしめいてやってくるのを。
「危ないっ」
美奈子は、ダイビングでとっさにルミの体を抱え、洋菓子のショーウインドーと通路の隙間に身を躍らせた。
「きゃあああああああああああ」
買い物客の悲鳴が上がった。
通路に響く爆音。あがる火の手。
振り返った美奈子の眼球は、確かに捉えた。
実物と同等の戦闘力を持ったミニサイズのF-15戦闘機が飛び去っていくのを。
「お嬢ちゃん、こっちよ」
きっと、あれはまた戻ってくる——
そう確信した美奈子は、ルミの手を引いて、腰を低くかがめて移動を開始した。
食料品売り場のはじまで飛んで機体を旋回させたデメトリスー つまり戦闘機に変化したガイオ自由銀河連邦のサイオニクス戦士『ミュウ』は、AIM-120・サイドワインダー空対空ミサイルの照準を、何のためらいもなく美奈子に合わせた。
「あれは……味方か?」
ドルカスは自軍の不利な状況も一瞬忘れて、ルミをかばって逃走する美奈子をモニターで見つめた。
「なんだか、『ミュウ』の我々バージョンみたいなやつだな。通信兵、あの者とのコンタクトを試みよ。あらゆる周波数を試せ。つながったら、私と代われ!」
なぜ、ドルカスは美奈子のことをミュウの我々バージョン、と表現したのか?
それは……王立宇宙帝国が女だけの単一種族であるのと同様に、超能力の備わったガイオ自由銀河連邦もまた同じように『男』ばかりの単一種族だったからなのだ。
「サンダー・ウォール!」
美奈子の両手にパチパチと弾けるまばゆい電流の束が躍った。
それは空中に這い進んで、売り場の天井までを覆いつくす壁となった。
「ちっ」
デメトリスはその電磁防壁を通過できないのを見てとり、大きく機体を旋回させ、いったん離れていった。
……これで、ちょっとは時間を稼げるかしら。
ルミのちっちゃい手を握りながら、美奈子は振り返って笑顔を向ける。
「大丈夫、かな?」
突然の事態に言葉もなかったルミだったが、美奈子の笑顔に引き込まれて、やはり笑顔を返した。
「うん」
しかしすぐ、その幼い顔を曇らせた。
「……お母さん、探さなきゃ」
プリスキラ王立宇宙軍の全艦隊は、戦闘機と化したデメトリスに照準を合わせ、プラズマ主砲を連続発射した。
マッチ箱ほどの大きさとはいえ、1200隻にも及ぶ数の艦隊は不気味な存在感をもって、食料品売り場にその影を落としていた。
まばゆくひらめき渡る閃光の嵐。轟く轟音。爆風とともに巻き上がる黒煙。
天井のスプリンクラーが反応し、周囲に水流を撒き散らす。
買い物客たちはパニックを起こして、地階にあがる階段へと殺到した。
「あなた……誰」
美奈子が急に立ち止まったので、ルミも止まって連れを見上げた。
美奈子の思念に、コンタクトを試みる者がいたのだ。
ドルカスと名乗った遠い宇宙からの来訪者は、静かに語りかけてきた。
話の分かる大人としゃべれる彼女は、実に落ち着いたものであった。
「お前がESPなら話が早い。我々の歴史のと科学の全ての情報を、今からお前の脳にアップロードするから、受け取れ」
その瞬間。
気が遠くなりそうな情報量の電子配列が、美奈子の脳神経に流れ込んできた。
数億年に渡る、二大勢力の戦いの歴史。
男の単一民族と、女の単一民族との歴史と確執。
そして、進化しすぎた最終兵器により母星をも失い、戦い続けることに疑問を投げかける国民たち。
なぜか迷子になった母子の鬼ごっこに託された、宇宙の運命——
全てを悟った美奈子は、深くため息をついた。
「……あんた達、ばっかじゃないの?」
「何だと?」
眼中にもなかった未開な種族にけなされたドルカスは、カチンときた。
「確かにそのマザーガイア、とかいうやつの提案はムチャクチャだけどさ……その真意があなたたちには分からないわけ?」
美奈子は、手のひらから練り上げたエネルギーボールでルミを包んだ。
この球体のバリアー効果は、30分は持続するはずだ。
「いったい何だというのだ? この勝負に勝つことではないのか?」
ドルカスの搭乗する最強の旗艦『ホワイトファング』は、美奈子の真横まで浮遊してきた。
「……念動超力解放。エナジードレイン・フォーメーション発動!」
真っ白な炎に体を覆われた美奈子は、セルフテレキネシスで宙に浮かび上がって、言い放った。
「結局ね、争うこと自体に意味がない、ってこと。戦いは何も生み出さないのよ——」
いた!
ルミの母・多香子は、やっとの思いで一階の食料品売り場に来た。
地下から逃げ惑ってくる人々が多かったために、なかなか下りていくことができずにいたのだ。
「非常事態です! 地下には行かないでください!」
そう警告する守衛の脇をすり抜けるのも、一苦労だった。
でも、我が子のことを思うと、何があっても行かないわけにはいかなかった。
さっき、どこの誰かもわからない美奈子と名乗る女性から、信じられないことにテレパシーで直接頭の中に語りかけられた。
……ルミちゃんは、地下の食料品売り場に、私と一緒にいます——
とりあえずの味方がいることが分かり、少しはホッとした多香子だった。
それでも心配の種はなくならなかった。
何と言っても、美奈子の敵はあのジョニー達なのだ。
同じ超能力者とはいえ、地球人にどれほどの抵抗ができるものなのだろうか?
地下の食料品売り場に足を踏み入れた多香子は、眼前の光景に呆然とした。
所々にくすぶる火。黒焦げの店内。そしてその奥では……
白い火炎に包まれた美奈子と、青い炎に包まれたジョニーがにらみ合っていた。
そして、輝く球体に閉じ込められたルミ。
彼女を囲むようにして、無数のミニチュア戦艦が宙に浮き、砲身をジョニーに向けている。
「ジョニーさんとやら。まだ、私の言うことが分からないの? この、カタブツ」
計り知れないパワーを体に秘めた二人の……いや正確には一人と『六名の集合体』のエスパーは、互いを鋭い視線で見つめあい、対峙した。
「何とでも言え。私は、とにかく与えられた任務を間違いなくこなせばいいのだ」
……もう。その任務の真意を悟らないで表面ばっかりみる頭デッカチめ。
しゃーない、ドルカスさん聞こえますかぁ?
「コラ! 美奈子とやら、そんなに強い念を発さなくても、聞こえておる」
ドルカスは、ジンジンする耳を抑えた。
「このまま私とこの人の力がぶつかったら、間違いなくこのデパートはあとかたもなく吹っ飛ぶわ」
気を抜くことなく、ジリジリと後退する美奈子。
「私はどうなってもかまわないけど……ルミちゃんは簡易バリアーでは守りきれない。だから、私の全生命力をもって最大出力の結界を張る。それで、この子を守る。何かあったら後はお願い」
美奈子は、体内に流れる気の流れを変えた。
とたんに、彼女を包んでいた白い炎は紅色へと変化した。
「それでは、お前は死ぬことになるぞ。関係ない者のために、そんなことになってもいいのか?」
軍人として非情な場面も数々くぐり抜けてきたドルカスだったが、少し情を動かされてそう声をかけた。
「ええ」
なぜか美奈子は微笑を浮かべた。
「私みたいなものの力が人のために役に立つのなら……それが一番なの」
「母親が……近いな」
ジョニーはつぶやいた。
「その子に会わせるわけにはいかん。不本意だが、邪魔立てをするからには生かしておけぬ」
彼の体は、他のものがまったく見えなくなるほどに、まばゆい光を発した。
美奈子は、とっさにルミを覆う球体に抱きついた。
……今よっ。私の潜在エネルギーのすべてをあげる。
だからだから…生きるのよ。
ジョニーの放つ衝撃波を防御もせずに背中から浴びながら、美奈子はただひたすらルミをかばい続け、防御壁を強めることにだけエネルギーを使い続けた。
その時だった。
「ルミ~~~~~~!」
「し、しまったぁ!」
振り返るジュニー。驚愕のあまり表情が凍り付いている。
展開されている修羅場など意に介さず、多香子はただ娘に近付きたい一心で、躊躇なく駆け寄ってくる。
「お母さん、危ないっ」
気付いた美奈子は背中が焼ける激痛に耐えながら叫んだが、もう遅かった。
ジョニーに先んじて、ミニF-15戦闘機、デメトリスがバルカン砲を発射していた。
機関砲の弾丸は、寸分たがわずに多香子の背中を貫通した。ミニチュアでもタマは実弾である。
非情にも、ルミの目の前で、母親は機関砲の蜂の巣となった。
あまりのショックに、ルミは叫ぶことはおろか、声を発することさえ出来なかった。
制御を失った涙腺が、ルミの両目からとめどない涙を供給する。
ヒクッ、ヒクッと肩を震わせるルミは、大声を上げて泣く、ということができずにいた。まるで、声を失ってしまったようだ。
もはや、何をもってしても彼女を慰めることはできないであろう。
次の犠牲者は間違いなく、エネルギーを使い果たしかけている美奈子だ。
「全艦、エネルギー砲を最大出力で地球人ESPに向かって射出」
ドルカスは、メインブリッジに響き渡る声で命じた。
「そ、それでは……我々が帰還する燃料さえなくなってしまいますが?」
副官が駆け寄って進言した。
「分かっておる」
すでに覚悟のできていたドルカスは、静かに副官に告げた。
「……私は、見せてもらったぞ。美奈子というエスパーから、そしてルミというジャリたれの母から。愛する者を身を挺して守る、ということの大切さを。
我々にも、やつらガイオ自由銀河連邦のやつらにも、お互いに大事な守るべき存在があったはず。我々はその大事なことをすっかり忘れて、愚かにも長い長い戦火の時代を通過してきてしまった。今度は、我々が正義を見せる番だ」
美奈子の体も、耐えうる限界にまできていた。
「今こそ見せてくれようぞ、我々の最後の誇りある戦いを!」
プリスキラ王立宇宙帝国軍・第七旗艦艦隊は、最後のエネルギーまでをも惜しまない覚悟で、照準を美奈子に合わせた。
「美奈子とやら。こちらのエネルギーを渡すから、その子を頼んだぞ」
手を上げて厳かに指令を下した。
「撃てっ!」
その時、驚くべきことが起こった。
デメトリスを再び取り込んで七人の塊となっていたジョニーは、突然美奈子への攻撃をやめた。
そして、衝撃波とは違う、柔らかな光を発する手を、穴だらけになった多香子の死体にかざした。
それは、『ミュウ』だけに古代から伝わる、ヒーリングの術だった。
驚いているプリスキラ王立宇宙帝国軍の全兵士と美奈子に、ジョニーは顔を向けた。
「……オレのパワーだけでは不十分だ。お前たちも手を貸せ」
立ち上がる美奈子。砲身を調整する第七旗艦艦隊。
敵味方を超えて、すべてのパワーが多香子を包んだ。
骨片が、細胞が……
多佳子の体のすべてが一旦分解され、分子レベルから組み上げられ、再生されてゆく。
そして、多香子は目をあけた。
「きゃあ、見ないでえぇぇぇ!」
彼女は、必死で胸と秘部を手で隠した。
そう。服だけは再生ができなかったのである。
戦いの結果は、もうどうでもいいことになった。
プリスキラ王立宇宙帝国とガイオ自由銀河連邦は、正式に和平条約を締結することになった。
そして長い歴史に渡っていがみ合い続けてきた両軍は、それぞれの故郷へ帰って行った。
あの事件の後——
地球人大の大きさになって外に出てきたドルカスは、ルミ親子・美奈子・そしてジョニーと対面。
意気投合した彼らは、西武百貨店の大混乱を尻目に『キルフェボン』というスイーツの美味しい有名店へ行った。
ドルカスは『うまい、うまい』と言いながらタルトを10個も平らげた。
ただ、彼女の軍服姿に、周囲はかなりドン引きムードであった。きっと、何かのアニメのコスプレと思われたことだろう。
地球のお菓子のレシピをゲットしたドルカスは、ジョニーとともに遥か遠くの宇宙へと旅立った。
仲良くなって初めて『異性 というものを意識した二人は、ラブラブムードであった。
きっと今後、向こうの世界でも地球を見習って、男と女が愛し合って暮らす世界が訪れるに違いない。
空へどんどん浮き上がっていく艦隊を見送りながら、ルミ親子と美奈子は見えなくなるまで手を振り続けた。
見送り終わって。
ルミは、母が一時とはいえ死んだことを思い出してしまったのだろう。
涙目で多香子の足にしがみついてきた。
「つらい目に遭わせちゃったね」
多香子は、我が子を優しく抱きとめる。
そんな親子の美しい姿をまぶしく見つめながら、美奈子は現実的な心配をした。
……デパートあんなになっちゃって、私のバイトはどうなるんだろ?
今でも——
なぜか我らの星『地球』の名を冠したスーパーコンピューター『マザー・ガイア』は、遥か遠い宇宙のどこかで、稼動しているのだ。
果たして、この結果を予測していたのだろうか。
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